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ページ番号:0000346186更新日:2023年8月4日更新印刷ページ表示

2023年7月28日記者会見「令和5年の平和宣言について外2件」

動画は下記からご覧ください。

(「広島市公式チャンネル(YouTube)(市長記者会見)」のページへジャンプします<外部リンク>

日時 令和5年(2023年)7月28日(金)午前10時15分~午前10時56分

場所 市役所本庁舎11階第1会議室

 

■市からの発表案件■

【令和5年の平和宣言について​】

市長

 令和5年度の平和宣言について説明をさせていただきます。

 本年5月にG7広島サミットが開催され、世界中から広島が注目されていることや、いくつかの市民団体から平和宣言に関する要望書が出されたことが報道で大きく取り上げられるなど、今年の平和宣言は例年以上に注目が高まっているというふうに受け止めています。

 そうした中で、今年の平和宣言は、各国の為政者が、G7広島サミットでも再確認された核兵器のない世界の実現という目標に向けて、今や成り立たなくなっている核抑止論を超え、具体的な行動を積み上げるよう、また、市民社会がそうした行動を後押しするために、世界中に「平和文化」を根付かせる取組が広がるよう、被爆地ヒロシマから強く訴える平和宣言にしたいと考えました。懇談会メンバーの皆様から頂いた貴重な御意見等も踏まえて、推敲を重ねて作成したものでもあります。

 また、この平和宣言、これが若い世代を含めて、世界の多くの人に、より広くより早く届くよう発信にも力を入れていきたいと考えています。

 それでは、お手元に資料があると思いますので御覧ください。

 まず1の「宣言作成の基本姿勢」についてであります。

 平和宣言の作成に当たりましては、これまでと同様に「被爆者の思いを伝える」ということを主眼に置きながら、「平和宣言に関する懇談会」での意見を踏まえて起草いたしました。

 構成要素としては、「被爆の実相」、「時代背景を踏まえた事項」、「核兵器廃絶に向けた訴え」、「被爆者援護施策充実の訴え」、「原爆犠牲者への哀悼の意」、「平和への決意」の6つを盛り込んでおります。

 また、市民の支持を必要とする各国の為政者に、理想の追求と未来志向を貫く行動を促す必要があることを強調しつつ、広く理解してもらうために、できるだけ分かりやすい展開になるよう努めました。

 次に、2の「宣言の骨子」を説明します。

 まず、宣言の冒頭において、被爆者の体験記を引用し、各国の為政者たちに、被爆地を訪ね、自ら被爆の実相を知る努力をしてもらいたいと訴える被爆者の思いを紹介いたします。

 次に、本年5月のG7サミットにおいて、(広島)平和記念資料館の視察などを通じて各国首脳に被爆者の願いが届いたことや、慰霊碑参拝の際に碑文に込められた「ヒロシマの心」を受け止めてもらったこと、G7で初めて「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」がとりまとめられ、核兵器が存在する限りは、それを防衛目的に役立てるべきとの考えが示されたことなどを振り返ります。

 しかし、核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえ、世界中の指導者に、核抑止論は破綻しているということを直視し、厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があることを訴え、市民社会においては、一人一人が人類愛や寛容の精神を共有し、為政者に核抑止論から脱却を促すことが重要であることを訴えております。

 また、非暴力を貫いたガンジーの言葉と、国連総会で採択された「平和の文化に関する行動計画」を紹介した上で、世界中に「平和文化」を根付かせる取組を広めていこうと呼び掛けます。

 その上で、広島市は、平和首長会議の加盟都市と共に、市民レベルでの交流を通して「平和文化」を世界中に広め、武力によらず平和を維持する国際社会が実現する環境づくりを目指すことや、被爆者の平和への思いを世界中の若者に知ってもらい、次世代に引き継げるよう、被爆の実相に関する本市の取組をさらに拡充していくことを宣言いたします。

 各国の為政者に対しては、G7広島サミットに訪れた各国首脳に続き、広島を訪れ、平和への思いを発信していただくことや、対話を通じた信頼関係に基づく安全保障体制の構築に向けて一歩を踏み出すことを強く求めます。

