原爆体験者等健康意識調査報告書第3-3
第3 調査結果
3 考察
本調査は、原爆体験者の心身の健康影響等を調査するため、基本調査とその結果を検証するための個別調査で構成している。また、個別別査は、PTSD診断や原爆体験後の心境の変化の検証等も目的として実施したものである。その結果については次のとおりである。
(1)被爆者及び黒い雨体験者の心身の健康影響について
- 基本調査の結果、被爆群(直爆、入市、救護・看護の各被爆者)と黒い雨体験群(指定地域群、未指定地域群)のいずれも、比較対照群(非被爆者で黒い雨も体験していない群)に比べて、心身の健康面が不良であった。
個別調査の結果、被爆群においては、近距離直爆群、遠距離直爆群、間接被爆群(入市、救護・看護)の問では差はなかった。また、黒い雨体験群では、未指定地域群が全般的に心身健康面が不良であった。 - 基本調査の結果、心身健康面の不良にもっとも強く影響を与えていた要因は、「放射線による健康不安」と「差別・偏見体験」であった。
個別調査の結果においても、この二つの程度は、心身健康機能の不良と有意に関連していた。
また、健康不安尺度得点と差別・偏見尺度得点で単純に比較すると、いずれも近距離被爆群、遠距離被爆群、間接被爆群、黒い雨体験群、比較対照群の順にその程度が強いことが示唆された。 - 基本調査の結果、特に、「放射線による健康不安」は、現時点においても、被爆群、黒い雨体験群のそれぞれ4から5割もが有しており、比較対照群と比べて、明らかに高い割合であった。
- 基本調査の結果、黒い雨体験者全体の8割以上が直接曝露した体験を有していた。また、個別調査の結果では、黒い雨体験者の75.5%が、黒い雨には放射線を含有していたと認識していた。これらの傾向については、黒い雨体験群の指定地域群と未指定地域群との間で差は認められなかった。
- 個別調査の結果、黒い雨の未指定地域群が比較対照群と比べて心身健康面、心的外傷性ストレス症状のいずれも不良であった。また、不良の程度は、被爆群と匹敵するほど大きいことがうかがわれた。
- また、黒い雨の未指定地域群の健康不安は、黒い雨の指定地成群、比較対照群よりも高く、間接被爆群データに近いものであった、未指定地域群においては、健康不安のために心身健康面が不良な結果となったことが示唆された。
黒い雨の未指定地域群については、現在まで黒い雨の実態やその健康影響が十分に解明されていない中で、健康不安を増大させていた可能性がある。 - 被爆者や黒い雨体験者が高齢化する中で、その健康不安はさらに大きくなることが予想される。原爆体験者の今後の健康不安への対処が重要となることが示唆されているものと考えられる。
(2)原爆体験後のポジテイプな精神変化について
原爆体験後のポジテイプな精神変化は、現在の心身健康面との関連を認めなかった。ただし、PTGI(外傷後成長尺度)得点は直爆群よりも間接被爆群で有意に高く、一方比較対照群ではもっとも低くなっており、いわゆる逆U字型の傾向が示唆された。つまり、原爆体験後のポジティブな精神変化は、被爆体験が強度と軽度の場合に比べ、中程度の場合に最も大きく認めることがうかがわれた。
(3)PTSD症状について
- 被爆後63年が経過した時点での被爆者のPTSDの生涯有病率は5から9%であり、閾値下PTSD(パーシャル十ミニマム)まで含めた生涯有病率は19から27%であった。
一方、調査時点におけるPTSD有病率は1から3%であり、閾値下PTSDまで含めた有病率は4から8%であった。ただし症状項目ごとの有病割合で見ると、「フラッシュバック」と「考え・感情・会話の回避」をそれぞれ7から12%に認めるなど、現在においても被爆体験のトラウマ記憶は影響をもたらしていた。
なお、個別調査回答者の被爆区分の割合は直爆群67%、入市群25%、救護看護群8%であったが、これは広島市在住被爆者全体(2008年3月末現在)の被爆区分割合である直爆群63%、入市郡26%、救護看護群11%にほぼ見合っていた。
