第1回平和記念施設あり方懇談会(東京会議)会議要旨
1 日時
平成16年(2004年)7月29日(木曜日)13時00分~15時00分
2 場所
東京都千代田区 霞ヶ関校友会館
3 出席委員(7名)
飯田委員、猪口委員、岩垂委員、平山委員、福井委員、山崎委員、横山委員
4 市側の出席者
市長、市民局長、東京事務所長、被爆体験継承担当課長
5 議題
- 平和記念施設保存・整備方針の策定スケジュールについて
- 原爆ドーム保存に係る意見交換について
6 公開非公開の別
公開
7 傍聴者
報道機関2社
8 会議資料
- 配席表
- 平和記念施設あり方懇談会〔東京会議〕出席者名簿
- 平和記念施設あり方懇談会の公開に関する取扱要領
- 平和記念施設あり方懇談会(東京会議)次第
- 平和記念施設あり方懇談会(広島会議)における意見交換の概要
資料1 平和記念施設あり方懇談会委員名簿
資料2 平和記念施設保存・整備方針の策定スケジュール
資料3 平和記念施設保存・整備方針の策定に係る論点の概要
資料4 原爆ドーム保存に係る意見交換資料
資料5 原爆ドームの概要
資料6 平和記念施設の保存・整備に係る有識者アンケート及び市民意見
資料7 平和記念施設の保存・整備に係る過去の理念・議論
※会議資料は、市民局国際平和推進部平和推進担当(中区中島町1-5:国際会議場3階)に備え置いております。
9 会議の要旨
開会
市長あいさつ
皆様には大変お忙しい中、委員をお引き受けいただき、また、本日は第1回懇談会にご出席をいただき、厚く御礼申し上げます。
さて、ヒロシマは、59年前の被爆体験を原点に、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けてきました。しかし、今なお地球上には大量の核兵器が存在し、核兵器が使用される可能性さえ高まっています。また、憎しみと暴力、報復の連鎖が断ち切られないまま、地域紛争やテロが続発しています。
被爆の記憶が世界的に薄れつつあることを危惧するヒロシマは、世界の多くの大学に「広島・長崎講座」を普及させる取組みなど、広島・長崎の被爆の実相と、地球上に二度と過ちを繰り返さないと誓ったヒバクシャの意志を、若い世代や広く世界に継承していくよう努力しています。
こうした被爆の実相を伝え、世界恒久平和を訴えていく上で、原爆ドームを始めとする平和記念施設も大きな役割を果たしてまいりました。
原爆ドームは、戦後、その存廃が論議されてきました。実は存廃ということで「廃」の方もかなり意味があることですが、昭和41年(1966年)に広島市議会が保存を決議し、その後3回の保存工事を経て現在に至っています。その間、平成8年(1996年)には、「人類共通の平和記念碑」として世界遺産に登録されています。
また、平和記念資料館は、被爆の実相を伝えるため、被爆資料の収集・展示、調査研究などに取り組んでおりますが、開館から約50年を迎え、建物の老朽化や展示のあり方等について課題を抱えています。
平和記念公園については、平和の象徴として、また観光地や市民の憩いの場としても親しまれていますが、「さらに幅広い活用を検討すべきではないか」との意見もあります。
こうした状況の中、広島市は、被爆60周年となる来年度、平成17年度(2005年度)に向け、平和記念施設を将来の世代に理想的な形で引き継ぎ、被爆者の思いを未来永劫に伝えていくため、「平和記念施設保存・整備方針」を策定することといたしました。
「平和記念施設あり方懇談会」は、この整備・保存方針の策定に当たり、主に二つの事柄についてご意見をいただくため設置いたしました。一つは、「原爆ドーム」を「保存していくことの意義」や「将来の世代に理想的な姿で引き継いでいくための保存のあり方」について、もう一つは、「平和記念公園とその周辺の役割、整備・活用のあり方」や「平和記念資料館が今後その役割を果たしていくために必要な取組み」などについて、この二つについて、各分野の有識者の方々からご意見をいただく場として設置いたしました。
今回の検討に当たって、昨年度、国内外の有識者の方へのアンケートや市民の皆様からの意見募集を行うとともに、過去の論議についても整理を行いました。これらを踏まえて、本日の資料では、いくつかの論点をお示しさせていただいておりますが、委員の皆様には既存の枠組にとらわれない自由なご意見をお聞かせいただければと考えております。どうかよろしくお願いいたします。
委員自己紹介、事務局側職員紹介
座長選出
福井委員を座長に選出
懇談会の公開・非公開の取扱いについて
懇談会を公開により行うことを了承
議題1「平和記念施設保存・整備方針の策定スケジュールについて」
事務局
平和記念施設保存・整備方針の策定の概要及び資料2・資料3について説明
(スケジュール、議論の進め方について、了承)
議題2「原爆ドーム保存に係る意見交換について」
事務局
資料4~7について説明
福井座長
これから、皆さんの意見をお伺いするが、秋葉市長が退席されるということなので、一言ご意見をお願いできればと思う。
市長
