第3回平和記念施設あり方懇談会(広島会議)会議要旨

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ページ番号1020962  更新日 2025年2月16日

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1 日時

平成17年(2005年)1月31日(月曜日)9時30分~12時00分

2 場所

広島市役所本庁舎14階 第7会議室

3 出席委員(7名)

福井座長、地井委員、坪井委員、舟橋委員、森滝委員、山根委員、横山委員

4 市側の出席者

市長(冒頭のみ出席)、市民局長、国際平和推進部長、被爆体験継承担当課長、都市デザイン担当課長、緑政担当課長、公園計画担当課長、新たな道づくり整備担当課長、文化財担当課長

5 議題

これまでの議論のまとめについて

6 公開非公開の別

公開

7 傍聴者

一般1名、報道関係10社

8 会議資料

  • 配席表
  • 平和記念施設あり方懇談会〔広島会議〕出席者名簿
  • 平和記念施設あり方懇談会(広島会議)次第
  • 第3回平和記念施設あり方懇談会(東京会議)における意見交換の概要
    資料 これまでの議論のまとめ
    参考資料 平和大橋、西平和大橋の整備にかかるイサムノグチの高欄の取扱いについて
    ※会議資料は、市民局国際平和推進部平和推進担当(中区中島町1-5:国際会議場3階)に備え置いております。

9 会議の要旨

開会

議題:これまでの議論のまとめ

福井座長

本日は、市長に予算編成の大変お忙しい中、時間をさいてお出で頂き感謝している。市長はすぐ退席されると思うので、その前に何か一言お願いする。

秋葉市長

今日は最後までお話を伺うつもりであったが、予算編成が大詰めでその関係で時間的にきつくなっており、大変申し訳ないが予算の方に時間を裂かせて頂く。今回の会議も含めて、あり方懇談会の議事録も読ませて頂いており、出席している職員から直に報告も聴いている。最終的な報告書も読ませて頂き、意見も尊重させていきたいと思う。今日は申し訳ないが、これで失礼する。後はよろしくお願いする。

福井座長

それでは、議事に入る。最初に、簡単にこれまでの論点の整理というか、気が付いた点、それから事務方で作ったものの中で、重要でないかと思われる点をいくつか指摘したい。続いて、先週の東京会議で出たいくつかの論点を紹介したい。
これまで、二度に渡って懇談会を開き、いくつかの論点を事務の方でまとめてもらっているので、その中で確認しておいた方がよいと思う点を申し上げたい。
「原爆ドームの保存の意義」については、ほとんど皆さんの意見が一致して、合意が得られていると思うが、被爆の証人、悲劇の証、破壊の象徴、核兵器廃絶の象徴、慰霊の象徴、平和の象徴といったこと、これは全て今までの議論で、特に議論するまでもなく皆さん当たり前のこととして捉えられていると思う。ただ、新しく、地球環境破壊への警告が出てきて、私自身は非常に重要な事だとは思うが、どうしてドームの保存と結びつくのか解らなかった。しかし、東京会議の時にいろいろと話し合っているうちにはたと気づいたことは、ドームだけではなく「平和記念公園とその周辺空間の整備・活用」とともに広い文脈で考えると、地球環境破壊への警告というのが、非常に生きてくるのではないかという気がした。

次に、「後世に伝え残していくもの」であるが、ドームを伝え残していくことは世界文化遺産に指定されており当然だが、その他に「旧広島県産業奨励館に象徴される人の営みや文化の破壊」を後世に伝えていくということも非常に重要な点だと思うので、もう少し議論したい。
次に、保存工事のあり方については、世界文化遺産のユネスコ指定の要件として、この原型を最大限残していくことは必要条件になっていくと思う。ただし、残すと言っても自然の力によって朽ちていくと思われるので、それをできるだけ原形を留めるように最小限の有効な手段を加えるというところだと思う。実際にはどの程度加えていくのか、どういうふうに加えていくのかと、まだ相当意見が散らばっているというか、いろいろな意見が出ていると思う。「これ以上補強して原形がなくなるより、屋根を付けるなどそのものを保護する処置をとった方が良い」あるいは、「綺麗なガラスの覆いを被せることも可能である」とある。これまでの議論では、横山委員から周りをすっぽりときれいなガラスで鞘堂のようにくるんでしまうことの可能性が指摘され、その後だんだん意見が収斂してきていると思ったので、そのように申し上げたら、東京会議では、そうではなくてガラスで覆うというのは反対に動いているのだと指摘された。広島と東京の議論が私の頭の中で混乱しているような状況なので、これももう少し議論した方が良いのではないかと思う。
ただし、地震に関しては、東京会議でも、市長が安芸灘地震はいつ来てもおかしくない、ひょっとすると震度7ぐらいの地震が来てもおかしくない状況だと強調されていた。震度7の地震が来て街が潰滅してドームだけ残っても仕方がないが、それ以下であれば早急に手を尽くす必要がある。この点ではもう皆さんの意見が一致している。耐震の措置はもう絶対欠かせない。

「現物保存以外の保存継承手法」で出てきた、一番具体的で重要と思われることは、原爆ドームの歴史の全容を伝えるような資料を集めたものをドームの横へでも造ったらどうかということである。これは資料館のようなものを造るのか、あるいは外に掲示板のようなもので説明するのか、いろいろなやり方があると思うが、とにかくドームそのものの歴史を、訪れる方に口で説明するのと同時に、もう少し詳しい説明、資料の提供が必要だという意見が出ている。これも非常に重要なことで十分実現可能なことなので、もう少し具体的に固めたいと思う。
「保存事業の進め方」については、保存事業には相当の資金が必要であるが、そのお金は、税金だけではなく、世界中から募金をした方が良いだろうという意見が出されている。募金でお金を集めるというのと同時に、募金行為を通じて世界中の人々が、ドームの保存に参画し、原爆問題、核問題、平和問題に思いを致すこと、そういう精神的な意味が大きい。いずれにしてもそのような募金運動をやるべきであろうということである。これも大体異論は出ていない。
「周辺整備のあり方」については、ドームの周りの芝生があるために、非常に綺麗で公園のような感じがするけれど、実際の原爆の投下の実相が埋められてしまって見えなくなっているので、芝生を取って中の瓦礫をそのまま出した方が良いのではないかという意見がある。それに関連して、元の建物の防水床があり、その上に盛り土をしているので、湿気が建物の方へ上がっていくと、それで建物の壁が傷められるという影響もあり、盛り土を除いてはという提案があった。大体ドームについてはそういうことである。「平和公園とその周辺空間の整備・活用」については後で、議論する時に申し上げたい。
東京での懇談会で出たいくつかの意見を申し上げる。ドームの覆いの問題だが、ガラスのようなもので覆いを被せることについては反対だというはっきりした厳しい意見があった。ただ、地震に対する準備というか、処置は必要であるとされた。しかし、その地震に対する措置を講じるためには、構造分析とか、力学的な調査が必要である。これは非常に高度な専門家による技術的、科学的な調査が必要だろうという意見が飯田委員から出されている。市長も地震がいつ起こるかわからないと、その地震対策のことを、強調されていた。

猪口委員からは、「ドームを一生懸命守ろうとすることももちろん重要だが、それが朽ちていくことは人間の力ではどうにもならない。救えぬものはこの世の中にたくさんあるし、自然災害といはそういうものだ。人間の力の限界を我々は悟るべきであって、この自然の力によってドームが朽ちてくるのは当然の事である。ただ、ドームの悲劇はそういう自然の力に加えて、原爆という人間の創り出したものがそれを破壊したということが重要なのである。そういうドームを見て、自然の力の偉大さを知ると同時に、人間の創り出した力による破壊の愚かさを認識することができる」という意見が出された。彼女自身、これは哲学的な議論だと言われていた。
もう一つ、猪口委員から出たのは、「今、国で科学技術政策といった大きい長期的な政策をやっている。それと広島のドームの保存と結びつけてはどうか。これは広島だけの問題ではなく、政府の問題でもある。だから政府に是非、ドームの保存に注目するというかそれを政府の力で守っていく、そういうことを自覚させる必要があるのではないか」ということである。
広島に限らず中央政府との関係というのは、必ずしも今までスムーズではなかったので、それについては、そう簡単にはいかないと思う。ただ、その時市長も指摘されたが、長い目で見ると国と広島市との関係というのは、全体としては良くなってきている。個々の施策の中で問題提起をしながら国と一緒にいろいろ出来ればその方が良いとのことだった。

