Web展示会「絵はがきからたどる広島あの頃 市街南東部」 京橋・猿猴橋・広島駅
京橋(中区橋本町~南区京橋町)
21 京橋(南西から) 【写真】
昭和2年(1927年)8月 田部俊一撮影

太田川水系の支流である京橋川に架かる橋。毛利氏の時代に広島城下から京都へ往来する道筋に架けられたため「京橋」の名がついたと言われている。この道筋は西国街道(さいごくかいどう)の一部にあたり広島藩の参勤交代の経路となった。
現在の橋は、昭和2年(1927年)8月に架けられたもので、市内で最も古い鋼橋(こうきょう)である。写真は完成直後に撮影されたもので、支柱の一部には金属の飾りが見える。この飾りは戦時中の金属供出により石に置き換えられた。左奥には二葉山が見える。
被爆後も現存する橋の中では爆心地から最も近い約1.5kmの地点にある。被爆により親柱(おやばしら)上部がずれるなどの被害を受けたが、通行に支障はなく、被爆者の避難路や救援活動の通り道となった。
橋の東側の京橋町は、江戸時代から商人や農民が雑居する町で、明治以降も日用雑貨や食品などを扱う商店が軒を連ねていた。
22 京橋(北西から) 【写真】
昭和2年(1927年)8月 田部俊一撮影

完成間もない時期の京橋。親柱(おやばしら)に「きやうはし」と刻まれた銅板がはめ込まれている。欄干や支柱の金属の装飾は、戦時中、供出された。
23 広島諸商仕入買物案内記並ニ名所しらべ
明治16年(1883年) 渡辺莱之助編
市内中心部の様々な店と名所の案内記。店の屋号や営業内容、通りから見た外観と店の内部が銅版画で詳細に描かれている。
この頃、西国街道(さいごくかいどう)沿いの京橋町には多くの商店が建ち並んでいた。この案内記によると鬢付油(びんつけあぶら)や国産綿糸等を扱う「保田九郎右衛門」(やすだくろうえもん、正しくは九郎左衛門か)、時計やガラス製品等を扱う「由良久登」、薬を扱う「大野木元助」「檜山秀助」、和菓子の製造と砂糖類の卸を行う「蔵本仙助」、干鰯(ほしか)、海苔、綿類(わたるい)を扱う「大藤新八」、紙や筆墨類を販売する「筑後屋事檜山平八」といった多様な店舗があったことが分かる。
中でも、京橋北側の保田九郎右衛門は、3代目九郎左衛門のころから京橋や近隣の町年寄を務め、6代目は藩との関係を深め城下を代表する商家に成長した。案内記には、保田九郎右衛門の広大な店舗が2丁に渡って描かれている。案内記が発行された頃、「広島きっての実力者、資産家」と呼ばれていた保田八十吉は、6代目九郎左衛門から分家して醤油製造業を始めた弟七兵衛の子孫である。
23-1 酒類醸造処 広島京橋町 山崎直次郎支店
23-2 諸油鬢附卸処 広島京橋町北側 井筒屋清三郎事 山崎直次郎
23-3 諸油鬢附卸処 国産紡績製綿糸大売捌所 首より上の薬 広島京橋町北側 保田九郎右衛門
23-4 時計類細工並ニビイドロ物いろいろ売捌所 広島京橋町 由良久登
23-5 薬種商 広島京橋町南側 大野木元助
23-6 御菓子製造並ニ砂糖類卸商 広島京橋町 蔵本仙助
23-7 干鰯海苔問屋並ニ綿類 広島京橋町北側 大藤新八
23-8 諸紙並ニ筆墨類売捌処 広島京橋町 筑後屋事檜山平八
23-9 和漢西洋薬種卸売商 広島京橋町南側 檜山秀助
24 京橋町田中屋呉服店の割引券
京橋町にあった田中屋呉服店の割引券。この券を持参すると、反物太物一円以上の購入で五歩(5%)引になり、福引券ももらえるとある。電話番号として「電電七九九番」が印刷されている。
25 広島郵便局電話番号簿 大正11年7月1日改
大正11年(1922年) 広島逓信局発行
大正11年(1922年)の広島郵便局管内の電話番号簿。記載は契約者名のイロハ順。「タ」の項には、24の割引券と電話番号が同じで住所が京橋一〇三となっている「田中屋呉服店」の記載がある。この電話番号簿には、京橋で呉服や反物を扱う店として、他に3店舗が記載されている。
この頃の電話は、電話交換手が相手方につなぐ方式であったため、巻頭には、交換手を呼び出すときの操作方法や交換手への電話番号の伝え方(10は「トウ」、20は「フタジフ」等)、電話応対の方法等をまとめた「一般通話心得」が附属していた。
猿猴橋(えんこうばし)(南区的場町~南区猿猴橋町)
26 猿猴橋開通式前夜 点灯試験の様子 【写真】
大正15年(1926年)2月 田部俊一撮影

