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2024年8月1日記者会見「第11回NPT再検討会議第2回準備委員会への出席等について(帰国報告)」外1件
動画は下記からご覧ください。
(「広島市公式チャンネル(YouTube)(市長記者会見)」のページへジャンプします<外部リンク>)
日時 令和6年(2024年)8月1日(木)午後1時15分~午後2時05分
場所 市役所本庁舎11階第1会議室
■市からの発表案件■
【第11回NPT再検討会議第2回準備委員会への出席等について(帰国報告)】
この度、第11回NPT再検討会議第2回準備委員会への出席等を目的としまして、7月20日から27日までの8日間の日程で、スイス、ジュネーブ市を訪問いたしました。そのポイントについて話したいと思います。詳しくは、お手元の資料を後ほど御覧いただければというふうに思います。
第10回と第11回の(NPT)再検討会議の中間地点となる今回の(第2回)準備委員会は中満国連事務次長兼軍縮担当上級代表の、「核軍縮は一夜でなしえるものではなく、各国が一歩一歩、着実に進んでいかなければ実現することができない。今こそ締約国が手を取り合って協力していくことが必要だ」といった呼びかけをする開会のあいさつから始まったところであります。
(第2回)準備委員会の2日目のNGOセッションにおきましては、参加した21の団体のうち初めから3番目に長崎市の鈴木市長と共に平和首長会議の代表としてスピーチを行いました。スピーチにおいては、広島・長崎の被爆体験は核兵器廃絶の根拠となるべきものであり、我々は核兵器は「断じて使ってはいけない兵器」であると訴え続けてきたにもかかわらず、現下の国際情勢では核兵器が「条件次第で使える兵器」へと評価が変わっていくことを極めて遺憾であるとした上で、平和記念資料館の訪問者数が過去最多となっていることに触れまして、為政者に対し平和を愛する市民社会の声を踏まえ、核戦力強化や軍拡競争を肯定的に捉えることを直ちに見直し、対話による外交努力をもって核軍縮・不拡散措置を確実に進展させるように訴えたところであります。
滞在期間中には、核保有国でありますフランス、米国の政府代表と会うことができました。面会の際には、核保有国である両国にも多くの平和首長会議加盟都市があり、平和を愛する市民社会は広がっているということを説明し、為政者は市民社会の声を軽視せずに対話による外交努力を行い、誠実に核軍縮交渉を行うよう要請いたしました。それとともに、平和首長会議の取組に対する理解、協力を求めたところであります。
また、日本政府の代表とも面会を行った他に、核兵器廃絶に向けた国際的な取組を牽引しているタイ、メキシコ、アイルランドの各国政府代表とも面会をいたしまして、核兵器禁止条約の普及や実効性の確保に向けて今後も連携していこうということで一致いたしました。
((第2回)準備委員会に合わせて開催した平和首長会議役員都市意見交換会には、広島市、長崎市の他にフランスのマラコフ市、フィリピンのモンテンルパ市、スペインのグラノラーズ市、クロアチアのビオグラード・ナ・モル市、フランス支部の4都市、1支部が出席いたしまして、各地域で実施する取組の発表や今後の取組等に関する意見交換を行いました。今回の意見交換で行った議論を本年10月に英国、マンチェスター市で開催する第13回(平和首長会議)理事会で深めていきたいというふうに考えています。
さらに、(第2回)準備委員会の会場内で原爆平和展及び、今回初めての試みとなりました「子どもたちによる“平和なまち”絵画展」を開催いたしました。会議出席者や国連関係者に被爆の実相や核兵器の非人道性、平和文化の振興に向けた平和首長会議の取組への理解を求めていただいたところであります。
今回の(第2回)準備委員会には、広島県内で平和活動に取り組む高校生8名を平和首長会議ユースとして派遣いたしました。私も現地で多くの日程をユースと共にいたしまして、平和首長会議が実施する約4万4,000筆の核兵器禁止条約の早期締結を求める署名を中満国連事務次長に交付してもらった他、市川軍縮会議日本政府代表部特命全権大使主催のユース交流レセプションに出席いたしまして、現地の若者たちと交流を深めることができました。
さらに、(第2回)準備委員会のサイドイベントとしてユースフォーラムを開催いたしまして、平和首長会議ユースや、スイスと日本の交流に取り組んでいるジュネーブ市の学生をはじめとする世界各国の若者8組が自分自身の取組の発表や平和活動を行う上での課題等について意見交換を行いました。参加したユースからは、「様々な立場で多様な活動を行う同世代の仲間を知る良い機会となった。従来の枠組みにとらわれることなく様々な視点から核兵器廃絶を働きかける重要性を改めて認識できた」といった声が聞かれるなど、今後の活動につながる有意義なフォーラムとなったと思っております。