一方、個別調査回答者の性別割合は男性51%、女性49%であったが、広島市在住被爆者全体での性別割合は男性39%、女性61%であり性比に差が認められた。これは被爆者全体に比べて、基本調査回答者の年齢71歳から82歳の男性割合がやや高かったことと、調査協力率も男性がやや高かったことによると思われた。しかしながら今回調査でのPTSD診断割合は男女でほぼ等しかったため、性比の差による結果の補正は不要と考えられた。また仮に米国での疫学研究知見のように女性のPTSD有病率が男性の2倍程度であった場合でも、性比の差の補正により上記の推定有病率は0.1から0.2%上昇する程度であり、結果の数値にほぼ変わりはない。 - 一般に、PTSD有病率は個別の暴力犯罪被害と比べ災害や事故では低い傾向がある。わが国でのこれまでの研究では、阪神淡路大震災(44か月後)の全壊・全焼被災者群で9.3%、救命救急センターに収容された重症交通外傷患者群(6か月後)で8.5%と報告されている。また、米国同時多発テロ事件後のマンハッタン地域住民の無作為抽出電話調査では、PTSDが疑われた者の割合(事件後6か月間)は、直接まきこまれた者(現場にいた、受傷、死別、救助活動従事、失職等)では14.7%であったが、全体では7.4%であった。したがって被爆者のPTSD生涯有病率は、それらの数値に概ね近いものであった。被爆体験の悲参さは、大規模災害や重度交事故の惨状を大きく上回るものであったとはいえ、面談時に多くの調査回答者が語ったように、直後に訪れた終戦の解放感などが心の回復を促す方向に作用した可能性が考えられる。
いずれにしても本調査の対象者は、戦後63年間を生き抜いてきた被爆者であり、すでに他界した被爆者ではよりPTSD有病率が高かった可能性がある。
なお、黒い雨関係群にもPTSD症状を有した者がいたが、診断がついた者の面談調査記録をみると、黒い雨を体験したことによる心理的な不安だけでなく、肉親が悲惨な原爆体験を有していたことや、避難してきた多くの被災者を目撃したことなどが強烈な記憶として残っており、それがトラウマ体験としてPTSD症状の原因となっていた。
(4)身体的な症状について
今回の調査で、被爆者及び黒い雨体験者において、多くの者が自覚的な急性症状を有しており、また、現在においても病院で治療等を受けている状况が明らかになった。高齡化が進む中で、治療等を受ける割合は今後も大きくなっていくことが予想される。
(5)黒い雨の体験状況について
- 本解析は、「黒い雨を体験した」という回答に基づいており、その体験した時刻を無視すると、黒い雨の体験率は100%となる。そこで、原爆投下当日の午前8時から午後4時までの8時間を1時間おきに分割し、各時刻での「黒い雨の体験率」を求めた。この結果は、黒い雨の降雨域の地理分布の時間変化を概観するのにはよいが、黒い雨の体験率の値そのものが高い精度で推定されていることを保証するものではない。
統計解析の理念からすると、黒い雨の非体験者も含めた無作為抽出による回答に基づく体験率を用いるべきであり、さらに、被爆当日における回答者の時刻毎の所在地情報も必要であるが、現実にはそうした情報を人手することは不可能であるという事情がある。よって、今回の解析対象は、「どこかの時点で黒い雨を体験した」という人から得られたという条件付きのものであることに留意する必要がある。 - こうした限られた情報を基にした黒い雨の降雨域の推定にあたっては、降雨時間に焦点を当て、補足的に降雨強度及び雨の色などにより解析を行った。黒い雨の降雨時間については、黒い雨の体験者にとっても降り終わりの時刻が降り始めの時刻と一致する場合(単位を「時」としているため、この状況は生じうる)、降雨時間の長さは0時間となり、黒い雨非体験者にとっての黒い雨の降雨時間(必然的に、それは0時間である)と同じ値となる。雨域と雨域外との境界付近では、降雨時間は0時間に近い値になっているはずなので、この基本調査において黒い雨の雨域を推定するには、その降雨時間の推定値に基づくことが妥当と考えられる。
- その結果、黒い雨は、従来から言われていた降雨地域(宇田雨域)よりも広範囲に降り、現在の広島市域の東側、北東側を除くほぼ全域と周辺部で降った可能性が示唆された。また、黒い雨が降った時間の長さ、時間帯、色などについては、地域によって異なっている可能性が示唆された。
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