瀬野川の「歴史」 船越・海田地区
1.船越峠
水野誠三氏撮影
昭和32年(1957)の船越峠。明治20年(1887)以降整備された峠だが、西国街道の雰囲気を持っている。
2.常夜燈
明治5年(1872)に建立された岩滝神社の常夜燈。今は、正月や祭りの際に灯がともる。
3.岩滝神社
明暦2年(1656)八幡社、新宮社、祇園社を岩滝山に合祀したのが始まり。うしろの山は岩滝公園になっている。
4.松石の鼻
文化6年(1809)松石新開の完成で波打ち際が西国街道の新道となった。
5.市場坂
西国街道の旧道で、尾根付近は胸突き八丁となる。松石新開完成後は岩滝神社の参道となった。
6.カギ型の道
カギ型の特徴ある街道。突き当りを右に行けば”市場坂”、左のカギ状に進む道が新街道である。
7.恵美須神社
伝説によれば、地元の漁師が海から引き上げた光る石を小祠に祭ったのが恵美須神社の起こりと言われている。
8.潜水艇ドック
第二次大戦中、日本製鋼所が製造した“潜水艇”のドック。今は漁船の船だまりになっている。
9.ジグザグの家並み
代官所跡あたりから海田町上市にかけて街道に対して軒や敷石が斜めになるジグザグの家並みが続く。
10.代官所跡
歴代公共の建物があった。代官所・郡役所・鼓浦尋常高等小学校・役場と変り今は児童公園である。
11.新宮社と新宮古墳
船越最古のお社と古墳が隣合せである。市の指定史跡新宮古墳からは翡翠製勾玉付首飾りが出土した。
12.旧瀬野川河口
明治6年(1873)鴻治新田の完成まで、瀬野川の河口は、“さかえ橋”の近くにあったと言われている。
13.八幡社
八幡社は船越で最も古いお社の1つ。小高い丘の上にあり境内から素晴らしい眺めが楽しめる。
14.海田市の一里塚跡碑
城下元安橋東詰道路元標から2つ目の一里塚。かつて街道の両側に塚があり、松が植えられていた。
15.馬背(うまのせ)墓所
歴代海田市の脇本陣を務めた庄屋・加藤氏と代々鋳物師で船越の庄屋だった植木氏の墓がある。
16.三宅家住宅
江戸時代から安芸郡きっての大地主で有名な農業篤志家。住宅は200年前の面影を良く残している。
17.明顕寺と植木源兵衛の梵鐘/高田藩士の墓
明顕寺と植木源兵衛の梵鐘
浄土真宗本願寺派の寺院。江戸中期の植木源兵衛の梵鐘がある。鐘は戦時中殆どが供出され現存は珍しい。
高田藩士の墓
明顕寺の境内には、第2次長州戦争の時海田市に宿陣した高田藩の戦没者34名の墓がある。
18.荒神社・胡社
荒神社は明治6年(1873)の瀬野川の瀬替えに伴い建立。向かい合わせの胡神社は熊野神社の御旅所。
19.九十九(つくも)橋
昭和20年(1945)の大洪水で流失。昭和25年(1950)旧光海軍工廠の鉄骨を再利用して架橋された。
20.千葉家住宅
江戸時代「天下送り役・宿送り役」を務めた。数寄屋造りの書院は県の重文、庭は県の名勝に指定。
21.脇本陣跡
脇本陣は歴代海田市の庄屋など町の要職にあった加藤家が務めた。一門には社倉法を研究した学者も輩出した。
22.海田恵比須神社
海田市に宿と共に建立され、宿町の繁栄を願った。付近には高札場もあった。
23.御茶屋(本陣跡)
大名の宿泊施設・本陣。広島藩では「御茶屋」と呼ばれた。後に海田尋常小学校が設置された。
24.熊野神社/三十六歌仙絵馬
熊野神社
承応3年(1654)庄屋猫屋加藤次郎兵衛が社殿を造営し新宮社と呼ばれた。珍しい亀の石像が奉納されている。
三十六歌仙絵馬
熊野神社拝殿に縦80cm横51cmの銅版36枚に肖像画と歌を書いた絵馬が奉納されている(文政8年(1825))。
25.うだつのある白壁
船越代官所跡付近から海田町上市にかけてジクザグの家並・大屋根・低い2階建・うだつの白壁が見られる。
26.観音免の大楠木/観音免古墳群
観音免の大楠木
大クスは県の天然記念物。樹齢400年以上、高さ28m、樹囲6.8m。
観音免古墳群
大楠木の奥の山肌に2基の横穴式古墳がある。7世紀前半の築造で瀬野川ぞいの古墳では最大級である。
27.春日神社と常夜燈
春日神社の詳細は不明だが、文政8年(1825)同社に奉納された常夜燈は旅人の目印となっていた。
28.出崎森神社
霊亀元年(715)筑前の宗像神社より勧進されたという。古くから伝わる“火ともしまつり”は町の無形文化財である。
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