 日本政府に対しては、核保有国と非核保有国との間で現に生じている分断を解消する橋渡し役を果たすことや、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となること、まずは本年11月に開催される第2回締約国会議にオブザーバー参加すること、被爆者の苦悩に寄り添い、被爆者支援策を充実することを強く求めます。宣言の骨子は、以上のとおりです。

 最後に、3の「宣言の発信」についてであります。

 平和を願う「ヒロシマの心」を、より早く、より多くの人に共有してもらうために、英語版の平和宣言の動画配信を、式典における平和宣言の直後に開始いたします。また、動画サイトを周知するため、引き続き、平和首長会議やICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などの関係NGO(非政府組織・民間団体)、式典への参列大使などに情報提供することに加えて、SNSによる事前告知やプッシュ配信などを活用いたします。説明は以上です。

 なお、参考資料として、引用いたしました被爆体験記を書かれた方の御家族のコメントをつけておりますので、後ほど御覧ください。以上です。

 

記者

 今回、「宣言の骨子」の中の4項目目にあたるところに、ガンジーの言葉を紹介するというふうにあるんですけれども、市長が今回ガンジーの言葉を紹介しようと思われた理由を教えてください。

 

市長

 ガンジーはもともと、以前も引用したことがあるんですけれども「非暴力」、これを哲学とし、また実践する先駆者という位置付けの方なんですけれども、まさに、今回は国連などで彼の誕生日10月2日、それを「国連非暴力デー」にするといったような評価もあることを確認しながら、かといってこうやって今年の5月にガンジー個人としての功績をたたえて、インド政府からガンジーの胸像を受領するというようなこともやってまいりました。そういったことが背景に入っていること。

 それから、今回の平和宣言の文案を検討する中で、非暴力は強い力を持つという趣旨のガンジーの言葉、それを抱えてまた行動理念、実践してきた方というその方の胸像を受領したからということも頭におきながら。そうすると、そういったことを全て統合していくと、この平和宣言の中で文化、平和文化、これを振興していくということも方法論として取り上げるので、それにもうまく合致するなというふうなことを考えて採用したということであります。

 

記者

 今、世界情勢がだいぶ混迷を極めている中で、そういった外的な要因というものも今この言葉、この非暴力を貫いたガンジーさんの言葉を選んだ理由に挙げられるんでしょうか。

 

市長

 暴力を使わないでくださいというような、もちろん今言った戦闘行為をやらないということに象徴されるんですけれども、その単にやめるということで止まるんではなくて、私の場合はそういったことを今後とも抑制するために市民社会に平和文化、平和というものを大事にして皆がその行為態様を支持し、こういった行為態様を進める為政者をそういう社会から輩出する、あるいはそういう方々をサポートするということこそ大事と。その原点に暴力を使わないということがあるんですよと。そういう流れとして、それを一体のものとして、皆さんに御説明するために、コアコンセプトとして非暴力ということを位置付ける。こういうつもりでやりました。

 

記者

 ガンジーの言葉を引用されるのは2019年に続いて2回目ということでよろしいでしょうか。

 

市長

 うん、2度目ですね。

 

記者

 このガンジーの言葉、出典といいますか、いつどういうときに言った言葉なのかというのが、もし今把握されていましたら。

 

市長

 引用しました言葉の英語の原文はガンジーが創刊した週刊誌、1935年7月20日号に掲載されているものであります。「ハリジャン」とかっていう週刊誌を1935年7月20日号で出していまして、そこから引用したと。紹介すると、英文の方は「Non-violence is the greatest force at the disposal of mankind. It is mightier than the mightiest weapon of destruction devised by the ingenuity of man.」かな。人間が発明した中で一番強いものだと。非暴力が一番強いんだってことを言っているようであります。

 

記者

 あと、先ほどもちょっとお話ありましたけれども、これはインド政府からガンジーの胸像が贈られたっていうことがサミットに関連してあったと思うんですが、そのガンジーの言葉を選ばれるに当たって、そのことってどの程度、あるいはどういうふうに影響したかということが。

 

