第1回平和記念施設あり方懇談会(広島会議)会議要旨
1 日時
平成16年(2004年)7月27日(火曜日)10時00分~12時00分
2 場所
広島市役所本庁舎14階第2会議室
3 出席委員(6名)
地井委員、坪井委員、福井委員、舟橋委員、森滝委員、山根委員
4 市側の出席者
市長、市民局長、国際平和推進部長、被爆体験継承担当課長、文化財担当課長
5 議題
- 平和記念施設保存・整備方針の策定スケジュールについて
- 原爆ドーム保存に係る意見交換について
6 公開非公開の別
公開
7 傍聴者
報道機関14社
8 会議資料
- 配席表
- 平和記念施設あり方懇談会〔広島会議〕出席者名簿
- 平和記念施設あり方懇談会の公開に関する取扱要領
- 平和記念施設あり方懇談会(広島会議)次第
資料1 平和記念施設あり方懇談会委員名簿
資料2 平和記念施設保存・整備方針の策定スケジュール
資料3 平和記念施設保存・整備方針の策定に係る論点の概要
資料4 原爆ドーム保存に係る意見交換資料
資料5 原爆ドームの概要
資料6 平和記念施設の保存・整備に係る有識者アンケート及び市民意見
資料7 平和記念施設の保存・整備に係る過去の理念・議論
※会議資料は、市民局国際平和推進部平和推進担当(中区中島町1-5:国際会議場3階)に備え置いております。
9 会議の要旨
開会
市長あいさつ
皆様には大変お忙しい中、委員をお引き受けいただき、また、本日は第1回懇談会にご出席をいただき、厚く御礼を申し上げます。
さて、ヒロシマは、59年前の被爆体験を原点に、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けてまいりました。しかし、今なお地球上には大量の核兵器が存在し、核兵器が使用される可能性さえ高まっております。また、憎しみと暴力、報復の連鎖が断ち切られないまま、地域紛争やテロが続発しています。
被爆の記憶が世界的に薄れつつあることを危惧するヒロシマは、世界の多くの大学に「広島・長崎講座」を普及させる取組みなど、広島・長崎の被爆の実相と、地球上に二度と過ちを繰り返さないと誓ったヒバクシャの意志を、若い世代や広く世界に継承していくよう努力しております。
こうした被爆の実相を伝え、世界恒久平和を訴えていく上で、原爆ドームを始めとする平和記念施設も大きな役割を果たしてまいりました。
原爆ドームは、戦後、その存廃が論議されてきましたが、昭和41年(1966年)に広島市議会が保存を決議し、その後3回の保存工事を経て現在に至っております。その間、平成8年(1996年)には、「人類共通の平和記念碑」として世界遺産に登録されております。
また、平和記念資料館は、被爆の実相を伝えるため、被爆資料の収集・展示、調査研究などに取り組んでおりますが、開館から約50年を迎え、建物の老朽化や展示のあり方等について課題を抱えています。
平和記念公園については、平和の象徴として、また観光地や市民の憩いの場としても親しまれていますが、「さらに幅広い活用を検討すべきではないか」との意見もあります。
こうした状況の中、広島市は、被爆60周年となる平成17年度(2005年度)に向け、平和記念施設を将来の世代に理想的な形で引き継ぎ、被爆者の思いを未来永劫に伝えていくため、「平和記念施設保存・整備方針」を策定することにいたしました。
「平和記念施設あり方懇談会」では、この整備・保存方針の策定に当たり、主に二つのことについて、皆様方のご意見をいただきたいと考えております。
一つは「原爆ドーム」を「保存していくことの意義」や「将来の世代に理想的な姿で引き継いでいくための保存のあり方」について、もう一つは、「平和記念公園とその周辺の役割、整備・活用のあり方」や「平和記念資料館が今後その役割を果たしていくために必要な取組み」などについてでございます。
こういった問題について、各分野の有識者の方々からご意見をいただく場としてこの会議を設置いたしました。
今回の検討に当たって、昨年度、国内外の有識者の方へのアンケートや市民の皆様からの意見募集を行うとともに、過去の論議についても整理を行いました。これらを踏まえて、本日の資料では、いくつかの論点をお示しさせていただいておりますが、委員の皆様には既存の枠組にとらわれない自由なご意見をお聞かせいただければと考えております。どうかよろしくお願いいたします。
委員自己紹介、事務局側職員紹介
座長選出
福井委員を座長に選出
懇談会の公開・非公開の取扱いについて