岩垂委員から、最終的な報告書の前文に、是非、理念的なものを入れてくれということがあった。今までの議論では、ドームとなると現物の具体的、技術的なことに偏りがちになるが、例えば原爆の問題に関して人を恨まずというか、アメリカに恨みを言うのではなくて、将来の平和のための視点を広島の市民は持っているのだという、そういう意味での理念的なものを入れて欲しいと言われた。それについては山崎委員も、宗教的なものとは関係のない理念的なものを入れていくということを言われている。
山崎委員から出てきた新しいアイデアは、「ドームはいくら救おうとしても救いきれない。あと50年か100年か、200年の先には恐らくどうしようもないだろう。そのときに備えてレプリカを造る。今のドームにできるだけ近似したレプリカを造っておいて、それを後世に伝えていったらどうか」という、大変興味のある提案であった。ドームの問題に関してはそういったところである。

横山委員

ドームをガラスで覆うという案は、私が、最初の会合で申し上げたが、もし何か保護するのであれば技術的にはかなり目立たないガラスの建築技術はあり、実際にそういうものが存在するので、まず見て下さいと申し上げた。そのときに強力に反対された方が、2、3人おられたと思う。その後、私は広島に来て実際にドームを間近に全部見て、壊れるべきものは原爆で壊れ、それから地震でもほとんど壊れていないので、私の結論としてそれをカバーする必要はないと2回目に申し上げた。反対とか賛成とかいうことではない。
劣化に関しては、山崎委員が200年位と言われたがそんなことはない。もっと持つはずである。ローマ時代のいろんな遺跡が残っており、40年前と最近と両方見たが、風化はそんなに急速に進んでいない。200年は少し大げさだと思う。壊れるものは既に壊れているので、私はそのままでいいと思う。
芸予地震に関しては、構造的にほとんど何も影響がなかったが、震度7位の地震は起こるかもしれない。その辺のことは、構造の専門家がキチンと見てどこまで耐えられるかというのを出せばいいのであって、この委員会で議論しても始まらない専門家の世界の話だと思う。震度7、8がくれば仕方がないという気が個人的にはするので、今のままで良いのではないか。必要な劣化に対する補強は少しずつやっていって、大きな補強は必要ないというのが私の結論である。

山根委員

レプリカを造るという話があったが、それは原爆ドームのレプリカなのか、8・6より前の産業奨励館を造るのか、それとも原爆の直後のレプリカを造るのかという問題が出てくる。この60年の間に年々朽ちており、どの時点のレプリカを造るのか。

福井座長

ユネスコの世界文化遺産に指定されたので、その98年の時点での原形を壊してはいけないだろうということ、その延長で今の原爆ドームのレプリカを造るという話であると思う。ただ、産業奨励館の復元については、別の文脈でそういうものを、モデルでも小さいものでもいいから造ることは意味のあることだという意見もある。

横山委員

平和記念公園の役割とか哲学とかそういう話があったが、福井座長の広島平和研究所をもっと大きくし、20億円くらいの運営資金のものを、といっても結構大変なのだが、それぐらいのことをやる。世界から見た日本の印象というのは20世紀の軍国主義、戦後の産業立国のイメージしかなく、実は平和主義者であり、デモ騒ぎなどをしない国であったのだということも知られていない。だから、その間ジェノサイド的な経験をしたということをもとに、平和研究所をもっと大きいものに拡大し、キリスト教的人間観ではない人間観もあり得るのだと、今の人間観の流れの中で違う人間観もあるはずだということを発信する、そういう研究所を造るべきだと申し上げた。それが明確に資料に書いてない。
巡礼ということでは、平和で巡礼ではなくて、そういう研究所があるから世界の研究者が来る。世界からお金が集まってくる。だから観光でもビジネスでもない人の流れができ、求心力を持つ。ただ、原爆ドームがあるから来てくれという理論ではダメだという議論があったはずである。
フィジカル(物理的)なものを超えて、そういう思想的な仲介法があり、それを造るべきだと申し上げたと思うのだが、それはここにはあまり明確に書かれてない。平和の象徴や文化の発信の場とは何なのかと申し上げたと思うのだが、そういうことも資料に書いて頂きたい。

増田局長

東京会議でも、まず理念を前文としてキチンと書くべきという意見を頂いた。この資料については、本来は3回くらいである程度整理したいと思っていたが、大変大きなテーマなので、前2回で我々がまとめられるまで議論出尽くしていない。もう少し議論して頂きたいということがある。

横山委員

「発信」とか抽象的なところへ返っている。賛成するか反対するかは別として、具体的な案として出しているのだから、言ったことはキチンと書いておいて欲しい。

福井座長

今日はまずドームの議論、次は平和公園の周辺の整備と進めていきたい。特に今まで意見が分かれている、今まで出て来ていなくて新たに追加すべきだと思う点を中心に、まず原爆ドームの保存に関して、順次、意見を伺いたい。

地井委員

一昨日たまたまBS方送で、アウシュビッツのドキュメンタリーを見て、大変きちっと保存されていて感動した。原爆ドームも自然の力にかなわないというのではいけない、残していかなくてはいけないと痛感した。
これまでのまとめを拝見したが、議論が多岐に渡ってこれの交通整理は大変だなという印象を強くした。少し世界の建築や遺跡のようなものの保存がどうなっているか簡単に調べてみたが、実にこれも複雑多岐な解決方法がとられている。1960年頃だと思うが、正確な名前は忘れたが世界の建築保存憲章というのが出来て、実際の保存のやり方は千差万別と言ってもいいほどだった。ニューヨークの世界貿易センタービルが爆破された跡、グラウンドゼロの再生のコンペティションが行われて世界中の建築家から奇想天外な案も含めて出されている。
一つはドームの保存について、ここでの検討の結論なりを踏まえつつ、世界的なコンペにするという方法があるのではないか。先程財源の問題等々もあったが、そうすることによって世界にアピールすれば、建築的な解決についてはいろいろな案が出てくる可能性がある。グラウンドゼロでは、建てる案が多いわけだが、貿易センタービルと同じ深さで地中に穴を掘るという案もあった。こんなことは普通思いつかないことである。国際的なコンペにして今年の平和市長会議とか8月6日とかに、発表してはどうかと考えた。もちろんそれにはお金がかかるし、厳しい財政状況の中で大変であるが。

坪井委員

ドームの保存の問題で思うのだが、形あるものはやがて崩れてなくなる。被爆者もやがていなくなる。しかしいろいろシンボル的なものがある。私はいつも、どこへ行っても、国外でも国内でも胸にドーム(のバッジ)をつけている。それは一言で言えば平和以外にないからで、平和なくして政治も経済もないからである。
ドームについては、前回も言ったように、革新的な材料で補修が出来るまでにドームの方が先に崩れてしまうと思うが、不要なことをやったために、被爆者から見てもあれは良くないというようになるよりも、むしろ自然崩壊の方が良いという考え方である。だから覆ったり、様々なことをすることには私は昔から反対である。だから自然崩壊もやむなしだと思う。
しかし、残したいと思う。そのためにはレプリカでも良いと思う。ただ、実物大か何分の一ということはまた別になる。実物大となると中央公園かどこかでやらないと、平和公園の中であれと同じものを造ったのではどうにもならない。しかし、実物大のものを置くということに、非常に私は希望を持つ。

舟橋委員

質問から始めさせて頂く。横山委員が東京会議で言われたものを読ませていただき、確かに最初の第1回の議事録で提案があり、それから2回目の時に広島に行って見て、覆いをしなくてもいいのではないかという意見であったが、どうして2回目の時にそう考えられたのか伺わせて頂きたい。
今も、ギリシャのいろいろな遺跡が残っていることを例にあげられたが、広島会議の議論も聞きながら、ドームは何とか残ってきているし、例えば産業奨励館の建築の仕方と何かが違うのか、時代がずっと後の建築物だから技術も進んでいるし、どうなのかと考えながら皆さんの意見も伺っている。今委員が言われたように、それなりの補強をしていけば残っていくということが科学的にきっちり言えるとすればそれに越したことはないが、酸性雨だとかという話も出ており、やはり危ないのではないかとも感じる。もう一つは地震による崩壊の危惧も強くあって、恐らく委員の意見は補強はしながら、覆いまではする必要がないと理解してよいか。