市長

 その作業もやっていまして。平和宣言のこの作成作業をやっていた中で、もともと平和文化の、先ほど申し上げたように平和に関する文化、カルチャー・オブ・ピースというのをやるとすると、カルチャー、これはいいんだけど、ピースに関わるカルチャーといったときに平和の定義をもう一つ、定義本を作っていたんですけれども、平和の一番分かりやすい定義はアンチテーゼである暴力、それがある世界が、実際に直接暴力を行使すること、あるいはその行使する以外に社会的暴力といいますか、人の人命を損なうようないろいろな差別行為とか侮蔑行為、さらにはそういったこともあってもしかたないじゃないかと、まあまああるという行動的といいますか、そういった暴力を肯定的にする世界っていうのはどう考えても平和な世界じゃないでしょうと。そうすると、平和という文化を得るときに、そういうものが一掃された文化というふうな定義と。そうするとそのコアコンセプトとして、ノンバイオレンスが一番というようなところに共通だなと。で、その根っこを押さえて平和文化を説明しようと、こういうような気持ちになったわけであります。

 

記者

 あと、一つだけ。今回、被爆者の体験で引用されたのが、重田芙美雄さんの御体験だと思うんですけれども、なぜこの方にしようと思われたのかということについてお願いします。

 

市長

 この方というか、この被爆者の体験記の見ているポイントは読んでいただくと分かるんですが、被爆地にまず来て「この地で」と。この地で感じてもらいたい。何を感じるか、多くの失われた命の重さを。こんな発言内容になっていると思うんですけど。

 だから、来ていただくこと、そしてそこでものを見て命の重要性を知っていただくということが大事なんだというような文脈になっていましたので、これは自分も今まで「迎える平和」っていうスローガンで多くの人に来てくださいとかって言って、G7サミットと。こんなにまとめて各首脳がどどっとこの地に来て被爆の実相を見たというのは初めてですし、今後あるかどうか分からない。前にはオバマさん来ましたけど、別用でもあって単独でしたよね。というようなことがあったんで、ある意味でこの人の思いというかいろいろな方を象徴的に。来て見てもらって感じてもらいましたよということへのお答えにもなったなという気持ちを込めて、引用させてもらいました。

 

記者

 平和宣言の2段落目におきまして、広島にとっては最大のハイライトだったと思うんですけれども、市長自らが慰霊碑の前で碑文の説明をするといったことがあったと思います。このことについて触れられています。

 関連で事実関係をお聞きしたかったんですけれども、6月末の「現代ビジネス」というインターネットのニュースで、ここに書いてあるとおりのことを日本語でしたためて現場に臨まれたと思うんですけれども、この部分の英訳に関して、今まで広島市の公式訳だった「Evil」、過ちっていう言葉がEvilという形に訳、それが広島市の公式訳だと思うんですけれども、これが「Mistake」という形で訳されて伝わったというような内容の記事が出ております。この中で松井市長が仲介した国会議員のある方に、Mistakeの方が碑文の本来の意味に近いというような認識を示したというようなことが触れられているんですが、先般、平和宣言(に関する)懇談会のあとのぶら下がりでも絶対悪という言葉を今年使うのかということを私、聞かせていただいたんですけれども、それはさておき、このMistakeという方が碑文の本来の意味に近いというような説明をされたというような事実はございますでしょうかということをお聞かせください。

 

市長

 まず、いろいろなところから情報を集められている御努力には頭が下がりますが、そういう事実はありません。

 

記者

 事実はないということですね。担当の部署の方に聞いたんですけれども、今後も、絶対悪という表現は今回使われませんけれども、碑文の英訳については現場にも各国の訳で示されていますけれども、引き続き広島市の訳としてはEvilであるってことで変わりないということで、当然かと思いますけれども、その認識でよろしいでしょうか。

 

市長

 慰霊碑のところに英訳とか各国語あるでしょう。あれ見てください。変わっていません。

 

記者

 また平和宣言の骨子のところなんですけれども、2番目の骨子の(2)の最後のところ、核兵器が存在する限りはそれを防衛目的で役立てるべきと考えが示されたと。これはすなわち核抑止論という認識でよろしかったですか。

 