懇談会を公開により行うことを了承
議題1「平和記念施設保存・整備方針の策定スケジュールについて」
事務局
平和記念施設保存・整備方針の策定の概要及び資料2・資料3について説明
(スケジュール、議論の進め方について、了承)
議題2「原爆ドーム保存に係る意見交換について」
事務局
資料4~7について説明
福井座長
原爆ドームの保存について、御意見等をいただきたい。時間の関係から一人5分以内程度でお願いできればと思う。
地井委員
資料4の中に世界遺産のバッファーゾーンが図示されている。このバッファーゾーンの決定は広島市がしたのか、ユネスコの方でしたのか。もう一点は、財源調達等の話があるが、原爆ドームについても世界遺産指定に伴って、ある種の助成金のようなものはあるのか。私が調査しているイタリアの例では、毎年かなりの額の助成がされている。
また、バッファーゾーンの線引きの原案は、広島市で作ったのか。
事務局
世界遺産の指定とバッファーゾーンの関係だが、文化遺産に申請する際に、対象となる物件の保存の措置とそれをより良好な状態に保つためのバッファーゾーンの設定が義務付けられている。推薦書は国が作成するが、作成の際にバッファーゾーンの設定が必要になっている。また良好な環境を維持するため規制措置等も含めて記載するようになっており、世界遺産登録の一つの条件として設定されたものである。
助成については、原爆ドームを世界遺産に推薦するに当たって、国の文化財保護法に基づいて史跡の指定を行っており、史跡として今後保存整備するに当たっては、国の助成措置がある。
バッファーゾーンの線引きの原案は、国と協議の上作成している。ただあくまで推薦書の原案は国の方で作っている。
山根委員
原爆ドームとは何かということについては、全部資料のとおりだと思うが、これは8月6日を基準にして考えるとそうなのであって、そもそも広島市民にとって原爆ドームというのは何だったのかという視点が必要である。
ヤン・レツルというチェコの建築家が川に正面玄関を向けた産業奨励館を造ったことが、現在広島が水の都と言われる原点であり、先駆的な建物であった。また、経済の中心であり、物産や文化芸術の発表の場でもあった。市民として一体何が壊されたのか、建物の持っている意味も含めて議論していけば、意味深いものになってくると思う。被爆だけで話をしているが、その前に何が壊されたのかということを考えながら、それを修復や復元する形にしていかなくてはならない。産業奨励館が広島市や広島県の産業にとって元気の元であったということ、それが8・6によって壊され原爆ドームになったということを我々委員の中では知っておいた方が良い。
坪井委員
原爆ドームには人の営みがあった、人の命があったということを相当アピールすべきである。
もう一つ、「原爆ドーム」の名前は世界に浸透しているのか。我々こそ原爆ドームと言っているが、外国の記者などは原爆ドームを見せてもピンとこない。我々は原爆ドームと言えばすぐピンときてくれるかと思うがそうではない。だからいわゆる核兵器の問題でも、分かっているだろうというのは間違っているような気がする。ドームの世界的な認知度はどうか。
市長
結構それで通じていると思う。あまり他の名前で英語で表現されているのは聞いたことがない。英語でもGenbaku-Domeで立派に通用していると思う。
舟橋委員
この委員会は、例えば保存をこのまま自然崩壊に任せればいいということが前提になっていれば多分立ち上がらなかったのだろう。その意味では、保存は何のためにするかということを議論するということが今日の第1のテーマだろう。
もう一つは保存する時に、どういう法的拘束を受けているかということも保存方法についてとても大事なことである。文化財保護法とか、世界遺産になってどのような法的規制を受け、改修や修復の時にどういう拘束を受けるのかということをもう少し確認しておきたい。
今のお尋ねの件については、ドームは知られてないかもしれない。そういう地域もあるかもしれないが、より一般的に言えばかなり良く知られた存在であるし、それに伴う様々な広島の人間の営みが、例えばサダコさん物語のようなことも世界の色々な地域で良く知られている。私はチェルノブイリに行ったこともあるが、サダコさんの話は知っている、聞いているということを大学の先生もおっしゃったし、普通の方々も広島の持っているイメージとして、そういう内容をかなりご存知だという印象を受けている。
