第4回平和記念施設あり方懇談会(東京会議)会議要旨

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ページ番号1020963  更新日 2025年2月16日

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1 日時

平成17年(2005年)6月10日(金曜日)14時30分~17時00分

2 場所

東京都千代田区霞ヶ関 霞ヶ関校友会館

3 出席委員(5名)

飯田委員、岩垂委員、大石委員、加藤委員、舟橋委員

4 市側の出席者

市長、助役、市民局長、国際平和推進部長、東京事務所長、被爆体験継承担当課長

5 議題

これまでの議論の要約について

6 公開非公開の別

公開

7 傍聴者

報道関係2社

8 会議資料

  • 配席表
  • 平和記念施設あり方懇談会〔東京会議〕出席者名簿
  • 平和記念施設あり方懇談会(東京会議)次第
  • 平和記念施設あり方懇談会委員名簿
  • これまでの議論の要約
  • 原爆ドームの耐用年数について
  • 平和記念施設あり方懇談会(広島会議)における意見交換の概要
    ※会議資料は、市民局国際平和推進部平和推進担当(中区中島町1-5:国際会議場3階)に備え置いております。

9 会議の要旨

開会

委員紹介

議題:座長選出

(新座長に舟橋喜恵委員を選出)

資料説明

(事務局から資料を説明)

議題:これまでの議論の要約について

舟橋座長

前回のあり方懇談会、第4回の広島会議でもそうであったが、専門的な保存の方法について分からないことがたくさんあった。その点について議論していたが、飯田委員が委員長をしておられる史跡原爆ドーム保存技術指導委員会において専門的な検討が既に始まっており、しかも当初の10年の取組みのうちちょうど半分位の時間が経過したところである。その内容を知りたいということで、事務局に原爆ドームの保存年限と技術指導委員会の取組みについて資料を準備してもらった。この辺を飯田委員に説明頂きたい。

飯田委員

「原爆ドームの耐用年限について」という資料があるが、耐用年限はまだ分からないということである。普通の煉瓦の建物であれば、地震が無い場合どの位持つかと言えば、実際どこにでも遺跡はあり、ローマ時代の焼いた煉瓦の建物の遺跡もちゃんと残っている。それを見ると数百年でも千年でも持つということになる。
ただ、原爆ドームと条件が違うのは、地中海沿岸は年間500~600ミリと雨が少ない。日本は2000ミリ位の多くの雨が降るので風化が進みやすいという不利な条件にある。気温が下がることからは、建物が水を吸い込んだ場合、それの破裂が起こる恐れがある。普通の建物であれば、屋根があり、水が浸入することは無い。原爆ドームは屋根が飛ばされており、全部裸になっている状況である。風雨の影響、寒暖の影響を受けやすいという不利な条件にあることから、これを保存していくには、普通のメンテナンスを行い、こまめに手を入れないと裸なので持たないということがある。
もう一つ、大気汚染によって雨には酸化物が含まれており、それが煉瓦に染み込んで、時間が経って表面に出てきて蒸発する。降ったときには弱い酸化物であっても、蒸発するときには濃縮され、濃硫酸や濃硝酸になる。煉瓦の建物の表面が劣化しているのはその影響である。また、煉瓦の原料の中に酸化物が含まれていると、湿気により同様のことが起こる。
そういう特殊な状況を除けば、100年、200年は何とも無いと言って良い。そのような風化は、例えあっても緩慢に進むので、急な対応は必要ない。
一番怖いのは、地震で崩れるということである。関東大震災までは、建物に煉瓦はたくさん使われており、広島など比較的地震の少ない地方では、煉瓦は関東大震災の後も使われていた。しかし、地震が来れば一番弱い建物ということになる。
広島は地震が少ないというが、平成13年には震度6の地震があった。このとき、原爆ドームは持った。それは、建物に地震を考慮して鉄骨での補強がしてあったからである。

通常の建物の構造計算は簡単であり、耐震補強も的確にできる。しかし、原爆ドームはイレギュラーな建物なので、構造計算の方法が無い。昨年、全体は無理なので、3階部分の壁体について部分的な耐震度の仮定の計算を行ったところ、阪神大震災クラスでも、震度6でも持たないという結論が出た。しかし、実際は持っている。確実な計算方法が無いことが問題である。
震度いくつまで持つのかということが皆の関心事だと思うが、普通の構造計算ではできないので、恐らく日本に2・3人しかいない専門家に依頼して、計算方法を考えてもらい、それに基づいて、例えば模型を作って振動を与え影響を計ることで、ある程度の推定はできると思う。
もう一つ、これまでの調査である程度分かっていることがある。原爆ドームの前身である物産陳列館を建てたときに地下に杭が打たれているが、現在は建設時より地下水位が下がっているため、杭の周りに水が無くなり朽ちてきている。これでなぜ倒れないかというと、原爆ドームは元々3階建ての建物であるが、上の部分が破壊されて建物のほとんどは1階しか残っていないので荷重が少なくなっているため倒れていない。
もう一つ、これまで壁体に雨が入らないよう壁の上に色々な防水措置をしており、一応それで水の浸入は止まっている。また、上からの水とは別に、地面から上がってくる水がある。煉瓦は水を吸い上げるので、下に溜まった水は壁体内に上がってくる。上がってくると先に述べたように煉瓦を腐食させることになる。原爆ドームの場合は元々アスファルトの防水層が打ってあり、通常、水は上がってこないが、防水層の上まで盛土がしてあり、降った雨が壁体に染み込むので、これは取って頂きたい。

細かいところでは、ドーム部分の鉄骨は、塗料を塗って腐食を防いでいるが、煉瓦に接している部分はそれができないため、一部ステンレススチールに取り替えている。それによってシルエットが変わることは避けるようにしている。皆さん気付かれないだろうが、そうしないと保存できないということもある。
その他に煉瓦の強度試験やモルタルの試験もやっている。煉瓦の建物で重要なことが、一つひとつの煉瓦や目地が強くても、一定の大きさになるとどの程度の荷重に耐えられるかのチェックが必要となる。そのためには大きなブロックを準備し、実際に荷重をかけ、どこが弱いかをテストする。原爆ドームではまだやっていないので、構造担当の大学の先生はやりたいと言っているが、どの部分なら良いとは言えないので、色んな人が立ち会ってこの部分はテストに使って良いというところで、構造体としての強度テストはやっている。このように色々な試験をやっているが、全体の力学的な計算は手が付いていないのが実状である。
被爆の痕跡の保存については、裸の建物といったが、ところどころ装飾・外装が残っている。外側のモルタルも漆喰も残っている。これはどんどん剥落してきており、今のままでは食い止めることはできない。昭和26年位と昭和40年の写真を比べてみると、壁のモルタルが融けた痕跡や階段の跡の痕跡などが写真にはっきりと出ているが、現在は見分けがつかないか分からないくらい風化している。放射線の影響などの調査は恐らく済んでいて、では残った痕跡を保存していくことにそれほどの価値があるのか。壁画や装飾などで芸術的価値がある場合なら剥がして美術館で展示するという方法があるが、原爆ドームに残っているのは建築の下地であり、これに意味があるのかということでは、これの保存に絵を保存するのと同じ位お金をかけることには疑問があり、文化財関係の専門家にどのような方法で保存するかを聞いているところである。何か質問があるか。

加藤委員

地震の時には、ガラガラと崩れてしまうのか。

飯田委員

全部は壊れないで、どこか一番のウイークポイントが壊れると思う。普通の建物のように元の形が分かっているものは復元ができるが、原爆ドームは壊れたものなので難しいができないことではない。写真測量をやっているので復元はできる。しかし、原爆の被害を受けた元の状況で残すことが一番良いと思う。部分的な崩壊であれば復元で対応できる。