こうした活動の他にも、様々な場でユースたちがヒロシマのメッセージを自分たちの言葉で力強く発信している姿を見まして、大変心強く感じるとともに、被爆者の思いを確実に継承していくために、次代を担う若者の育成を世界規模で進めていく重要性を再確認できました。ユースとして派遣された8名には、今回の経験を生かしてこれからの平和活動を牽引するリーダーとして、そして核兵器のない世界の実現に向けた、世界を変えていく原動力として活躍することを期待しているところであります。
さらに、会議の会場となりました国連欧州本部、パレ・デ・ナシオンの庭で、2016年に植樹いたしました、被爆イチョウの2世の苗木が立派に成長しているのを確認することができました。
今回の出張では、様々な取組を通じて、多くの各国政府代表者や国連関係者などに、核兵器のない世界の実現を願う被爆者の思いを伝えるとともに、平和首長会議の取組についての理解を広げることができました。核軍縮を進めていくにあたって、国家間に考え方のギャップが存在していることは否めませんけれども、平和首長会議としては、来年の被爆80周年に向けて、国連や幅広い市民社会のパートナーと共同して、平和文化を振興することをはじめとして、様々な取組をより一層強化し、為政者が平和を愛する市民社会の声を聞き、対話による外交努力をもって、核軍縮に取り組んでいく環境づくりを行っていきたいと考えているところであります。以上です。
記者
現場でのスピーチのお話がありましたが、核兵器が存在することが前提で、使われうることへの懸念を強く表明されたのかと思います。市長は出発前の会見でも、核抑止力に頼るということは、どれくらい危険だということを分かってもらいたいと決意を述べられていました。その関連で、お伺いいたします。先月28日、東京でですが、アメリカと日米との拡大抑止に関する初めての閣僚会合が開かれました。拡大抑止、つまり、アメリカの核戦力などで日本を守るという、まさに核抑止も含まれた、そこに依存するという考え方だと思いますが、これは、やはり、被爆地からも、原爆の日を前にした開催であることもさることながら、核廃絶を目指す姿勢と明らかに逆行しているのではないかという指摘も出ていますが、今回のNPTでのスピーチも踏まえまして、市長、この閣僚会合に関するお考えありましたらお願いします。
市長
基本的に、考え方は、今、御説明いたしました、NPTでの発言と軌を一にするものでありますけれども、改めて受け止めをということであります。
私自身、この度の日米両政府の対応は、わが国周辺の安全保障環境が一層厳しさを増しているといった中で、現実的な対応として日米間の連携が一層緊密になっているということを示すことで、そういった問題に対処しようというふうに考えているものだというふうには思われるんですけれども、こういった対応のしかた、これは、私なりに解釈いたしますと、国家間の疑心暗鬼というものがもとになって、核兵器による安全保障上の脅威が現実のものになっているということを認めてしまうと。言葉を換えて言えば、核抑止論の破綻を認めてしまうというものであろうかと思います。そして、そのことは、核戦力の強化とか、軍拡競争を肯定的に捉えて、そして、核兵器の使用可能性までも高めることにつながりかねない発想ではないかなというふうに思うんですね。そういったことが起こらないから大丈夫だと言えない状況になっているというふうに思います。
したがいまして、本市としては、これまでも一貫して、各国の為政者に対して、核抑止力に頼るという発想を乗り越えて、対話を通じた信頼関係をもとに、安全を保証し合う世界の構築に取り組むように求めてきている。NPT再検討会議の第2回準備委員会においても、同様の訴えを行いました。また、重ねて、平和宣言におきましても、こういった核抑止力に依存する為政者に、政策転換を促していければというふうに考えていまして、引き続き、機会を捉えて、日米両政府を含む各国政府に、今言ったようなことをしっかり訴えていきたいと思っています。
【令和6年の平和宣言について】