象徴的な存在として、ドームが考えられていくということは、たいへん大事なことだし、様々なドームの補修に対して、全国からものすごい寄附が寄せられており、広島が保存するということだけではなく、日本の国がそれを保存しようとしているのだと私は理解している。
何のために保存するかということについては、過去の歴史を背負っているからである。同時に、 未来に対してどういうつもりで我々は保存するかということを、簡潔に明快に説明する必要があり、また、広島のメッセージを私達が共有する必要があると考えている。内容的には市民アンケートに反対するものではない。
森瀧委員
原爆ドームはかなり外国でも知られているし、もちろん日本の中では原爆ドームというのはある程度共通の意識になっていると思う。
今は平和を求めるシンボル、核兵器廃絶のシンボルだが、核兵器の破壊力、いわゆる破壊のシンボルでもある。外国から訪れる人や国内の学生を案内することがあるが、「これだけの原爆の破壊力でもなお建っているではないか」という疑問が多く出てくる。そういう場合には必ず説明が必要で「ここが爆心地だから真上からやられて、ドームの屋根が熔けて蒸発して、そこから風が入って、四方八方に壊れたガラスから逃げたので、なお生き残ったのだ」という説明をして初めて理解してもらえるが、一般的にはそれだけの凄まじい破壊力を持っていたのに、建物そのものがあるということが不思議だということもある。
原爆ドームを見ることは、様々な広島型原爆の持つ破壊力の特性とか、今の核兵器に比べたら限られた破壊力であるがここまで破壊され、どれだけの被害があったかという、破壊の様子を説明していく場合の、一つの糸口になると思う。そういう意味でも象徴として非常に有用な存在だと思う。
もう一つ必ず言わないといけないのが、二回にわたる大規模な保存工事によって、オリジナルの姿が失われている事実である。オリジナルの写真は資料館に行けば見ることができるが、既に原形が失われていることから、ドームの近くに破壊された直後の写真を石碑とかパネルで示す必要がある。
今は平和の象徴の面が強いが、明らかに人類にとって負の遺産であるという存在理由が中心になる。そのためには見た目でも破壊の象徴、負の遺産というイメージを残していく必要があり、今後も工事を重ねていくというのは本当に難しいことだと思う。いかに原形というか崩壊寸前の姿を残していくことと両立しない面がある。永遠に残していくことと保存していくことの間で、これは専門家、科学者、建築的な問題でもあるが、いつまで存続できるのか。覆屋をつくらないと風雨にさらされて本当にダメになってしまうのではないか。
そこで30人の人間が働いていて、一瞬にして亡くなったということをイメージしてもらえるような説明、展示の仕方が必要だと思う。説明した時に初めて、働いていた人がいて、一瞬にしてそういう人たちが消えてしまったということを分かってもらうと同時に、そこが広島市民にとってどういう所であったかという歴史を分かってもらうことにもなる。
また、残っている数少ない被爆建物で、非常に爆心地に近いこと、ドームの形が残ったということ、そういう意味でも、半永久的に残していくべきである。
地井委員
原爆ドームは60年目を迎えるが、これから100年後のドームがどうあるべきかという視点が必要である。それが100年後の世界に何を残すかということであり、その時大事なのは、ドームが被爆の証人であるということは当然だが、それとともにヒロシマが復興したという、それは人間の復興と言ってもいいが、その中で被爆の証人をどう生かすかという観点が重要である。
建築学的な話をするとドームは一つの世界を表現している。原爆ドームは世界が被爆したということを象徴している。ドーム建築で私が一番好きなのは、ローマのパンテノンで、ドーム建築の名作である。あれは一つの大きな世界を小さなドームで表現しており、そういう意味では、原爆ドームを何かの形でキチンと後世に伝えていく義務は大きい。
昔からドームを見てきて、昭和42年の工事にもかなり期待した。それ以降の工事も、最新の技術を使っても傷みを食い止めるのは難しいところもあった。場合によっては鞘堂のようなものを考えざるを得ないのではないか。今の状態は非常に深刻な気がする。
二点目だが、バッファーゾーンは絶対狭すぎる。都市計画法の道路から20メーター商業地域というような感じのバッファーゾーンでは全く意味がない。一昨年ドームについて論文を書いたが、北の方から太田川を歩いてくると、商工会議所などの建物が出てきて、原爆ドームがいかにも申し訳ないという感じに見える。平和公園から見るとまたちょっと違うが。そういう意味で、バッファーゾーンは、原爆ドームを世界の証人として際立たせる、非常に重要な意味を持っている。だから、バッファーゾーンを拡大して、原爆ドームに尊敬の念を払うため、周りの建物にドームをつけたスケッチを書いてみた。