大石委員

とてもよく理解できた。地下水の下降で杭が腐ることを食い止めることはできないのか。

飯田委員

空いたところにコンクリートを流し込むという方法はあるがまだやってはいない。専門的な話になるが、建物の基礎が2メートル位埋まっており、地中に隙間ができていても、コンクリートの基礎と地盤とがある程度付着していることで、沈むのが防がれている。調べるためとはいえ、ここを掘るともっと不安定になるため、余程しっかり補強してからでないと掘れないということがあるが、手が打てないことではない。
もっと大きな問題は、大きな地震が来ると地盤が液状化する恐れがある。新潟地震では、ビルが沈んだり倒壊したりした。

加藤委員

液状化したら、土台を補強しても危ないのか。

飯田委員

そうである。地震対策は、まず液状化対策、次に土台をどうするかということである。これについては、構造の専門家にどうしたら良いのかは聞いていない。地盤の調査はある程度やっているが、あれだけ広いとボーリング調査をもう数箇所やってデータをしっかり取るべきだと思う。その点も技術指導委員会で検討している。

大石委員

コンクリートを詰めるのは相当経費がかかることとなるのか。

飯田委員

そんなにかかるものではない。しかし、3階部分の下を掘るのは怖い。地盤に荷重がかかるのをサポートしながら進めなくてはいけない。また、掘るとそこに積もっている残骸が乱されてしまうということがある。ドームの真下のところは、支柱を造る時に掘っているので元の地盤は残っていない。その辺を見分けながらやらなければならないということはある。何をどうやって残すかをもう少しはっきりさせないといけない。
もう一つは、地下室があり、外から雨が流れ込むことは止めるようにしている。皆さんはお気付きでないだろうが、旧倉庫の上に屋根をかけて雨水が当たらないような措置も行っている。

大石委員

原爆ドームの近くの樹木の根が与える影響と地下の構造の問題は関係するのか。緑があって良い感じではあるが。

飯田委員

壁の下部分が地下にあるが、樹木の根は強くそれも貫通してしまう。そして成長すると壁を壊してしまうことも起こる。お城の石垣も松などの樹木の根でずいぶんやられている。同じことが一番近い樹木の根が張っていくことによって起こる可能性がある。根を切るなどの方法で一番近い樹木の影響を食い止めれば良い。

舟橋座長

盛土の問題だが、1945年当時の状況にするために盛土を取ってしまうと危ないか。

飯田委員

危ないことはない。しかし、取り方は難しい。遺跡の上に盛っているので、なるべく当時のままにしようと思えば掘る訳にはいかない。高圧水などで土を吹き飛ばしてしまえばできると思う。
昔、ベルリンの壁と同じことが原爆ドームでも起こったのではないか。実は私はベルリンの壁を持っている。先程の地下室は天井との隙間も少ないくらい煉瓦の瓦礫で一杯になっている。難しい問題であるが、直後の状態に戻すのであれば、人為的に地下室に入れた瓦礫は元に戻す必要がある。

舟橋座長

先日の広島会議での様子を皆さんにお知らせしたい。その後に意見交換に入らせて頂く。お手元にその時の意見交換の概要をお配りしてある。
資料「これまでの議論の要約」について、全体としては、広島・東京での会議の議論の内容がストレートに伝わらず、かなりまとめられており、委員の中からは自分達の議論が具体的に出ていないがどうかとの意見があった。会議の議事録は読んでいて面白いが、そのような感じのものになっていない。前置きとして、この資料は、これから方向性を出していくための網羅的なものとお考え頂きたい。
原爆ドームの保存については、技術的な取組みに関して、色々な意見が出ている。保存の科学的手法については、我々が検討する内容には限度があるので、技術指導委員会のアドバイスを頂かなければならないし、基本的にはそちらにお願いせざるを得ない。しかし、ある程度の保存についての見通しを聞いた上で、原爆ドームをどのように活用し、今後に役立てていくかという問題があるので、それを検討していく必要があるのではないか。これまで飯田委員のお話を直接お聞きしていないので、どのように前提を置けば良いのか分からず、議論が右往左往したような経緯もある。
保存方法について、飯田委員のお話から色々大変であるということが分かると同時に、これまで懇談会で出た具体的な提言は、それぞれ報告の中に盛り込んで欲しいというのが広島会議での意見である。例えば、覆いをすることについてもどんな意見が出たかを具体的に盛り込むようなことである。具体的には、全体に、理念的・学術的な部分が多くて、議論した内容が量的に少ない。議論の内容、我々が議論した熱が全面に押し出てくるようにして欲しいという意見があった。

平和記念公園とその周辺のあり方については、具体的な意見が出ており、それを整理している。これも、より具体的でかなり細かい議論を報告書に入れて欲しいという意見が出ている。
また、平和記念公園の使用について、新しいルールづくりが必要だという意見があって、慰霊碑の前の芝生広場を、これまでは特別な場合を除き開放していないが、そこを徐々に新しいルールを作りながら、場合によっては開放することも考えてはどうかという意見が出ている。どんな開放の仕方かはもう少し議論する必要があると思う。
平和大通りの活用の問題、平和記念公園の軸線の背景となる黒いビル商工会議所についても、以前からたくさんの意見を頂いている。資料の中に現在の写真と、建物を消した写真が載っている。すぐに移転とはいかないが、周辺の建物に対する要望を何らかの形で行うことを考えてはどうかという意見も出ている。
これらについて、質問や意見はあるか。

岩垂委員

広島会議と東京会議の温度差を感じる。私はむしろ資料は非常に良くまとめて頂いていると思う。文書の最終的な性格は分からないが、あり方懇談会で意見を述べた立場からは、最後は市に任せる訳だから、こんな議論があったということをいちいち書いても仕方ない。中途半端で焦点がボケる。それは議事録で良い。報告書はできるだけシンプルに大勢の意見を要点で示せば良い。むしろ量的にはもう少しシンプルにすべき。熱気が伝わらないという気持ちは分かるが、きりがない。

舟橋座長

報告書を読めば、あり方懇談会では、こういう課題に対しこう提言したという形が要るということだと思う。すべての意見を羅列するのではなく、提言を整理して盛り込めば、広島会議の委員の納得は得られると思う。何をどうしようということが具体的イメージとして伝わってこないと言おうとされたと理解している。

岩垂委員

記述が漠然としているということについては、元々制約があり仕方ないと思う。多種多様な立場の委員の様々な意見が出た中で、知恵を絞ってまとめられており、大まかになるのは仕方ないことである。全部の意見をすくい取ることは、一つの報告書ではできないと思う。別冊の議事録を添付すれば良い。本体の報告書はシンプルな方がインパクトは強くなる。

舟橋座長

言われるとおりだが、あり方懇談会での意見は、読み手に伝わる必要があるのではないか。網羅的・一般的に書かれているだけでは、あり方懇談会の印象が薄くなる気がする。そういう意味で理解頂きたい。
量的には、この資料でも多いと思う。参考資料にはなるが、最終的にはもう少し簡略化した方が良い。