市長

 核抑止論が、あえて文法の話をすると「べき」というのか、そういうものだということで核抑止論になっていると思うんですよね。だから、「べき」っていうのは、べきじゃないけど「すべき」だとか。「殺すな」というのと「殺すべきでない」というのは似ているかもしれない。だけど、殺さないということ、「殺しません」と「殺すべきではない」とは違うでしょ。だから、人を脅すためには使わないというものですよというのを。脅すべきでないということの説明とは違うんですけれども、そういう意味で、もうすでに抑止論というのはそういったことに絶対使わなくて、理性を持って、単に伝家の宝刀として抱え続けるものだと、こう言ってきたはずだと私は理解していますけれども。すべきものだといっていることを、どうでしょうかということを問うためにしっかりと引用しましたということです。

 

記者

 だけれども、この(3)に書かれているような実際に核の威嚇による為政者がいることを踏まえると、実際抑止論というものは成り立たないのだから脱却を促すと。

 

市長

 もう一回言いますよ。核抑止論が使わない、脅しに使わないというものだから持っていていいんだという理屈で核兵器を持つようにしていると。だけど、使わないと言えなくて、使うべきではないという考え方でやっているという。実際に使っていいという為政者がいて、為政者は使うもんじゃないということで、成り立っているという理屈が理論上も、すべきという言葉を使って破綻しているし、現に、使うということを言っている人がいるんだから、使わないということを言ってないじゃないかと。理屈も現実も崩れているんじゃないですかという説明しているつもりなんですけどいかがでしょうか。

 

記者

 だから、脱却をこう促す。

 

市長

 破綻している。破綻しているものに何で頼るんですかと申し上げているということを分かっていただきたいんですけれども。

 

記者

 今の点で、ちょっと確認なんですけれども、さっき、御指摘があった核兵器が存在する限りは、それを防衛目的に役立てるべきとの考えというのは、これ核抑止論についての考え…。

 

市長

 書いてあること、そう書いてあると引用しているんですよ。私の意見じゃない。

 

記者

 それは、市長は核抑止論…。

 

市長

 ではないんじゃないかということを言って、もう核抑止論が破綻していませんかと、すべきと書いたところで。

 

記者

 そうですよね。だから、このビジョンに書いてある考えは核抑止論。

 

市長

 核抑止論じゃないと思っているから言っているんです。核抑止論、破綻した文章じゃないですかと申し上げているんです。

 

記者

 なるほど。ビジョンにある、この…。

 

市長

 ビジョンはそのままで引いていますけれども、私の理解は、すべきじゃなくて、しないものだと。そういうことをやっちゃいかんというものだから持っていますよというのが核抑止論だったと思っていまして、すべきなんていうことを言った途端に、核抑止論じゃなくなっているんじゃないですかと。思っているということを言いたくて書いているんですよ。

 

記者

 じゃあ、ビジョンに書いてあるこのくだりは、核抑止論にすらなっていない。

 

市長

 だから、破綻していると申し上げているじゃないですか。

 

記者

 という御主旨ですね。

 

市長

 ええ、そういうふうに書いているじゃないですか。よく読んでください。核抑止論、ご存じないんですか。

 

記者

 失礼しました。ありがとうございました。

 

記者

 4段落目、先ほどから質問にもあります、ガンジーの言葉を引かれた件ですけれども、かたや、インドというのは建国の父であるガンジーはこのような言葉を残されましたが、現在は、核実験を経て、核兵器を持っているとされている国ですけれども、そういう厳しい現実も踏まえて、この言葉を引かれたと思うんですけれども、その現在の状況について、インドの状況については、どのようなお考えであるかっていうことと、この間、この碑(胸像)ができる、あるいはG7サミットに関連して、インドの関係者の方とお話することもあったと思うんですけれども、何かそういったことについて触れられたような会話等々はございましたでしょうか。

 

市長

 先ほど申し上げましたけど、ガンジー個人としての功績ということを申し上げているんですね。ガンジーさん、今、インドにいるわけじゃなく、さらに申し上げましたように、国連でもガンジーさんの誕生日を国連非暴力デーとして国際的に評価しているんですよね。国連に向けて、今のインドこうですから、ガンジーさんの非暴力でどうかしますかという御質問されましょうかというのが、まず、基本的な疑問なんですけれども、そこで、そういう疑問持ちながらですけど、私自身のインドとの関係はそういう意味で、現在のインド政府と切り離して、ガンジーさんの功績を非暴力ということ、哲学なり、行動様式を大事にしたいというふうに取り上げましたと説明したつもりであります、これは宣言の中の対応。