横山委員

覆いをすることにも賛成、反対があるから、「現代の技術水準を見てから、目立たないような組み立ては出来る。今のガラス工法の技術はすごく進んだので、やろうと思えばそういうことも出来る」と申し上げたのであって、覆えと言った訳ではない。
実際にこちらに来て現地を見て、いろいろ説明を聞いた。私も元は建築家なのでかなり理解は出来て、崩れるべきものと言うか、原爆のすごい衝撃で崩れたものが残っているのだと、だからこれ以上崩れるということはそう簡単にないと思った。地震はほとんど関係なかったようであるが、もう一段マグニチュードが高い地震がくればどうなるか分からない。そんなことを言えばきりがないが、確率的には10%あるかないか、その数%のものに対してどれくらいお金をかけるかどうかという議論になる。だからそこはすごく難しいと思う。

ただ、酸性雨とかの劣化に関していうと、これもヨーロッパにはたくさんの経験がある。例えば、南ドイツのバーデンヴュルテンベルク州で、酸性雨の問題でシュバルツバルト(黒い森)が枯れていくときに、ディスカッションがされ、そこで酸性雨の問題などが扱われている。そこには、どのように劣化が起きるかということが全部あるわけである。そういう技術ベースを出して賛成、反対というのでないといけない。観念的に賛成、反対というのは、あまりよくない。ここに至っては、今残っているものは残るのだということを建築工学的に確認していただきたいということがある。
酸性雨などについては、ヨーロッパの遺跡は皆そういうことを経験している。それがどういう結論になっているのかというのを確認すればいい。覆いを架けるというような大掛かりなことはやっていないと思う。15世紀経ったものを40年前に見て、今回見た時にそこのところに手を入れるより、別のところをやっていたというのが私の印象である。例えば、ポンジュガールというローマ時代の遺跡である。そういう技術的なものがあるのに、ないまま議論するというのはおかしいのではないかというのが、私の本来の申し上げたいことである。

福井座長

実は、原爆ドーム保存技術指導委員会というのがあるが、完全な専門家の委員会で、その方々が保存技術の観点から今、調査、議論している。

横山委員

それは酸性雨などの問題も対象としているのか。皆さんが言っておられるのが、現代の悪い環境の中で風化していくという問題を言われているのであれば、技術資料があるはずである。それも見たらどうかということである。

舟橋委員

レプリカの問題だが、世界遺産に指定された時の状況なのか、東京会議の説明はそうだったと思う。例えば投下直後の状況を残すか。そういった議論をもう少しして頂いた方が良いのではないか。

福井座長

先程のレプリカの問題は、世界文化遺産の指定の時のことだと理解したのだが、特に詳しい議論はなく、どの時点のドームなのか、前の産業奨励館なのか、考え出すと非常に奥深いというか、幅が出てくる可能性もあるので、もう少し議論したいと思う。

舟橋委員

原爆が何を壊したかという意味では産業奨励館も一つの視点になる。

森瀧委員

技術的なことは私達の専門外なことで全くわからないが、基本的には破壊の状況を示すことによって広島の原爆によって何が起こったかを示す一つの象徴的なもの、それがすべてを表すのではないにしても、唯一残っているものとして非常に大切なものであるという認識は皆さんと共通である。現実には2度の大きな改修によって原形がかなり失われてしまったが、それをこれ以上変えたくないというのが、共通認識だと思う。そのためにどういう方法を採るかということである。
酸性雨による劣化が、自然の力によって近い将来起こるのならば、それしか保存の方法がないのならば、屋根を架けることもやむを得ないと思う。ただ、横山委員が言われたように専門家の意見も聞いて、急激な崩壊が来ないのであれば今までのような、なるべく最小限の補強で、その時の最新技術で出来るのならそれが一番いいのではないか。
象徴的な姿として私達がドームの前でいろいろな集会をやると、どうしてもあそこをバックに写真を撮られる。そこに覆屋があると変わった印象になるなと思う。それよりも、先ほど出ているガラスですっぽり覆うという方がまだ良いのではないかと思う。その辺はどの程度技術的に残し得るものなのかということである。被爆直後から見ていても、元の姿は写真でしか記憶が残っていかない。実際に見る人たちは初めて見て、これが被爆時の姿だと思うので、そういった意味でも変えない方が良い、大きく変えるよりはガラス張りにするという方法も採らざるを得ないということである。

レプリカに関しては、成程という新しいアイデアだなと思って受けとめた。その大きさは問題であり、資料館に約70%のレプリカと言えるのかというものがあるが、ほとんど印象に残らない。現物があるからなのかもしれないが、人を案内してもほとんど無関心である。現地に置くとしたら並列して置くとか、実物大で置くとか、崩壊まではどこかに保存しておいてその時は元の所に置くとかいうことがあるだろうが、例え大地震が来ても、当面は今のままで置くべきだと思う。そこへレプリカを持ってくるのはどうかなと思う。もしレプリカを造るのであれば、過去2回の保存工事が行われており、世界遺産に指定された1996年の時は既にかなり姿が変わっていたと思うので、1945年の姿を造るべきである。その姿は写真等が残っている。
もう一つ私が前に言った案だが、かなり詳しいドームの歴史、元の姿を含め、そこで市民たちがどういう生活をして、奨励館が芸術や産業の中心であったというような資料がたくさんあるので、そういう資料館がドームの側に造られると全然違う。写真家の方が残しておられるドームの元の姿の写真を見ると本当に胸を突かれるものがある。初めて見た時に、その時代に見ているはずなのにすっかり記憶から失われていて、本当はこんな姿だったのだと思った。そういった資料を集めれば良い。もちろん今の資料館にも被爆直後の資料があるので、すぐにでも着手出来ると思う。
平和記念公園に平和の灯というのがあり、核兵器廃絶まで燃え続けるという意味で燃えている。核兵器廃絶が近い将来実現したとしても、アウシュビッツのように人間の愚かさ、暴力のシンボルとかそういう意味でも残すべきだと思う。核兵器廃絶までなら、そんなに保存保存と言わなくてもいいはずだが、永久に残していくべきものだと思う。私達の知恵だけではどうにもならない技術的な面も、委員会があるそうなので安心した。

福井座長

核兵器廃絶については、平和市長会議を中心として行うNPT再検討会議での今度の行動では、2020年をメドに核廃絶を行うということなので、先日の東京会議で冗談半分に「では15年持たせれば大丈夫か」と言ったが、市長も森瀧さんと全く同様のご意見で「そうはいかない、仮に廃絶されてもその後いつまでも思い出さないと危ないので、半永久的に残すべきだ」ということだった。

山根委員

坪井委員の自然崩壊は止む無しという意見は私も一緒である。建物が朽ちていくのは仕方がないことである。それに対するレプリカを実物大で造ったらどうかという意見に対しても一緒である。1945年被爆直後のレプリカを造ることは大事なことではないか。
ただ、前から言うように、広島県産業奨励館いわゆる8・6の前の産業奨励館を、例えば原爆ドームの電車通りを挟んで復元し、8・6の前と後とこれがこういうふうに壊されたのだと示す。そして時代が経って今の形が崩れていく。私たちは何が壊されたのかということをまず知らせなければならない。建物を保存することが我々の広島の使命ではないと思う。先程、理念と言われたが、なぜ広島に原爆が落ちて、広島は一体何をしていたのかという、理念が大事だと思う。原爆が落とされた次の日には県知事が「立ち上がれ、復興しなければならない。こんなことで負けてなるものか」と発言し、市民が立ち上がって復興しようということが始まった。憎しみから始まったはずであるが、原爆が何かと解った時に、これは広島だけ、日本だけの問題ではなく、人類の全体、地球全体の問題であるから核廃絶をしなければならない、戦争は反対しなければならないと、憎しみを乗り越えて世界平和を訴えてきたのが広島だろうと思う。それをいかに継続していくかというのが大事なのであって、建物を朽ちないようにする為だけの広島ではないと思う。

原爆ドームは朽ちていくかもしれないが、広島の心というのは朽ちさせてはならない。それは何かというと、世界恒久平和、人類を残せ、地球を守れ、この合言葉の中でやっていかなければならない。その熱き思いをいかに伝えていくのかというのが、本来の広島の心だろうと思うし、市民活動がやるべきことだと思う。
その象徴としてレプリカを造っていくという議論があり、原爆ドームのレプリカもあれば、産業奨励館をもう一回復元するということもある。その場所は、元安川を挟んだドームの対面の平和公園内なのか、商工会議所の黒いビルの所なのかということを、市民活動としてやっている。それを造って中に人が入れるとなると、先程の平和を研究する機関が中に入るとか観光客の方に上から見て頂くとかいろんなことができる。そのように使える施設ならば、多額の金をかけても造るべきだと思うし、世界から募金も集まってくると思う。是非ともこの会議の中で謳って頂きたい。建物を残すことではなくて、広島の心を残すことが大事なのではないかということを申し上げる。

