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ページ番号:0000163434更新日:2020年6月10日更新印刷ページ表示

原爆(げんばく)ドームについて

原爆ドーム原爆(げんばく)ドームってなに?

原爆ドームは、第2次世界大戦末期に人類史上初めて使用された核兵器(かくへいき)により、被爆(ひばく)した建物です。ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続ける原爆ドームは、核兵器の惨禍(さんか)を伝えるものであり、時代を超(こ)えて核兵器の廃絶(はいぜつ)と世界の恒久(こうきゅう)平和の大切さを訴(うった)え続ける人類共通の平和記念碑(へいわきねんひ)です。

被爆建物・樹木・橋梁(きょうりょう)について

原爆(げんばく)ドームと呼ばれるまで

(1)広島県物産陳列館(ひろしまけんぶっさんちんれつかん)の建設

 原爆ドームのもとの建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)広島県物産陳列館として完成しました。建物はれんが造りの3階建てで、正面中央部分は5階建ての階段室、その上に楕円形(だえんけい)のドームが載(の)せられていました。
 物産陳列館は、県内の物産の展示や即売(そくばい)、商工業に関する調査・相談などの業務を行っており、美術展や博覧会などの文化事業の会場としても利用されました。
 その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館(ひろしまけんさんぎょうしょうれいかん)と改称(かいしょう)し、戦争末期の昭和19年(1944年)からは内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁等の事務所として使用されました。

(2)被爆(ひばく)

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機(ばくげきき)により人類史上初の原子爆弾(げんしばくだん)が投下され、広島市街地の中心部の上空約600メートルで爆発(ばくはつ)し、一瞬(いっしゅん)のうちに広島市街地の建物が倒壊(とうかい)し、多くの人々の生命がうばわれました。
 産業奨励館は爆心地(ばくしんち)から約160メートルの至近距離(しきんきょり)で被爆し、爆風(ばくふう)と熱線を浴びて大破し、天井(てんじょう)から火を吹(ふ)いて全焼しました。当時この建物の中にいた内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材株式会社・日本木材株式会社広島支社・広島船舶(ひろしませんぱく)木材株式会社などの職員は全員即死(ぜんいんそくし)しました。戦後、旧産業奨励館の残骸(ざんがい)は、頂上の円盤(えんばん)鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。

建物の崩壊(ほうかい)について

 広島県産業奨励館の2階と3階のほとんどの壁(かべ)は被爆により崩(くず)れ落ちました。外側の低い壁は、建物を囲む塀(へい)のようにも見えますが以前は3階まで続く建物の壁でした。

建物の崩壊の画像
(広島市公文書館所蔵)

原爆ドームは爆心地にとても近いのに、どうして崩れずに残ったのですか(FAQID02156)

原爆が爆発した地点について

原爆が爆発した地点はどこになるのですか(FAQID02154)

原爆(げんばく)ドームの保存へ

戦後、被爆(ひばく)した原爆ドームについては、保存の考えに賛成する人たちばかりではありませんでした。
 原爆ドームが被爆の悲惨(ひさん)な思い出につながることから、取り壊(こわ)しを望む声もあり、保存と取り壊しの方針が決まらないまま、長い間そのままの状態となっていました。年月とともに原爆ドームの周辺壁には雑草が生い茂(しげ)り、建物も壁(かべ)には亀裂(きれつ)が走るなどの傷みが進行し、小規模な崩壊(ほうかい)、落下が続いて危険な状態となりました。
 保存運動が本格化するきっかけと言われているのは1歳の時に被爆し、15年後白血病で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんが残した日記でした。「あの痛々しい産業奨励館(さんぎょうしょうれいかん)だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世にうったえかけてくれるだろう・・・」と記されたヒロ子さんの日記に心を打たれた人々によって原爆ドーム保存への運動がはじめられました。
 保存を求める声が高まる中、広島市は昭和40年(1965年)7月から原爆ドームの強度調査を行い、昭和41年(1966年)7月、広島市議会が原爆ドームの保存を要望する決議を行いました。
 これを踏(ふ)まえ、保存工事のための募金(ぼきん)運動を開始、昭和42年(1967年)、第1回保存工事が行われました。

原爆(げんばく)ドームの保存

 原爆ドームは、被爆(ひばく)した当時の姿のままであり続けることが望ましく、価値があります。
 原爆により破壊され、弱い構造の原爆ドームは、保存の工事を行わなければ、現状を長く維持することができません。そのため、保存工事を行うときは原爆ドームの現状をできるだけ変えないように計画が立てられ、工事が行われています。