ここでお願いしたいのは、一つは歴史的な経緯を踏まえた議論をしていただきたいこと、それから現在の時点では当然保存するという結論になると思うが、本質論に入ると「何を保存するのか」ということによって、ずいぶん議論が違ってくると思うので、論理的な詰めをキチンとしていただきたい。「何もしない」ということも含め論理的な詰めをした上で、例えば100年後あるいは1000年後の人たちに「今の時点ではこういう考え方でこういう結論になった」ということが伝わるように、それは今の時代の反映として後世に人たちに我々の時代を十分知ってもらうための一つの資料として、キチンとした議論をしていただきたい。
平山委員
これは根幹に関わることだが、日本の遺跡の保存の仕方は、例えば奈良でも、あるいは海外でお釈迦さんの生まれた土地ルンビニに行っても、皆、公園化している。奈良でも石舞台の所に花や芝生を植えて道を造って、これでは遺跡ではない、破壊である。ドームを見ても芝生があって最後に瓦礫がある。なぜ瓦礫を残さないのか。当時はこんな綺麗ではない。阿鼻叫喚、地獄があった訳だが、それを知らない今の世代の人が見たらどう思うだろうか。過去の論議の資料で以前の市長が「火事になってもこの程度は壊れる」と言ったという記録があったが、まさしくそうである。この遺跡をどう扱うかは、アウシュビッツや色々な施設と比べてみても、姿勢が問われると思う。日本人は優しいところがあるから、平和的にやろうということならまた違ってくる。何を残していくのか、その精神とメッセージをどう伝えるのか。ただし構造的、物理的に限界があり、現状維持ではすぐ壊れるので、可能な限りガッチリと修理し、耐震構造にしても同じだが、それをどう景観と結びつけるか。その辺を根本的に討論したらどうか。
市長
そこの議論を是非よろしくお願いしたい。(市長退席)
福井座長
平山委員からも実質的な議論に入っていただいたが、その前に、事務の説明に対し質問等があればお願いしたい。もし無いようであれば、議論に入りたいと思う。時間の関係で、一人だいたい5分位でやっていただければと思う。議論は、まず、哲学というか、「ドームとは何か。何を保存するのか」ということ。それから保存するとしたらどういうふうに保存するかという手段の問題、技術的な問題ではあるがこれが一つ。両方が絡んでくるとは思うが、できるだけまず、哲学の問題、「ドームは何なのか。何を保存すべきなのか」という問題から始めたいと思う。
飯田委員
何を保存するかということについては、資料4の保存工事説明板、世界遺産説明板の文面があるが、これをまとめれば十分である。こういう理由で保存するということでいいと思う。
技術上の問題ついては、色々難しい問題がある。ギリシャ、ローマの遺跡であれば、まさに遺跡そのものであるが、原爆ドームは土を盛って芝をはってしまった。私が一番最初に行った時に「これはおかしいな」と思った。それで聞いたところが、公園として整備するために芝をはって盛り土をしているとのことだった。そのために壁が土の中に埋まっており、雨が降ったら全部これが上にあがってきて、大変まずいことになっている。ユネスコのセンターが東南アジアの研修生を呼んだとき、研修生は皆な同じ指摘をした。あそこに少なくとも60センチくらい盛り土があり、それを取ると先程(資料(パワーポイント)の周辺の瓦礫の画面)のような遺跡が出てくる。遺跡として見せるべきだ。あの様に綺麗にすべきではない。
技術上の問題については、一番保存しなくてはならないのは外観だと思う。中に人が入る所ではないので、外観のシルエットだけは完全に保存したい。特に平和公園の前から見た外観が一番重要と考える。人が中に入るのなら中での補強も控える必要があるが、川の方から見ることが一番多いので、そこから見てムラが出なければ補強すべきである。現在の補強は、第1回保存工事で行われているし、第2回でも補強した。昭和21年に震度4の地震があり、それでかなり壊れていると思う。その後もう1回震度4の地震があって、3年ほど前に震度5の芸予地震があったが壊れなかった。これは第1回の補強でエポキシで固めたということと、鉄骨で補強したことが大変大きな力になっている。残念なことには鉄骨で補強したが、構造計算書が何も残っていない。そのため、これからの地震に対してどれだけ耐えられるのかという目安がつかない。今のところは「普通に計算してくれ」と言うと、「遺跡だから計算できない」という返事が返ってくる。しかし、これは本当の第一人者、日本に2名か3名だと思うが、そういう方を集めて、検討してもらえば計算できないことはない。材料の検討をしていても、地震が来たら元も子もない。急がなくてはいけない。全国のどこで、いつ、どの程度の地震が来るかという調査は済んでおり、広島は比較的少ない地区にあるが、500年、1000年の間にどのくらいの地震が来るのかは出ている。これへの対応が先決である。中性化の問題その他細かいことは、一日を争う問題ではない。一日を争うのはまず地震だと思うので、対策を早くすべきである。
猪口委員
まず、「なぜ残すのか。何のために残すのか」ということだが、教育の現場でいつも感じるのは、人の能力は非常に乏しく、自分の経験的な世界を越えて想像する力がとても弱いということ。教育は自分の経験的世界を越えて、人が物を考えられるように手助けする、そういうことを努力している。物事を抽象的に捉えるということもそうだし、経験をしたことがないことに対して思いを馳せるように教育は努力する。しかし、人間の能力は実際にそういう面で乏しいので、自分が経験していない悲劇について想像することを助けることが必要である。