岩垂委員

「核を巡る世界の状況」や「被爆地ヒロシマの今後のあり方」など「検討の背景」がメインであり、これについて議論した方が良い。各論はこれを踏まえて述べるのであって、前提の現状をあり方懇談会がどうとらまえるのかが重要である。原爆ドームや平和記念公園の具体の保存・整備は、それを基礎として出てくるものである。
資料は非常に良く作って頂いている。2・3希望を申し上げる。「核を巡る世界の状況」の中で、「今日でもイラクではイラク人と米軍などとの戦闘が止まず」とあるが、「イラク人と」ではなく、外国人もいるので、新聞の表現に合わせて「武装勢力と」とする方が無難ではないか。
核の状況を説明する上で、北朝鮮の核もだが、中東の核の問題が重要である。なぜあれだけNPTの会議が決裂したか、エジプトが怒っているかというと、イスラエルの核が世界の核問題の焦点だからである。中東の核の問題が記述されていない。北朝鮮の記述の後に、例えば、「イスラエルのついても核兵器を既に保有したのではないかとの観測が強まっている」と記述してはどうか。
有識者アンケートの引用の中で「核兵器条約」とあるが意味不明である。「核兵器禁止条約」とすべきではないか。また、「核抑止」という表現があるが、「核抑止論」の肯定に読め、戦争回避の逆の意味になるので「核禁止」の方が良い。

市長

直訳だと「核兵器条約」になる。核兵器に関するすべてのことを取り決める条約であるが、表現は「核兵器禁止条約」で良い。
イスラエルの核問題については、「この他、イスラエルや朝鮮民主主義人民共和国についての核疑惑があり、北朝鮮については…」と表現すれば良いと思う。

飯田委員

「世界的な求心力の強化」の中で、「ビジターズ倍増に向けて~千客万来の広島の実現~」という表現がある。ここまでの記述と表現ががらっと違う。ここで言わなくても気持ちは伝わるのではないか。

市長

その前に、「世界の人々に広島を訪ねて頂く機会の創出」という記述があり、同じことなので重ねて言う必要はないかも知れない。

加藤委員

京都議定書が出た頃、舞台の裏で我々がどういう議論をしたかというと、これで核廃絶の道に世界が協力すると言っていた。しかし、今は全く逆の道に進んでいて核兵器の通常兵器化という状況になっている時代のギャップが何とも言えない感じがする。事態は悪い方に向かっている気がする。

舟橋座長

事態は深刻になるばかりである。そういう中でヒロシマはどうすべきか。益々難しい話になる。

市長

それについてNPT再検討会議のときに、100位の都市の市長や代表が集まった平和市長会議のニューヨークでの会議に、アナン事務総長に来て頂いて、スピーチをしてもらった。その中でも、平和市長会議のような動きは非常に大事である。そこで挙げられたのが、京都議定書、対人地雷禁止条約であり、そういうところで平和市長会議のようなNGOが同じような役割を果たす。核兵器の廃絶においても、同じような道を辿って、NGOが重要な大きな役割を果たせるだろう。そういった面で、我々も国連として頑張るけれども皆さんも頑張って欲しいというメッセージを頂いた。そういうコンテキスト(文脈)にすると少し生きてくる。アナン事務総長の言葉も入れれば良いかも知れない。

舟橋座長

そのような考えを広島の役割として入れれば良い。事務局によろしくお願いする。

岩垂委員

そのことについて、参考までに言うと、大石委員がメンバーである世界平和アピール七人委員会の土山秀夫さんが、NPT再検討会議の決裂について委員会で報告されて、非常に今回の会議の流れを上手くまとめられて大変感銘を受けたのだが、私が非常に印象に残っているのは、再検討会議が終って、世の中、特に日本人は暗くなって、希望がないという雰囲気になっている、だけど、土山さんが言うには、今回の決裂した現地の動きは、意外に明るいと言われる。再検討会議は決裂したのに、なぜ明るいかと言うと、下手なことが決まらなくて良かった。その次の会議でやろう、今回は元々合意は成り立たないという雰囲気が大勢を占めていて、明るい気持ちで、将来に希望を持った感じで終っている。
この次の2010年には必ずブッシュ政権は敗れているので、良い成果が得られるであろうと、ブッシュ政権以上悪くなることはあり得ない。だから、この次の会議は有意義な会議になるだろうということが、今回再検討会議で成果を挙げられなかった新アジェンダ連合や非同盟諸国の本音だと言われる。それを聞いて本当に希望が湧いてきた。今が最悪でこれからは良くなるという展望しかないと土山さんが言われていた。個別にはNGOとプラス非同盟諸国が、核問題について重要な役割を果たすだろうと、秋葉市長と同じことを土山さんも展望として述べられていた。

舟橋座長

土山さんは、恐らくそういうことを色んな場面で言われていて、私も拝聴したことがある。
では、原爆ドームの方に入らせて頂く。どの場面からでも結構なので意見をお願いしたい。先程、飯田委員が言われた技術的な科学的な問題を含めて、原爆ドームの保存、利用・活用について意見を伺いたい。

岩垂委員

東京会議に出ていた委員の立場としては、原爆ドーム以下の事項について、非常に良くまとめておられて言う事はない。原爆ドームについて議論してきたが結論は簡単である。できるだけ現状のままで、自然には勝てないので未来永劫・永久とは言わないが、できるだけ長く残すということである。原爆ドームに鞘を架けるとか屋根を架けることに対してはほとんど否定的で、現状のままでできるだけ永久保存して欲しいという一点である。皆素人だから技術的なことは専門家の方々にお任せする。建築学的にも工法的にも専門家の方に委ねて、財政的なことは市の財政面のことは分からないから、一番妥当な方法でやって頂きたいというのが大体の雰囲気であった。

舟橋座長

この資料の中にも例えば、耐震性の問題について、地震に対する対応は専門家の委員会を設けて、そこで議論して欲しいとある。あり方懇談会は、そんな委員会を早く作って議論を進めて欲しいと促すことが役割かと思う。そういう言い方を報告にはさせて頂くことになるし、この資料の中にもそう書かれている。
保存のことも、岩垂委員が言われたように、現状のままでできるだけ保存することには誰も異存はない。ただ、現状のままというのが大変で保存工事をすればするほど何か変わってきたという印象をたくさんの人達が持ってしまうこともあり、できるだけ現状のままで保存する科学的な方法はどういうことかを議論頂いており、飯田委員の技術指導委員会の主要な目的であると思う。

飯田委員

確かに、岩垂委員が言われたように、「現状のままで少しでも長く」というのが基本方針であって、そのために色んなデータを集めているが、報告書としての全体のプロポーションからすれば、資料的な内容が多すぎる。必要であれば、懇談会の結論とは別にして、パンフレットを出すことはできる。ここまで皆さんに詳しく話さなければいけないのかという点が、少し問題であり、むしろ皆さんが、現在の状況をなるべく保ちながら、保存を考えてくれという結論を出して頂ければ良いと思う。
もう一つ、芸予地震の問題があるので、地震についての対策は技術指導委員会の中に、まだ、組織ができていないので、これは言って頂いた方が作り易いだろう。

舟橋座長

技術指導委員会の中に下部組織として設けるかということか。

飯田委員

場合によっては設ける。余程の専門家でないとできない。どういう専門家の方がいるのか。日本に2・3人位は知っているが、適当な方かどうかをチェックして初めてお願いする形になると思う。当然、それには予算が伴うので、市と相談しながらでないとできない。また、世界遺産なので、予算については文化庁にも責任があり、こういうことをやるとしたら「文化庁は知りません」では済まないと思う。必ず国の補助金をどうするかという問題も出てくる。

舟橋座長

文化庁に幾ばくかの経済的負担をしてくれということは可能か。

飯田委員

文化庁が世界遺産に推薦したのだから、推薦する以上、文化庁も責任があると思う。世界遺産危機リストに載るというような、政府が責任を果たせないというようなことをやるはずがない。やるようになったら日本は終りだと思うので、そうならないように広島だけに押し付けるのではなくて、当然国の方が取り組む。しかもかなりの予算が必要になるのであれば、あらかじめ文化庁に協議する必要があると思う。

舟橋座長

資料に「世界遺産登録で第3回保存工事等」というのがあり、そこに「被爆後の状況を現有地においてそのまま保存する」とあるが、これは世界遺産に登録されるとこういう義務が課せられ、縛りがかかるのか。例えば、その場面を切り取って移動するのは、原爆ドームについては許されないのか。