横山委員

繰り返しになるが、残すべきだというのは当然で、どのくらい今のままの最小限の工事で残すのか、この技術評価は早くやって提示されるべきである。30年以上前に建築家であったので、最近の技術は分からないが、当時の訓練を基に見た限りでは、鉄骨が錆びてくるということは起こっていなくて、被覆がちゃんと残り強度が落ちるような状況ではなく、見てくれは良くないが中側は鉄骨補強がされており、また、最近は紫外線にも強い注入剤もあることから、今やられている措置でかなり持つのではないかと思った。だから、技術的な評価を待ってそれで決めて頂ければ良い。それが数百年とかいうオーダーではなくて、もっと持つはずである。数百年後にも核廃絶がされていなければ人類はどうしようもないが、数百年以上、千年位持つかもしれない。少しずつ崩れていくかもしれないが、基本的に壊れるものは壊れてしまったという状況の上で補強されているのだから、そう簡単には崩れない。それが分かった上で議論しなければならない。この件はここで一旦中断して、技術評価を待ってからするべきである。
レプリカに関しては、私は個人的には反対である。レプリカはレプリカでしかなく、今あるものの横にまた造って置くことは、理屈ではなく感覚的に美意識からいって全く反対である。

どうしても将来のために必要だということであれば、技術的には、3次元的に資料をデジタル化して残すことができるし、テクスチャ(texture: 3次元コンピュータグラフィックスで、物体の表面の質感を 表現するために貼り付ける画像)から何から全部残すことができるので、そういう資料をデジタル化して残しておいて、どうしても造らなければならない時は、そのとき初めて、美意識には反するがレプリカを造れば良い。それは早くて500年後位かなと思う。その間、デジタル技術も進むだろうから、テクスチャとかは今でもちゃんと残せるのでレプリカは要らないと思う。
産業奨励館を復元することに関しても、これは非常に微妙な感覚で、何が関係あるのかと言われるような話であるが、私が子どもの頃、祖母がこれを造っている時の話をしていた。「ドイツ人の捕虜がこれを造っていたんだよ、家の前を通っていた」と彼女は言っていた。何の捕虜かというと第一次世界大戦の時の捕虜である。第一次世界大戦は、誰かの正義の戦争であったかというと、何の正義もない戦争だった。なぜ起こったのか分からないと言われている。一応、イギリスが民主主義の戦争と称したが、どこにも民主主義の戦争という証拠がない。基本的には戦争には正義はない、戦争は戦争であるというのが本質である。やはり、それを第一次世界大戦の捕虜が造っていたというのはどこか心の中で引っかかるものが私にはある。だからそれのレプリカを造るというのは、やはり美しくないと私は思う。

それよりも心の問題だと言われているので申し上げると、心は触れて見られるものがないと動かないのかというとそうではない。先程から何度も申し上げているが、平和平和と騒いでも平和にはならないので、実際にそれを影響力のある形で広げていくためには、それが研究所か何か分からないけれど、世界の人がそこに何か求心力があると思ってくれるものがなければいけない。それで人が集まってくる、広島に行くのだという求心力、それは巡礼という言葉とは違うと思う。
平和を議論する時に人間観が問われていると思っている。アメリカで、ブッシュの就任演説を聞いてうんざりした。独善的なものの考え方、評判は悪かったが、正直うんざりした。あれが通るような世界ではいけないと思う。もう少し違った人間観とか自由とか、そういうものに関する議論というのが別の世界から起こらなければならない。私はヨーロッパに住んでいるから申し上げるが、単なるキリスト教的な文化の中での覇権の世界である。あれではダメだと思う。日本は多神教的だからという議論は非常に陳腐な議論であって、多神教が一神教に進化したと西洋人はみんな思っているので、それには勝てない。そうではなくて、仏教というのは明らかに高級な世界であって、仏教観というがある。その辺の陳腐な議論をしても始まらないが、そういう求心力があるというところまで行くのであれば「心」とか言えるし、広島の人だけがやっていくのではなくて、同心円状にサポートしてくれる人がいないと盛り上がらないので、そういう構造に組み立てていかなければならない。広島だけやっても、やはり数十億円は出てこない。

福井座長

ドームに関する意見交換を終える前に、もし今他の委員の意見を伺って、発言なさりたいかた方がおられればどうぞ。

地井委員

朽ちるのはやむを得ないという、大変悲観的な見解が多いような気がするのだが、原爆ドームに限らず、保存の方法は大きく分けて三つあると思う。「現状型保存」と、私が個人的に支持する「鞘堂型保存」で何らかの覆いを造るもの、それから「レプリカ型保存」である。レプリカ型の保存の一つに山根委員が言われた「被爆前のレプリカ」という方法があるので四つになるかもしれないが。その四つのタイプの中にそれぞれ二つか三つぐらいずつの解決案があるので、ざっと見ても14、5位の解決案があると思う。
また、耐震、免震構造は日本が一番進んでいるので、地震で崩壊しないようにすることは、金さえ出せば簡単なことで、いずれの方法においても技術的には可能だと思う。
レプリカ型保存については、皆さんもご存知かと思うが、ギリシャのアクロポリスの隣にある、エレクティオンという神殿を支えている八人ぐらいの女神がいるが、あれはいろんな理由があってレプリカである。本物は博物館に納められている。鞘堂型でやっている文化財級のものでは、イギリスの大英図書館や大英博物館のリフォームがある。いずれの方法も私は可能だと思う。

レプリカ型保存の道を選択するとしたら、実物大のレプリカを造って今のところに置いて、今の原爆ドームを室内に免震構造で保管して空調をキチンとして、永久的に残していく。そういうのが私の支持するレプリカ型保存である。
一つだけ例を申し上げたいのが、イタリアの文化財保全のコンペでの有名な例である。古い神殿が二つあったと思うが、一つを全面保存するか、部分保存するかいくつかの保存のタイプを提示して世界でコンペティションをした。ところが1等になったのは全く保存しないという案であった。もちろん市民や国民を巻き込んで大議論になったが、様々な曲折を得てそれは全く新しい建物でいくという決定が出た。これはコンペをやる前には想像もできなかったことである。この話は原爆ドームの話にはつながらない話だと思うがそういう事例もある。
横山委員の産業奨励館はドイツ人の捕虜が造ったという話だが、こういう例もある。15年位前に、サンクトペテルブルグ、前のレニングラードに行った時、宮殿の再生工事をしていた。「なぜ、社会主義のソビエトで、王様の宮殿を修復しているのか、おかしいではないか」とソビエトのガイドの人に聞いた。するとガイドの人の本音かどうか分からないが「これは王様の宮殿であっても造ったのは労働者である。だから修復するのだ」と言っていた。

横山委員

私の意見は、悲観的ではなくて、残るから良いということである。

地井委員

横山委員は、数百年持つと言われたが、私は持たないと思う。

横山委員

水掛け論になるので技術評価を出して頂いてから議論した方が良いと言った。

坪井委員

形あるものをどう保存するかという話をしたのだが、考え方としては山根委員と全く同じであって、我々はそのために病を押して、被爆体験記や映像化により、下手な絵を描いて自らの体験を残している。精神的なものを外してドームだけ残そうとしても何もならないということが前提だが、外国の人にしろ何にしろ、物を見たときのインパクトは強い。ただ資料や数字が並んでいるのを見せても何にもならない。物を見せると私達が話をすることがピンと来る。だから、残さなくてはならない。残すとしたらどうかということだが、今のドームは自然崩壊も仕方がないと私は思う。その時は何らかの形で残さなければならないので、それが私のレプリカへの望みである。

舟橋委員

やっと技術的な問題を前提にして議論をしなければならないという話が出てきたという感じがして、これから本当に議論が始まるのかなと思わざるを得ないのだが、確かに技術的な問題はキチンと押さえておかなければならない。そういう委員会があるというのを初めて伺ったので、ここからどんな展開が出てくるのかというのは私達の議論にも大いに影響されることになる。そういう点を含んだ上で私たちは最終段階に入っていると思う。
確かにいつ何時安芸灘地震が起こるかもしれないので、坪井委員が言われたように、今にも崩れてしまうかもしれないが、崩れても崩れなくても私達がきちんとメッセージとして生かさなければならない。毎年、平和宣言が出ているが、そういう精神を受け継ぎながら、キチンと理念、メッセージを文章の中に入れて頂くことを強く要望する。
レプリカの問題は、先ほど地井委員から、かなりはっきりとしたイメージを頂いたが、そこまでやるかやらないかというのも技術的な問題と非常に密接に関わるので、その点はそういう場合もあり得るということを認めた上で、最終決定をして頂きたいと思う。

