はじめに
私たちのまち広島は、太田川の恵みを受けて河口デルタに発展し、「水の都」として広く知られています。
市街地を流れる6本の川と多くの橋は、美しい景観をつくり、市民や訪れる人々に親しまれています。
広島の橋には、古くは安土桃山時代から400年以上の歴史を持つものもあり、西国街道や出雲石見街道(雲石路)に架けられた橋から、戦前の重厚な橋、原爆の惨禍を乗り越えた被爆橋、そして戦後復興期の橋まで、それぞれがその時代を映す生き証人です。
このページでは、そんな橋の物語を通じて、水の都ひろしまの魅力をご紹介します。
西国街道に架かる橋
古代から中世まで、京都と大宰府を結ぶ唯一の大路だった「山陽道」。
江戸時代になると、江戸と「西国」九州への経路をつなぐ重要な道路として発展し、五街道(東海道・中山道・日光道・奥州道・甲州道)に次ぐ脇街道と位置付けられました。
江戸時代では、西国街道・西国往還・西国路などと呼ばれていましたが、現在では「西国街道」と呼ぶのが一般的です。
地盤が不安定だった太田川河口一帯を避けて当初は北に大きく迂回していましたが、16世紀後半の広島城築城で城下町が誕生すると、城下を東西に貫いて通るルートが西国街道として位置づけられるようになりました。
太田川河口のデルタ(三角州)に建設された広島城は船などの水上交通に優れ、さらに西国街道が城下を通るようになったことから、水陸両方の交通に恵まれた広島城下は大いに栄えたのでした。
今でも猿猴橋から京橋を抜け、えびす通り、金座街、本通り、平和記念公園、そして本川橋を渡り、堺町から天満橋とたどることができます。
このページでは、今なお西国街道を支え続けている、3橋をご紹介いたします。
西国街道関連ページ

被爆橋
被爆したとき、広島市内には50を超える橋が架かっていましたが、その多くは爆心地から2.5キロメートル以内に集中しており、多大な被害を受けました。
かろうじて焼失や壊滅を免れた橋も、翌9月の枕崎台風や10月の風水害でその多くが流出しました。
その後も老朽化した橋や新たな交通需要、安全基準に応えられなくなった橋は架け替えられ、現在、爆心地から半径5km以内に残る被爆橋梁は6橋のみ(令和7年4月1日現在)です。
このページでは、デルタ内に架かる被爆橋をご紹介いたします。
被爆橋関連ページ

参考文献
「廣島市史 第四巻」 広島市 1925
「新修広島市史 第三巻(社会経済史編)」 広島市 1959
「新修広島市史 第五巻(年表索引・地図・編纂沿革)」 広島市 1962
「広島新史 年表」 広島市 1986
「広島原爆戦災誌 第二巻 第二編 各説」 広島市 1971
「河岸の戦後史 猿猴川」 広島市 広島都市生活研究会 1985
「河岸の戦後史2 京橋川」 広島市 広島都市生活研究会 1986
「河岸の戦後史3 元安」 広島市 広島都市生活研究会 1987
「河岸の戦後史4 本川」 広島市 広島都市生活研究会 1988
「土木へのいざない」 土木学会中国四国支部 1991
「広島国道のあゆみ」 建設省中国地方建設局広島国道工事事務所 1988
「絵葉書の中の広島~閉じ込められた街の面影~」 広島市郷土資料館 2013
「太田川改修三十年史」 建設省太田川工事事務所 1963
「ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録」 広島平和記念資料館 1996
「猿猴橋復元工事誌」 広島市 2016
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