飯田委員

協議しなければ許されない。非常に重要であり、このまま現地では保存できないから、切り取って別の収蔵庫に入れることは、協議すればできないことではない。
ただ、それだけのことに値する痕跡であるのかという点では、私は問題であるかと思う。
遺跡には附属の美術館があって、モザイクや壁画など重要なものは全部遺跡から外して持っていって、価値が低いものだけが現地に置いてあるという形になっている。それに匹敵するだけのデータが壁面に残っていれば、それだけのことはしないといけない。ただ、原爆ドームの場合に、一番重要なのは、表に仕上げの漆喰があり、モルタルがあるということではなくて、ある程度の距離を離れて見たときの景観やシルエットが一番大事になると思う。少し漆喰が残っており、ここに何かの痕跡あるということで、原爆ドームの価値があるとは思わないので、皆さんの目に触れないところに金をかけ、しかも国際的な協議の場に持っていく必要があるのか、このあたりを市の文化課の方でもう一度よく検討してもらいたい。ただ、皆さんはそれほど側に寄ってみる機会はないので、恐らくお気付きにならないだろう。先程お話したドームが一部ステンレスに変わっていることも、恐らくご存知ない。でも、それをやらない限りは、元の形が残せないとすれば、見えないところで変化を起こさざるを得ないということがある。皆さんが、シルエットが大切だと言われると思うので、そのために行う措置である。何を残すのかということだろう。これは他の委員の方も異論はないと思う。

舟橋座長

今の点について、異論はないと思うがいかがか。

大石委員

飯田委員の言われたとおりで、冒頭に色々説明して頂いたことで十分に分かった。私達のように何も知らない者にとっては、地下のことまで考えたこともなかったので、あまりあれこれ考えるよりは、専門家の方にお任せすることと、今、言われたとおり、何が一番大切なのかと、順番を付けることだと思う。それをキチンと後世に伝えることに絞るしかないと思う。それ以外のことも色々あると思うが、あまり細かいことを討論しても仕方ない感じがする。

舟橋座長

やはり専門家でないと議論の限度がある。

大石委員

というより意味がないのではないか。何が大事かというと、この形を残すということで、これまでも出ていた、市長の発言にもあったと思うが、人間が滅んで原爆ドームだけが残っても仕方ない。私もそう思う。

飯田委員

明治村に行かれたことがあるかどうか分からないが、あそこに行くと重要文化財が10棟くらいあり、煉瓦造の建物もある。極論で申し訳ないが、その煉瓦造の建物は、実は鉄筋コンクリートである。見えない所で補強しておかないと、皆さんに来てもらったときに、地震があって崩れたら大変な責任になる。もちろん国は喜ばない。煉瓦造は煉瓦造のままにしてくれと言うが、国の指定を受ける前に、万一のことを考えて鉄筋コンクリートしている。外から見たところでは全く以前と変わりないようにしている。そうすると皆さんは前と変わりないとお考えになる。
原爆ドームの場合もやはりある程度離れたシルエットが一番大切で、これは何としても保存したいと考えている。専門家というのは重箱の隅までいってしまうので、その辺に重点を注いだら皆さんが希望するところとは食い違ってしまう。なるべく皆さんの思いで、こうあって欲しいということを保存することに力を注ぐべきだと思う。外から見た形が重要であれば、それをどう保存するかが一番大切である。これまで日本の重要文化財は、なかなかそうではなかった。

加藤委員

今、原爆ドームについて言うと、耐震化構造にすっかり造り変えるということはしないで、現在の構造を補充する形で保存し、崩壊した場合にはやむを得ないという措置を取るということか。

飯田委員

崩壊するという場合に、どういう基準で崩壊して良いかというのは、広島のビルが何割か壊れ、かなり死者が出るような状況になったときに、原爆ドームだけが残っていても話にならない。そのときは壊れても仕方がない。その程度の考え方ではないかと思っている。

加藤委員

耐震強化というのは、どの程度のレベルで行うのか。

飯田委員

何百年に何回の地震に対して耐えられるかのというある程度の仮定を作らなければならない。それはあくまで推定であるが、広島の場合は、震度6は何百年に一回、震度6強ならその更に数倍の年数がかかるということであれば、震度6強は考えなくて良く、震度6弱ないしは中で良いと、この辺の目処を付けて補強することになると思う。

加藤委員

それはかなり鉄筋コンクリートで、裏側から補強する形になるのか。

飯田委員

現在の鉄骨を必要があれば補強する位で済ませたいと思う。今は下から見てそんなに鉄骨が見えないが、それ以上のことをやるとかなり目立つ補強になる。そこまではやりたくないと思っている。
今の鉄骨の補強は、どういう計算したか根拠が全然残っておらず、恐らくこれで良いだろうという感でやっている。それでは皆さんに納得頂けないので、今のままならここまで耐えられ、もう少し補強すれば震度6中位まで、それ以上になれば市内は相当被害が出るので、そのときは壊れても仕方がない位の考えでいくのではないかと思う。その場合は、独断でできることではないので、最終的には市にも皆さんにもお諮りすることになると思う。

市長

皆さんが言われる、正に原爆ドームの何を残すのかということを、ある程度まとめて頂くことが、あり方懇談会の趣旨だと考えている。技術的な限界があり、また、技術によってあるいはお金をかければできることもあるが、全てのことは技術的にできるから結論はそうだという訳ではない。
原爆ドームの全体像が残れば良いということを飯田委員は言われたが、本当にそれで良いのか。原爆ドームの何を残すのかということを、ある程度精緻な議論をしてまとめて頂きたい。
技術指導委員会があるのに議論をお願いしているのは、正にそこのコンセンサスを頂くことが大事だと考えているからである。
外観という場合、極端に言えば、煉瓦は厚みがあるのでその間に、例えばスチールの棒をずらっと並べて、地中100m位掘りそれをサポートすれば、形としてはかなり良いものが残ることになる。
しかし、そういう構造的な補強をして残すのか、今やっているように内側からつっかえ棒をするような形程度にしておいて煉瓦そのものが物として大事だから残すのか。極端な話では、外側から見える表面だけを残せば良いのであれば、技術的には難しいが、原爆ドームの今の外側の部分だけを全部剥がして、どこか屋内で保存し、雨露に曝すのは正確に復元したレプリカにするというやり方もある。
煉瓦も完璧な形で残っている建物ではないので、様々な劣化があると思う。ともかく、全体像としてシルエットが何とか建っていれば良いというのと、できるだけ構造も含めて全体をそのまま保存することでは、かなり違う訳である。見てくれだけ何となくイメージが残れば良いという形で、結論を出して頂くのであればそれはそれで構わないが。
とは言え、補修により元の曲線が変化していって、例えば、整形手術で顔のしわを取るようなことを、結果としてエポキシ樹脂などが入って変形するのは一切構わないと、全体像が何となくあれば良いとなるのか。それはやはりある程度議論して、結論を出して頂くべき事柄だと思っている。

大石委員

確かに、人間は欲張りなので、何もかにも残したいと思うのは当り前で、そこがやはり難しいところだと思う。希望としては本当に何もかも残したい。だから、全てを残せないのなら、何を残すことにするのか、それでも全てを残して欲しいとするのかによって、随分違ってくる気がする。