森瀧委員

ドームの周りの囲いの中はやはりきれい過ぎる。川の側の柵が少し切れて中が見えるところから、中の瓦礫の山を人に見せようとするが、きっとその周りもそんな状態だったはずである。あそこを掘り返して当時の状況が復元できるのであれば是非、そうすべきではないかと思う。当時の惨状の一端を見せることができるのはあの一角しかないので、実感を通してお願いをする。

坪井委員

ドームの地下に入ったことはあるか。そこへ行ったらまた感じが違うと思う。

福井座長

ドームを離れる前に、舟橋委員も言われた技術指導委員会だが、それは市のどういう存在か私も知らないので、今簡単に説明して頂けるか。

檜垣文化財担当課長

原爆ドームが世界遺産に指定がされ、文化庁の方からも意見があり、保存整備計画を策定した。その中で、少なくとも世界遺産に指定されたということは現状を残すということで、これは今までの市の中の議論でも市議会で永久保存の議決がされたことも踏まえて登録を受けている。技術指導委員会は、それを踏まえて今の現状をどう残しておけば良いか、構造・地盤・材料を含めて技術的に適切な方法は何かということを検討するため平成12年に発足している。
現在までに材料試験等をやっているが、あと4、5年かけて曝露等をやって、最終的には保存のメニューを作りたいと考えている。
これは、文化庁と協議し、許可を得て進めていかなければならない事項であり、最終的には、世界遺産委員会の承認も得て進めていくことになるが、それに至るまでに原爆ドームの現状を残すにはどのような、技術、保存材料、構造等が適切であるかを検討するための技術指導委員会である。

地井委員

まだ4、5年かかるのか。委員は何人おられるか。

檜垣文化財担当課長

もう4、5年かけて曝露等を行う。委員は12人である。

横山委員

だから急げといっても無理である。本来はこの曝露試験を終えてから、この議論を始めればよかった。

檜垣文化財担当課長

例えば酸性雨や大気汚染のデータ、あるいは構造について例えば安芸灘地震や神戸の震災に似たようなデータを入れて、図面上だが実際に揺らしてみるとかどういう方向が弱いとか、そういうデータは今作っている。それを基に評価をして、今後、曝露等をやっていきたいと思っている。

福井座長

次に「平和記念公園とその周辺空間の整備・活用」の問題に移りたいと思う。
「平和記念公園の役割」は、ほとんど既に整理がされていて、あり方懇談会が出来るの前からあったのか分からないが、原子爆弾の被災を記念するとか、原爆犠牲者の慰霊、鎮魂の場であり聖地であるとか、原爆を考える場であるとか、世界平和の象徴、平和の巡礼地、平和や平和文化の発信の場所といったことである。
観光資源とあることについては、これは少し観点が違うが、観光をどう定義するのかということに関わっており、東京会議の時に、少しこの観光という表現に引っかかると申し上げたら、観光にもピースツーリズムとか、エコツーリズムといった新しい観点での観光があると猪口委員から指摘されて、広島も大いに平和のツーリズム、環境ツーリズムといった観点を持った観光客を招いてもらい、そういう意味での観光であれば平和公園の利用に非常に大きな意味を持ってくると思う。いずれにしても公園がどういう役割を担うべきかについては、大体もう議論の余地がないように思う。
次に「平和記念公園とその周辺の整備のあり方」については、旧中島地区の市民生活の復元等による追体験空間の整備、これは確か舟橋委員が強調されていたことで、「あそこに今20以上ある慰霊碑、記念碑、町跡碑等々の説明板がない。同時に特に中島地区の地図ももう少し分かり易く、詳細なものを立てたらどうか」という意見があった。しかもそれを日本語だけではなく年に10万人以上来られる外国人の観光客が見て解るように、多言語化をしたらどうか、少なくとも日本語と英語で説明したらどうかという意見もあった。

平和学習の場を確保するということについては、今は規制が非常に多く普通のイベントには使えないことになっているが、その規制を緩和して出来るだけ積極的に平和公園を平和発信のために使うべき、青少年も含めて自由に集まれる場所にするべきであるという意見があった。これも東京、広島において大体意見がそちらの方に集約されてきているのではないかと思う。その関係で、市民が集うための休憩所、さらにレストランやカフェ、屋台までも許すべきではないか、むしろそれを奨励するべきではないかという意見がいろいろな方から出ている。
坪井委員から出されたが、平和記念公園らしいサウンドスケープを作ってはどうか、見るだけではなくて音を用いてはどうかという意見があった。私も同感で、平和の音楽というのはたくさんあって、ベートーベン、ハイドンから現代のピート・シーガーからジョン・バイズといった反戦歌などいろいろな音楽があるので、クラッシックからコンテンポラリーといった音楽を平和公園であるいはもっと広げて広島の街でグラウンドミュージックとして聞けたらいいのではないかと思っていた。しかし、先日の東京会議でそれを少し申し上げたら相当反発があって、これはうるさいのではないか、特に平和公園でそういうことをすると、今でさえ外国から特に欧米から来る観光客は非常にうるさいと言っているという意見があった。ともかく音楽というのは個人差が非常に大きいし、ただでさえ騒音の中で、更に選択の余地がない状況の中で音楽を流されるのは迷惑だという方が恐らく多いだろうから、これは少なくとも慎重に考えなければならない、おいそれとやるべきではないという意見が出たので一応報告しておく。

世界の核の状況を示す表示板の設置をしたらどうかという意見がある。アメリカが何発持っているかとか、中国が何発持っているかとかだが、そういうことも平和公園を平和学習のために利用するとしたら、意味があることだと思う。
また、山崎委員が「東の東京と西の広島があって、東の東京は国粋主義的になりつつある。それに対して開かれた国際的な広島、平和の広島というものを際立たせるために力を尽くすべきだ」という指摘をされていたのが印象的だった。
以上、今までの平和記念公園に関するこれまでの議論のまとめとさせて頂いて、議論に入る。順次、特に今まで意見が分かれていること、新たに追加すべきことがあれば、それを中心に意見を頂きたい。

地井委員

これは既に、原爆ドームの整理の方に入っているのだが、ドームを中心とした資料館的な機能をどう整理するかということは公園全体の課題にかかってくる。旧中島地区の街並みの復元というのは検討に値する課題なのではないのかと思う。そのことが原爆ドームと相呼応して、広島が何を失ってきたのか、そういう意味で8・6前のレプリカと街並みが一緒に復元されればかなりの効果があると思う。むしろそれが平和公園の整備が大きな課題だと思う。
平和記念公園とその周辺の利活用のあり方だが、これは第1回目の懇談会で申し上げたが、ドームと平和公園と周辺の広島の街の界隈性をどう高めていくかというのが非常に大きな課題だと思う。そうたくさんの戦災復興保存を見ている訳ではないが、フェンスがあって入れないとか、そういう規制が強いと思う。そういうものを出来るだけ無くして、周辺の街並みとの連続性をいかに確保するか。ドームに平和学習に来た修学旅行生がそのままシャレオの地下で買い物ができ、界隈性を楽しめるとか、それから地下街から切り通しのような空間を通して、ドームを発見できるとか、そういう視覚的にも導線的にももっと一体的な整備を進めていくことが必要である。規制緩和だけでできるかどうかという問題もあるが、平和記念公園の規制緩和も非常に重要だと思う。
もう一つは、これも第1回で話したが、平和公園周辺の都心居住の推進も大きな課題だと考えている。平和公園の近くにもっと人が住むことによって、いわゆる環境への関わり、ウオッチングそういうものができる。

坪井委員

東と西では大いに違うということだが、言われたように音の世界は個人差が非常に強い。よほど慎重にやらなければならないということは分かるが、私はやはり平和公園が音の園になって欲しいという気持ちは今もある。
この間、ある団体で、高等学校の生徒を中心に7箇所位に分かれて演奏会をやったが好評だった。市民局長に聞いたが何らそのことについて反論は無かったそうである。むしろ、一般の通りがかった人もいつまたやってくれるのかと言うくらい、そういう気持ちをたくさんの人が持っている。市の方の好意であそこまでこぎ着けてやることが出来たが、まだ芝生の中では出来ていない。東京の方々はイライラし過ぎて静かに聴くことが出来ない、うるさく感じるような体質になっているのではないか。音楽は人の心を和やかにする平和への道だと思っている。これからもいたる所で突っ張っていきたいと思う。
開放する方であるが、勝手にどんどん開放して下さいということではなく、やはり窓口の一本化や委員会を作ることは大事である。
最後に、世界遺産原爆ドームのバッファーゾーンとの兼ね合いで平和公園をどう考えるかということも非常に大事である。

