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阿戸ルートの概要

ページ番号:0000000687 更新日:2020年2月1日更新 印刷ページ表示

1.ルートの特徴

 阿戸地区は、戸山中学校や小学校、戸山公民館などの施設が集まっており、太田川に注ぐ吉山川の両側に散村のような形態で家屋が広がる地域です。
 阿戸ルートは、戸山郵便局前バス停を起点に戸山民俗資料館や阿刀明神社などを巡り、忠央バス停までの「阿戸上ルート」(総延長約3.4キロメートル)と、忠央バス停を起点に貴船神社や広沢隠岐守美濃・善左衛門の墓などを巡り、高浜バス停を終点とする「阿戸下ルート」(総延長約4.2キロメートル)の2つのルートがあります。田と山林に囲まれた静かな環境が多く残り、自然の中で四季折々の景色が楽しめ、私たちの心を癒してくれるルートです。

2.阿戸上ルートの主な資源

阿刀神楽伝承館(あとかぐらでんしょうかん)

阿刀神楽伝承館

 古い歴史を持つ阿刀神楽(広島県無形民族文化財指定)が後世に受け継がれることを願い、平成10年に県、市の補助金と地区全体からの支援で建てられました。館内には、衣装や道具の収納室・舞殿が設けられ、神楽弾や子どもたちの練習場に使われています。

阿刀明神社(あとみょうじんしゃ)

阿刀明神社

 1300年頃楽音寺神明帳の佐東郡四位十一前の中に阿刀明神の名があり、「芸藩通志」には、八幡宮と弁財天の二社として記されています。天保8年(1837年)に、この両者を合併し八幡宮と称し、明治4年(1871年)には旧称である阿刀明神社に復したといわれています。ヒノキ、スギ、モミの大木が繁茂している社叢は、広島市の天然記念物に指定されています。

浄宗寺(じょうしゅうじ)

浄宗寺

 元亀元年(1570年)に道順法師により真言宗遍照院養楽寺が創建されました。。天正13年(1585年)の浄土真宗改宗を機に、岡尾山浄宗寺と称し、明暦2年(1656年)に現在地に移転したと伝えられています。

若杉慧顕彰碑(わかすぎけいけんしょうひ)

若杉慧顕彰碑

 「エデンの海」や「野の仏」などの著者で知られる戸山出身の小説家・若杉慧の顕彰碑は、梵語の阿の字が刻まれた、石臼を素材としたユニークなつくりであり、碑文も興味深いものです。若杉氏に関する資料や著書は、戸山民俗資料館に収蔵されています。

3.阿戸下ルートの主な資源

岩鼻神社(いわはなじんじゃ)

岩鼻神社

 祭神は、国之常立神で御神体は金石と御神鏡です。天保2年(1831年)再建の棟札が残っています。参道からは、四季折々の田園風景が展望できます。

貴船神社(きふねじんじゃ)

貴船神社

 祭神は、400年以上前に京都にある貴船神社より勧請されたといわれています。この付近は干ばつの害を受けやすく、雨ごいの神・五穀豊穣を祈る神として祭られ、境内には古きを物語る杉の大木がそびえています。

太夫淵(たゆうぶち)とその周辺

太夫淵

 伝説によると、神主(太夫)が馬に乗っての帰途、淵に流れてきた手盆を取ろうとしたときに、化けていたエンコウ(猿ともカッパともいわれる)に引き込まれたといわれています。そこからこの淵は「太夫淵」と名付けられました。
 また、ここから石灯籠までの道中は、剣道より一本奥に入っていることもあり、のんびりと田園風景を楽しむことができます。

石灯籠(いしどうろう)

石灯籠

 阿刀明神社境内の西側と北側に「弘化三年丙午八月」(1846年)と刻み込まれた石灯籠があり、ここ西郷坂の県道すぐ側にも石灯籠が立っています。いずれも形がよく似た、高さ4メートルくらいの石灯籠です。当時は、天保の飢饉後で、盆踊りが何よりも楽しみであり、石灯籠に灯りともして踊り、豊作と無病息災を祈ったと伝えられています。

三面石積み水路

三面石積み水路の画像

 水路の両側面と底面の三面とも石積みとしたものです。昭和30年代頃までは、どこにでもありましたが、最近はコンクリート張りの水路が増え、石積みの水路は少なくなりました。周辺の伏流水を取り込んだり、サワガニやカワニナ(ホタルの幼虫のエサとなる巻貝)など多くの動植物の生息場所として「環境にやさしい水路」となっています。

広沢隠岐守 美濃・善左衛門の墓
(ひろさわおきのかみ みの・ぜんざえもんのはか)

広沢隠岐守 美濃・善左衛門の墓の画像

 沼田町内の山城のほとんどが、武田氏に関係するものといわれています。「芸藩通志」には、そのひとつについて「阿戸村にあり、弾正が家人所保といふのみにて、名を伝へず、或いは広沢美濃ならんともいへり」と記されています。かつて、岳山に出城の「きつねが城」があり、やぐらに上がって見張りをしていた二人の武士の言い伝えがありました。二人の墓は、山中にあったのを、現在の位置に建てかえてあります。

4.阿刀神楽について

 阿刀神楽は、文化元年(1804年)、宇高宗助という武芸の達人によって柔術の型を取り入れたとされ、宇高直次などが現在の基本型にまとめたと伝えられています。十二の演目によって構成される「十二神祇系」の神楽であり、技術的に優れているだけでなく、最後に舞われる「将軍」は、「託宣(神のお告げ)」が行われ、古い形式をよくとどめています。昭和40年に広島県無形民俗文化財に指定され、昭和55年には、文化庁から「記録作成の措置を講ずべき無形の民俗文化財」の選定を受けています。

八ツ花の舞の画像
八ツ花の舞

鬼退治の舞の画像
鬼退治の舞

えびすの舞の画像
えびすの舞

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あさみなみ散策マップ 阿戸ルート [PDFファイル/3.42MB]

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