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ひろしま八区ぐるっと散策「みち」めぐり 出雲石見街道

ページ番号:0000127853 更新日:2020年2月27日更新 印刷ページ表示
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出雲石見街道
西国街道に沿う堺町から北に分岐し、太田川・古川沿いに延び可部宿に至ります。
さらに可部から根之谷川に沿い上根峠・吉田・三次を通り、赤名越から出雲大社に向かう道と、南原川から可部峠・本地・中山から石見大森銀山に向かう道が分岐していました。
幅員は7尺(2m強)で代々の藩主により整備され、萩藩では祖元就の墓参のために利用され、吉田往還とも呼ばれました。

 

中世遺跡の宝庫
平安末期に平家が滅びると、関東武士が守護や地頭として安芸国に配置されました。
守護には甲斐国から武田氏が入り、武田銀山城を基に祇園地区を支配しました。
三入荘の地頭には、武蔵国から熊谷氏が入り、高松山城に移り可部地区を支配しました。
八木地区の香川氏や川の内衆と呼ばれる水軍も活躍し、街道沿いには、今なお多くの中世武士の史跡が点在しています。

 

折り目を中心とした町屋群酒蔵,醤油蔵の建ち並ぶ街道筋

 

 

 

 

酒蔵,醤油蔵の建ち並ぶ街道筋折り目を中心とした町屋群

 

 

 

 


古市町並
近世には高宮郡に属し、古川(旧太田川)を挟んで、中筋・古市の東西二村で成立しました。
江戸時代から農民の七分方が扱苧(こぎそ)・績苧(うみそ)をもって生活し、麻糸・麻縄の生産で栄えました。
鎮守社の久保山神社や浄土真宗浄宗寺を基に、「麻の古市」の名は広く全国に知られました。

※苧(お・そ)は麻の古名。大麻の皮を剥ぎ、煮扱いで晒し、裂いて糸にし、麻糸や麻縄を生産していました。

近世から麻生産で賑わった町屋近世から麻生産で賑わった町屋

 

 

 

 


祇園町並
平安時代末期には厳島神社領荘園の倉敷地となり、中世に武田氏により銀山城の東麓に、新羅・熊岡・日吉の各社や仏護寺(現在の広島別院)などが建てられました。
恵美須神社を中心に町屋が並び、西の裏通りは武田氏時代、東の裏通りは毛利氏時代のものです。近世には沼田郡に属し、北下安村の雲石路に沿って成立し、安神社の門前町として栄え、郡本(代官所在地)が置かれました。
八木用水敷設の棟梁桑原卯之助の墓所は勝想寺境内にあります。

旧沼田郡の中心地であった町筋旧沼田郡の中心地であった町筋

 

 

 

 

散策指南
各区で制作した散策ガイドマップには、歴史街道の一部が含まれています。

中区
「広島城下大絵図」各区が発行するマップ
「広島城北大絵図」
(中央公民館TEL082-221-5943)/活動団体:広島城下町案内衆

安佐南区
「あさみなみ散策マップ~祇園・山本ルート」
「あさみなみ散策マップ~祇園・長束/祇園・大町ルート」
「あさみなみ散策マップ~八木ルート/八木山の端ルート」
「あさみなみ散策マップ~緑井ルート/上八木ルート」
「あさみなみ散策マップ~古市ルート」
「あさみなみ散策マップ~毘沙門ルート」
(安佐南区役所地域起こし推進課TEL082-831-4926)
 /活動団体:武田山関連団体連絡会参加団体など

※活動団体は「みち」をテーマとしたイベントを主催するなどの活動を行っています。
※各区の公民館で活動する郷土史の会などの活動もあります。