また、別なところに書いたが、地下街から原爆ドームが見通せるような切通しが欲しい。今県庁のところにあるような吹き抜け空間を少し工夫して、球場とドームを含めて地下街とも結びつけていく。地下もバッファーゾーンだから、そういう配慮をして、100年プロジェクトでやるべきだと考えている。イマジンハウス・プロジェクトは、バッファーゾーンのデザインとして非常に興味深い。
市長
議論の仕方を一つお願いしたいと思う。今回の懇談会の意味は色々あるが、後世に対する責任を果たすということだろうと思う。100年後の人たちに我々の今の世代は、こういう考え方で、こういう保存の仕方をすることにしたということが明確に分かるような記録を残して、伝えることが非常に重要である。その意味で、色々な論点の整理とか、考え方を整理して、それが後世にキチンと伝わるという点が非常に重要である。その作業は、決定ということだけなら、例えば市民の皆さんにいくつか選択肢を出してアンケートを取るというようなやり方もあるが、懇談会では、論点の整理、それをどういう枠組みで考えていくかということをキチンと議論していただくことが一番重要である。
それに関連して、何もしないということも含めてキチンと議論をしていただいた方がいいと思う。確かに何もしないで自然の力に対して、そのままにするというのも一つの考え方だから、検討の対象にはすべきだと思う。少し極端なことを言えば、原爆ドームは自然のままに朽ち果て、一方でイマジンハウスとして旧産業奨励館を新たなそれに対する我々の将来へのイマジネーションの発露として新たに造る。原爆ドームが朽ち果てるのと時を同じくして新しいものが再生したような考え方もあり得る。それがいいと言う訳ではなく、それがいいのか、あるいはそうではなくて例えば鞘堂のようなものを造ってできるだけ被爆直後の形を残すことがいいのか、それは何故なのか。では、何を残せばいいのかという議論になる。その辺りの整理をしていただくことがとても大事なことではないかと思う。考え方の整理、枠組みの作り方の整理をお願いできれば大変ありがたい。
福井座長
ちょっと極端だが、保存すべきか自然に任せるべきかという、二者択一的な面が初めからこの問題にはあったと思う。どこまで補修して原形をどこまで犠牲にしていいのか、あるいは原型を守るために自然に任せるのかといった基本的な問題がある。
それから保存の目標を100年にすべきか、50年でいいのか、あるいは1000年を考えるべきなのか。非常に議論を要する問題であり、はっきり議論し、その議論を後世のためにしっかり残すために、その論点を整理して欲しいということで、当然私も全く同感である。
ドームのあり方については、四つの具体的な論点があるが、第1に「どのような保存工事を行うべきか、行うべきではないか」。第2に「現物保存以外の保存継承手法があるのか、あるとすればどのように考えるべきなのか」。第3に「保存手法はどのように推進していくべきか」。これは色んな問題が含まれているが、例えば広島市役所がやるのか、市民団体がやるのか、あるいは国にやってもらうのか、あるいは世界的な献金活動をやって世界に働きかけてやるのか、そういったことも含めて議論する必要がある。それから最後に「原爆ドームの周辺、これをどのようにすべきか」という、この第4の点は次回の会議で、また、詳しく議論しなければならないと考えている。
地井委員
先ほど、鞘堂の話をしたが、ドームは被爆した建物なので、現状凍結型でやるというのは、技術的に見ても極めて難しいのは当然のことである。そもそも建築物は屋根がないと傷みが致命的だから、屋根だけの鞘堂でも大分違うと思う。
それから、何もしないというのも議論して欲しいということだが、広島がもし、原爆ドームについてそのままの対応ということであれば、世界的な批判を受けるのではないかと思う。
