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旧日本銀行広島支店の沿革
明治38年(1905年)に、日本銀行広島出張所が水主町(現在の中区加古町)に設置され、明治44年(1911年)には広島支店に昇格しました。その後、業務の拡大に伴い、昭和11年(1936年)9月に、現在地である中区袋町に新築移転しました。
旧広島支店の建物は、古典様式の優れた外観を有する広島の昭和初期を代表する希少な歴史的建築物であり、また、昭和20年(1945年)8月6日に、爆心地からわずか380mという近距離で被爆しながらも、その堅牢性から建設当時の姿を現在もほぼ残しています。被爆時においては、1階と2階はよろい戸を閉じていたため、内部の大破を免れましたが、3階は開けていたため全焼し、建物にいた20人(※)が死亡しました。また、被爆当日は、食堂などが負傷者の収容所となりました。そして、翌々日の8日には、早くも銀行の支払い業務が開始されるとともに、被災して営業が不可能となった市内金融機関の仮営業所が設置されたという、金融面から広島の復興を支えた史実を伝える貴重な被爆建物です。
その後、平成4年(1992年)3月に、広島支店が中区基町に移転し、旧広島支店は銀行としての役割を終えましたが、平成5年(1993年)6月に、「旧日本銀行広島支店」として被爆建物台帳に登録され、平成12年(2000年)7月に、広島市の重要有形文化財に指定され、現在一般公開されています。
なお、昭和45年(1970年)には、この建物の北側に新館が増築されましたが、平成9年(1997年)6月に取り壊されています。
※出典
広島市役所(1971年)『広島原爆戦災誌第3巻』:財務局(3階)職員12人
日本銀行広島支店(1977年)『みたまやすかれ』:日本銀行職員8人