橋のプロフィール
- 橋長
- 56.4m
- 幅員
- 17.0m
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形式
- 2径間連続鋼床版鈑桁橋
- 完成時期
- 1992(平成4)年
- 河川名
- 元安川

元安橋のあゆみ
- 1591(天正19)年
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毛利輝元の入城と元安橋の架橋
- 1926(大正15)年
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木橋であった元安橋の洪水流失を機とする永久橋への架替
- 1971(昭和46)年
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本橋両側への幅員1.5m歩道橋の付設
- 1989(平成元)年
- 架替工事の着手
- 1992(平成4)年
- 架替工事の完了
時代をつなぐ元安橋ヒストリー
毛利の名を刻む、歴史の橋
毛利時代から木橋で架けられていた元安橋は、毛利元就の子・元康が架けたといわれています。元康の邸宅から細工町へ通じる道路が「元康通り」と呼ばれていたことから、橋も「元康橋」と呼ばれるようになり、その後、承応・享保の頃に「元安橋」に改称されたとされています。
元安橋は、かつて城下町の目抜き通りであった西国街道に架かり、江戸時代には山陽道沿いの町として栄えました。明治維新後には広島を代表する繁華街となった中島地区と本通りを結ぶ重要な橋でした。

広島市公文書館所蔵【明治頃発行】
大正モダンを纏った、元安橋の誕生
大正末期までは木製でしたが、洪水による流出を機に、1926(大正15)年に鋼鈑桁の永久橋へ架け替えられました。この橋は、元安の「元」の字を取り入れた高欄デザインや、昔のガス灯をイメージした照明灯など、広島有数の繁華街にふさわしいモダンな意匠で、市民に親しまれました。

広島市公文書館所蔵【大正頃発行】
親柱の上に球形の飾り照明を載せた元安橋。橋上には多くの人々が行き交い、当時の賑わいを物語っています。

広島市公文書館所蔵【大正12年発行】
高欄に「元」の字を取り入れたデザインと、ガス灯風の照明灯。背景には旧広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)が見え、戦前の街並みを伝えています。
しかし、戦時中に装飾金物などの金属類は供出され、親柱の上は石の点灯箱に替えられました。1945(昭和20)年8月6日、原子爆弾により被爆しましたが、爆心直下で爆風が真上から押し寄せたため、高欄や親柱が転倒したものの落橋は免れ、戦後も通行に供されました。
復元されたモダンな元安橋
近年、老朽化が進み車両通行に支障をきたしたため、1989(平成元)年8月に架け替え工事に着手。約2年10か月をかけて、1992(平成4)年5月25日、未来へ向けた都市再構築の象徴として、新しい元安橋が誕生しました。

架け替えられた元安橋は、旧橋の歴史的イメージを継承することを基本方針とし、さらに平和記念公園の東玄関という立地条件を考慮して、観光客を中心とする歩行者に焦点を合わせたやわらかなデザインになっています。

高欄には、旧橋と同じく「元」の字をアレンジしたデザインを復刻しています。

桁側面に取り付けたアルミ板に石紛を用いた吹付塗装を施すことで、自然石に限りなく近い雰囲気を出しています。

照明灯も昔のガス灯をイメージして再現しました。さらに、地覆石の中に照明灯具を埋め込み、橋全体をライトアップすることで、夜間には幻想的な雰囲気を演出しています。
被爆の証人、元安橋の親柱

1945(昭和20)年8月6日、原子爆弾の爆風が元安橋を直撃しました。橋桁は原爆に耐えましたが、親柱の上の笠石は左右逆方向にずれ、欄干はすべて川に落ちました。この状況から、爆心地は橋の延長線上に位置していたと推定されています。
現在も、被爆した親柱が元安橋東詰に保存され、当時の惨状と平和への願いを静かに伝え続けています。
元安橋の位置
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