福井座長

今の音の問題については、坪井委員が言われたのは公園でのイベントに関してであるが、公園でイベントをする時に演奏をやるということは東京会議での議論にはなかった。その時は、バックグラウンドミュージックのような年がら年中流している音楽についてであって、それに反対が出ていた。コンサートやその他のイベントで、適当な音楽を使うことについての議論はなかった。それに対しての反対はないと思う。
車道の問題であるが、こちらでは坪井委員から出されたと思うが、目障りとかではなく車道がすごく危ないということである。原爆の子の像のすぐ横から慰霊碑の方へ行くところは、小学生などが道を渡るのに危険だという非常に差し迫った問題である。これについては、東京でも報告したが、道は閉鎖するべきであるという意見であった。道路は閉鎖しても、ちょっと不便になるというだけで、周りを少し遠回りすれば車で行けるそうである。これは報告書に是非書き入れて頂きたい。

舟橋委員

交通規制のことをまず申し上げたい。あそこは通らせないようにするのではなく、一時的に時間か何かで区切って、規制するのかなと思ったのだが、通らせない場合もあると言って頂いたのでそれ以上付け加えることは無い。
大体読ませて頂いて特に異論は無い。しかも最後のところに、広島駅から平和公園への来訪者の誘導手法の工夫にも言及して頂いており、そういう点も視野に入れて是非計画を立てて頂きたい。

森滝委員

車道の問題は、既に共通認識されていると思う。一番大きな問題は、平和公園の芝生部分の利用方法、開放である。平和公園が平和のメッセージの原点、発信地であるという意味で、私たちが平和活動をする場合にそこから発していきたいとしばしば思う。原爆ドームもその一つの場所ではあるが、芝生広場を開放すべきではないかと思う。広島からいろんな人、グループが、運動を起こしていくためには、自由に使えるということが非常に大切であり、場所の確保は市民活動にとっては切実な要求でもある。もちろん具体的、技術的にいろんな制限や制約が当然いると思う。それは後の具体的な議論に譲るとしても、基本的にそこを開放の場にするということに、市は60周年を機に踏み切るべきではないかと強く思っている。
今でも被爆者の方が修学旅行生に証言活動をされているが、その人達が段々しんどくなるので、そういったことへの配慮が必要である。例えば各慰霊碑の前にもっとベンチを設置するとか、細かいことですぐにでも出来ることだと思う。

もう一つは説明板である。ガイドブックがあるので、それを見ながら一生懸命見て歩いている人も外国の人も含めかなりいる。ところどころにはあるが、やはり丁寧な説明板は必要である。もっと進めて言うと、今資料館の中でやっているような音声ガイドを貸し出すことが出来るようにすれば、一人の旅人でも非常に分かり易い。私もボランティアガイドグループを作って平和公園を説明しているが、慰霊碑というのは本当に案内なしには分からない。説明を聞いて初めて、平和公園の碑をいろんな思いでいろんな人が建てていることが分かる。碑は平和公園の中だけではないが、せめて平和公園の中にある慰霊碑の主な部分についての音声ガイドがあれば、多くの人により理解してもらえることになる。資料館と一体で考えるべきことであると思うし、実際に具体的に被爆の実相が把握してもらえるのではないかと思う。

山根委員

市民活動の立場から言うと、基本的には公園を開放すべきだという規制緩和については大賛成である。
音楽がうるさいという話が出たが、私は水の都ひろしまの推進協議会のメンバーで、昨年3月の毎週土日に元安橋のところで演奏会をやった。坪井委員が言われてように非常に好評であった。毎週やってくれないかと言われる。ところがこれを市民に開放するとなると、広島市は予算がないから誰でもいいのでタダでやってくれということになる。我々はプロを中心に声をかけてきておりある程度のレベルは保てたが、タダということになると何でも良いということになり、アートではなく雑音になってしまう。音響機器の方もつまらないものを使っているので、音量の調整もちゃんとできない。平和公園でやる時には、一定のレベルの質を備えたミュージシャンやアーティストを選定しなければならないと思う。自由に開放されることはとても良いように思われるが、レベルの低いストリート・ミュージシャンが来ては却って雑音となる。元安橋の下は音響が良いので、訳の分からない人たちの溜り場になっている。行政ではそういうことを規制できない。だから活用委員会のようなものを市民が中心になって作り、そこでオーディションをしながらやっていくというような形にすれば、クリアできる問題ではないかと思う。質の高いものをやっていくということならば、大いに賛成であるが、予算がないので市民にということで発表会のようになったのでは、人も集まって来ない。それは平和公園でやってもらう必要はない。

観光客用に駐車場がないため路上駐車をしてしまう。広島に来られて路上駐車して、駐車禁止されたら広島の印象が悪くなってしまう。前から言っているが全然改善されていない。平和公園でイベントが出来るようにするのであれば、関係する車両の駐車場も必要である。空き地はあっても利用できず非常に不便である。駐車場の確保は必ずしなければならない。
親水護岸の設備は整備しなければならないだろう。原爆ドームの真前に親水護岸がある。そこは一番原爆ドームがよく見えるところであるし、川もあり、イベントをするには一番よい場所である。ところがわずか何メートルしかない親水護岸なので、ミュージシャンが下に立つと原爆ドーム方からは少し遠過ぎてよく見えない。こちらでは上からミュージシャンを見下ろしてしまう。音響装置を下に置けないので、上から操作しなければならない。例えば川の真ん中に突き出したステージを設けるとか、グランドピアノを置いて演奏すると面白い。いろんな工夫が出来る。電源があれば照明も点けることができる。音量や音の質ももちろん考えなければならないが、そういうことも是非考慮に入れてもらいたい。これは水の都ひろしまという国のプロジェクトの中にも入っており、親水護岸や水辺をどういうふうに使うかという問題、都心の活性化、導線の問題、連続性とか界隈性をどうするかという問題にも関連するので、是非とも平和の問題、広島市全体の問題として議論いただきたい。

横山委員

意見を言う前に、会議の進め方で順繰りにというのはやめた方が良い。中央省庁の審議会でも大体そうだが、順繰りにと言って、後で横山委員そろそろまとめたいのでこういう方向でと言って来られる。そういう委員会はないはずである。あれはあれで意見を聞きましたという形でまとめなければならないので仕方ない。ここでは誰も答えが分からないところにやりとりをしながらアイデアを出していくというものであって、まとめにくいかもしれないが、一人ひとりでしゃべってくださいと言うとじっと聞いていなければならない。私は違うと思っても反論できないような雰囲気がある。自由にやりとりのできるような進め方をお願いしたい。
先程も幾つかあったが、例えば観光資源ということは少し気になる。どぎつい話だが津波の後、コリン・パウエルが現地を視察して「ヒロシマの原爆の跡のようだ」と言った。誰も問題にしていないが、比較できるのか。比較できないというと津波で亡くなった方にもひどいし、どちらに対しても無神経だと思う。津波の跡が観光資源になるかと言ってなる訳がない。ヒロシマが観光資源だと言って、猪口委員が言ったようなことはあるかも知れないが、それだけ感覚として既に原爆体験が風化しているということではないか。ビジネスでも観光でもないけど広島に人が来るのだということを求めるべきだということである。それが何かということを議論しながら組み立てていって、発見しなければならない。一人ひとりが独り言を言っているようなやり方でなくて、言い合いをしないと出てこない。

観光というと外国人も来るから英語というのは、大間違いだと思う。日本の観光立国一千万人といって政府は広報映画を30本も作っているが、観光客は西洋人しか出てこない。日本の観光客で一番多いのは台湾人であり、旅行者として一番多いのは韓国人である。これから一千万人のオーダーで増えるのは中国であり、ビザの発給を自由にしたなら中国人が一千万人は優に来る。世間は進んでいて空港はほとんど中国語、韓国語になっており、次に英語である。観光ではなくアジアの人達がここに来て見るべきである。中国人は今、日中の関係が悪いのでいろんなことを言う。反論すれば国粋主義的になるので反論しないが、最大の問題は中国人が知らないということである。歴史問題というが、日本の歴史の細かいところのどこを知っているのか、ここに来て見た人がどれだけいるのかという問題である。知らないまま言っているという部分が一番問題である。だから、アジアの人達が来るべきで実際に一番多い訳だから、これは観光ではなく広島に来てもらうように組み立てるべきである。それにはどうしたらよいか、アイデアを出し合う形の議論にしていくべきである。先程感じたのは、私が言ったことが独り言のように書かれてしまっているから違うようにとられて、それで反対であるとかになる。そうではなくてやるのだったら新しい技術でということである。

