Web展示会「復興の礎として 平和記念都市建設法と広島」 特別法案の国会通過

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ページ番号1033217  更新日 2025年2月26日

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広島市に特別立法の道を示した寺光は、早速「広島平和記念都市建設法」の法案起草に入り、第5次案まで修正を重ねた。市の関係者もこの間にGHQ/SCAPのジャスティン・ウィリアムスを介してマッカーサーから法案の支持を得るなど、制定に向けた下準備を進めた。占領下では、法制定にGHQの承認が必要とされたからである。また、この間に長崎市から法案への参画が打診されたが、平和記念都市が世界で唯一のものでなければ特別法として成り立たたないため、長崎市は「長崎国際文化都市建設法」を制定することとなった。

写真:寺光忠
寺光 忠

昭和24(1949)年5月4日、正式にGHQの承認を得て、10日に衆議院で可決、翌日参議院でも可決された。これにより、広島平和記念都市建設法の成立は、広島市民による住民投票の結果に委ねられることとなった。

写真:特別法の国会通過に対する広島市議会議長のお礼状


平和記念都市法の国会通過に対する礼状(昭和24年5月20日)(寺光忠資料)

法案の国会通過に対し、任都栗(にとぐり)広島市議会議長から寺光参議院議事部長に宛てた礼状。

広島平和記念都市建設法案(第1次案) 昭和24(1949)年2月 (寺光忠資料)

写真:寺光忠が作成した広島平和記念都市建設法の第1次案。


国営請願のため上京した広島市関係者から相談を受けた参議院議事部長の寺光忠は、特別立法の制定を提案し、すぐに法案の起草に着手した。寺光が最初に起草した広島平和記念都市建設法案がこの資料であり、後に削られた「(前文)」が付されている。

広島平和記念都市建設法英文確定案 昭和24(1949)年5月 (寺光忠資料)

写真:広島平和記念都市建設法案の英文確定案の1枚目


占領期の日本では、法律の制定に際し、GHQの事前承認を得る必要があった。このため、広島平和記念都市建設法の場合も、GHQの承認を得るべく英文の法案も作成された。これはその確定案に当たる。

余白に「48. 5. 3 PM2:00 山田(節男)ギ員と寺光とGHQへ持参したもの」とメモ書きがあることも注目される。

広島平和記念都市建設法案(第5次案) 昭和24(1949)年4月 (寺光忠資料)

写真:広島平和記念都市建設法の第5次法案


広島平和記念都市建設法案は、第1次案から第5次案まで作成された。この資料は、最後に作成された第5次案である。この法案が国会に提出され、昭和24年5月10日に衆議院、翌11日参議院で可決された。

広島平和記念都市建設法案議決に伴う特別法の通知文案 昭和24(1949)年 (寺光忠資料)

写真:特別法の国会通過を告げる通知文案


広島平和記念都市建設法案議決に伴う特別法の通知 昭和24(1949)年5月14日

原本国立公文書館所蔵(国立公文書館デジタルアーカイブ「日本国憲法第九十五条の規定に基く広島平和記念都市建設法」 (類03351100-008)より)

写真:特別法の国会通知を告げ、住民投票の実施を促す通知文の1枚目


写真:特別法の国会通過を告げ、住民投票を促す通知文の2枚目


国会を通過した特別法は、地方自治法の規定に則り、議長から内閣総理大臣に通知され、その後関係地方自治体の長に通知が届き、これを受けて住民投票が実施されることとなっていた。これは、衆議院からの内閣総理大臣吉田茂に宛てた通知文案と、実際に出された通知。

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