Web展示会「絵はがきからたどる広島あの頃 市街南部」 似島(にのしま)
似島(にのしま)
似島(南区似島)
広島港の約3キロメートル南に浮かぶ島。島の形が富士山に似ていることから「安芸小富士(あきこふじ)」とも呼ばれている。
日清戦争(明治27年~28年(1894年~1895年))当時、戦地からの帰還兵の間でコレラ等の感染症が流行し、市内に広まったことから、同28年5月、検疫強化のため、似島に似島陸軍検疫所が設置された。また、第一次世界大戦の際には、俘虜収容施設が併設された。
戦時中は空襲対策として、検疫所内に医療器具や医薬品が備蓄されていたため、被爆直後から被災者の救護所となった。8月25日までに約一万人が収容されたと言われている。戦後は原爆孤児等の収容施設が設置された。
38 瀬戸内海 安芸似の島
大正期発行
手前の松の左側に見えるのが似島。
39 安芸似島陸軍検疫所 棧橋
大正9年(1920年) 水谷発行
似島の未消毒桟橋を撮影したもの。上陸した兵士が荷物や銃を置き、腰を下ろしている様子が写っている。桟橋の下には、島の沖に停泊する大型船と桟橋の間を人や物資を乗せて運ぶ小型船が見える。
40 似ノ島陸軍検疫所 銃ノ日光消毒
大正9年(1920年) 水谷発行
帰還兵が使用していた銃剣や装備を日光消毒している様子。見張りらしき兵士が写っている。
41 安芸似島陸軍検疫所 蒸汽消毒
大正9年(1920年) 水谷発行
衣服や荷物が入った専用の籠と蒸気消毒装置。籠の下には消毒設備の中まで続く荷物等を運搬するレールが写っている。
42 安芸似ノ島陸軍検疫所 浴後休憩
大正9年(1920年) 水谷発行
入浴後、浴衣に着替えて休憩室でくつろぐ兵士。検疫所では、帰還先へ疫病等を持ち込まないようにする対策の一つとして、入浴して体を清潔に保つことが徹底された。
43 『似の島陸軍検疫所 広島・宇品・名勝 記念写真帖』
昭和14年(1939年) 水谷忠次郎編・発行
検疫所内の様子と広島の名所の写真を集めた写真帖。前半には似島上陸から消毒、帰還に至るまでの過程を撮影した写真を取り上げ、後半は宇品港から始まり、宇品地区と市内中心部の史跡、繁華街に至る名所の写真をそれぞれ順に紹介している。
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