令和6年の平和宣言について説明をさせていただきます。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化や、イスラエル・パレスチナ情勢の悪化といったことによって、世界はますます混迷を極め、戦禍により、罪のない多くの人々の命、あるいは、日常、こういったものが奪われております。こうした中で、自らの安全を守るためには、為政者が主張する武力や軍事力の強化を容認せざるを得ないんじゃないかといった考え方が広がってきておりまして、その傾向がさらに強まっているんではないかと感じているところであります。こうした状況そのものを変えていくためには、これまで以上に為政者が、威嚇であるとか、武力行使といったものではなく、対話による平和的解決に向けた外交政策へと転換することを促す必要性が今以上に高まっていることから、市民社会に平和文化を根付かせることによって、こういった事態を解消する重要性を強調するなど、被爆地ヒロシマから強く訴える平和宣言にしたいと考えています。そして、懇談会のメンバーの皆さんからいただいた貴重な意見を踏まえて、推敲を重ねて作成したといった内容になっています。
また、平和宣言が若い世代を含めて世界の多くの人に、より広く、より早く届くよう、発信にも工夫をしていきたいというふうに考えているところです。お手元の資料を見ていただきますと、まず1の「宣言作成の基本姿勢」であります。これにつきましては、平和宣言の作成に当たりまして、これまでと同様に「被爆者の思いを伝える」といったことを主眼に置きながら、「平和宣言に関する懇談会」での意見を踏まえた起草という内容になっています。
構成要素としては、6つの要素。すなわち「被爆の実相」、「時代背景を踏まえた事項」、「核兵器廃絶に向けた訴え」、「被爆者援護施策充実の訴え」、「原爆犠牲者への哀悼の意」、そして「平和への決意」と、こういった6つの内容になっております。
国家間の疑心暗鬼が深まり、世論において、国際問題を解決するためには武力に頼らざるを得ないという考え方が強まっていると感じられる中、為政者の政策転換と市民社会が起こすべき行動を強調いたしまして、広く理解してもらうため、できるだけ分かりやすく展開するようなものにしたところであります。
次に、「宣言の骨子」を説明いたしますと、まず、ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化など世界情勢が混迷を極めている中で、宣言の冒頭におきまして、国家間の疑心暗鬼が深まり、世論においても武力に頼らざるを得ないという考えが強まっている中で、また、こういった状況の中で市民社会の安全・安心を保つことはできないのではないでしょうかという問い掛けをまず最初にいたします。
次に、平和を愛する世界中の人々、国家ではありません。人々、必ずおります。こういった人々との公正・信義。そういったものを信頼しあって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすると決意したこの広島市民をはじめとする多くの人々によって、施行から75年を迎える広島平和記念都市建設法の下で平和記念公園が創られ、そして現在、平和都市広島が実現したといった展開にしています。
また、被爆者の体験記を引用いたしまして、被爆の実相と、人々が連帯して、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させる必要があると訴える被爆者の平和への願いを紹介いたします。
さらに、為政者が決意の上で対話をするならば、危機的な状況を打破できる事例といたしまして、レーガン元(米)大統領と対話を行うことで共に東西冷戦を終結に導いたゴルバチョフ元(ソ連)大統領の言葉と、米ソ間の戦略兵器削減条約を紹介し、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すために、希望を胸に心を一つにして行動を起こそうというふうな呼び掛けを行います。
その上で、争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために市民社会が起こすべき行動を提示いたしまして、「平和文化」を共有できる世界を創っていこうと呼び掛け、とりわけ若い世代には、広島を訪れて、共に行動してほしいというふうな訴えをいたします。広島市は、平和首長会議の加盟都市と共に、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいくということを宣言いたします。
そして、被爆地広島への関心、平和への意識の高まりから、昨年度の(広島)平和記念資料館の来館者数が過去最多となったことに触れまして、各国の為政者には、広島を訪れ、市民社会の思いを共有し、被爆者の平和への願いを受け止め、核兵器廃絶への決意をこの地から発信していただくことを求めております。また、日本政府に対しては、各国が対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう、強いリーダーシップを発揮するとともに、来年3月に開催される核兵器禁止条約第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となることを求めます。また、被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めております。