飯田委員

確かに言われるとおりである。個人的な考えでは、原爆ドームをレプリカで残して、本物はどこかに移すことは、絶対やらない方が良いと思う。

市長

やれば良いと言っているのではなくて、議論していく上で、問いの立て方によってはそういう可能性も、検討対象に入ってくるということを申し上げている。であれば、それも議論して頂いた方が良い。最初から結論はこれだと決めてしまうのであれば、あり方懇談会を作る必要はない。そうではなくて一体何をどの程度のレベルでやるのかということを、技術的な限界は専門家の皆さんに助けて頂きながら、その枠組みの中での議論が必要であり、レプリカ作れと申し上げている訳ではない。

舟橋座長

一つの方向として、そういう議論もある。

加藤委員

原爆ドームは原爆を受けた被害の現実・実在そのものなので、それを全く形だけ残すとなると、イギリスの庭園の歴史の中で人工廃墟というのがあるが、人工廃墟のような原爆ドームになってしまう。
事実、一つの答がああいう被害を受けたのだから、そのことを無くしてしまうような保存というのは、保存ではないと思う。

市長

そうすると、外見プラス現物ということだと思う。

加藤委員

核廃絶の日には、あの原爆ドームを解体して、元のチェコ人の設計通りに復元すれば良い。

大石委員

日本人の性格から考えても、それには反対である。ポーランドではそれをやっているが、趣旨が違う。

飯田委員

抹殺しようとしたポーランドの文化を復活させようという意味であり、文化財としてではなくて、あそこにポーランド精神を復活させることにある。

加藤委員

原爆ドームが残って、ずっと核兵器も残っているというのは馬鹿げていると思う。
シルエットでは、確かに廃墟としての美しさがある。ある意味、古い時代の良さが元の設計の中にあったと思う。そんなにレベルの高い建物ではないにも関わらず、美術的に言えば、廃墟になったときにあれだけの美しさが出てくるという面があると思うが、その形を残すことが目的だとは思えない。

大石委員

その形に象徴されているものがある。どうしてアメリカ軍は、あそこを爆心地にしたのかと、ずれてあそこになったのだが、しかし、他の建物ではなくて、良くぞ原爆ドームが残ったとは思う。やはり20世紀の悪を、21世紀・22世紀に残すために、あれが残ったのではないかと思ったりもする位であり、チェコの設計者から離れて、既に一人歩きしている気がするので、それを更に私達の子々孫々に残すことが、核兵器があるのに矛盾すると言えばそうだが、だからこそ、残したいと思う。
では、何を残すかということになる。私はよく分からないから聞いてみたいという感じだが、そこを市長は議論して欲しいということだと思う。

助役

実は事務方から上がってきた資料を整理するときに、原爆ドームの何を後世に残していくか、その周辺を原爆ドームとどう折り合わせていくかがまとまらなかった。資料にこういう形で提供し、議論の素材にさせて頂いている。これをもう少し議論頂くと整理し易くなると思う。

舟橋座長

確かにシルエットも飯田委員が言われるように、ある意味では最も印象的であるが、同時にそれは破壊されたものだということを忘れてはいけない訳で、そういう意味では破壊されたものを破壊されたままに保存しなければならない。それは何のために保存するのかが、大変大事なポイントになるのではないか。時間の制約もあるが、もう少しこの点を議論して頂きたい。市長から何かあるか。

市長

資料に、原爆ドームの価値・メッセージを構成する要素としてオリジナル材・被爆の痕跡などをお示ししている。補強などをするときに表面にエポキシ樹脂を塗って、ある意味厚化粧をしないと保存できないような状況が出てくる。飯田委員が言われた全体像としてイメージがそれほど変わらないからそれ位は大目に見て良いというのか、できるだけ元の外観を重んじる、素材を重んじるとなると、エポキシ樹脂は止めて、実際にドームが保存できる期間が短くはなるけれども、オリジナル材を外に出して見てもらった方が良いというのか、例えばそういったところである。
また、先程言ったように、つっかえ棒で耐震の工事をして、ともかく外側から見えなければ何をやっても良いというような大胆な形で良いのか、それとも構造そのものに影響を与えても、ともかく一番外の皮一枚だけ何となく繋がっていれば良いのか、そのあたりを少し考えてみて頂ければと思う。

舟橋座長

少し専門的なところにも関わっており、うっかりものが言えない感じもある。

大石委員

私が、初めて原爆ドームの写真が撮れたのは1984年である。それまではなかなか撮れなくてうろうろしていた。それから何年かおきに撮っており、一番強くリアルな写真は、多少の補修工事はしていたもののやはり84年のものである。補修工事を重ねる度に写真がだんだん弱くなってきている。残念ながら、夜景とかは別として、度々自分で使う写真は最初に撮った写真になってしまう。
84年以前に戻ることはできず、現実には少しずつ風化しているので、保存するためには補修の方法しかない。市長の例示に対しての私のアイデアとしては、外側をあまりカッチと今のままに残すというよりは、飯田委員が言われたような感じで残す程度にして、地震はもちろん研究して、22世紀に何とか残しておくための研究をすることを提案させて頂きたい。その場合、外側を例えばレプリカにするとか、市長の言葉を借りれば厚化粧をするのはどうかと思う。
それがどうしても必要な時期が来るかも知れないが、その時には私たちの後世の方たちが検討くだされば良い。とにかく一番大事なのはこれが一発目の原爆の証なのだということが、世界中の人に伝わる最低限のものは残すということである。今から1000年後のことを考えるよりは、少しずつ補修していく感じで、後の方に引き継げば良いのではないか。

加藤委員

全く補修しないで屋根が崩れたら、崩れた新しいシルエットが現れて、そのうち砂の固まりになるまで崩れるままにしておくことも、一つの被害の保存としてはあると思う。ポルタ・ニグラやカンタベリーの廃墟も崩れるものは全部崩れた後のものが残って永続している訳である。保存してポルタ・ニグラが残っているのではない。シルエットを残すという考えの他に、原爆の被害を受けたものが、時間を経てついに一つの砂にまで変わっていくことを見守るという見方もある。大石委員のように映像美と考える人は形を残して欲しいと言うかも知れないが、被害の記録なのだとなれば砂一滴になるまで我々が忘れないという見方もあると思う。

大石委員

砂一滴になるまで忘れないという子孫達が残ってくれれば良いのだが、形が無いと私達が居なくなった後どうなるのだろうという不安がある。長崎には何も無く、原爆ドームは一つしか無いので、砂一滴になって大丈夫かという一抹の不安を感じる。

市長

先程、産業奨励館の復元の話があったが、市民運動で元々の産業奨励館を市民が煉瓦を一個ずつ寄付して、どこかに復元しようという運動が起こりつつある。提案の仕方でいくつかのバリエーションがあるが、今の原爆ドームは自然のまま朽ちるに任せる、それに合わせて産業奨励館の方を造っていき、本当に原爆ドームが朽ちた時に新しいものが元の原型で完成するということも、一つの案として考えられる。

岩垂委員

それでは、数百年かかってしまう。

市長

ガウディではないが、その逆の形で、元のものを復元して、原爆ドームは自然に朽ちるままで良いというものが、一つのアイデアとしてはある。ともかくそういう提案もあることを紹介しておく。

舟橋座長

資料の15ページに書いてあるのはそれか。

市長

崩壊が進む時間と同じ時間を使って復元させようというのと、できるだけ早くお金集めて数年間で造り、原爆ドームに対比する形で皆に見てもらおうというのと、進め方にいくつかのパターンがある。