太田川水系の支流である京橋川から分流して瀬戸内海に注ぐ猿猴川に架かる橋。毛利氏時代の広島城下絵図にも描かれており、京橋とともに西国街道(さいごくかいどう)の経路にある。
大正15年(1925年)に木橋から鉄筋コンクリート製の橋に架け替えられた。新しい橋の親柱(おやばしら)は地球儀とブロンズ製の鷹のモニュメントで飾られ、欄干には桃を持つ2匹の猿がデザインされていた。その華麗な装飾から「広島一豪華な橋」と言われていたが、昭和16年(1941年)には金属類回収令によりモニュメントは取り外され、欄干も石製のものに替えられた。
被爆により欄干等は破損したが、落橋は免れた。平成28年(2016年)、大正15年の架橋当時のモニュメントの一部や欄干が復元された。
これは開通式前夜に行われた照明灯の点灯試験の写真。親柱の地球儀の装飾も照明であったことが分かる。
26-1 架橋当時の欄干の装飾 【写真】
田部俊一撮影

27 広島猿猴橋
大正~昭和(戦前)期 広島□○堂発行
大正15年(1926年)2月に竣工した猿猴橋(えんこうばし)を東詰から撮影したもの。橋西詰中央に見える2階建ての建物は東警察署、その右は芸備銀行(現広島銀行)京橋支店。
28 猿猴橋・東警〔察〕署
(絵 福井芳郎)

福井芳郎(よしろう)(1912~1974)は、広島出身の画家。16歳で帝展(後の日展)に入選し、以後連続して入選するなど、早くから才能を発揮した。昭和6年(1931年)、大阪美術学校を卒業。戦中は衛生兵として参戦し、広島で被爆した。
戦後は被爆体験をもとに「黒い雨」「ひろしまの悲しみ」などの原爆記録画を数多く描いている。
当館が所蔵するスケッチ画は、もともと中国新聞紙上に連載された薄田太郎(すすきだたろう)のエッセイ「がんす横丁」の挿絵として描かれたもので、福井の記憶に残る戦前の広島の風物が描かれている。福井は、このシリーズが後に本として出版された際は、その装丁にも携わった。
右側の木造2階建ての建物は当時の東警察署。その左側の木橋が大正15年(1926年)に架け替えられる前の猿猴橋。左手奥には対岸の東松原と二葉山が描かれている。東警察署は、昭和20年(1945年)7月、銀山町に移転した。
この絵は、『がんす横丁』(薄田太郎(すすきだたろう)著 昭和48年(1973年) たくみ出版発行)の挿絵。
29 東松原町
(絵 福井芳郎)

猿猴橋東詰の西国街道(さいごくかいどう)筋の松原は、広島市西部の福島町の松原と区別するため「東松原」と呼ばれていた。また、48本の松があったことから「いろは松」と称された。
松の後ろにある青果物店と八百屋の間の通りには幟が立っており、その奥には芝居小屋のような建物が描かれている。
この絵は、『がんす夜話(よばなし)』(薄田太郎(すすきだたろう)著 昭和48年(1973年)たくみ出版発行)の挿絵。
広島駅(南区松原町)
30 広島停車場
明治~大正期発行
明治27年(1894年)6月、山陽鉄道の糸崎-広島間が開通し、広島駅(当時は広島停車場)が設置された。同年7月に日清戦争が勃発すると、東京からの陸路としての鉄道の西端であり、大型船が停泊できる港(宇品港)のある広島は、大陸へ出兵する兵士や物資を送る兵站基地となった。
開業当時木造2階建てであった駅舎は、大正11年(1922年)11月に駅舎としては、国内初の鉄筋コンクリート造りに建て替えられた。この駅舎は、隣接する広島駅前郵便局とともに多くの名所絵葉書に登場した。
被爆により、2階に張り出して増設された待合室が倒壊。類焼により駅舎内部が全焼して多数の死傷者が出た。鉄道は翌日夕方宇品線が、8日には広島-横川間が、9日に山陽本線、芸備線が開通し、10日には駅事務室がバラックで急造された。
戦後焼け残った駅舎は補修され、駅前はヤミ市でにぎわったが、昭和34年(1959年)に民衆駅※としての建設が決定し、同39年4月、取り壊された。
※民衆駅(みんしゅうえき)は、国鉄と地元が共同で駅舎の建設を行い、商業施設を設けた駅
31 広島停車場構内
明治~大正期発行
広島停車場構内の交差する線路とポイント、煙を上げて走る機関車を撮影した絵葉書。
32 広島駅及東郵便局
昭和(戦前)期 広島□○堂発行
広島駅(右側)、広島東郵便局(左側)を撮影した絵葉書。駅舎の前には自動車や人力車が停まっている。
33 広島停車場(広島駅)
昭和(戦前)期発行
大正11年(1922年)11月に竣工した広島駅の絵葉書。西隣の広島東郵便局も写っている。絵葉書には「広島停車場」と印刷されているが、この頃の名称は「広島駅」であった。
34 広島駅駅舎内部 【写真】
昭和11年(1936年)10月29日 渡辺襄撮影

広島駅の駅舎の中を撮影した写真。入口広間は吹き抜けになっていた。鉄筋コンクリート造りだが、床までは整備されていなかったことが分かる。
35 広島駅ホーム 【写真】
昭和11年(1936年)7月29日 渡辺襄撮影

東京に出発する知人を広島駅のホームで見送る一行を撮影した写真。
36 広島駅前 バス車内から 【写真】
昭和10年(1935年)6月16日 渡辺襄撮影

バス車内から広島駅前を撮影した写真。駅東側の建物や駅前に停車しているバスや自動車が見える。
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