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瀬野川の「歴史」 - 瀬野地区

ページ番号:0000006375 更新日:2021年12月28日更新 印刷ページ表示

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49.浄行寺

浄行寺の画像
大同元年(806)蓮華寺末寺高城山吉祥寺として僧諦常(または浄起)が開基。寛永年間浄土真宗になる。

50.瀬野機関区跡碑

瀬野機関区跡碑の画像
明治27年(1894)鉄道開通時、瀬野機関車駐泊所を開設。瀬野-八本松間で活躍した蒸気機関車も電化で消えた。

51.中倉神社

中倉神社の画像
康元元年(1256)宇佐八幡宮より勧請。境内に龍王社あり。近年神楽殿を新築。

52.生石子(ういしご)神社

生石子(ういしご)神社の画像
祭神は大穴牟遅命・少名毘古那神・市杵島姫命。神武天皇御東征の折陣所がおかれ瀬野の地名発祥地という。

53.落合の一里塚跡碑/落合道標

落合の一里塚跡碑

落合の一里塚跡碑の画像

広島札場より4里、この一里山は50丁道、尾道より約15里。
筑紫紀行にも記された。

落合道標

落合道標の画像
道標に「右四日市(現在の西条)左志和みち」とある。昭和20年(1945)9月の水害で川に落ちていた。

54.県道分岐道標

県道分岐道標の画像
明治24年(1891)5月に建立された。国道と県道の分岐点。石柱には「右国道、左県道」と刻まれている。

55.火除神社

火除神社の画像
明治初め落合の集落で大火があった。集落を見渡せる丘に火除けの神様を祀った。

56.檜木城跡

檜木城跡の画像
城主は阿曽沼豊後守興郷あるいは阪山三四郎といわれる。標高114m、比高54m、単連郭型丘陵城。

57.官立綿糸紡績工場跡

官立綿糸紡績工場跡の画像
水力を利用した洋式紡績の工場として、明治15年(1882)に完成。水量不足のため、4年後移転。県史跡指定。

58.出見世跡

出見世跡の画像
『行程記』に「酒屋孫左衛門の休会所、左右に茶屋多し…」、『芸藩通志』に「お茶屋…」とあるように茶屋があった。

59.山頭火句碑

山頭火句碑の画像
山頭火が、昭和8年(1933)9月19日に瀬野川流域を行乞行脚、上瀬野に一泊し俳句を詠んだ。平成15年(2003)9月に句碑を建立。

60.熊野跡分岐道標

熊野跡分岐道標の画像
旧山陽道と熊野往還の分岐点に道標がある。幕府巡見使が派遣された寛永10年(1633)設置とされている。

現道標は大正時代のもの。

61.油御用所跡

油御用所水路跡の画像
広島藩の「油御用所」として油搾場があった。動力は水車で賄ったので水路跡が残る。

62.平山神社

平山神社の画像
天和3年(1683)宇佐八幡神を勧請。大同年間造られた大山姫宮を合祀。古刀・古鏡・古き狛狗犬ありといわれる。

63.龍善寺

龍善寺の画像
治安2年(1022)空心が天台宗伊福寺を開基。天文15年(1546)真宗に改宗。寛永元年(1624)快存が現在地に再興。その後龍善寺に改めた。

64.馬頭観音

馬頭観音の画像
昔猟師が馬を鹿と間違え撃ち殺した。その供養のため観音堂を建立したと伝わる。

65.大山鍛冶場跡・墓所

大山鍛冶墓の画像
貞治元年(1362)二代目重守のとき、大山峠近くの鍛冶場からこの地に移り約260年間作刀した。60数基の墓がある。

66.涼木(すずむき)の一里塚跡碑

涼木(すずむき)の一里塚跡碑の画像
備後尾道より14里、広島札場より5里50丁道と記す。寛永10年(1633)の巡見使巡察の時に設置されたといわれる。

67.吉田松陰詩詠の地説明板

吉田松陰詩詠の地説明板
吉田松陰が安政6年(1859)5月安政の大獄で江戸へ護送されるときに詠んだ瀬能(瀬野)の詩の説明板がある。

68.瀬野川公園

瀬野川公園の画像
国鉄山陽本線「瀬野-八本松」間で後押しした蒸気機関車D51が展示されている。デイキャンプ場を併設し、近くに緑化公園がある。

69.万葉歌碑

万葉歌碑の画像
小田事が詠んだ歌 「真木の葉の しなふ勢能山しぬはずて 我が越え行けば 木の葉知りけむ」 が刻まれている。