まず、最も重要な存在は、被害の経験者である。だから被爆体験者はそのことを訴え続けていただかなければならない。国際社会では色々な軍縮の分野があるが、例えば、対人地雷の分野では、"raise the voice"という運動がある。「声を上げる」ということだが、実際に武器による被害の犠牲者となってしまう場合には、"raise the voice"をするような立場に立たない。対人地雷の被害に遭った子どもや親は、それを世界に訴えなければならないのだけれど、そういう余裕がないし、生きることだけがあまりにも大変で、訴える力がない。例えば欧米のNGOが、アフリカの内戦の被害者の被害・悲劇を代弁することをやるが、まったく不十分である。被害者そのものが訴えて、"raise the voice"をしてもらわなければならないのであって、それに代わるインパクトはあり得ない。人の乏しい能力は、実際に被害者が乏しい言葉であっても"raise the voice"することによって、思わぬほど深く発達するし、想像できるようになる。突然その問題に対してオーナーシップを自分として抱けるようになる。遺跡もそのようなものだと思う。乏しい人の能力を助けてくれるようになる。「二度とこの悲劇が起こらないように」というのが私達の願いだから、誰もその悲劇を経験することはないけれども、それを確実にするためには、全員がその悲劇をイマジンできなければダメである。
ところが能力が弱いので、それを助けるものとして、永遠に原爆ドームは保存されなければならない。被害者は残念ながら亡くなってしまう。"モータル"になる。存在として"モータル"だけれども、無機物である建物は、人間の英知によって永久に保存する必要がある。被害者を超えて、永久に乏しい人間の想像する力、つまり核兵器の被害・悲劇はどういうものかという、もはや誰も経験しないことについて全員が想像できることを助ける最後のものとして原爆ドームは残る必要がある。これが理論的に「なぜ原爆ドームは永遠に残さなければならないか」ということの説明である。つまりヒロシマからの"raise the voice"という運動の一環であり、まず被爆者にやっていただかなくてはならないけれども、原爆ドームが全ての被爆者と私達と命を超えて、続く世代の更に乏しい能力を助けてくれると思う。例えばアテネに神殿があり骨格だけ残っているが、非常に深く古代の文明について訴えるものがある。いくつか永遠に骨格だけでも残るというものの保存の仕方を参考にすると良いのではないか。先ほど飯田委員が言われたように、外観はそういう意味で重要である。
産業奨励館として"イマジンハウス"というものを造る運動は、場合によってはとても興味深く重要な、新たな考え方に繋がるかもしれない。近距離に、元々あったものと破壊されたものとが、二つ残るという遺跡の保存の仕方は、今までなかったかもしれない。また、"イマジンハウス"を造る時に世界中の人が、乏しい能力だけれど、自分がたとえ1セントでも寄附するということでオーナーシップのプロセスに参加し、関係者となっていくプロセスとして、それを造ることができるのであれば、新しいメッセージの発信の仕方になる。
これは一般的なことだが、広島は見事に復活した。美しい公園と街も復活して、広島を訪れる私の軍縮仲間なども広島が復活していることに感激する。私はこのことについて二つのメッセージが必要だと思う。一つは「人間はどんな悲劇をも超える力がある」ということ、広島はその証人である。これを訴える記念施設のあり方を考えて欲しい。究極の破壊を受けてもここまで復活しメジャーな都市として再生しているということ。二つ目のメッセージは、必ず私が軍縮仲間の友人に言うことだが、「今あなたが見ている広島は決して同じものではない」ということ。失われたものは永遠に失われていて、同じものを復活することは人間には絶対にできないことである。この二つのメッセージが重要である。
岩垂委員
まず、原爆ドームとの付き合いが長いのでそのことから申し上げる。1966年、今から38年前になるが、初めて新聞記者として取材で広島に来た。そのとき原爆ドームや資料館との出会いがあった。そのときに得た強烈なインパクト・衝撃が忘れられなくて、それ以来ずっと広島と付き合ってきた。今年行くと38回続けて8月6日には原爆ドームと向き合うという生活をしてきた。8月6日は広島で、9日は長崎で迎えようということを66年に誓いを立て、続けてきている。逆に言えば原爆ドームには人を捕らえて離さない力があるということ。この魔力のような力に絡め取られて38年間付き合ってきたことになる。