大石委員

ゆっくり造り上げるのはなかなか大変そうである。

加藤委員

ケルンの大寺院なんかはまだ造っている。

舟橋座長

確かに色々な保存の仕方がある訳だが、例えば後40年も経つと原爆が投下されて100年になる。40年後にどの程度残っているかということもあるが、補修すればするほど綺麗になってきて、被爆の惨状を伝えるという意味ではどんどん劣化が起こる。精神的な劣化も起こる。そういうこともあり、残し方にこだわる意見は多くて、市長の例示がいくつかあったが、やはりできるだけ被爆の惨状をリアルに受け取れるような形で残したいという意見が多い。
シルエットももちろん大事であり、同時に当時の悲惨な破壊のされ方をできるだけ見た人に伝えていくことも大事である。その辺で科学技術が使えるならば、是非使って頂きたい。
それでも、最終的に壊れてしまうことがいつか来るかも知れない。それで良いという意見が被爆者の方から出ている。ただ、何にもしないで崩壊を待つというのではなく、あらゆる技術的な努力はして、その結果として崩壊せざるを得ない、それは地震が来るかも知れない、その時はそれでやむを得ないという考え方は広島会議では出ている。

市長

あらゆる科学的手法を使って保存すると言われたが、それとは対極的に必要最小限の手しか加えないで保存をするという立場もあり得る。最大限の手を加えることを検討するのなら、必要最小限の手を加えて保存するという方針はどうかということも、一緒に議論して頂いた方が良い。

舟橋座長

かなり現実的な発言ではないかと思う。そういう意味で、飯田委員いかがか。

飯田委員

最近の保存では厚化粧に当たるようなことは行っていない。表面の処理は、防水のために塗るということはやっている。そうしないと中に雨水が入ってしまう。もっと有効な材料が出てくれば、そちらに変えるかも知れない。
最良の材料を使って、しかも壁面が変質しないように、しかしそれは決して永久的な措置ではないという形でやっている。厚化粧に当たるようなことは一つもやっていない。やっているとすれば、それは壁の頂点で、頂点は破壊されたままなので表面がギザギザになっており、雨を防ごうとしてもそれができない。どうしてもという所は上を均して、鉛板を使い、覆いをしている。鉛板は柔らかいので、かなりギザギザの所にも慣れてくれる。世界中ではたくさん使用されているが、日本では、鉛害を発生させてはいけないということで何らかの処理を施さないと使えない。
また、モルタルの中にエポキシ樹脂を入れて、これを塗るという措置を行っている。10年位経ったら、クラックが入りダメになる。それを取って新しくしようとすると本体に傷が付くので、仕方なくもう一回上塗りする。またこれがクラックで駄目になる。今度はもう駄目だから金属板を葺くということになる。

加藤委員

世界的に見ると大気中の鉛の量は増えている。まだ危険量には程遠いが、このまま放置すれば大気中の鉛が危険量にいつか到達することは確かなので、原爆ドームの補修のために鉛を使うことが、大したことではないと言うのはあまり賛成できない。

飯田委員

鉛は害があるということから、表面処理し、流出防止の措置を施した鉛板を限られた範囲で使用している。ただ、私はずっとイスタンブールの遺跡の調査をやっているが、あそこは全部鉛を使っている。もちろんノートルダムもそうであり、ヨーロッパでは鉛は普通に使っている。日本では、一般的に鉛は他に手段等がなく、やむを得ない場合を除き使っていない。

加藤委員

鉛をちゃんと回収するという方法があるかないかである。屋根台に使ってしまうと、それが劣化した場合に回収しないというやり方もある訳で、もし鉛を使うのであれば完全回収にして、例えば何グラム減ったかというところまでちゃんと考えなければならない。

飯田委員

日本だけが随分先行している。他の国は放りっぱなしである。張替えのときは5ミリの鉛版を使うが、それが張替えのとき見ると大体2ミリ位しか残っていない。それは流しっぱなしになっている。ヨーロッパでも同じである。鉛版が一番使い易いし、中世以来ずっと使っている。
確かに言われるように鉛は害があるということで、わずかな幅の所に使っているのに、それをいかんと言われると仕方ない。硬い材料を使うことになると、どんなにしても加工できない。仕方ないからまた壁の上の方を平らにして金属板を被せると、また少し線が変わることになる。

市長

先程、塗ると言われたことについて、そんなに細かいところまで見ている人はいないかも知れないが、やはり表面を塗っている訳である。表面を守るために樹脂を塗るというのは、外観上は誰でも見た瞬間に分かる程ではないにしても、それは外観に手が加わっているということなので、それも含めて言っているつもりである。
厚化粧という表現は撤回するが、そこまで含めてやるのか、表面は全然手を加えなくて良いという立場もあり得る訳で、それでは保存できないという技術的な制約があると思うが、そこも含めてどこかで、技術的にこれしかないというだけではなく、技術的な説明を聞いた上で、最小限の措置に止めるのか、最大限の措置をとっていくのかを議論する必要があると思う。

飯田委員

世界遺産にする際にこれを保存するという意思統一はなかったか。

市長

保存に際して、最小限の手を加えて保存するのか、技術的な可能なものは何でもして保存するのかという、細かいところまでの議論はしていないと思う。やはりどこかでキチンとした議論をして、舟橋座長が言われた40年後、被爆後100年が経った時、非常に大きな注目される時期だと思うが、その時期に今を振り返って、あの時にやっておけば、こうはならなかったと言われないようにする必要がある。

加藤委員

被爆後100年経っているのに、被爆時と同じ状態で保存されているのは非常に不自然である。被爆の時から見たらかなりボロくなって、廃墟になっている方が自然だと思う。

市長

その時の人達に、我々はこういう議論をした。その結論として100年後の皆さんにこういうものを伝えているのだということを、ちゃんと説明する責任があると思う。それを今やってもらいたい。

舟橋座長

できるだけ保存するという方向でこのあり方懇談会はきているが、どういう保存が、多面的な検討の結果として最も効果的であり、皆の納得できるものであり、例えば何十年後にもそれなりに被爆の惨状が伝わるものであるというような、色んな条件を出すと大変難しい話にはなるが、あり方懇談会として、そこまでは言っておいた方が良いのかも知れない。
市長の意見もそこ位までは言って欲しい感じでもある。もちろん異論があるかも知れないが、その点について委員の意見を出しておいて頂けるとまとめの段階で、今後の指針にはなるのではないか。
先程、加藤委員が言われた、100年後にも同じように残っていたらおかしいということも、大変面白い発言だが、例えば保存していかなければならないという議論とどう組み合わせたら良いのか。

加藤委員

医学の方で言うとアグレッシブな治療をするかしないかということがある。例えば外科手術の中でもかなりきわどい手術までやって、臓器移植までやるかやらないか、あるいは通常の治療方法で済ませるかである。
原爆ドームの場合にも、臓器移植はやらず、通常の治療方法で風邪薬を処方する程度で保存して、壊れたら壊れたで、その歴史の長さというものを我々がもう一回改めて考え直すことで良いと思う。その通常の保存というものがどの程度かは良く分からないが、あまり過激な機材を使わないで、手作業でやれる程度の保存作業をする。飯田委員が言われたように構造体に水が入ることによって腐食が早まることに対しては措置をするという位で良いのではないかと思う。

飯田委員

今のところはそういう措置である。正に構造体の中に水が入ると目地が傷むといったことの他に、窓の上などに鉄筋コンクリートを使っており、水が入ると鉄筋が腐食し、落下するということがあるので、鉄筋を腐らさないようにするためには、壁体に上から水が入るのを防いで、横からの雨は塗って防ぐという程度のことしか今のところやっていない。

舟橋座長

それが必要最小限度ということになるのか。

飯田委員

なるべくそれで現状保存しておいた方が良いと思っている。それもするなということになれば何もしなくても良いことになる。
現状をなるべく保存するという方向でメンテナンスはやっている。

加藤委員

それをしないとかなり早く崩壊すると思う。それでも良いという考え方はあると思うが、鉄に錆が回れば、それこそ5・6年でどんどん崩壊していくことにならないとも限らない。