4度の保存工事

 原爆ドームの保存工事は、昭和42年度(1967年度)に初めて行われ、その後も3度行われています。

  • 第1回保存工事 昭和42年度(1967年度) (昭和42年(1967年)4月~昭和42年(1967年)8月)
  • 第2回保存工事 平成元年度(1989年度) (平成元年(1989年)10月~平成2年(1990年)3月)
  • 第3回保存工事 平成14年度(2002年度) (平成14年(2002年)10月~平成15年(2003年)3月)
  • 第4回保存工事 平成27年度(2015年度) (平成27年(2015年)11月~平成28年(2016年)7月)

 昭和42年(1967年)の第1回保存工事では、原爆ドームに多数のひび割れや空洞(くうどう)ができていたため、接着剤(せっちゃくざい)の注入を行うことで壁(かべ)を固める作業を行いました。その他に、倒(たお)れて不安定な壁をもとの位置に戻(もど)したり、補強の鉄骨を設置して壁を支えたりする作業をしました。
 その後、第1回保存工事から20年が経過し、調査したところ、劣化(れっか)が進んでいることが分かったため、平成元年に2回目の保存工事を行いました。第2回保存工事でも、ひび割れなどに対する補修工事を行いました。また、水が浸透(しんとう)するのを防ぐ液体を壁に塗(ぬ)ったり、オリジナルの鋼材の一部を取りかえたりしました。
 3回目の工事では、主に雨水対策を行いました。壁のてっぺんや窓台、旧倉庫の屋根を金属でおおったり、旧倉庫や地下室への雨水が入るのを防ぐ堰(せき)を設置したりしました。
 4回目の工事では、地震対策を行いました。上部に突出した片持ち構造となっている壁の部分は、一定以上の応力が生じるため、地震により倒れこみが生じる恐れがあることから、倒れこみを抑える目的として、3か所の壁において鋼材補強の追加により片持ち構造を解消しました。

保存管理のために

 原爆ドームは、原則3年毎に「健全度調査」と呼ばれる劣化を知るための調査を行っています。
 この調査では主に(1)ひびわれの状況(じょうきょう)や鋼材の変形など目で確認する外観調査(2)沈(しず)みの程度を測る沈下量(ちんかりょう)測定(3)傾(かたむ)きの程度を測る鉛直度(えんちょくど)調査(4)壁への水の入りにくさを調査する透水(とうすい)試験を行っています。
 また、原爆ドームの保存方法については、「原爆ドーム保存技術指導委員会」という、さまざまな分野の専門家からなる組織をつくり、この調査の結果などをもとに、どのような手法で原爆ドームを保存すればよいか検討を行っています。

 

世界遺産一覧表(せかいいさんいちらんひょう)への登録について

 平成4年(1992年)、広島市議会が「原爆(げんばく)ドームを世界遺産リスト登録することを求める意見書」を採択(さいたく)し、広島市は国へ要望書を提出しましたが、当初、国は「世界遺産として国が推薦(すいせん)するためには、国内法(文化財の場合は文化財保護法(ぶんかざいほごほう))の保護を受けていることが前提だが、原爆ドームは、その保護を受けていない。また、原爆ドームの文化財指定については、現時点では史跡の指定は明治中期までであり、原爆ドームは歴史が浅すぎる。」という意見でした。
 こうした中、平成5年(1993年)6月、市民団体からなる「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」が結成され、原爆ドームの世界遺産化を求める国会請願(こっかいせいがん)のための全国的な署名運動が始まりました。集まった署名は国会に提出され、平成6年(1994年)1月参議院で、6月衆議院で原爆ドームを世界遺産リストに登録推薦する請願が採択されました。最終的には165万余りもの署名が集まりました。
 国は平成7年(1995年)3月、史跡(しせき)指定の対象を第2次世界大戦終結までとして史跡の指定基準を改正するとともに、6月に原爆ドームを史跡に指定し、9月には世界遺産として登録するよう世界遺産委員会に推薦しました。
 その後、国際記念物遺跡(こくさいきねんぶついせき)会議などの審査(しんさ)を経て、平成8年(1996年)12月、メキシコで開催(かいさい)された世界遺産委員会において、原爆ドームの世界遺産登録が決定しました。

※史跡・・文化財保護法で定められた国指定文化財のひとつ

世界遺産とは?

世界遺産とは、「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された自然や文化のことです。 この条約は、世界中の価値ある文化遺産や自然遺産を人類共通のたからものとして守り、後世に引きついでいこうという国際条約です。