原爆が投下されてから60年経ち、被爆体験の風化も進んで、核問題に対する関心も年毎に薄れつつある。60年も経つと、人間で言えば還暦だからやむを得ないことではあるが、こうした流れは今後も続くだろう。被爆体験を後世に伝えていく上で一番有力な証言者は、被爆者の方々である。しかし被爆者の方も、1981年をピークに年毎に数が減りつつある。一頃は30数万人おられたが、今では27万人に減っている。高齢化も進んで、被爆者による証言も日ごとに困難になってきている。これからは残念ながら最もインパクトのある被爆者による証言に代わって、無機物である物によってしか我々は原爆の悲惨な経験を学べない時代に入っていく。つまり原爆がもたらした物理的な傷害を通じて、原爆の被害を後世に伝えていくという時代に入っていく。そういった時点に立つと原爆ドームの存在は非常に貴重なもので、物による原爆被害の継承を最も強力に後世に伝えていく武器・手がかりになると思う。従ってこれを未来永劫に保存する意義は誠に大きいと思う。
話は前後するが、私は以前から広島市民に敬意を抱いてきた。原爆ドームを巡って、「取り壊してしまえ」とか「いや保存すべきだ」という色んな議論があったことを承知しているからである。そうした議論の末に広島市民の総意として保存していくことを決めた市民の英知に敬意を表してきたし、これからも敬意を表したいと思う。長崎にはこれに相当する記念物がない。浦上天主堂を破壊されたまま残せば、原爆ドームに相当する遺跡が残ったのではないかと思うが、あれは見事に復元されて見ることができない。長崎は残念ながら象徴的な記念物を残すことができなかった。広島は原爆ドームを市民の手で残してきたことに敬意を表したい。
保存の意義として資料には7項目理由が述べてあり、どれにも賛成であるが、読んでみて何か足りないと感じた。思い切って1955年のビキニ事件の後に発せられたラッセル・アインシュタイン宣言を読んでみた。実に見事な宣言で非常に格調高い哲学的な啓示だと思うが、そこにあってここにないのが地球環境の破壊という視点である。核兵器の威力については書いてある。同時に地球がダメになってしまうという地球環境の破壊に対する警告でもあった。ラッセル・アインシュタイン宣言を読むとそのことが見事に書いてある。究極の兵器によって人命が損なわれるということだけではなくて、地球全体が核兵器によりダメになってしまうということが明確に指摘されている。スケール・捉え方が大きい。核兵器のもつ威力・危険性だけではなく、地球環境の破壊という発想も必要ではないか。
戦争中から戦後までという私達の世代は、ヒロシマと向き合う時に核兵器という視点しか出てこない。今の若い人たちは被爆体験・戦争経験がないから、核兵器に対する見方は環境問題から入っていく、兵器としての威力より環境破壊という立場から核兵器と向き合う人が多い。環境破壊という視点も核兵器・原爆ドームを捉える時に知っておいていただきたい。
ドームの説明板も間違いないが、将来、もし新しいものができるとしたら、ご配慮いただきたい。一つは西暦にしていただきたいこと。100年後と考えると、元号はどうかと思う。若い人たちは西暦で考えているから西暦表示が必要だと思う。もう一つは被害者数で、「20万を超える人々の生命が失われ」とあるのが、ちょっと気になる。ご存知のように広島市・長崎市が1976年に国連に提出した被害報告によると、広島の場合は14万人プラスマイナス1万人と報告されていて、ほぼこれが世界の、学会の常識になっている。「おおよそ14万人」というような科学的な数値を用いた方が説得力が増すと思う。1945年12月末までの数字であり、それ以降亡くなられた方が沢山あることも分かるが、どこで死没者を捕らえるか難しいことなので、常に広島市から公式に死没者として発表されている14万人を使うしかない。
ドームの工事のことだが、できるだけ現状に近い形で保存する方向が良い。上に覆いを被せるのはもってのほかだと思うし、そういうことは止めて、出来るだけ現状に近い形で保存することを計画されてはどうか。もちろん建築学上、工事上、最新の保存方法を使えば、かなり長期の鑑賞に耐えられる。100年後とか500年後はもう私達の視野に入らないことなので、せいぜいあと半世紀くらいの展望でよい。
福井座長
いくつか事務局から説明すれば良い事項もあるが、時間の関係からこのまま続けさせていただく。後で説明するか、後日、お知らせすることとして欲しい。
平山委員
今から見ると核の破壊力は飛躍的なものになっているが、古典的な広島型原爆がどれくらいの破壊力があったのか。半径2キロ四方が全滅した訳だが、通常B29が登載する爆弾の量は約5トンだったと言われている。TNT火薬1万トンあるいは1万2~3千トン、B29で一度に爆撃させたとすると、1万トンで2000機くらいになる。戦争中、兵器廠にいて1トン爆弾を近くに落とされて吹き飛ばされたことがあるが、砂地で直径約10メートル近い、深さが6~7メートルくらいのクレーターが開いた。それを考えるとものすごい破壊力があったことになる。今はそれの何十倍になっている。私の友達も即死を免れたが、放射能障害により1学年で50人位がガンで死んでいる。二世がいて、生まれてきた子どもも幼児ガンとかで死んでいる。二十歳前にも死んでいる。亡くなられた方が、14万人、15万人と言うが、これらをどうカウントするかである。もし被爆しなければ、そういう胃ガンとかは無かった。核の影響と言うのは観念的には70年、プルトニウムは200年、チェルノブイリでは草を食べたヤギや牛の乳からも影響があると言われている。それだけ怖いものである。それをよく知っているのはアメリカ、ロシアの核保有国である。私もウズベキスタンやあの辺りで講演などをしており、原爆や核実験は相当影響があると相談に来た人たちがいるが、政府は認めていなかった。恐らくアメリカもそうだったと思う。でも、怖さは一番知っている。だから、核拡散を恐れたり、大量破壊兵器を持たせないということは当事者として分かっていると思う。