 そして、今言われたのはガンジーさんの胸像などをこの広島市が受け入れる、そのときのやりとりだと思うんです。この平和宣言とは違うと思うんですけれども、それでどうやりとりをしたかということを聞かれたいんだろうというふうに思いますので、その点についての少し御紹介をしますと、私自身は個人としてのこの功績を称えるという意味での胸像の受け入れはあっていいかなということで、最終的には結論を下しましたけれども、具体的に申し出があったのは、インド政府の大使からなんです。ですから、今はお宅の国のNPT(核兵器不拡散条約)への参加状況、それから核実験をして、今まで随時、広島市がインド政府にそういったことについての抗議をずっとやっていることを知っていますかと。それを知った上でやるんですかっていうふうな話もちゃんとやりました。

 そして、そういった中で向こうは、多分、G7(サミット)に来て、会合へ参加するということもあるんで、そのチャンスにガンジー像を広島に置くということになれば、自分たちの、これ(インド)大使の言い分ですけど、「最終的には我々だって、核兵器のない世界を目指すという心では持っているんです。そして、専制国家と民主主義国家ということで、境界線を巡って、いろいろな紛争なんかやっている中で平和を追求するという気持ちを持っている」ということをきちんと市長にお伝えして、その前提でこの像を受け取ってくれないかと、そんなやりとりがあったので、じゃあ、るる抗議していることもちゃんと確認して、それをちゃんと大統領に伝えてくれと文面も出しました。それを受け止めた上で、この功績、個人の功績としてのみ、我が市が受け取るんだということを理解の上で持ってくるならば、じゃあ、受け止めましょうと、そんなやりとりをしております。

 それがこちら、これ平和宣言とちょっと、関係なくはないですけれども、そのやりとりでありましたっていうことです。

 

記者

 今、ガンジーの話が出ました。ガンジーを今回、平和宣言の中に入れたというふうな、そもそも、ガンジーがおっしゃった内容もあるだろうし、胸像の寄贈というような今年のトピックがあったと思います。で、今年のトピックでいえば、今回、胸像もありますし、もっというと、アメリカとの間、国立公園局との間でもパールハーバー国立公園との間で姉妹公園協定というの結ばれたというのも大きな、広島市としてはトピックだと思いますし、松井さんも和解の精神を共有する時期に来られたという話をされていたと。今回、その中でそこも結構、大きなトピックかなと思ったんですけれども、平和宣言の中で、今回、そこあんまり入ってないなと思ったので、ここは議論の中は懇談会の中で熟慮はされると思うんですけれども、今回入れられなかったのはなぜなのかなというのを、ちょっとお聞きしたいと思います。

 

市長

 入れた方がよかったんじゃないかということ。

 

記者

 時代の中で大きく変わる中で、そこも入ってもよかったのかな、これは私個人の意見としてですけれども。

 

市長

 そういう御意見は非常にありがたいと思います。私からすれば、和解という、要は市長になって最初から使っていて、もう一つの基本用語は未来志向なんです。和解と未来志向。今は4期目に入っているから、しっかり言えるようになっているんですけど、当時は過去のことにこだわらず、未来志向でやるっていうことをやると。そうすると、過去にこだわる未来志向に結節点として、こだわるっていうのは相手方がいる。自らの価値観。ここで和解という行為をしないと移れないんですよ。ルビコン(川)渡れないんですよ。だから、過去にこだわるということと未来志向の間には和解という、そういうコンセプトがないといかんと思うんで、和解を大事にするということをやってきていて、その和解には、お互いそれぞれ時間軸があって、個人が直接経験している人がおったら、そう簡単には価値観変えられないんですよ。だんだん時間たって。でも命ある間、だけど、それは次の御子孫とか伝えたときに、もっと冷静に考え、みんな時間がかかるんだなということも思っている。それを国対国でやっているときには、その国を当時構成していた人口、年齢構成とか考えてシフトして、若い方々がうんと増えてきている。そして、客観的な事実関係もお勉強して、どうだったかなと。個人の争いじゃないですからね。というふうなことを考えながら、このパールハーバー(国立記念公園)と平和記念公園のことを。市長になって1年目に行ったりして見てきているんですけれども、その当時は、まだなったばかりで、そういった行動も十分できていない中でありましたけれども、その和解ということを言ってやっていました。その後の展開いろいろあって、そして、自分とすれば11年経って、それがようやく一つの行為に結びついたと言うことでありまして、平和宣言というのはいろいろな活動をする上での基本コンセプトを皆さんにお示しして、こういった考え方でやっていきましょうということをやるのが宣言だと思っています。

