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祇園・山本ルートの概要
1.ルートの特徴
JR下祇園駅を起終点とし、祇園地区の特産品であるパセリ、セリの栽培風景や、武田氏ゆかりの史跡、石張りが美しい山本川の景観などを楽しめるルートです。
2.ルート上の主な資源
歓喜寺・大年神社
神仏混交の名残として同じ境内に寺と神社があります。歓喜寺は元は「感神院」と呼ばれ、祇園の安神社付近にありましたが、天正年間(1573~1591年)、現在の場所に移されました。
大年神社は勧請年は不明ですが、この地にはかつて武田氏の出城があり、米庫を設けて兵糧を貯蔵していた場所だったことから、農業祖神である大年神を祭ったと伝えられています。
武田一族の墓(伝承)
小石を集めて築いた小山が三ヶ所あり、かつては五輪塔もあったといわれています。江戸時代にまとめられた地誌『芸藩通誌』には、この地域に銀山城十代城主武田光和の墓があり、桜の木などが目印であると記されていたことから、これがその墓ではないかといわれています。
部谷山古墳
6世紀(500年代)頃と推定される横穴式石室です。1m四方ほどの入り口を入ると、高さ2月3日m、幅1月7日m、奥行き4mの玄室(ひつぎを納める石室)があります。武田山、火山の山麓には、他にも同様の古墳や貝塚があり、早くから人々が定着していたことがうかがえます。
立専寺
銀山城主武田氏の香華院菩提寺で、元は「武将山金龍院」といいました。武田氏の衰退により廃寺になりましたが、天文4年(1535年)、僧正春によって再興、「武将山立専寺」と改称されました。山門は古い様式で16世紀(1500年代)のものと伝えられています。また境内には高さ9月4日m、幹周り2月7日mの見事なクロマツがあります。
専念寺
元は禅宗でしたが、元亀3年(1572年)、僧了心が浄土真宗に改宗し、「清徳山正専寺」と改められました。さらに大正元年(1912年)、西本願寺派に転派し「専念寺」と改称しています。本殿は明治35年(1902年)に改築されたものです。
平山八幡神社
天文12年(1543年)、周防国(山口県)の戦国武将大内義隆によって社殿が造営されたと棟札に記されています。また永禄3年(1560年)、毛利元就が嫡男隆元の武運長久と国家安泰を祈願して、現在の宝殿(本殿)を新築したとも記されています。
3.ルート上の見所
特産パセリの栽培風景
山麓からの眺望
石張りが美しい山本川
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