そういう怖さをヒロシマということではなく、これは猪口先生の軍縮でもそうだが、敵も味方もなく皆に知らせないといけない。落とせば両方が死に絶える。日本の世界文化遺産、例えば法隆寺にしても、塀の何メートルという近いところに土産物屋が並んでいるが、これは何とかならないかと思う。バッファーゾーンというのはやはり雰囲気というものがあるから、自粛するなりして、文化遺産の精神性のある根幹、哲学を知らせないといけない。広島の原爆ドームも柵をして緑で囲み公園にしているが、ぜんぜんイメージが違ってくる。これを限定された範囲でも芝生をどけて、時間は60年が経っているが、一瞬にしてこうなったということが再現されることは、大切なことである。昭和19年に大東亜戦争美術展があって、勧業博覧会があった。そういう建物だった。猪口先生が言われたように、戦争経験のない世代は、怖いんだと言っても見ただけでは分からないと思うから、どうやって戦争の怖さを知らせるか。そのためには、物として破壊をリアルに伝え、肉声で体験を教え、文書で記録し、流布していく。両面で行かないと確かにダメだと思う。是非そうしていただきたい。
どうドーム周辺を残していくか。建物は、がっちり耐震強化し、少々鉄を入れて補強しても、外観は変わらない。それよりも建物周辺の整備を行って、爆発した瞬間の凄まじさを再現する方が説得力がある。
山崎委員
飯田先生、地震の話はあったが、酸性雨などの雨による被害はどうなっているか。
飯田委員
酸性雨ももちろんある。液体だから上から雨が入り、それが蒸発する時に濃縮され、レンガを腐食させる。上から雨が入らないような措置は昭和42年にもやった。第2回の補修の時には亀裂が入ってまだ雨が入るのでもう一度やって、第3回目ではもう同じ工法ではダメだということで、金属板を被せた。これで上からは漏らなくなったが、液体は壁からも浸入する。元々の建物は、外側はモルタルを塗ってあったので、雨が降っても直接は濡れなかったが、裸だから濡れるようになった。雨が入らないように全部防水しているが、やはり止まらない。それを念入りに進めていくしかない。普通の建物なら屋根があって水を防いでくれるが、屋根がなくなり、全部裸になっている。しかも普通の建物なら地下に排水管があるから降った雨を全部排水できるが、ここでは条件が非常に悪くなっている。大変面倒くさいと思うが、手入れは普通の建物以上にやっていかないといけない。それが酸性雨の話である。
山崎委員
覆いを造るのはまずいか。
平山委員
イメージがまったく変わる。醜悪に変わると思う。
飯田委員
覆屋は絶対に反対である。内部の空間が大切なのなら金色堂のように覆いをして中に入ればいい。
平山委員
金色堂の覆いはこれも重要文化財である。金色堂は小さいから良いが、原爆ドームの覆いはダメだと思う。
山崎委員
私も覆いは反対である。でも見る度にボロボロになるのではないかと心配である。
飯田委員
それをどうするかを一生懸命検討しているところである。
山崎委員
平和記念碑の前辺りが、材木町という町で、私の友達の家が全部あそこにあって、非常に広島的な小さな印刷屋とか魚屋とか、しもた屋とか、そういう細かい家が並んでいた。そこの生き残りの人を片端から探し、話を聞いて、それを『鳴潮のかなたに』という本に書いた。ほとんどの方が亡くなっているが、かろうじて生き残った人もいる。先程、猪口委員から、「産業奨励館の復元を」との意見があったが、それもさることながら、元の大きさになるかどうかは別として、その町の復元も考えて欲しい。先程想像力がなくなった、とりわけ今イマジネーションの力が弱くなっているという話があったが、そういうもの(町の復元)を置いてもらえれば、市民の暮らしが一撃のもとに破壊されたということが、喚起されると思う。
そういうことも大変お金がかかるので、海外にも、子どもも含めて全国民に募金活動を呼びかけてはどうか。ドーム募金でも名前は何でもいいが、子ども一人が100円でもいいからお金を出す。出す時に、何のために出すかという説明を親から受ける訳だから、お金を出すことによって参加する。このことの知識を持つ。という一挙三得くらいの役割を果たすのではないか。
被害者の証言だが、原爆投下の2か月前に母の故郷に帰った私は、原爆を免れたことが負い目でなかなか広島の土を踏めなかった。勇を鼓して行って、女学校のクラス会を初めとして材木町の人たちからも聞き書きをとったが、非常に困難だった。「何日でも泊まっていますから」と言っても、語りたがらない。30数年間聞き書きをやってきたが、広島の被爆の聞き書きというのは、本当に難しかった。力のなさを痛感した。
平山委員