 だから、こういうことをやってやったということを別に書かなくてもいいと思っているからの話で、決して今やったことが重要じゃないなんて思っていません。位置づけが違うと。宣言というのは、こういう考え方で、こういうふうに捉えて、こうやる。皆さんに、こういう気持ちをまず理解してもらう。そして個別の行為は、先ほど言ったようにガンジーさんのをどう受け止めるということもあったし、パールハーバーとの姉妹協定もやったというふうなことであります。というのが、私の真意であります。御意見は御意見として伺うということです。

 

その他の質問■

【被爆建物の国史跡指定について】

記者

 先日、広島市内の被爆建物6件について、国の指定に向けて文化庁に、広島市の方が意見具申をされましたが、また原爆ドームについても特別史跡の指定を目指して来年度中に意見具申する方針も示されましたけれども、改めて、それぞれ指定を目指す狙いと意義について市長の考えをお聞かせください。

 

市長

 端的に言うと、我が市のこの取組を日本国家に認めてもらうようにすると、ざっくりとそんなふうなものだと思ってください。もう少し精密に申し上げますと、6件の被爆建物は原子爆弾で引き起こされた惨禍を伝えるものだということを皆さんご存じだと思います。これを国が史跡という形で指定してくれますと、これをそのまま放っておくわけにいきませんから、維持するとかいろいろあるじゃないですか。そうすると、支援を受けることができる、国家が認知したら。そうすると、このいわゆる原爆の遺跡ということで将来にわたって残していくときに、我々、市として皆さんから税金をいただいて残すほかに国が税金支援で国家として助けてくれるということで、こういった行為態様、我が市における原爆投下の歴史的事実とか、核兵器被害、戦争の悲惨さを伝えるための取組ということで、我が市の行為態様が国に認知してもらえるということになるということで、私は大変意義あると思いますね。一自治体、一緒にやると、国家としてこの広島のやり方を認めるということを狙っています。それが一つですね。まず、史跡にするということ。その上で、原爆ドームはさらに象徴的な建物、中心ということで位置づけになっています。そして、これは今でもすでに核兵器廃絶と恒久平和を訴えるための人類共通の記念碑ということで、実は、ここ自身はもう史跡に指定されているということでした。でも、他のところが横並びで今度ついていきますから、それ一群のものの象徴としてこれを特別の史跡にしてくださいと、こう申し上げている。一連の群を引っ張るものにすると。現に、これ世界遺産に登録されていますでしょう。だから、グループ全体を象徴的に示す、そうすると、それは史跡の中でも特別ということで、広島ではなくて、我が国の文化の象徴とか、そういう扱いにしてもらえると。格上げって言うとおかしい、ごめんなさいね。というふうに整理していいんじゃないかと思うんです。そういう整理ができると、そんなこと。そうすると、文化という中で、これは決して壊れたということ、もう一回言うと、壊さない、暴力を使わない、平和の文化の象徴として、アンチテーゼとしてこういうのを出すわけですから、これが一連の我が国の立ち位置を、広島がやることを認めたんだよといってもらえるという思いで指定をお願いしているということなんですよ。実利とすれば、何かやるときに補助がもらえるという、これは実利もあるんです。というふうなことでやって、ぜひぜひ来年度中の意見具申をと、こういうことを今やっているということであります。

 