飯田委員

それについてはかなりの期間持つと思っている。最初に補修した時にエポキシ樹脂を入れている。最近は使うようになったが、遺跡の保存にエポキシは使っていない。使う場合は補助的な材料として使うが、原爆ドームの場合は中にクラックがあるからということでエポキシを厚塗りしてしまっている。二回目の時には、溶剤がないので除去しようとしたが取れなかった。恐らく一回目と同量位エポキシを厚塗りしている。原爆ドームは、セメントで固まっているというよりもむしろエポキシで固まっている。
エポキシが老化したときにどうなるかは予想がつかない。エポキシの実験体が原爆ドームの中に一部置いてあり、強度テストをやっているが、強度がまったく変わってない、むしろ上がり気味であるという結論も出ている。
従って、あのままでもかなりの期間持つと思うが、そらから先何年持つかというのは分からない。かなり多量にエポキシを使っており、類例が無いためである。
重要文化財をエポキシで修理することはしており、壁体の中に鉄筋を入れて固めるということをやっている。山口県でやったときはエポキシを使っていない。鉄筋コンクリートの周りに普通のセメントモルタルを入れている。エポキシを入れると鉄筋の腐食が進むのではないかという懸念が少しあるという意見がある。それとそれほどの強度は要らないからである。
原爆ドームはどうかというと、難しいのはあの建物は非常に壁が薄いことである。どうしてあんなに薄くしたのか分からないが、非常に薄いので、壁体の真ん中を開けて補強することは、見えなくて非常に良いが、果たして上手くいくかどうか分からないということがある。

舟橋座長

決定が難しい感じになると思うが。

飯田委員

大変難しいが、皆さんの意見を伺わないと(技術指導委員会としての)方針が立たない。

舟橋座長

もちろん、最終的に崩壊することを食い止められない場合はある訳だが、もう専門委員会に任せるから良いという感じかも知れない。他に意見はないか。

岩垂委員

聞いているとますます、分からない感じがする。
少しそれと離れるかも知れないが、去年、市役所の方に案内してもらって、初めて原爆ドームの中に入って見ることができた。本当に貴重な経験であり感謝しているが、中に入って見て遠くから見ていた時と随分印象が違った。凄まじい破壊のシンボルとして、こういうシンボルがあっても良いと感じた。外から見ていると表面的な印象でシルエットさえ残れば良い感じだったが、シルエットだけでなく、内側から見てこれは現状のままで保存しなければいけないという気持ちを強くした。
先程言われたが、つっかえ棒が中にあって、表は原爆ドームだけど中に入ると、まるで杖をついた病人のようにつっかえ棒だらけということは止めた方が良いと感じた。
そうするにはどうすれば良いかを先程から考えていたが、結論が出ない。
戻ってしまうが、一番技術的に詳しい方にバトンを渡して、未来永劫ではないが、せいぜい100年後か被爆100周年位までの保存を念頭おいて、それにはどういう方法が一番良いのかという技術的な検討してもらえば良い。100年先には私達は生きてないし、どういう世の中なのか分からない。原爆が落ちてまた破壊されているかも知れない。だから、せいぜい後40年後位の展望の中でやるしかない。それには、厚化粧した奇妙なものや、病人ではないけれど傷だらけではなく、最小限の補修をしていく方が良いと感じる。技術的な検討については、専門家にお任せしたい。

飯田委員

岩垂委員は、いつ頃原爆ドームに入られたのか。

岩垂委員

去年の8月5日である。横山委員と一緒に入ってみた。非常に強烈な印象であった。ドームの真下に立って上を見ると、爆風が上から来て破壊された様子や、西側の方の壁は影響が少なくて残っているのが良く分かった。熱線による火災の火の威力によって壁の燃え方が違っていたのが非常に印象的であった。中に堆積した壁がゴロゴロあり、あれは外から見たのでは分からない。中に入って初めて分かった迫力であった。見学者を中に入れることは難しいだろうが、時期を限ってでも、公開することはできないだろうか。

飯田委員

これはいつ危険なことがあるか分からないから、我々は委員なので入れるが、皆さんには余程の安全装置を造ってからでないと、公開はできないと思う。全く入れないというのではなくて、上から落下してもある程度大丈夫という屋根みたいなものを臨時に造って、そこでご覧下さいということはできると思う。下をくぐって、見上げられる。屋根だけがっちり架けて、あとは撤去するという形になると思う。

岩垂委員

中に入れると、外側と内側の両方から見ることによって、原爆による破壊をより理解できる。内部もできるだけ現状のまま残したいという気持ちが強くなった。

舟橋座長

今言われたような印象を、原爆ドームを訪れる人に与えることが一番大事なことだと思う。
あまり議論が前に進まなかったが、確かに現状のまま保存する、現状のままの保存の仕方というのは大変難しいし、厚化粧にならないように最小限度何をして良いかということが、出てくれば良いのではないかと思う。

大石委員

市長が言われたどの程度残すかということはどうなるのか。最大限にするのか、最小限にするのか。

舟橋座長

できれば、どの程度残すかということのある程度の方向が見えるとありがたい。今までの広島市の保存の取組みとしてやってきたことは、ある程度最小限度の方向にあると考えて良いか。

飯田委員

加藤委員の言われたように、崩れていくことになって、変わっていくのが、それが常態だという考え方ももちろんある。それでいくのかどうかということである。

岩垂委員

追加すると、横山委員は、去年、東京の会議で最初は、ドームにガラスで覆いを被せることもできるという意見だった。現地に行って見て撤回された。原爆ドームはこのままで、できるだけ最小限でという意見であった。後もう少し詰めをすれば良いのではないか。今日結論が出なければ、専門家だから横山委員の意見も聞いた方が良い。

舟橋座長

今日議論したことから後戻りしないように前に行きたいと思う。もう少しご意見があればお願いしたい。

大石委員

追加すれば、飯田委員の話を伺うと、地震というものをもう少し意識した感じで、それは震度いくつがということもお任せするが、地震が一番怖い。自然劣化であれば、ある程度想像がつく。
後40年という意見もあるが、私は次の世紀にはしっかりと残していきたい。40年ではどうかという気がする。長崎には残念ながら何も無い。原爆ドームしか無いので何とか残して次の世代に渡したい。次の世代がほったらかしても良いと言うのであれば、それはそれで仕方ないが、原爆を受けたのにこんなにしっかり残っているではないか、という批判はもちろん受けないはずである。私たちは、保存するためにこれだけ一生懸命科学的にメンテナンスをしてきたということを言えば良いと思う。
最大限という言い方はできないが、できるだけ次の世紀の人たちに残したい。こういう時代なればこそという感じがする。

舟橋座長

例えば、40年後にと申し上げたが、40年後までで良いということではない。長い時間の中で言える事はキチンと言っておくということで良いと思う。

飯田委員

岩垂委員がドームの中に入ったという話があったが、あそこの壁面に残っている痕跡を少しでも残したいという非常に強い意見があって、ドームの内部に雨除けの傘を付けた。外からは見えないが、中に入ってみると、非常に景観上目障りである。
あそこに入って見るのは委員と市の職員しかいないので支障はないということで、補強のためではなく壁面の保存ために付けたのだが、ああいうものを付けることは、一体何を保存するのかということになる。

助役

原爆ドームの中に入って非常に強い印象を持たれたことに関連して、ある一定期間を限って見せるということを考えるとどういう保存があるのかについても議論頂ければありがたい。そういうことも考えるのか。考えるとすればどのようにするのか。

大石委員

中を見せるのは反対である。非常に危ないと思う。そのときに事故が起きたらどうするのか。

助役

危なくないようにして、そのときだけ、どういうふうにやるかということではどうか。

飯田委員

中は瓦礫がゴロゴロしているので、重量物の落下に対応できる通路を仮設すれば何とかなる。

助役

もう一つ、原爆ドームの周辺に植栽をしているが、高すぎて中が見えないということを公園管理の担当部署に言っている。ただあまり低くすると乗り越えて入ってくるということもあり、周辺をどうするかという問題もある。

