京橋(被爆橋)

ページ番号1047644  更新日 2026年2月25日

印刷大きな文字で印刷

橋のプロフィール

橋長
65.1m
幅員
8.7m
形式
3径間ゲルバー鋼鈑桁橋
完成時期
1927(昭和2)年
河川名
京橋川

橋の全景

京橋のあゆみ

1591(天正19)年

毛利輝元入城と京橋の架橋

1852(嘉永5)年

厳島管絃祭の御供船見物群衆による京橋川での墜落事故

1927(昭和2)年
京橋の永久橋への架替
2011(昭和23)年
被爆に耐えた装飾的橋梁としての土木学会「選奨土木遺産」認定

時代をつなぐ京橋ヒストリー

京橋は、1591(天正19)年、毛利輝元の広島入城と同じ年に木造橋として架けられました。猿猴橋、元安橋、本川橋、天満橋などとともに、西国街道の重要な経路に位置し、城下から京都へ向かう道筋にあったことから「京橋」と名づけられました。

現在の橋は、1927(昭和2)年8月に開通したものです。工費は当時の白米一升40銭換算で63,700円をかけ、木橋から御影石を用いた高欄と親柱を備えた永久橋に架け替えられました。さらに金属製の装飾が施され、前年に架け替えられた猿猴橋と並び、広島の名橋として称えられました。

その後、戦時中の金属類回収により、装飾品はすべて失われましたが、1945(昭和20)年の原爆投下に際しても、京橋自体は大きな損傷を受けることなく、多くの避難者が京橋を頼りに次々と渡り、混乱の中で避難や救護に向かう人々の重要な通路として機能したことが記録に残っており、今なお広島の歴史を物語る橋として、多くの人々に親しまれています。

架橋された京橋の親柱

田部俊一撮影/広島市公文書館提供【昭和2年頃撮影】

当時の京橋は、親柱の格子や橋名板が金属類で造られていました。

架橋された京橋の全景

田部俊一撮影/広島市公文書館提供【昭和2年頃撮影】

中柱の格子や高欄も金属類で造られていました。

現在の親柱の写真

広島市文化振興課所蔵 大段徳市撮影【昭和43年3月】

戦時中の金属類回収令により石造りとなっているのが分かります。

京橋の親橋

2011(平成23)年には、被爆に耐えた装飾的橋梁として、土木学会「選奨土木遺産」に認定されました。

ライトアップされた京橋

被爆した京橋は現在も使われ続けており、夜にはライトアップもされております。

京橋の位置

地図

このページに関するお問い合わせ

道路交通局道路部 道路計画課計画係
〒730-8586 広島市中区国泰寺町一丁目6-34
電話:082-504-2365(計画係)  ファクス:082-504-2427
[email protected]