私も兵器廠で被爆し、市内の惨状をたくさん見た。目の前は燃えており、子どもが死んでいるのを親は知らないでいたり、ガラスがいっぱい刺さって血だらけになっているのに痛いと言わない。ヤカンだけ持ったり、枕だけ持ったり、8時15分だから寝巻きのままの状態、何がなんだか訳が分からない。静かになったと思うと、虚脱状態とパニックになって、身内がどうなっているかも分からない状態である。「痛い」とか泣き声を上げるのは相当経ってからである。ほとんど記憶がないと思う。いきなり、寝ていて、家が全壊して、潰されて、「助けてくれ」と言われても助けられない。そこに火が入ってくる。遊んでいたのが飛ばされたり、電車で丸焼けになったり、そういう状況の中で生き残っているから分からない。怖いということだけが記憶に残って、説明できない。肉親がいなくなった、どこに行ったか分からない。私は実家を離れて一人でいて自分さえ助かれば大丈夫だったので、どんなになっているかを半分は見ながら歩いていたが、そういう時に垣間見たことは、麻痺して感じなくなっていた。そういう状況だから説明がつかないことが多いと思う。言わないのではなくて言えない、分からない状態であったためである。
山崎委員
平和公園の一番人の出入りするような場所に、世界地図のようなパネルを置いて、どの国が核兵器をどれくらい持っているかを、赤い印一つで何発というように分かりやすく展示したらどうか。増減があると思うので取り外しできるようにして、減れば外すように、イタズラもできないようにする。一目瞭然、今はアメリカが一番たくさん持っていると思うが、そういうものが、資料館の中ではなく、外に欲しい。
横山委員
先程、猪口委員が言われたような問題があると思う。私は当時2歳11か月で62歳になるが、ということは10年後20年後になると実際のビジュアルのイメージや直接平山委員からお聞きしたような話がなくなってしまうような時代がすぐ来る。私は思い入れを持って原爆ドームを見るが、私が外国人だったらどのように見えるのだろうかと思う。例えばドレスデンの絨毯爆撃があったが、そこにいた私と同じくらいの年のドイツ人と話をしていて、どうしていたか聞いたら、「疎開はせずにドレスデンにいて、一家はみんな頭を真ん中にして放射状に寝ていた。死ぬ時は一緒だということで、そうやって寝ていた。」と言っていた。結局、原爆であろうとなかろうと、戦争の被害というものは悲惨であることは変わらない。それが、原爆だからというのを我々が思うように彼らはドームを見て感じるのかということだ。ドームのような破壊された建物は、当然ドレスデンにもあったはずである。その思い入れがどこまで広がって通じるだろうかという気がする。10年後、20年後には、もっと思い入れをもって見る人が少なくなってしまう。イマジネーションが少ないですから。我々と違う人たち、特に外国人が見た時、どんなインパクトがあるのかということには多少疑問がある。ドームだけではなくて資料館も含めて一体で分かってもらうように誘導すべきだし、そういうふうに見てもらうよう組み立てるべきだ。今は建築的には、ハードウエアとしては出来ている。シンボリックに軸も決まり、そうなっているからいかにも一体的に見えるが、歩き回る時に、人はそのように一体として捉えているかどうか。それがないとドームだけでは、少なくとも我々と違う人たちにはインパクトがない。
日本人の若者達でも同じことだ。ここで一番のテーマは、戦争の悲惨さだが、特に今問題なのは、戦争が攻撃側にリアリティがなくなっていることである。非常に極端な話が、オースト・スコット・ガードという作家の『エンターズ・デイ』というSF小説に書かれている。異星人が攻めてくるので地球防衛軍を作るが、その防衛軍は6歳以下の子どもである。テレビゲームのように毎日演習を行う。6歳の隊長が飽きてきて、「やめたい、本当の戦争はいつなんだ。」というと、「1週間前に終わったよ。」いう話である。要するにそれくらいリアリティがないということである。それで彼はショックを受けて、異星人と言えども、テレビゲームのようなリアリティのない世界で勝ったということを非常に悩む。そういう傾向が戦争にはあって、攻撃側が感情移入できない。日本は特に原爆とか核兵器に対しては、あまり積極的になれないところがあるけれど、今、別の形で起こっているピンポイント攻撃、85%の命中精度しかないが、日本だったらもっと命中精度の高いものを作れる技術とコンポーネントを全部持っている。実際に潜在的技術力から言うと、今のような極めてリアリティの低い戦争を仕掛けることができる能力を持っているし、持ちつつある。
そういうものと我々が語っているリアリティとの乖離が埋められるか。若者や外国人やイマジネーションのない人たちとの乖離が埋められるようなパッケージとして、提示すべきであって、ドームがどうだという議論をやっていると、ちょっとそこがずれてしまうという気がする。ハードウエアだけではなくて、目に見えない組み立ても含めて、リアリティをつなぐというところをやっていくべきだ。私は建築家なのだが、皆さんの言われるドームの機能に関しては、やはり建築の専門家を入れて議論すべきである。覆いをかけるとまったく変わってしまうというと、そんなことはなく、建築的にはどのようにでも組み立てることができる。単純に予算だけの問題である。
