Web展示会「絵はがきからたどる広島あの頃 市街南東部」 皆実町周辺・広島瓦斯株式会社・広島地方専売局
皆実町周辺(南区皆実町)
50 皆実新開の風景 【写真】
昭和11年(1936年)5月19日 渡辺襄撮影

広島瓦斯株式会社や広島地方専売局のある皆実町(みなみまち)は、江戸時代から明治にかけて開発された新開地であった。稲作には向いていなかったため、江戸時代から綿作(めんさく)が行われており、明治に入っても長く続いた。
大正期に入ると次第に綿作が衰退し、綿畑は水田と蓮根田に代わっていった。また昭和初期には区画整理が行われ、住宅が増加していった。
この写真は、昭和11年(1936年)5月、皆実町から北方向を撮影したもの。住宅の後ろの黒くなだらかな山は比治山(ひじやま)。広島市内中心部に近い北から少しずつ住宅が増えているのが分かる。
住宅前の土を高く盛った農地には、この頃裏作として植えられた大麦が育っている。
広島瓦斯株式会社(南区皆実町(みなみまち))
51 広島瓦斯株式会社全景
明治43年(1910年) 広島瓦斯発行
広島瓦斯株式会社(現広島ガス株式会社)広島工場は、明治43年(1910年)9月、皆実村に完成し、同年10月にはガスの供給を開始した。この頃のガスは燃料としてではなく、主にガス灯に使用されており、ここで製造されたガスも、当時繁華街であった中島本町(現中区中島町)や堺町(現中区)に送られガス灯に明かりを灯した。
絵葉書は、広島瓦斯の開業を記念して作成されたもので、社屋と開業時のガスホルダー(ガスタンク)が写っている。ガスホルダーは、大正時代に1基増設され2基となった。
被爆により工場は全壊し、機能を完全に失ったが、8月中旬には工場内に仮事務所を設けて応急対策にあたり、昭和23年末までにほぼ戦前の状態に復旧した。ハンドルの影が映りこんだガスホルダーは、「原爆十景」の一つとなった。
52 広島瓦斯広島工場 ガスホルダー2基 【写真】
昭和11年(1936年)9月13日 渡辺襄撮影

創業時からのガスホルダーと、大正時代に増設されたガスホルダーの2基が並んでいる様子を撮影した写真。
53 広島瓦斯広島工場 ガスホルダーと蓮根田 【写真】
昭和11年(1936年)9月13日 渡辺襄撮影

ガス工場すぐ裏手の蓮根田と住宅。皆実町(みなみまち)周辺は蓮根田が広がっていたが、この頃には住宅が増えていた。
広島地方専売局(南区皆実町(みなみまち))
54 広島地方専売局局舎
(『広島県史蹟名勝写真帖』(昭和10年(1935年) 教育公報社編・発行)より
たばこと塩は日清戦争後の財源確保や日露戦争の戦費を調達する目的等で、製造から販売までを国の管理(製造専売)により行われていた。広島には明治30年(1897年)、段原村に煙草専売所が設置され、その後広島分工場、直営の皆実分工場を経て、大正10年(1921年)7月1日、大蔵省専売局の地方部局、広島地方専売局となった。
写真の建物は同年竣工した鉄筋コンクリート造りの局舎。煙突も見える。局舎の後ろには鉄筋コンクリート造りのたばこ製造工場があった。ここでは主に、両切紙巻たばこが製造されていた。
被爆により鉄筋コンクリート造りの工場は、窓ガラスが割れるなどの被害を受けた。木造倉庫等も全焼し、原材料の葉たばこが焼失。応急修理を終えてたばこのが製造が再開されたのは、10月半ば頃であった。工場は平成14年(2002年)に閉鎖され、跡地は商業施設となっている。
55 広島地方専売局 両切煙草工場(ボンサツク機械)
戦前期
広島地方専売局では主に両切紙巻たばこが製造されていた。
絵葉書の「ボンサック機械」は、たばこを自動的に紙に巻き取る機械。
56 宮島広島名所交通図絵
昭和3年(1928年) 広島瓦斯電軌株式会社発行
表面は吉田初三郎が描いた広島市街から宮島(現廿日市市)までの鳥瞰図。裏面の「広島瓦斯電軌沿線名所案内」では、広島電軌軌道(現在は広島電鉄株式会社)の市内線、宮島線沿線の名所が写真入りで紹介されている。
饒津神社(にぎつじんじゃ)、東照宮、比治山(ひじやま)等の花の名所はピンク色の花で飾られている。
57 大日本職業別明細図 大広島市 昭和14年
昭和14年(1939年) 東京交通社発行
昭和14年(1939年)の広島市内の市街地図。官公庁、学校、商店、社寺等の名称が詳細に記載されている。
58 広島市街明細地図 明治20年(部分)
明治20年(1887年) 浅井馨編・松村善助発行
明治20年(1887年)、広島が広島区であった頃の市街地図。宇品港から横浜や神戸など日本各地までの距離も書かれている。隣接する宇品村、皆実村、国泰寺村などには幹線道路しか記入されておらず、開発途上であったことが分かる。
59 最新実測広島市街全図 明治27年(部分)
明治27年(1894年) 鈴木常松発行
日清戦争が勃発した明治27年(1894年)に発行された市街地図。山陽鉄道や広島駅から宇品港に延びる宇品線の線路が記載されている。広島城内には「師団本営」の文字が見える。
60 最近実測広島市街地図 大正15年(部分)
大正15年(1926年) 広島市編・発行 『第10回 広島市勢一斑』附属地図
大正15年(1926年)頃の広島市街地図。学校、官公庁、社寺、工場(ガス・缶詰・ソーダ、ゴム等)、商店等の施設や軌道等が書き込まれている。広島湾内には牡蠣養殖、海苔養殖、水産物などの情報も書き込まれている。
61 広島市街地図 昭和10年(部分)
昭和10年(1935年) 広島市役所編・発行
昭和10年(1935年)の広島市街地図。皆実町南部の区画整理が進んでいるのが分かる。京橋川河口の防波堤や河川修築の予定が赤で書き込まれている。
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