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原爆による荒廃から立ちあがった広島市は焼野原になった市街地に一本でも多くの樹木を持ち込む努力をしてきました。
まず昭和23年(1948年)に、壊滅した比治山公園を広島県の援助による砂防事業により復旧整備しました。当時植樹したサクラなどが現在立派に生長しています。
また昭和25年(1950年)ごろから街路樹整備にも拍車がかかり、街路ごとに特色を持たせた並木づくりが行われました。
昭和32年(1957年)から昭和33年(1958年)にかけて、「夢みる20年後の広島」をキャッチフレーズに供木運動が展開され、市民および市周辺の4郡23町民の協力で平和大通りや平和記念公園そして中央公園の緑化が行われました。平和大通りの緑地帯には昭和32年(1957年)に高木約1,200本、昭和33年(1958年)には高木約1,300本、それに低木多数の供木がよせられました。
これらの木々は立派に生長し現在、平和大通りの緑を形成し、夏には緑陰を提供し、冬には緑が街の寒々しさを柔らげるといった具合いに街行く人々に四季を通じて恵みを与えてくれています。
都市整備局 緑化推進部 緑政課 花と緑の施策係
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