宣言の骨子は、以上のとおりです。
最後に「宣言の発信」についてでありますけれども、平和を願う「ヒロシマの心」をより早く、より多くの人に共有してもらうために、「恒久平和と、夢や希望を持って明るい未来へはばたく」という願いを込めて建設されましたエディオンピースウイング広島で撮影、収録いたしました英語版の平和宣言の動画を、式典における平和宣言直後に、広島市公式YouTubeチャンネルで配信をいたします。また、動画を周知するために、平和首長会議加盟都市やICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などの関係者、式典に参列した大使などに情報提供し、SNSによる事前告知やプッシュ配信なども行うことに加えまして、例年、平和記念資料館に配架するとともに、各国駐日大使館や国連代表部等に郵送しております平和宣言文に、今年度から、上記動画のリンクを二次元バーコードにして掲載することにしております。説明は以上です。
なお、参考資料として、引用した被爆体験記を書かれた方の御家族のコメントを付けておりますので、後ほど御覧ください。
記者
平和宣言に関して、昨年に引き続いて、核抑止力からの脱却を為政者に促すという文言が入るかと思うんですけれど、改めて、それを入れた意図と市長の思いを教えてください。
市長
先ほどから申し上げていますように、世界情勢を踏まえて、核兵器を使うかもしれないと、実際、核保有国の為政者の中で、そういった発言が出るような状況になっています。東西冷戦が厳しかった頃は、両方ともの為政者ですね。核というものを持っているけど、絶対に使うことのないものだと、破壊力が、いわば人間のコントロール下に置けないようなものだから、持っているということ、それで十分なんだと。それを核抑止論といって、それを持ちながらも、他国にそれを広げない、核不拡散。そして、力を維持しながら、自分たちで調整して、核兵器を縮減していく。それがNPT体制で、皆さんNPT体制に入りましょうとやって、加盟国を増やしてきたわけですけれども、その根底が今、変わりつつあるということなんです。核兵器を持っている国そのもの、そして実際、NPT体制に入っていない国で核兵器を持っている国が出ているということは、以前も言ったんですが、核抑止論、核兵器というのは使われない兵器だということが認められなくなってきていると。そういう中で、これを前提にしたいろいろな展開をしていくと、ミスカルキュレーションといいますか、誤って核兵器を使うというふうなことが起こりかねない。これはどなたでも分かる話でありまして、理性を発揮して、それを抑えるということができない可能性も発しているわけです。だから、改めて、とりわけ核兵器を持っている国の為政者に、それを分かっていただくということ。そのためには、多くの市民社会、分かっていますよと、そういったことをしっかりと受け止めてくださいという、そういう行動にするといいますか、世論をそういうふうに形成していくということを今やらないと。あの方が悪いからダメなんだと、次の為政者に移って、次の為政者もそうなるか分からないわけでありまして、根源的なところで、その問題意識をしっかり持つということをやる必要が今まで以上にあるというふうに思っていますので、繰り返し言うということをしたいと思っています。
記者
ゴルバチョフ元大統領の言葉を引用されるというふうなことですが、今のロシアの情勢を踏まえて、ロシアの政治家の言葉を使おうというふうに思われたのか、それとも、いろいろな言葉を調べられる中で、たまたま、ロシアの方だったのか、そのあたりの何か意図がもしあれば教えてください。
市長