例えば、これはどれだけ周知の事実か知らないが、東京駅の復元計画がある。今は2階建てだが、本当は3階建てである。元のオリジナルの東京駅に復元するという計画があって、お金を出すのはたぶんJR東日本だと思うが、予算は500億円くらいである。私の建築の師匠の前川國男さんは「東京駅なんて残す価値のない建物だ」といつも言っていたが、それに対して500億円かけて、原形復旧する。それくらいのお金があれば、原爆ドームに、綺麗なほとんど目立たないようなデザインで完全なガラスの覆いをかけることは、建築家ならできる。しかもそれがあれば、パラドックスだけれど、そういうふうな覆いをかけてしまえば、あの芝生なんか外してしまえば良い。それで、実際のどうだったかということを見せることができる。構造的に計算できないと言われたが、どれだけ鉄骨・鉄の部分が劣化しているかということは、分かりようがない。いろんな形で固めていくと、沖ノ鳥島のようになってしまう。その方がみすぼらしいではないか。それだったら、綺麗な覆いをガラスでかけてしまえば、中は、地震の問題では別の補強をしなければならないが、酸性雨とかでもろくなっていく部分は完全に改善する。だから、どれだけの予算が出せるかということが、一種の踏絵であって、東京駅の復元に500億円出して、ここは予算がありませんというのは、やはり日本の建築の問題である。核兵器廃絶と言っているけれど、それはリップサービスであって本気ではない。これに100億か200億位の予算があれば、極めて皆さんが納得される立派な覆いをかけることができると思う。
平山委員
今言われたことで、通常兵器と核の破壊力は根本的に違う。通常兵器なら破壊だけの問題だが、核の場合は残留放射能の問題がある。
横山委員
それは分かる。ただ、それだけが違うといった議論をしてしまうと、我々はそれを納得できるが、イマジネーションのない外国人が見た時に、どれだけの説得力があるのかということである。
平山委員
核保有国の当事者は知っていても、一般の人は「もし使用したらどうなるか」ということを知らない、リアリティがない。当局はよく知っている。
横山委員
それをパッケージで見せなくてはならない。資料館を見ないでドームだけ見て帰ることはあり得ないはずである。「そういう組み立てになっているか」ということである。
猪口委員
補足的に少し。横山委員のご指摘として、何か想像を助けるものがあったとしても、そのことを考えたり、感情移入して受けとめたり、共感したりする能力がなくなっているかもしれないという話があったが、そのとおりである。しかし、それを乗り越える方法があるのでお伝えして、一緒に考えていきたい。その人の、新しい時代の価値に何らか接近した方法で、それを示していくことだと思う。想像を助ける存在を提示していくことだと思う。被爆体験を語る時も、新しい時代のこの人たちはどういう価値及び感性に敏感なのかということを考えながら、そこを強調して、あるいはそのロジックを組み込んで、説明すると非常にビビッドに相手は聞いてくれる。建物もそうだと思う。そこで提案だが、具体的には、グラウンド・ゼロで亡くなった方の全ての名前をドームの近くとかに記しておいてはどうか。そうなっているかも知れないが。
事務局
慰霊碑の中に名前を全部奉納してある。
猪口委員
そういうのではなくて、沖縄の平和の碑やベトナム記念公園のような感じである。今の時代は人間の安全保障というか、一人一人の人権であるとか、存在の重さということを大事に考える。建物を残すとか、戦争体験を全体のものとして捉えるというよりも、一人一人の人間の存在をイマジンできるようにしていく、そのインパクトというのは非常に強いので、何かそういうことをするともう少し未来の人たちは共感を持ってくれるかもしれない。横山先生の言われるとおり、原爆ドームと言わなくても、反戦への思いを深める存在として、それを受けとめてくれる人がいても、それはそれでその人の受けとめ方として良いのではないか。
もう一点、芝生により美しい公園としたことへの批判について、こういうふうに考えたらどうか。あの場を、なぜ芝生にしたかということを哲学的に説明ができれば良いと思う。哲学的説明というのは、「あまりにも悲惨だったそれを超えて、美しく、心を取り戻す穏やかな場所として復元しなければいたたまれない、そこまでの破壊だった。だからそこで祈りを込められるような場として、瓦礫をそのまま残した」というものである。先程その瞬間を語りたくないと平山先生が言われたように、「経験した方にとっては、経験したことのない人には想像のつかない深い傷を持ってしまっていると思うので、それを穏やかにしていくことは不可欠だったのだ。だから美しい公園にせざるを得なかったのだ」という説明をすれば、単に日本では他のどこの遺跡も綺麗にしてパンジーを植えているという話とは違ってくる。「ここにある1本1本の芝生には、気持ちをあるいは魂を治めて平和を祈念するという、そうせざるを得ない願望のようなものがあって、市の施策として美しい公園をそこに保つということにした」と説明すれば良い。