原爆ドームだけではなく、広島市はこれまで被爆建物の保存について、決して十分ではなかったと思う。個人的な思いでは残して欲しい被爆建物はたくさんあった。世界の経済大国と言われる日本が、そういう被爆建物を残さずに、ずいぶん今まで壊している。本当に残念としか言いようがなく、例えばヨーロッパの戦争をした国なんかでは考えられないような事態である。ドイツではナチスの収容所、つい最近でもボスニアヘルツェゴビナの戦争で破壊された、50年以上前に造られた橋が復元された。それらは、まさに広島の復興とか、人間の復興とか、日本の復興とかというものを表すものであって、原爆ドームだけではなく今まで失われた被爆建物でも復元的な手法で回復できるものがあれば今後100年位の間に全部とは言わないが、復元すべきではないかと考えている。
坪井委員
何千年も維持することはできないことである。科学の力でじっくり頑張って保存していくとしても、人間の小知がいつの日か壊すことになるかもしれない。
保存の問題を具体的に今どうするかということも考えたいが、資料を行政も民間も持っているということではなく、記念堂を造って、原爆ドームの資料を1カ所に全部集めておくことが大切である。また歴史が繰り返して、あの時はどうであったか調べる時のために、復元できる詳しい資料を集めておくことが大切である。
森瀧委員
集めておくという意味では、平和記念資料館と原爆ドームは同じ平和記念公園内でもちょっと離れているので、ドームの歴史とか戦争前の姿、その後の保存工事の勉強などができる小さい資料館をドームの横に造ってはどうか。これは平和記念公園内の慰霊碑もそうだが、説明して初めて息を吹き込むことができ、実感してもらえる要素がある。説明板もあるが、原爆ドームには独自の何かが必要だと思う。
もう一つは市長が先ほどおっしゃったことだが、放置するという意味ではなくて原点に返るという意味ではそういうことを考える道もあるのではないかと思う。色々な補強工事をして今の姿を守っているが、本来の姿のまま残して自然崩壊していく様をみんなが見ていくのも破壊力をみんなが見る事になったのかもしれない。しかし、既に鉄骨の補強がしてあり、自然崩壊ということは失われてしまっている。ただ、これ以上手を加えて原形がなくなると意味がなくなるような気がする。それよりも屋根を付けるとか、そのものを保つための保護措置が、中を補強して姿を変えていくよりはいいように前から思っていた。
山根委員
まちづくりという観点から、いつもこの平和都市広島を考えている。イマジンハウスをなぜこういうテーマにしたかということであるが、広島と言うと原爆ドームの前にいわゆるカタカナのヒロシマという考えがあって、二つのメッセージがあると思う。今まで、被爆都市ヒロシマがあって負の遺産があるということだったが、もう一つは、いわゆるピカにあって、憎しみから立ち上がってきたこと。広島市民は次の日から復興に入ったと聞いている。いつの間にか原爆というのはこういうものだと分ってきて、その憎しみを乗り越えて、愛という形で今現在の平和活動に入っていると聞いている。それは憎しみを愛に変えていったということである。
それから、全国、全世界から色々な寄附が寄せられて、それが一つの復興の土台となる。平和都市建設法が広島と長崎に作られたことも、また大きな要素として現在に至っている。70年は草木も生えない広島と言われたが、60年が経つか経たないかのうちに、今や被爆継承が難しくなってきている。それを逆に受け止めると、広島のもう一つのメッセージとして、復元の街、復活の街という一つのコンセプトを全世界に発信していくため、壊された原爆ドームを産業奨励館として復元するという取組みを、一つのシンボリックなものとしてやってもらいたい。
それと、まちづくりの市民活動家としては、もう少し上手に観光客や市民に原爆ドームを見せられないかと考えている。例えば、川の中といった低いところから、高いところから、遠いところからも原爆ドームを見ることができるという提示の仕方があるのではないか。そういうことをやっていけば、市民や観光客、そして平和を希求する人々にとっても、よりシンボリックな存在になるのではないか。例えば、商工会議所の7階部分がドームと同じ高さになる。そこを市民に開放してもらったり、ドームの下の川に世界遺産航路を設け、原爆ドームと宮島を結ぶとかをすれば、また一つ新しいシンボリックなものになる。電車通りや川を挟んで朽ちていってしまう原爆ドームと復元、復活してゆく産業奨励館とを対比させるという見せ方もある。いわゆるビフォアー・アンド・アフターである。私たちは、お金がないので、世界から広島に来ていただいた方に、レンガ一つ一つを買っていただく時に、広島に来て感じたことを平和のメッセージとして書いてもらえば、寄附して頂いたという気持ちで、市民で創り上げる姿となる。