ゴルバチョフさんの言葉を引用するというのは、実際に今の核兵器に対する評価の問題が変遷してきて、核使用の危機があるといった中で、核兵器に関わる核軍縮・不拡散の考え方をしっかり進めることができた為政者がいたという事実に着目しました。その事実と、実際やろうという決意を核兵器を持っている為政者がやるならばできるという事実があるということを示すことで、今の核兵器保有国の方々にしっかりと考えていただけないかなという動機付け、そこで今の核兵器保有国、両大国は米国と当時はソ連(ソビエト連邦)でしたけど、今はロシアであります。その両国の為政者、東西冷戦がある中で、ある意味で両者とも、ある意味で最右翼的な発想でやっておられたんですけれども、しかし全体構造を考えた中でゴルバチョフ元ソ連大統領は、ベルリンの壁が壊れたのが1989年ですけれども、それに先立つ1986年、ウラジオストク市でレーニン勲章授与記念式典があったときに、そこで演説された言葉を見ますと、強い決意を持って対処するというふうなことを言われて、その後、実際に中距離核戦力全廃条約(INF)であるとか戦略兵器削減条約(START)、これを締結することをやっております。そのことを1990年にはノーベル平和賞というものを受賞することで世界的には認知されておりますから、今の為政者でもしっかり考えていただければ、可能性はあるんじゃないかということを改めて確認していただければと思って引用いたしました。
記者
引用されている被爆者なんですが、資料によりますと高橋さんってありますが、これは確認ですけど、元(広島平和記念)資料館長の高橋(昭博)さんで間違いないでしょうか。あと、この方の言葉を引用された理由、何か市長の心に響くものがあったんじゃないかと思うんですが、どうして、この方のこの言葉を選ばれたのか分かれば教えてください。
市長
これは今申し上げたゴルバチョフさんの発言、1986年ですよね、それとほとんど同じ時期なんです。つまり、国家間の分断というのが強まっておりまして、そのあとぐっと縮まって1989年になだれ込むんですけれども、一番大変な、東西冷戦どうなるだろうというふうな頃に、その頃の緊張状態を背景にしながらも、被爆の惨禍を経験して自分自身も大変な状況にある中で、いわば過去の憎しみとかいうものを乗り越えて、悲劇が起こる歴史の潮流を転換しなきゃいかんというふうに考えて、そのことを語っておられたんです。だから時代は違うんですけれども、一番危機的な状況が高まった中で、いわば筋論を通されたということ、そんな中でこの高橋さんが言ったから、ゴルバチョフさんがやったという関係ではないと思うんですけれども、そういったことをやれる為政者がいたという事実はあるんですから、今でもやろうと思えばできなくはないんじゃないでしょうかと、そういうつながりを意識して引用させてもらいました。
記者
平和宣言の骨子の中に、「市民社会に対して行動を起こすよう呼び掛けよう」とか、「行動を提示し」とかいったくだりが各所にあるんですけど、具体的には市長としてはどんな行動を市民社会、特に若い世代というくだりもあるんですけど、若い世代にどんな行動をイメージされているんでしょうか。
市長
今回一緒に、高校生8人、一緒に行っていただきましたよね。そういった中で日々の行動する上でまず考えてもらうことです。核兵器の使用というものがどういう事態を引き起こすか、それを自衛かも分からないと考えている方々に、どういうふうに考えるべきかということを、まず自分の身に照らして考えていただく。それを使うことがどんなに悲惨な実態を生むか、まず使うことそのものが簡単なことではないから、あんまり大したことではないんじゃないかと思っているような方がいるとすれば、そういった方々に対して被爆の実相を、とにかくしっかり分かっていただくということをやる。そうするとおのずと、じゃあ今の状況はどうなんだろうと冷静に考えていただけるというふうに思うんです。それを広めたい。そして、そのアンチテーゼじゃないんですけど、そういう紛争状態と全く違う状況の中で、例えばスポーツ、オリンピックもそうでしょうけれども、文化芸術活動、そういったものができるということをやる。今申し上げた悲惨な状況と違う状況をつくらない、ということをしっかり意志固めして、自分たちのポジティブな気持ちを引き出すような諸活動をすると、これをやり続けるというふうなことを決意してもらう。そして、例えば為政者を選ぶような機会には、今言った考え方をしっかりサポートしてくれる、あるいはそれを踏まえた行動をしてくれる為政者を選ぶようにすると。、そういったことを日頃の生活の中でしっかりと身に付けていくということをやってもらいたいと思っています。
記者
今回の平和宣言、すごく国際情勢に対する危機感というか、そういったものが表れているなというふうに感じたんですけれども、宣言の骨子の1にありますように、「ロシアによるウクライナ侵攻の長期化」というふうに、ウクライナ侵攻については、ロシアがウクライナを侵攻しているという関係性が明記されていることに対して、イスラエル・パレスチナ情勢については、併記する形で、悪化というふうに表現をなさっております。