舟橋座長

できるだけ現状のまま保存したいという方向は、恐らく同じだろうと思うが、保存の仕方については、最小限度の方法でやることの方が被爆の惨状を生に伝える意味では効果があるのか、最高の技術を使ってやっても同じようにそれは残るのか、私は何も判断ができないが、その辺はどうか。最小限度でいけるのであればその方が良いと考えている。

飯田委員

今やっている保存工事は最小限度のものと思っている。壁面に庇をつけるのは気に入らないが。

舟橋座長

当面、次回がどういう委員会になるか分からないが、今日議論したところまでは、皆さんの合意を取り付けた内容として、ただ、もう少し具体的に意見を付け加えた方が良いと思うので、その点は東京会議の議事録ができた段階で検討頂きたい。

飯田委員

そのことではないが、教えて頂きたいことがある。資料に「産業奨励館が芸術文化の発信の場であり」とあるが、物産の紹介と県外や海外に売り出すことを奨励した所であり、各県毎に作られた建物である。この一節が良く分からない。広島の場合は別の使い方があったのか。

事務局

もちろん県の物産展示のために造られた建物であるが、そこで美術展などが開かれており、美術館のような機能を果たしていた建物と聞いている。

飯田委員

当然、広島には美術館、博物館とか劇場とかの文化施設があったのではないか。それで芸術文化の発信の場というのかどうか。

市長

たとえば、広島の伝統工芸の一部として「高盛絵」というのがある。これは漆を使うが、ただ表面に塗るだけではなく、三次元的な表現手法、彫刻のような感じのものである。七代目の金城一国斎という人が継いでいるが、江戸時代にそれができてきた。そういった伝統工芸品を戦前の広島では産業技術展とか工業技術展の中で展示されてきた。こういう展示会であり、産業という括りの中で継承されてきたものである。全部が全部ということではないが、重要な一部はここを拠点にしていた。

助役

広島に当時美術館がなかったのかも知れない。正確ではないが、そういう記憶が無い。少なくとも博物館は無い。調べてみる。

舟橋座長

平和記念公園とその周辺について、意見を頂きたい。
これは、平和公園の利用の仕方について、もう少し開放して欲しいという市民サイドからの意見もあり、それに応えようとしているものである。ただ、やみくもに開放するのではなく、色々な行事を重ねて検討し、開放したいという意向で書かれている。

飯田委員

私も皆さんの意見を聞いて開放すべきだと思ったが、この前市長の話を聞いて、全面開放すると大変だと思っている。
折角外国から来ているのに、広場で皆さんが酒盛りをしているというのは大変なことだと思う。

舟橋座長

恐らく、そういう形での開放はないと思う。
現在は、フラワーフェスティバルやマラソンの時に使うといったこともあるが、芝生や慰霊碑の辺りは使っていない。平和大通りに近い所を少し使う程度である。中心の所は全く使われていない。ここに例外的なものが書かれているが、それ以外は無い。

大石委員

川のモーターボートを規制できないという話が市長からあったが、その規制は難しいのか。

市長

官僚的なことになるが、一級河川の管理は国直轄で、原爆ドーム周辺は国の管理で、せいぜい県に管理権が移っているというところで、それについての規制はできないのが現状である。音もその中に入ってくる。とは言え、注意をするといったことはやっているが、最初のうちは言うことを聞くが、相手も勉強してきて、権限がないではないかということで注意が効かなくなってくる。今の段階では良識に訴えるしかない。主にはモーターボートより一人乗りのジェットスキーというものである。

舟橋座長

折角たくさん川があるのだから、本当は上手く活用できることが一番良い。原爆ドームの横も川が流れているのだから。例えば、宮島も世界遺産に登録されたので、宮島と広島とつないだら良いという話も色んな形で出ているが、具体的な話にはなっていない。
資料に「平和公園の使用許可の運用に当たっては、実験を重ねる」と書いてある。公園の中心の所は、飯田委員は使わない方が良いと言われたが、そういうことも含めて、資料の下にあるように「市民を含む制定委員会を設ける」とか、ある程度のルールをそこで検討してもらうとか、そういう形でのあり方懇の提言になると思う。
あり方懇はこういう委員会を作って下さいという、預けてしまう形になるようなところがあり、いささか無責任な感じがしないでもないが、ある程度大きな見通しを立てることは必要なことだし、役目であると思う。

飯田委員

「使用許可基準の制定に当たっては、市民を含む制定委員会を設置するなど」と書いてあるが、これまではこういうものはなかったのか。

助役

市内部ではあるが、市民を入れたというものはない。

舟橋座長

あり方懇談会の発端も、原爆ドームの整備、平和記念公園とその周辺の整備・活用の仕方について市民や有識者の意見も伺っており、それがまず最初にあって、あり方懇談会が始まっていると理解している。そういう意味では市民の意見を色々な形で聞き取るという形をとっている。
最初の実験的な試みを市の方から説明して頂きたい。

岩崎国際平和推進部長

8月6日に毎年平和コンサートを行っているが、今年は慰霊碑の前の芝生広場を会場にしたコンサートを実験的に行い、どういった効果、また、反省点とかが出てくるか実証したいと考えている。

舟橋座長

平和記念式典でイスを並べているのでそれをそのまま活用するという感じで、そういったことからまずやってみようということを市では考えているようである。

大石委員

雨が降ったときはどうするのか。

岩崎国際平和推進部長

屋外で実施が難しい場合は、通常どおり国際会議場フェニックスホールで行う。

大石委員

クラシックが好きな人たちは音を気にするのではないか。外だとどうだろうか。

助役

止めた方が良いという意見もあるかも知れないが、色んな意味での社会実験ということで、野外コンサートという感じでそういったことは他でも例がある。

加藤委員

最近は、音響機器が良くなったことでクラシックも随分広い所でやるようになった。イギリスでもすごい演奏会をやっている。それから古代の廃墟を使ったものもある。音響機器により残響の処理もでき、音も良くなっているのではないか。

助役

ギリシャで円形競技場を使っているようだが、それはそういうふうにできているが、平和公園はそのようにはできていないので、残響の問題などはどうなるか分からない。

舟橋座長

そろそろ時間になってきた。他に意見はないか。

岩垂委員

感想である。私も色々発言してきたが、この要約を見ると大体書かれているので満足している。
皆どこかに入っている。非常にキチンとよくまとめるものだと感心している。

舟橋座長

そういうことを言われた方は初めてである。

市長

そういう意見を頂いたということで、大変事務方ともども嬉しく思っている。
一つは、飯田委員も言われたできるだけ幅広い市民の意見を、これでお終いということではなくて、これを一つのまとまりとして、どこかで時間をかけて皆さんに議論して頂いてまとめができた。それを基にまた色んな議論が展開されると思う。そういう意味で一つの出発点ということになれば素晴らしいと考えている。今後ともよろしくお願いしたい。

舟橋座長

最後に事務局から今後のスケジュールについて説明をお願いしたい。

竹本市民局長

本日頂いた意見、また、先日の広島会議での意見を踏まえて、今後、整備方針素案を作成し、広報紙で素案に対する市民意見の募集を行った上で、最終的に平和記念施設整備方針を作成したいと考えている。
このあり方懇談会は予定ではあと1回としていたが、議論の進み具合からもう1回程度追加開催することも検討している。

舟橋座長

議論としては中途半端な形になったが、次回の会議ではもう一度良く議論頂きたいと思う。本日は忙しい中ありがとうございました。

以上

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