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瀬野川の「歴史」 - 瀬野地区
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49.浄行寺
大同元年(806)蓮華寺末寺高城山吉祥寺として僧諦常(または浄起)が開基。寛永年間浄土真宗になる。
50.瀬野機関区跡碑
明治27年(1894)鉄道開通時、瀬野機関車駐泊所を開設。瀬野-八本松間で活躍した蒸気機関車も電化で消えた。
51.中倉神社
康元元年(1256)宇佐八幡宮より勧請。境内に龍王社あり。近年神楽殿を新築。
52.生石子(ういしご)神社
祭神は大穴牟遅命・少名毘古那神・市杵島姫命。神武天皇御東征の折陣所がおかれ瀬野の地名発祥地という。
53.落合の一里塚跡碑/落合道標
落合の一里塚跡碑
広島札場より4里、この一里山は50丁道、尾道より約15里。
筑紫紀行にも記された。
落合道標
道標に「右四日市(現在の西条)左志和みち」とある。昭和20年(1945)9月の水害で川に落ちていた。
54.県道分岐道標
明治24年(1891)5月に建立された。国道と県道の分岐点。石柱には「右国道、左県道」と刻まれている。
55.火除神社
明治初め落合の集落で大火があった。集落を見渡せる丘に火除けの神様を祀った。
56.檜木城跡
城主は阿曽沼豊後守興郷あるいは阪山三四郎といわれる。標高114m、比高54m、単連郭型丘陵城。
57.官立綿糸紡績工場跡
水力を利用した洋式紡績の工場として、明治15年(1882)に完成。水量不足のため、4年後移転。県史跡指定。
58.出見世跡
『行程記』に「酒屋孫左衛門の休会所、左右に茶屋多し…」、『芸藩通志』に「お茶屋…」とあるように茶屋があった。
59.山頭火句碑
山頭火が、昭和8年(1933)9月19日に瀬野川流域を行乞行脚、上瀬野に一泊し俳句を詠んだ。平成15年(2003)9月に句碑を建立。
60.熊野跡分岐道標
旧山陽道と熊野往還の分岐点に道標がある。幕府巡見使が派遣された寛永10年(1633)設置とされている。
現道標は大正時代のもの。
61.油御用所跡
広島藩の「油御用所」として油搾場があった。動力は水車で賄ったので水路跡が残る。
62.平山神社
天和3年(1683)宇佐八幡神を勧請。大同年間造られた大山姫宮を合祀。古刀・古鏡・古き狛狗犬ありといわれる。
63.龍善寺
治安2年(1022)空心が天台宗伊福寺を開基。天文15年(1546)真宗に改宗。寛永元年(1624)快存が現在地に再興。その後龍善寺に改めた。
64.馬頭観音
昔猟師が馬を鹿と間違え撃ち殺した。その供養のため観音堂を建立したと伝わる。
65.大山鍛冶場跡・墓所
貞治元年(1362)二代目重守のとき、大山峠近くの鍛冶場からこの地に移り約260年間作刀した。60数基の墓がある。
66.涼木(すずむき)の一里塚跡碑
備後尾道より14里、広島札場より5里50丁道と記す。寛永10年(1633)の巡見使巡察の時に設置されたといわれる。
67.吉田松陰詩詠の地説明板
吉田松陰が安政6年(1859)5月安政の大獄で江戸へ護送されるときに詠んだ瀬能(瀬野)の詩の説明板がある。
68.瀬野川公園
国鉄山陽本線「瀬野-八本松」間で後押しした蒸気機関車D51が展示されている。デイキャンプ場を併設し、近くに緑化公園がある。
69.万葉歌碑
小田事が詠んだ歌 「真木の葉の しなふ勢能山しぬはずて 我が越え行けば 木の葉知りけむ」 が刻まれている。