音の問題に関しても、一般的に日本に来るとうるさいという感覚はある。これは西洋人の感覚であり、アジア人にはない。西洋人はスキーのゲレンデに行くと音楽が鳴っていたり、ビアホールに行くと何か鳴っているとか、日本は用もなくうるさいと言う。ホッとさせてくれという場所に奇妙な音楽が鳴っているという問題は指摘されている。先程の平和の音楽であるが、福井座長が言われたものは、ジョン・バイズまでが出てくるのであれば確かに良いものはある。ところが日本の若者が極めてクオリティーの高い作曲でそれがラップであったとしたら、質が高くてもそれを流すのか。これが議論のやり方であって、ある時間帯を選んでだったら流しても良いとか、選考は独断と偏見かもしれないけれどやはり選ぶのだとか、違うとか。また、携帯電話の普及率はこの位であって、そこに何か流しておけばローカルで音楽が聴けるとか。先程の説明も全部携帯電話で聞ける技術は全部ある。技術で解決したらどうかとか、安いものである。そういうやり取りの議論をするようなパターンにしてはどうか。反対意見も出していく、それがないとアイデアは膨らまずに、なんとなくまとめて「委員はこういうご意見でございました」となる。委員はスタートした時よりも終わる時には成長していなくてはならない。同じことを繰り返すのではなくて、そういうふうにやって頂きたい。

福井座長

議論の進め方は、私も初めはこれはまずいと思ったことがある。ところがやってみると、非常に平等にというか、よく話される方と意見があってもなかなか話されない方と、特に日本の場合にはそれがあり、私みたいにアメリカの大学でずっとやっていると、教授会でもクラスでも何でも喧々諤々でみんなしゃべるので、そんな問題は全然起こらない。日本の場合にはどうしても自由な議論になると6人いると2人ぐらいが話されるということもある。

横山委員

私はその一人だが、黙っている方には「ご意見をお伺いできますか」と言えば良い。

福井座長

そういうことであるが、このようにやると一人ひとりの方から非常にいい意見が出てきて、それが集積されてお互いに学び合って、横山委員が言われた成長される過程がよく出てきていると思う。日本的なやり方もまんざらではないと最近思う。もちろん事務の方からそうした方が良いのではないかということでしているが、もちろん、まとめたいということではなく、基本的には皆さんに意見をお聞きしたいということである。
それから言語の問題であるが、先程英語とは言わなかったのだが、今、外国から平和公園に来られる十万人の観光客の中の恐らく半数がアメリカ人である。これは非常に大きなことで、特にアメリカに若者たちが来てくれるということは、非常に心強く良いことである。にもかかわらず横山委員が今言われたとおり、これからは中国、既に韓国、台湾は多いし、日本にとっての平和、安全保障で一番重要なのは隣国なので非常に重視しなければならない。公園の中に20箇所ぐらいある碑に何ヶ国語で書けるかというと、あまり書けないのではないか。第2回の懇談会での文脈からすると、今の説明は短すぎて解らないので、日本語だけでも3倍4倍の長さが必要である。あまり字も小さく出来ないとなると、恐らく日本語プラス英語と中国語といった感じかと思う。ともかくそれは技術上の問題で、携帯電話も活用すれば、もっと工夫できるかも知れない。

横山委員

やはり韓国語と中国語は入れるべきだろう。韓国人はここで死んでいる訳である。

福井座長

大体これで皆さんの意見は伺って、まとめるのは事務の方にお願いする。時間がなくなる前に、イサムノグチの高欄のついた橋の問題について、状況を説明して頂きたい。説明を聞いてから更に時間があれば、どこに戻っても結構なので自由発言でお願いする。

清水新たな道づくり整備担当課長

平和大橋、西平和大橋の整備にかかるイサムノグチの高欄の取扱いについて、現時点での考え方を資料で説明する。
平和大橋、西平和大橋の現況であるが、両大橋とも昭和27年に架設された幅員15mの4車線の橋梁である。建設当時は歩道はなかったが、交通量の増加により、現在は境界ブロックにより歩道を設置している。このうちイサムノグチがデザインしたのは、平和公園や平和記念資料館をデザインした丹下健三氏の紹介により、当時の浜井市長がデザインを依頼した歩道の外側の高欄の部分である。
1951年に広島に来たイサムノグチは原爆の惨禍とそこで生活する希望に燃えた市民との対比を強く印象付けられ、原爆の被害から復興する広島の力を表現するため、平和大橋は「太陽の如く着実にたくましく建設の歩みを続けなければならない」ということを意味して昇る太陽を表すとともに、西平和大橋は「過去のいまわしいことを土中に葬り去り、新しい平和の世界に向って船出する」ということを意味して終端は土中に深く入った船の竜骨を表してこの高欄をデザインしたそうである。

これまでの整備方針であるが、現況の課題でまとめているように、架設50年以上経過し、老朽化が進むとともに、平和大通りの中で交通のボトルネックとなっている。歩道は歩行者や自転車が1日当たり1万人近く通行しているにもかかわらず、幅員1.65mから1.8mと狭く、歩行者や自転車が輻輳するとともに、高欄の高さも約80cmと基準の110cmを満していないため、安全性が問題になっている。また、これらの橋の西側に位置する緑大橋は、市の「新たな公共交通体系づくりの基本計画」に路面電車の観音本町から江波線までの延伸計画が位置付けられており、路面電車の走行空間の確保が課題となっている。
こうした緊急の課題解決のためには、3橋の早期架け替えを行うことが必要であると考え、厳しい財政状況の中で、建設費の一般財源の負担がなく、後年度の負担を平準化できる民間資金を活用するPFI方式の導入について国土交通省と協議を重ねてきたが、現時点では見通しはたっていない。
PFI方式の導入が困難な状況となった中での、これからの整備方針であるが、現在の本市の厳しい財政状況の中では、既存の公共事業の枠の中で、これらの橋の架け替え事業に着手することは極めて困難である。

段階整備のイメージを図にした資料があるが、現在の橋梁をそのまま活用しつつ、その横に緊急を要する歩道、さらには電車軌道等を先行整備する方策について検討を行うことにしている。そのためには現在の橋梁を今後長期に渡って利用することの可能性を、補強策を含めて技術的に調査検討することとしている。
また、現在の橋梁の横に、歩道、電車軌道等の機能を先行整備するに当たって、平和公園の入り口でそういう形態がふさわしいのかどうか、構造及びデザインの面からの検討も行うこととしている。その結果、それらの点について問題がないことが確認できれば、橋梁本体はもちろんイサムノグチのデザインした現高欄も、そのままの形で残すことができると考えている。しかし、その場合でも、将来30年後になるか50年後になるかいつになるか調査を行わないと分からないが、現在の橋梁および高欄の寿命がきた時には、現橋梁を撤去して新たな橋梁の建設が必要になると考えている。
その場合の高欄の取扱いについては、その時点で検討すれば良いのではないかと考えているが、現時点では、平成14年の10月に策定した平和大通りリニューアル事業の基本計画で架け替えを想定して提案しているように、現在の高欄を切り取り、新設する橋梁にそのまま設置することは技術的に非常に難しい。橋全体の形状のバランスに配慮しながら、現在の高欄のプロポーションを保ってイサムノグチのデザインを継承した新たな高欄を建設することが望ましいが、この場合には、現高欄をどこか違う場所で保存せざるを得ないと考えている。イサムノグチの高欄についての説明は以上である。

地井委員

平和大通りに公共交通空間を提示した案があるが、この案の場合、現橋梁の寿命に関しては、調査済みなのか。それともこれからなのか。阪神淡路大震災後の診断でかなり危険度が高いという結果が出ていたと思うがどうか。

清水新たな道づくり整備担当課長

阪神淡路大震災以降、橋梁の設計基準が見直され、それまでよりももっと強い橋を造らなければならなくなり設計基準が見直された。それ以前に作られた橋なので当然阪神淡路大震災級の地震が起きた場合には、落橋の危険性がある。

地井委員

架け替えまで現在の橋梁を使用するという案は、それに見合う耐震工事をして、何年間かは使っていくという案か。

清水新たな道づくり整備担当課長

現橋を調査して補強などの検討を行って、そのまま残していくということである。

地井委員

いつ頃結論が出るのか。どの程度の補強をしたら良いのか。予算は何年度位になるのか。

清水新たな道づくり整備担当課長

調査を来年度やろうと思っている。補強の予算は、調査してみないと分からない。

横山委員

耐震的に不十分という結果は出ているのか。

清水新たな道づくり整備担当課長

阪神淡路の震災の後に基準が見直されている。その基準よりは前に造られた橋なので、基準を満足しておらず、当面は来年度に、橋の桁が落ちないような落橋防止工事だけはしておきたい。

