広島城天守の復元等に関する調査・検討について(令和5年度~令和7年度)

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ページ番号1051529  更新日 2026年7月13日

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はじめに

広島城の天守は、毛利輝元によって築かれ、関ケ原の戦い以前から残る天守としてかつては国宝にも指定された極めて貴重な歴史的建造物でしたが、昭和20(1945)年8月6日、原子爆弾の投下により倒壊しました。

現在の天守は、戦後、復興していく過程において、鉄筋コンクリート造により再建されたものになります。

しかしながら、いわば「復興のシンボル」として再建された現天守も、老朽化等の問題により内部の観覧を続けるには安全性に問題があるため、令和8(2026)年3月22日をもって閉館し、68年の歴史に幕を閉じました。

広島城天守(令和7年4月2日撮影)

この天守について、現在、広島市では、今後の整備に向けて調査・検討に取り組んでいます。

令和5(2023)年度から令和7(2025)年度にかけて、「広島城天守の復元等に関する検討会議(以下、「検討会議」という。)」を開催し、現天守の解体及び天守群の復元等において想定される様々な技術的課題等について、基礎的な調査・検討を行いました。

このページでは、その内容を簡単に紹介します(ページの最下部に本調査・検討の報告書を掲載していますので、詳細をお知りになりたい方はご覧ください。)。

なお、広島市としての天守の整備方針は、今後、有識者会議などでの議論も踏まえた上で決定する予定です。

広島城天守の特徴及び広島城の歴史

天正17(1589)年に西日本最大の大名であった毛利輝元によって築城が開始された広島城は、大天守と2つの小天守を渡櫓(廊下)で結んだ複連結式の天守で、創建当時は大坂城天守に次ぐ大きさでした。大天守の東側と南側に小天守を従えた姿は、広島城を最も特徴づけるものだったと考えられます。

広島城大小天守模型(島充氏作)の画像
広島城大小天守模型(島充氏作)

かつての天守は昭和6(1931)年に国宝(一般に旧国宝と呼ばれ、現在の重要文化財と国宝に相当)に指定されましたが、昭和20(1945)年8月6日に投下された原子爆弾により倒壊しました。

現在の天守は、倒壊前の天守の外観を模して昭和33(1958)年に再建されたものですが、小天守等は再建されておらず、本来の広島城の姿を今は見ることはできません。なお、広島城跡は、昭和28(1953)年に国の史跡に指定されています。

整備手法ごとの比較衡量等

国の史跡である広島城跡で整備を行う場合に考えられる3つの手法について、検討会議で比較衡量を行った結果、(1)の木造復元が整備効果等の面で最有力であるという見解が示されました。

整備手法ごとの比較衡量
(1)木造復元 (2)耐震改修による現天守の継続利用 (3)現天守の解体を基本とする整備
  • 往時の先駆的な天守構造と壮大な建築物群の体感が可能となり、天守建築への理解を促すことができる。
  • 被爆以前の広島の歴史や復興の歴史を伝える象徴的な存在として市民等に認知されることが期待できる。
  • 一定の周期で修理を行うことで半永久的に機能を維持することができる。
  • 内部空間は本来の天守とは全く異なり、木造復元ほど天守建築への理解促進には繋がらない。
  • 戦災復興の象徴としての価値は持続するが、広島城天守本来の歴史的・文化的価値は伝えきれない。
  • 耐震改修を実施したとしても、建築物としての長寿命化を図ることはできない。
  • 現地に天守台が残るだけで、往時に天守が存在した事実や天守の姿形の理解に繋がらない。

 

復元時代の設定及び復元等の範囲の検討

復元等の範囲について、文化庁が定める基準等との整合性や史資料の状況から3つの案を検討会議において検討した結果、天守群全体を復元する案(以下の図の案3)が、史跡の本質的価値の理解促進等の観点から整備効果が最も高く望ましいとする見解が示されました。

また、復元時代(創建期や江戸期、戦前など)については、古写真から天守の外観や東小天守の情報を読み取ることができる「幕末から明治初期」が適当であるとの見解が示されました。

復元等の範囲を示した平面図
復元等の範囲

なお、天守群全体を復元する場合、全ての建造物について、良好な状態の遺構(建物が存在した痕跡)が確認される必要があります。復元等の範囲については、今後、発掘調査などを行った上で、費用対効果や財源の確保等も踏まえながら、詳細な検討を行う予定です。

復元等の蓋然性の考証

史跡において、天守などの歴史的建造物の復元を行う場合、文化庁の基準に基づき、位置や規模、構造などについて史資料などにより十分な根拠があり、復元後の建造物が高い蓋然性(確からしさ)を持つ必要があります。

そのため、戦前の実測調査により作成された図面や古写真、近世城郭建造物の類例等を基に往時の天守群の姿について考証を行い、天守群全体の復元図を作成しました。なお、この復元図は現時点での案であり、決定したものではありません。今後は、この復元図をたたき台にして、詳細な検討を行う予定です。

令和8年3月時点の復元図案(南立面図及び東立面図)

解体及び復元に関する工法等の検討

現天守の解体や天守群の復元等を行う場合の工法や仮設計画、工期や工費等について検討を行いました。
例えば、文化財である石垣や遺構の保存を踏まえた仮設計画については、検討会議において検討した結果、以下の図のように構台及び素屋根を設置する計画案が示されました。また、重機や資材等の搬入ルートについて、2つの案を検討した結果、文化財の保存や来訪者の安全性の確保等を図るとともに、施工の効率化が可能な堀横断ルート(以下の図の(2))が適当であるとの見解が示されました。

なお、これらの仮設計画図は現時点での案であり、決定したものではありません。今後、発掘調査などを行った上で、詳細な検討を行う予定です。

仮設計画図案及び搬入ルート案

今後の課題及び必要となる調査等

これまでの検討結果を踏まえ、今後、天守群の範囲や整備手法等を決定するに当たって想定される技術的課題は以下のとおりです。

(1) 復元等の蓋然性の更なる考証

現状では東小天守や南小天守など、復元等の根拠となる史資料が不足していることから、蓋然性について更なる考証を行うため、今後、史資料等を追加調査・収集する必要があります。

(2) 天守群の基礎となる石垣の安定性に関する更なる検討

これまでの調査・検討では、天守群の基礎となる石垣について、大規模地震発生時においても崩壊に至ることなく安定した状況であるとの結果でしたが、検討に必要な石垣の単位体積重量や石垣内部の状況等が想定に基づくものであったことから、今後、ボーリング調査等を実施し必要な情報を取得した上で、現地状況に即した詳細な検討を行う必要があります。

今後のスケジュール

令和8(2026)年度から、上記の課題解決に向けた詳細な調査・検討を行う予定ですが、調査・検討には最短でも5年程度(現時点では令和12(2030)年度頃まで)かかる見込みです。

その後、有識者会議などでの議論も踏まえた上で、広島市としての天守の整備方針を決定する予定です。

関連資料・リンク

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このページに関するお問い合わせ

市民局文化スポーツ部 文化振興課広島城活性化担当
〒730-8586 広島市中区国泰寺町一丁目6番34号
電話:082-504-2869(広島城活性化担当) ファクス:082-504-2066
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