そして、これが例えば50年後100年後に古くなれば、また次の工事のためのレンガを、世界の方々から寄附して頂いて建替える。その時に平和に尽力された方々に、今度はそのレンガを買っていただく。そういう形にすれば、平和に関係する方々により、第二、第三の産業奨励館が出てくる。そうなれば何百年だろうが何千年だろうが産業奨励館は続くと私達は思っている。壊されたら立て直せばいいじゃないか。転んだら起き上がったらいいじゃないか。というふうなことも一つ人類の戒め、人類の愚かさの象徴として、復元という形で残していくということも広島の新しい世界に通用するメッセージとして、これを提案し、今現在その活動をしている。
船橋委員
私は今日のテーマが原爆ドームは何かと言うのと、保存のあり方ということだったので、論理的には保存しか方法がないかと思っていた。私は保存には反対ではないが、そうすると論理的にも、このまま自然崩壊もあり得るということもあった訳である。
市長
自然崩壊させないと言うのであれば、議論しないで決めましたではなく、議論した結果ダメですよという理由をキチンと整理した上で、進んで欲しいということである。
船橋委員
なぜ、自然崩壊に任せないで保存という方向を選択するかということをキチンと論理的にまとめる。そう理解して良いか。そうすると、それについてかなりちゃんと言わなければならないという事がある。
それからもう一つ、イタリアの遺跡の例など風雨に晒されているような遺跡を、今まで原爆ドームに比べ、遥かに長い年月を保存されている訳だが、その管理的な手法とか技術的な手法とかをご紹介いただけないかという事がある。技術的にどの程度のことが最新技術としてできるかを是非知りたい。
今の原爆ドームは、1945年の崩壊直後の原爆ドームからすっかり様相を変えている。2000年代の原爆ドームになっているとしか思えない。そういう意味では、どうゆう状況で私たちは保存するかということをキチンと理由つけて、45年当時の被爆の状況をそのまま伝えるように保存できるものかどうかということも、技術的な問題も絡んでくるので、その点を情報提供していただけないかと思う。
原点に戻って、今まで広島市がやってきたことに必ずしもとらわれなくていいとすれば、理論的にも原点に戻れということにもなるので、その点は相当キチンと議論しないといけない。なぜ自然崩壊に任せられないか、あるいは任せてもいいとするのかに、反論ができるようにしておかないといけないなと強く感じている。議論の仕方を最初から相当、整理して、何に対して我々は反論するのか、理論的に構築するのかということを、思い付きではなく、キチンとやっていきたい。
福井座長
このあり方懇談会は、「ドームの保存」から、次回取り上げる「資料館」「平和記念公園」のあり方も含めて、それについて今までの蓄積があるからそれは踏まえないといけないが、意見としては、本当に白紙状態で全ての可能性を考えて、全ての望ましい選択を検討して良いということであり、自由に、枠ははめられていないということだと思うので、その精神で議論していきたい。
市長
技術的な問題を含めて考えると、他の遺産や建物と比べて原爆ドームが決定的に違うのは、我々が残そうとしている原爆ドームの原形、状況は、元々の産業奨励館が破壊された跡の形であるということである。従って、やはり一番大きいのは技術的には屋根の設置である。大気の影響もあるが、やはり決定的に大きいのは雨による侵食だと思う。それともう一つは地震である。自然に任せるといった中で色々な考え方がある。雨風であれば何とか数十年は持つだろうが、地震の場合は一瞬に崩れる可能性があるため、その議論は少し違ってくる。
その議論をする時に、地震と雨風は違うのかということでは、雨の中には酸性雨があるが、酸性雨の浸食に任せるというのは自然に任せるということになるのか。自然と言うよりは過度な人間活動の結果だから、それから護るのは当然ではないか、どのように護るのかという議論もあり得る。そうすると一番護る上で何が簡単がというと、ある程度効果があるのは、何らかの形で屋根を作ることだと思う。今の保存も、小規模だが屋根をつけている。破壊された壁の上のところにモルタルや新しい材料を置いて、雨が壁の内部に浸透しないような形で保存工事をしているが、あれも小規模な屋根を作っているということが言える。より長期的に数十年という単位で考えると何らかの形で屋根を掛けるということも考えなければいけない。その技術的な面からの方向性、それを採用するかどうかである。