地井委員

この懇談会の課題を超えているのだろうけれど、かなり先の将来、新しい橋を造る計画であれば、最初から今の橋は歩道橋として保存していくという考え方もあり得るのではないかと思う。そうすれば耐震補強の程度も全然違ってくるだろう。4車線を前提として耐震補強するとなると大変である。歩行者専用路であれば、桁違いの費用で済む。

福井座長

その場合、車道は別に迂回させるということか。

地井委員

そうである。資料にもかなり先の話としてそういうことがイメージされている。これであれば国土交通省の補助体系とも矛盾しない。最初からそう構想することもあるのではないか。

横山委員

設計図は残っているのだろうし、高欄はコンクリートであるので、レプリカではなく同じものを造ることはできる。新しく橋を架けて高欄はそのまま元と同じものを造っても偽物ではない。デザインはそのままで、現場でコンクリートを打ったものであるから。このデザインを残せばどんな橋を架けてもよいのではないか。

清水新たな道づくり整備担当課長

イサムノグチ財団や市立大学の芸術学部の先生と話をしているが、橋の幅が変わったときに今と同じものを置くことが、全体のバランスからいって最適なものとなるか疑問がある。プロポーションを少し変える必要があるのではないかというような検討はしている。

横山委員

イサムノグチはプロポーションを橋の大きさで決めたのだから、それでいいと思う。

福井座長

他に質問、意見はないか。平和大橋も公園周辺に入るし、バッファーゾーンに入っている。もちろん橋に戻っても、他のことでも結構である。自由に意見をどうぞ。

地井委員

この前事務局から電話をもらったときに、この会はあと2回ぐらいを予定されていると聞いた。次回もし皆さんの賛同が得られれば、世界の建築遺産保存に取り組んでいる、保存の研究を自ら日本でも実践されている建築家をここにお招きして、保存の現状や考え方を聞いてみるというのも良いのではないか。お住まいは東京だと思うが、ヨーロッパに留学されていた方で、もちろんアメリカにも詳しい方である。
先程言ったように、仮に三つの保存の方向があるとして、その中にそれぞれに三つ位の方法があれば、最低でも九つ位の方法がある。それに山根委員の8・6前のレプリカを含めると、3×4の12通りになる。その中からどう絞り込んでいくのか。私は最終的にはコンペで決めるべきだと考えており、そういう提案はしていきたいと思った。

増田局長

今後の取組みについてご説明する。あと2回まとめの会議を開きたいと思っている。ある程度意見を頂いたので、今度は全体のまとめの議論を行っていくということしか考えていなかった。これからまとめに当たって素案的なものを作るので、その中でさらにご指摘のような保存のための技術的なことについてヒアリングをさせていただくことが必要なのかということを考えた上で相談させて頂く。

地井委員

技術委員会からの中間報告を可能な範囲で、資料として出して頂くだけでも良いと思うが、事前に配って欲しい。

増田局長

先程説明したように、最終的には平成23年度のまとめ、中間報告が平成19年度ということになっているので、現在、中間報告まで至っていない。現時点でどれだけの資料を提示できるか、教育委員会の文化財保護の担当課でやっているので相談してみる。

横山委員

中間報告もまとまっていないのに、無責任なことは言えないというのが責任者の立場だと思うが、私が行って説明を受けながら見た限りでは、予想外に風化は進まない。

地井委員

これまで何回か保存の工事をやってきている。過去の工事に対して、現在の技術委員会がどういうふうに評価しているかというのはあるのではないか。

増田局長

過去の保存工事についてのものは済んでいることなので出来るが、どういう資料が出せるかについては相談した上でお答えする。

福井座長

東京グループと広島グループと別々に今までやってきたので、非常に不都合なのだが、飯田委員は技術の専門家であるし委員なので、4月以降の第4回でできるだけ東京グループと一緒に集まっていただけると良いと思う。横山委員も随分専門家であるし、そういう点で専門的な意見も伺えるのではないか。

増田局長

次回以降は、できるだけ合同で開催させて頂きたい。

森滝委員

技術委員会が開かれているが、私たちの検討委員会で論議している保存のあり方が、そこに何らかの反映がされ、あるいは相互の関連性を持つように考えておられるか。例えばここではまだ結論は出ていないにしても今までに出たいろんな希望がある。それの可能性に基づいて、技術委員会に反映されるのか。今私たちはそこの資料が欲しいと言ったが、逆に具体的にそこで検討して保存方法が練られていくだろう。その場合ここで検討したことがどう生かされるのか、無駄な議論をしているのではないかと不安になってくる。

増田局長

検討は技術委員会の方が先行している。技術委員会は、原爆ドームの世界遺産としての保存技術のあり方について検討している。保存を行っていくための材料の試験や構造体の強度とかいろんなことをかなり丁寧にやっている。現在までの保存工事は概ね20年とか30年というタームでそのあり方を考えていたが、次回の工事については100年以上のタームでというのを一つの目途に、どういう保存をしていくかということを、文化財の保存の立場でやっている。
我々としては何をどう保存していくかという全体の議論がこれまで行なわれてきていないということで、ここで改めて原爆ドームの意義とかどういう保存のあり方をしていくのかを検討して頂きたいと考えている。文化財の保存ということになると、出来るだけ現状維持、現状をいかに残していくかということになる。どう保存していくか、一方ではあるがままにしておくという方法もあるが、いろんな可能性をとにかく一度議論しておこうというのが、ここでお願いしたいことである。我々としてもいろいろ出てきた議論を整理できないまま出していることもあるが、幅広いご意見を頂きたいと考えている。

横山委員

技術の人は1000年持たせたいという意思を持たないので、私が出してもらいたいと思っているのは、今の努力を現状のまま続けたら何年持つのかということである。それが50年しか持たないということになると、ここの結論が最低500年や1000年持たせなければならないということであれば、その間を埋めなければいけない技術やお金が必要である。ところが、放っておいても300年位は持つ、少し手を入れれば500年位は大丈夫ということであれば、もう少し延ばせないかというのがこちらの結論であれば、大した差がないから収まる。我々は技術の専門家ではないから、どの位の格差があるのかというのを、堅苦しくなく言って欲しい。

地井委員

最後に増田局長が言われたことに質問がある。この懇談会は可能性を検討する会なのか。

増田局長

可能性というか、原爆ドームの保存にあたって、何をどう保存していくかということについていろいろ考えを頂きたいと考えている。

地井委員

極端にいったら、これは私の論で整理すれば、三つ方向性がありそれぞれに三つ案があるので、九つ書き出して報告すれば終わりということか。

増田局長

地井委員のご意見はそうであるし、他にも意見はあろうかと思う。その中で結論が出るのか出ないのか分からないが、いろいろとご意見を頂きたい。

福井座長

出来るだけ具体的にこうすべきだというように意見を一本にまとめる。出来ないこともあるが、出来るところはまとめていく。例えば道路の話であるが、単に時間的に規制するのではなく、あの道は閉鎖すべきだという意見であれば、私はそうだと思うが、そういうふうにはっきり書いてくれということだと理解している。すべてについて意見がまとまる限り、多数意見でも全会一致でもいいので強く主張すべきである。

横山委員

それで良いと思うが、地井委員が言われているのは、技術データが分からないから12通りあるのであって、放っておいても500年持つのであればほとんどの案はなくなる。その辺の感触が分からないかということである。

舟橋委員

各委員会の目的の違いはよく分かったが、やっと私たちが技術的なことをよく聞かなければならないと言えるところまで来たので、あまり行政上のかっちりしたものとまで言っている訳ではなくて、とにかく両委員会が意見を交換して知識を増やしてそして結論に至りたい程度のことだと理解してもらえば良い。

増田局長

確認した上で、現時点でどの程度の話が出来るか、詰めた上で次回かそれまでに資料を送らせて頂く。

横山委員

私の感覚としては、そんなに大変だという結論にならないと思うので、あまり堅苦しくなく、現状を「大分持ちます」ということだろうから、「あの時ああ言ったではないか」とは言わないので、来て言って欲しい。

福井座長

それでは大体時間が来たので、これで締めくくりたい。これから恐らく2回ある。できれば次回東京グループと広島グループと一緒にやってもらいたい。
どうもありがとうございました。

以上

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