広島でも原爆ドーム前で、毎日、スタンディングをされている方もいらっしゃいますけれども、それは、やはり、イスラエルの方も亡くなっているけれども、やはり、圧倒的に、ガザ地区を中心にパレスチナ人が殺されているってことに対して、それを止めろという国際的な声も上がっておりますけれども、こういった併記した書き方では、そういった状況が、ちょっと見えなくなるのではないかというふうに、ちょっと、私は不安に思ったんですけれども、市長が、「イスラエル・パレスチナ情勢」というふうに、あえて併記をした理由を教えていただければ幸いです。
市長
今、言われたような考えをもって、併記したものではないということを申し上げます。その違いは、ロシア・ウクライナが、ある意味で、国対国の争いごとになっているということ。それが長期化しているということを記述いたしました。
イスラエルの場合は、パレスチナという、国を一部認めているところありますけれども、国連として全体認められてない。ある意味では、パレスチナの中の一部の住民がやっているということで、国家間紛争というふうにいえるかどうかというのは、問題っていうか、定義の仕方もありましょうから、実際、紛争が起こっているということを言えば、皆さん分かっていただけるということでありまして、そういうつもりで書いた、それ以上でも以下でもありません。
記者
市長としては、当然というか、ガザ地区で起きている戦争犯罪ともいわれている状況については、危機感を抱いているということは間違いないんでしょうか。
市長
危機感を抱いている具体例の一つとして、引用したものです。引用の仕方について、評価を加えるようなことはしておりません。
記者
それで関連でなんですけれども、昨日、長崎市が平和記念式典にイスラエルを招待しないということを発表しまして、ただ一方で、パレスチナ自治区については、広島市とは違って、招待をするというふうなことが報じられております。
このイスラエルを招待しないということについての受け止めを教えていただけたらと思います。
市長
今回、広島と長崎の招待の仕方に差があるからどう思うかという御質問なんですけれども、本市と長崎の対応の仕方は、これまでも異なっていたものでありまして、これまでそういう質問を受けたことはありませんでした。ですから、質問する方の方が、ある意味で意図を思って聞かれているんじゃないかというようなことを、逆に私自身は、懸念しているわけでありますけれども、従来から申し上げておりますけれども、世界の国々に対して、被爆の実相に触れてもらって、被爆者の思いとか、平和のメッセージをちゃんと共有していただける。そういう式典を開催して、きちっと、式典が平穏のうちに開催されるという思いでやっておりまして、来る国の評価をどうこうという意図はないということ。これは、長崎の方も同じように考えていると思いますね。
招待の仕方については、別に協議しているわけではないし、強調しているわけでもないから、今までもあったということを、まず、了解しておいていただきたいと思っています。
その上で、長崎市の方からのお話を聞きますと、イスラエルを招待しないことにしたのは、「式典を平穏かつ、厳粛な雰囲気のもとで開催したいと思っているんだけれども、現時点でも、なお、リスクへの懸念に変わりはないために、苦渋の決断ということで招待しないようにしました」ということを、長崎の鈴木市長からもお電話いただいたという状況があります。
そんな中で、本市として、これは以前にも御説明しているんですけれども、招待の仕方、元々、長崎も広島も、そういうことを打ち合わせてやっていないものですから、違っているということを申し上げるつもりで言ったんですけれども、まず、平成10年に、当時の核保有国の駐日大使への参列要請ということで開始をいたしました。そして、平成17年に至りまして、核軍縮を推進する国の首脳への参列要請ということを追加した。つまり、大使参列と首脳参列を追加ということでやりまして、さらに、平成18年には、駐日大使への参列要請を日本政府が国家として承認している全ての国へと拡大したという経過がありました。その後、令和5年に至りまして、今、申し上げた、首脳への参列要請に関しましては、核軍縮推進国から、核兵器禁止条約の非署名、非加入国へと切り替えるということにしまして、核兵器禁止条約を認知した国は、分かっていただいているからいいだろうということで、招待しないようにしてきたというのが広島であります。
