38燃料会館

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ページ番号1020940  更新日 2025年2月16日

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写真:原爆被災説明板(燃料会館)


原爆被災説明板 燃料会館

設置場所:中区中島町1
爆心地から約170メートル

この建物は、1929(昭和4)年、大正屋呉服店として完成しました。戦争が激しくなり、経済統制も進められ、1944(昭和19)年6月、県燃料配給統制組合に買収されました。1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、すぐ近くの爆心地約580メートル上空でさく裂した原子爆弾により、コンクリートの屋根は大破、内部も破壊炎上し、地下室にいて奇跡的に生き残った1人をのぞいて全員が犠牲となりました。戦後直ちに改修し、燃料会館として利用され、1957(昭和32)年には広島市東部復興事務所がおかれ、都市の復興の拠点として貢献しました。

写真説明:開店当時の大正屋呉服店(清水建設提供)、被爆直後の燃料会館(松本栄一氏撮影)

このページに関するお問い合わせ先

市民局 国際平和推進部 平和推進課 被爆体験継承担当
電話:082-242-7831/ファクス:082-242-7452
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