もう一つ、横山先生の話を伺う前に「透明なガラスというのはいい考えではないか」と思ったが、「唐突かな」と思って発言しなかった。単にガラスの屋根ではなくて、ボックスに入れてしまってはどうか。それは「こんなに重視している」というメッセージになる。本当に掌中の宝、イメージが違うかもしれないが、日本の未来に対して、タイムカプセルを土の中に埋めるのではなく、空間の中に完全保存して伝えなければならない日本の宇宙カプセルなのだという説明を付して、そういうふうにするということは可能かと思う。
横山委員
バブルのお陰で、ガラスのカプセルの例はある。技術的にはできる。
飯田委員
どこでやっているのか。
横山委員
例えば、新生銀行の本店の両側は、新しいガラスのジョイントシステムである。要するに、どれだけの予算をこれに出すのかということが、一番大きな今の時点の踏絵だと思う。
平山委員
問題はユネスコの世界遺産委員会が、保存のためにそういうものを被せることを認めるかどうかである。
事務局
それは行政の努力になろうかと思う。
横山委員
だから、優れた建築家、構造家が入って、どんなものができるのかということを、ちゃんとした構造的にリアリティのあるビジュアルで見せないと、ユネスコも説得されないと思う。
平山委員
形あるのものは滅する。物理的に耐用期間というものがあり、限界がある。さらに保存せよという場合は、こういう方法もあるということを、広島に限らず根本的な条件として、出して認められれば、助かるところがあるかもしれない。
横山委員
アブ・シンベル神殿はユネスコの世界遺産だと思うが、コンクリートで固めてある。細分化して全部上げて、コンクリートのボックスの中で吊るしている。裏も見せるようになっている。そこまでやっている。ガラスで囲うこととそんなに差はない。
平山委員
アブ・シンベル神殿は水没するということがある。水没するのならば、切り取って移転するという方法を選んだ。崩れる年限になるならこうして保存するという精神が認められれば世界遺産でも認められる可能性がある。
飯田委員
あれは強引に切り取ったものである。他の案も出ていたが、排水しきれないということでああいう強引な形になった。今見ても鋭いカットした跡がある。ひどいやり方である。
福井座長
後から後から大変有益な話が出てきて、このままいくとあと2時間くらい欲しいところだが、皆様に連絡した時間は3時までである。予定がおありだと思うし、すでに5分が超過している。今日はこの辺にとどめて、皆さんのお話を事務局で整理いただいて、次回の懇談会の前に郵送いただき、我々が事前に読んでおく。次回は平和記念公園と平和記念資料館がテーマとなっており、必ずしも今日の話の続きをする訳ではないが、第3回の懇談会では、今日の話と次回の話をまとめて、今の続きも含めて話をすればよいのではないか。
平山委員
ハード、建物だけでなく、資料館とセットで説得する。建物だけでなく中味の議論もしなくてはならない。
事務局
それに関して、今回の会議でご質問のあった点について、少しご説明をいたしたい。
イマジネーションをかきたてるようなパッケージについては、当然、次回で議論する平和記念資料館とも関わってくる問題である。我々も資料館とか、市民の描いた原爆の絵とか、あるいは体験記とか、様々なツールをいかに活用するかがこれからの課題と考えている。その点について、次回の会議でどのようなものが考えられるかを資料として提示したい。何人かの委員の方から同じようなご指摘をいただいたので、どの程度お応えできるかわからないが資料を用意したい。
横山委員
資料をいただければ前もって読むので、ここで読み上げていただく必要はない。時間が足らないので事前に見せていただければよい。
事務局
そのような形にさせていただければ、事務局としてもありがたい。
それから、募金の話が出たが、これまで3回の保存工事をやっており、いずれも募金活動をしている。第1回は4千万円の目標に対して6800万円、第2回は全体工事費が2億円かかるところに、1億円は税金で、あと1億円は募金でという形で始めたが、結果的には3億9千万円の募金が集まった。その後も募金があって、現時点で4億3千万円くらい残っている。やはり同じような形で考えていきたい。
町の復元については、民間で当時の街並をコンピューターグラフィックスで復元しようという動きがあって、色々な方々から聞き取りをしてプロジェクトを進めている。これもまた資料をお配りしたい。
岩垂委員からラッセル・アインシュタイン宣言の話があったが、それを契機にパグウォッシュ会議が始まっている。来年、ラッセル・アインシュタイン宣言から50周年ということもあり、広島でパグウォッシュ会議が開催されることになっている。従って、ご指摘の環境問題についても、今回はそういう要素は入れ込んでいなかったが、今後の整備に当たっては、取り込んでいきたい。
説明板の数字、西暦表記の件については、最近は和暦と西暦を併記する形で表示しているが、今後気をつけていきたい。
また、いくつかご指摘いただいた件については、事前に資料等があるものは、次回会議までに送らせていただきたい。
福井座長
それでは、今日はちょっと残念だが、これで打ち切らせていただきたいと思う。次回はまたよろしくお願いしたい。
以上
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