で、イスラエル参列の件に関しましては、式典、平穏な開催の妨げに、広島としてはなることはないだろうということ。元々、世界の国々に被爆の実相に触れてもらって、被爆者の思いというものを、あるいは、平和のメッセージというものを共有してもらう。ぜひとも共有していただきたい。そういう考えでやっておりますから、今回も、それを踏まえた処理をしたんですね。それが、どうかとこういう御議論。ちなみに、長崎の方に確認しましたところ、長崎は、我々が駐日大使への要請をする中で、日本政府が国家として承認している全ての国へということをやっているところなんですけど、長崎の方は聞きますと、平成26年ごろに日本国内にある大使館といいますか、呼ぶやり方を変えているということがありました。平成25年までは一部の国への招待をしていたんですけれども、(平成)26年から全体に広めて、さらに日本国内にある大使館の中でも、その他代表部、大使館ではないんだけれども、その他代表部ということで代表組織を持っているところにも招待するということにしたようでありまして、平成26年以降、パレスチナを呼んでおられると。それをそのまま今回も踏襲されたけれども、イスラエルに関しては自分たちの式典の開催に、どうもリスクがあるんじゃないかということで考えたということでありました。ちなみに、ロシアについては、当時、私自身お呼びして式典を開催するときに式典の開催が平穏にいかない可能性があるからということで、やはりロシアは今も、その態度を変えておられないので。態度ですよ。紛争しているかどうかじゃなくて、態度を変えておられないということで呼んでいないということです。
記者
式典のイスラエル招待について、しつこく聞くのは、やはり市民から招待してほしくないというふうな声とか抗議行動が起こっているからお伺いしているんですね。これについて市長がどういうふうに受け止めているのかお伺いさせてください。
市長
そういう方々に対して今の説明を理解していただきたい。自分たちが心配すれば世の中全部思うように変えられるということではない。つまり、式典を主催する我が方が、皆さんが考えておられるようなことで式典を開催しているわけではないので、御理解いただきたいということを強調したいがために、詳しく説明しております。私はアンパイア・審判員でもないわけであります。どこの国が正しいとか悪いとか言っているわけではないのに、自分たちとして式典について、そういうものだと思っておられるので、そういう考え方をとらないでいただきたいと思っていると。その上で、こういった処理をどう思いますかということを問いかけるために申し上げておるということです。
記者
広島は広島のお考えがあって、長崎は長崎で考えて、それぞれの御判断かと思います。パレスチナ自治政府の扱いなんですけれども、こういった、今市長が御説明してくださったような、その都度その都度、どういった国をお招きするかといったことは考えながらされてきているということが分かったんですが、昨今の情勢を踏まえて、あえて、ここでパレスチナ自治政府も招待するという選択肢もあったのではないかと思うんですけれども、この辺りをどのような判断をされたのか。結果的に、これお聞きしているのが、長崎さんは、ずっと平成26年以降、呼ぶというふうな判断をされておる。国家であるかどうかということを問わずお招きするという姿勢を長崎さんがしているものですから、広島市の姿勢について改めてお尋ねします。
市長
長崎と広島の対応をどう評価するかということについて、私の権限を越えることだと思いますが、事実、申し上げたように長崎は、(平成)26年のときに取り扱いを変えたという事実があります。そのとき相談したわけでも何でもありません。向こうは向こうの事情でされたんだと思いますし、我が方は、先ほど言ったように平成10年、17年、18年、令和5年というふうな中で、いろいろ取り扱いをし、それをそのまま踏襲したと。今言われたのは、そういったことをしないで、今回の事態が起こっているので、なぜその招待の仕方を見直さなかったのかという質問に等しいんですね。私にとりましては、ですよね。なぜパレスチナを呼ばないのかということですから。呼ばなかったのかと。今までのやり方を踏襲したと申し上げたら、なぜ呼ばないのかということですから。長崎のように何で見直さないかという御質問になるわけでありますね。ですから、それはやっておりませんし、やらなかったことについて、私自身、別に不自然なことはありません。しかし、前回の会見で申し上げたように、そういったことを言われる方がおりますから、来年の被爆80周年においての平和記念式典への参列予定に関しては、もう一遍きちんと見直してみると、そういった皆さんの疑義が起こらないように見直すということを申し上げてきているところであります。
※( )は注釈を加えたものです。
第11回NPT再検討会議第2回準備委員会への出席等について(帰国報告) [PDFファイル/1.46MB]
令和6年の平和宣言について [PDFファイル/245KB]
(参考資料)平和宣言で引用した被爆体験記を書かれた方の御家族のコメント [PDFファイル/175KB]