しかし、千年単位で考えると屋根を掛けても保存は難しい。それでも人類は再び核戦争を起こしてしまう、そうでなくても環境破壊が進んでしまうという悲観的な考え方もある。千年の場合にはどうすればいいのかと考えるとまたこれは違うことになる。次の世代・100年後の世代に送るべきメッセージとしては、どの時間枠で、何を考えて、その中で最適なものを選択しなければならない。そのあたりは非常に難しい判断だと思う。
簡単にできることはどんどんやっていくべきである。例えば、平和記念公園の中の原爆ドームを含めて説明に音声ガイドを付けるということは今までやってきてないが非常に大事なことだと思う。資料館の中だけでなく外でもできると思う。これは簡単に技術的な問題としてできることである。
長期的に何をどういうふうに残せばいいのかということである。手が加わっていないものを長期間残すというのは、他ではほとんどしてないことだから非常に難しいことである。
山根委員
広島にとって、原爆ドームは他の被爆建物と全然持つ意味合いが違う。せめて原爆ドームだけは残してもらいたいという声が大きいのではないか。また、観光資源という意味においても貴重なものであると思う。現実に観光資源になっており、なるべく現状のままで長く保存してもらいたいというのが市民の声ではないかと思う。その上でどのように見せるか、他に平和を訴える方向はないのかということで、先ほどの議論になっていくのではないか。できるだけ残してもらいたいというのを観光資源という面からもお願いしたいと思っている。
市長
問題は、1945年の8月6日の状況をAとすると、今までに既に手が加わっているので、それがA'になり、それがA"になる。現状のままとは言え、その時点で保存工事をすることによって、現状に近い形で工事をした努力はあるが、結果としてやはり変わっている。それはある意味歴然で、水が染み込まないように何もなかった壁の上に屋根を付けている訳である。エポキシによる補修でもそうだが、永久に維持できる訳ではないし、コンクリートも剥離してくるので、これをはがれないようにするために、コンクリートの中に接着剤を混ぜていくということになると、もっと外観が変わってくる。人間の顔に例えるなら整形手術で何枚も皮を張り替えたような形の原爆ドームになる。それしか方法がないから仕方ないというのは一つの答えであるが、例えば、屋根をつけて、それを屋内の施設にするということになれば、それほどひどい形にならない姿でより長い間保存はできる。ただ、全体、公園として、景観としての原爆ドームはその面では妥協を要する選択である。あるいはこの際、確かな保存はあるのだけれど自然に任せるという選択もある。
残すとしたらできるだけ原状に近い形でというのはそのとおりだが、その過程で少しずつ、人間の手が加わらざるを得ないとしたら、どの程度の加え方だったら現状というふうに、我々の許容範囲として許せるのか、どれ以上だったらダメなのか、他の選択肢があるのか。そういったところまで、議論をしていただけると大変ありがたい。
地井委員
ギリシャやイタリアでは365日遺跡と戦ってきている。ギリシャのパルテノンも破壊された形ではないし、完成したという形でもないが、石工がこつこつと何かやっている。パルテノンの形というのは、結果的にギリシャの国民が決めた歴史的建造物の保全のレベルだと思う。原爆ドームも広島市民が選択した歴史の記憶のレベルをどのように設定するのかということは、たぶん今の時代と50年後では変わってくるかもしれない。世界平和都市というのは記憶をとどめる責務があると思う。今でも川を掘っていると何か出てくる。黒い雨に関する新しいことがドームから見つかっている。この周辺からもそういう被爆の歴史が発掘される可能性もある。イタリアやギリシャほどではないにしても、四六時中、歴史を記憶にとどめる努力をしていかざるを得ない。広島市民がどういうレベルの記憶を選択していくかである。
福井座長
ドームにしろ平和公園、平和資料館にしろ、すべて過去を残すと同時に、残すこと、それを思い出すことによって、二度とそれを繰り返さないという将来に向かってのことが、初めからある。世界恒久平和のために、残すという観点がある。そういう観点に立つと、やはりドームを単なる歴史的な事象の名残として残すだけではなく、我々の次の世代に残すためにはこれはなくす訳にいかないし、自然に任せる訳にもいかない。そうすると、できるだけ原形を最大限残しながら、最小限の有効な手段を加えて、長い間持ちこたえるという以外に選択はない。