【旧陸軍被服支廠について】

記者

 関連してなんですけれども、市内の最大の被爆建物である旧陸軍被服支廠のことなんですが、これまで関係閣僚からも国の重文(重要文化財)指定に向けて、保存に向けての方針を、これまで発言が相次いでいるんですけれども、国と県の所有ではあるんですけれども、今回、国の史跡指定に出されている被爆建物の中でも市の所有ではないものも含まれていると思うんですけれども、そういった形で今回の被服支廠についても国と県の所有ではあるんですけれども、市長としては被爆建物の価値をどのように認識されているのかっていうのを教えてください。

 

市長

 これは今言った原爆ドームを含めて、我が市が管理するべき被爆建物については国の認知を得ながら最大限考える。でも、象徴的に国家としてそういう取組を認めていただけるようにという方向でやってきています。今度、被服支廠について、県が持っていますけれども、我々あれを残すべきではないかということで意見を県に言って、県はいろいろ御検討しながら、ようやくここまでやってまいりました。国の方もようやく、被爆建物ということについての考え方の認識を深めてくれて、今までの支援措置は、厚労省(厚生労働省)グループの支援だったのを県がようやく、国の重要文化財として、史跡じゃなくて文化財という位置付けでやると文科省(文部科学省)系統でいろいろ支援が受けられるということで、そちらにシフトしてやろうというふうにいっている。私は厚労省であろうが文科省であろうが、国家として、こういった取組をしていることを何らかの形で認知してもらって、その取組全体がいろいろな意味で支援していただけるならいいことだと思っています。どちらかではいかんっていう気持ちはさらさらありません。ですけど、市がそういったことをお願いする中で、いろいろな工夫をして残していただけるということは、とてもありがたいことだと思うんです。そして、これについては、もう少し建物の属性を見ますと、広島はいわゆる、戦前、軍都であった歴史を伝えるという構成要素になっていると思っています。それは、戦前、本市にありました、陸軍糧秣支廠という食糧なんかを補給する施設があったんです。それは、実は皆さんご存じかも分かりませんけど、現広島市の郷土資料館がそうなんです。南区にあります。それから、もう一つ、陸軍の兵器補給廠という武器を供給する施設群があったんです。これは現広島大学の医学部の医学資料館になっています。そして、もう1つ、陸軍の3廠としての1つとして、被服支廠があった。これは戦場に兵隊が行くときに着ける軍服とか軍靴を製造して供給するという、この3つの大きな施設だったんです。それが今、県と国が持っているとこういう状況なんです。もう一回言いますけれども、糧秣支廠は市の郷土館として維持しています。で、兵器補給廠は医学部の資料、これは広大(広島大学)のものになっている。最後まで残っていて、象徴的に言われるんですけれども、これら3つがある意味で施設として残っているわけですから、この被服支廠をどうするかという議論をきっちりやっていければと、そのときにやるための国の認知とともに、支援額をどうするかということを今やっていますから、早く保存方法と、かつ、それを利用するときに最初から言っていますけれども、どう利用したらいいかということも、市も必ず入って、一緒にやりますと申し上げた。ただ、今、所有者が向こうですから基本的には決めていただく、その中で、その後の利用について、しっかりと議論を加えたいということで、ずっとできれば全棟保存していただきたいという立場で言っていました。所有者の権限を動かすわけにはいきませんからということでやっていますけど、これからもこの姿勢は変わりませんということであります。

 

記者

 残すことを否定される方は、そう多くはないかと思うんですけれども、やっぱり残すとなると、耐震化に向けた補修であるとか、大きな費用、莫大な費用を伴うといいますか。

 

市長

 莫大というか相当大きいですよね。その後の維持費考えるとね、大きいですよ。だけど、すでにやっているものもあるので、原爆ドームだってやっていますでしょ。だから、国の認知をどう受けるかというふうなことも重要だと。というのは文科省の重要文化財という位置付けにしてとか交渉しているわけです。やる方向でどういった形で費用負担をするか、あるいは、そういった取組を国家に認知してもらうということを同時にやりながらやるということは、私はいいことだと思っています。

 ちょっと時間かかっているのは問題かも分かりませんけれども、でも手探りながら、きちっと方向性は維持できていると思っています。

 

※(  )は注釈を加えたものです。

 

令和5年の平和宣言について [PDFファイル/197KB]

参考資料 被爆体験記を書かれた方の御家族のコメント [PDFファイル/110KB]

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