国の史跡の指定
Press Release 報道資料 広島市 The City of HIROSHIMA
令和5年(2023年)10月20日(金曜日)
市民局文化スポーツ部文化振興課
文化財担当課長:柳澤
電話:082-504-2628
内線:2720
1 概要
10月20日(金曜)、国の文化審議会(会長 佐藤 信)は、文部科学大臣に対し、広島原爆遺跡を史跡に指定するよう答申しました。今後、国において官報告示を経て、指定される予定です。
なお、今回の答申により、広島市内の国の史跡は5件となる予定であり、市内で国の史跡に指定されるのは、平成8年(1996年)11月に指定された中小田古墳群以来です。
2 指定候補物件の説明
広島原爆遺跡は、第二次世界大戦の末期である昭和20年(1945年)8月6日に広島にアメリカ軍により投下された原子爆弾(以下「原爆」と略す。)の被害の実相を伝える遺跡である。爆心地から1.4kmまでは人体に致命的な熱傷を与え、2km以内では大半の建物が全壊全焼した。原爆による被害は、爆風、熱線、放射線が挙げられ、同年中に約14万人が死亡したと推定されている。
旧燃料会館(現・平和記念公園レストハウス)は、地階には火災痕である煤のある天井や、爆風の影響で押し上げられたと推定される天井スラブが残る。旧日本銀行広島支店は爆風による地階の扉の蝶番の損傷や、2階の木製の腰壁には窓ガラスの破片が突き刺さった痕などが残る。旧本川国民学校校舎(現:本川小学校平和資料館)は炭化した木煉瓦や焼け焦げた戸枠・配電盤が残る。旧袋町国民学校校舎(現・袋町小学校平和資料館)は被爆後臨時救護所となった際に記された伝言や炭化した木煉瓦が残る。多聞院鐘楼は爆風によって損傷した天井や梁をそのまま残す。旧中国軍管区司令部防空作戦室は、当時勤労動員されていた高等女学校の生徒が、電話により四国軍管区司令部と福山の部隊に被爆直後に被害を伝えた場所である。
広島原爆遺跡は第二次世界大戦末期における原爆投下の歴史的事実と、人類史上初めて使用された核兵器の被害、戦争の非情さを如実に伝える遺跡である。

(現・平和記念公園レストハウス)


(現・本川小学校平和資料館)

(現・袋町小学校平和資料館)


3 位置図
4 指定文化財件数
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