それから、観光の観点では、広島観光は別だと思う。宮島へ行く人とドームに来る人の目的は、観光であっても意味が違う。広島の街に来られる観光の意味は学習のためであって、やはり平和・原爆の問題で来られる非常に特殊な観光である。京都のお寺参りとは違うということをはっきりと認識しておかなくてはならない。
奈良の法隆寺などはずいぶんご苦労されて保存されている。木造建築として世界最古で、持ちこたえるというのは相当の工夫をされておられて、我々が行くと意味は違うが非常に感銘を受ける。日本にもそういう技術はある。それを工夫してやっていく以外にはないと思う。
今日皆さんに出していただいたご意見をまず事務局の方で整理して、次回の会合でさらに議論を加えるなり、解析するなりして、3回、4回目には何か提示ができるものとしたいと思う。明後日に東京で、東京会議があるので、今日の広島会議の意見をまとめて、東京の委員の方々に伝えたい。
舟橋委員
議事録を次回会合までに配付していただけるとありがたい。
事務局
本日の会議の内容については、まとめて送らせていただく。今日の会議の概要については、明後日の会議でもできるだけ報告する。東京での会議の結果についても皆様にお送りする。
若干補足をさせていただく。議論の中で坪井委員から原爆ドームの名称について発言があったが、「Hiroshima Peace Memorial(Genbaku-dome)」という形で名前がついている。広島市もかなり努力をしてそういう名称にした。
バッファーゾーンについて国への申請で義務付けという話をしたが、それはユネスコの基準に基づいて定められたものである。
法的基準、制約があるがという話があったが、制約の中ではなくて幅広くご議論いただきたいと思う。なお、世界遺産条約に基づいて世界遺産一覧表に記載されたということでいろんな義務付けが出ている。文化財保護法による国の史跡に指定されているということもある。それから平和記念都市建設法に基づくものであり、義務付けはないが、法的にはそういう位置づけがある。また、広島市被爆建物等保存・継承事業の実施要綱に基づいて被爆建物に登録している。
今回お願いしている原爆ドームの保存理念については、実際には過去あまり議論は行われていない。戦後から原爆ドームの保存をめぐって様々な議論はあるが、それは主に保存の是非論あるいは残すのは当たり前という形で表面的な議論が行われてきている。また昭和42年以降保存のあり方についても、技術的な検討が行われているということで、今回のような議論はあまり行われておらず、ここで議論いただくことにしている。
森滝委員
一つの側面が付け加えられないといけないと思うのが、1966年の市議会で永久保存を決議して、2回にわたる保存工事をしたこと、世界遺産への推薦を求める165万人の署名活動が行われたことなどを念頭において、今後の検討をしていかなくていけないということである。資料には取組みの内容は書いてあるが、その運動も記録に残していただきたい。
事務局
世界遺産化等市民活動の資料を用意したい。規制関係の資料も用意したい。
市長
ある程度歴史的事実はキチンと全体を押さえておいた方が良い。第1回目の保存工事の頃は、ともかく原爆の記憶が少しでもとどまっているものは全部いらない、記憶そのものを消し去って、被爆前の広島に戻してくれという気持ちがすごく強かった。そういう中では原爆ドームであっても壊してしまえという意見が少数ではなくかなり強くあった。それに対して、それでもこれは保存しておくべきだということが、初期の頃の保存の議論の中にはあった。今の保存の議論とは違うけれども、やはりそれも記録に残しながら、そのことも念頭において、ユネスコの世界遺産登録も含め、歴史的な変化が起こりつつ今のような状況になったことも十分理解しながら、議論していただきたい。
舟橋委員
それぞれの時点で人がどんなふうにものを考えていたかというような歴史的な資料を出していただきたい。最初の保存工事のときに本当に潰してしまえという意見があった訳だから、その時にどうして保存の方へ意見がまとまったかということは、議論の重要な出発点になるのではないか。
福井座長
分かりました。今日は時間を少し超過したが、皆さんに協力いただいたお陰で、非常に実り多い議論ができたと思う。第2回、第3回、第4回とこの調子でやっていきたいと思うのでよろしくお願いする。それでは、これをもって、閉会とさせていただく。
以上
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