ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 市政 > 市の概要 > 市長の部屋 > ようこそ市長室へ > 市長記者会見 > 令和5年度 > 2023年11月13日記者会見「ハノーバー市との姉妹都市提携40周年記念事業及びベネチア市との友好協力に関する合意書調印式への出席について(帰国報告)外1件」

本文

ページ番号:0000358809更新日:2023年11月20日更新印刷ページ表示

2023年11月13日記者会見「ハノーバー市との姉妹都市提携40周年記念事業及びベネチア市との友好協力に関する合意書調印式への出席について(帰国報告)外1件」

動画は下記からご覧ください。

(「広島市公式チャンネル(Youtube)(市長記者会見)」のページへジャンプします<外部リンク>

日時 令和5年(2023年)11月13日(月曜日)午後1時30分~午後2時3分

場所 市役所本庁舎11階第1会議室

 

市からの発表案件■

【ハノーバー市との姉妹都市提携40周年記念事業及びベネチア市との友好協力に関する合意書調印式への出席について(帰国報告)】

市長

 この度、ドイツ・ハノーバー市との姉妹都市提携40周年記念事業に出席するために、本市訪問団は当地を訪問いたしました。また、友好協力に関する合意書調印式に出席するため、ハノーバー市訪問後、イタリア・ベネチア市を訪問いたしました。本日は、その結果概要について、お配りしている資料を基に報告をいたします。

 訪問団のメンバーは、「2訪問者」というところにあるとおりでありまして、私と母谷議長、山路議員等で構成する本市代表団、上田宗箇流家元などで構成する芸術団と、経済交流団の合計17名でありました。訪問日程は「3」のとおり、令和5年10月31日から11月7日であります。

 次に、「4主な用務」について御報告します。用務数が多いために主要なものについての簡素な報告にいたしまして、その他、詳細につきましては資料を後ほど御覧いただければと思います。

 まず、11月1日ですけれども、1ページの(1)「ア」、そして、2ページの「イ」のとおり、本市がハノーバー市に寄贈いたしました茶室の視察、そして、エギディエン教会跡での献花といったことを行いました。

 続いて、11月2日ですけれども、(2)「ア」のとおり、ベリット・オーナイ ハノーバー市長との意見交換を行いました。会談では、次世代を担う青少年たちが、平和が大事であることを実感できるような取組、具体的には、サッカー交流であるとか、ハノーバー市での茶道文化の普及、あるいは、音楽交流、こういったことを検討していくことになりました。

 4ページの「カ」を御覧ください。平和首長会議ドイツ支部主催によります市民公開講座に出席いたしまして、「G7広島サミットを踏まえた広島市の平和の取組について」と題した講演を行いました。講演では、平和記念公園の慰霊碑碑文を紹介いたしまして、「ヒロシマの心」を説明するとともに、市民社会に平和文化を根付かせるために自分は何ができるかを考えてほしいといった呼び掛けを行いました。

 続いて11月3日ですけれども、(3)「ア」を御覧ください。ドイツ国内の加盟都市の首長等が参加した平和首長会議ドイツ支部会議に出席いたしました。世界の平和構築に向けて情熱を持って連帯し、今後とも、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に共に力を尽くしてほしいと訴えました。また、今回の出張では、原爆投下直後の広島をCG映像で体験できるVR機器、バーチャルリアリティーの機器を持参しておりまして、この会議の機会を捉えて参加者にその映像を視聴してもらうということも行いました。

 続いて、5ページの「ウ」を御覧ください。広島・ハノーバー姉妹都市提携40周年記念展覧会「サムライ・茶文化と広島の復興」のオープニングイベントを行いました。イベントでは、上田宗箇流家元の講演や、ヒロシマ・メッセンジャーによるプレゼンテーション、再現されました茶室「鎖の間」で開催された茶道のデモンストレーションを行ったほか、経済、観光「ザ・広島ブランド」のパネルや工芸品を展示いたしまして、約200人のハノーバー市民が来場いたしました。

 次に11月4日であります。(4)「ア」を御覧ください。ハノーバー市主催の姉妹友好都市40周年記念式典に出席いたしました。私は挨拶の中で、青少年交流から始まった両市の関係を今後さらに発展させて、若い世代の交流を強化しながら、平和首長会議とともに、市民社会、特に若い世代にあらゆる文化、暴力を否定する平和文化を根付かせることに力を尽くしていきたいとの決意を述べました。また、オーナイ市長からは、8月に広島を訪問した際に平和記念式典への出席や被爆者との面会を通じて、「ヒロシマ」を二度と繰り返さないと決意したとの発言があり、これからの両市の絆をさらに強化していきたいと述べられました。式典では、「友好関係継続の覚書」が発表され、私とオーナイ市長が署名を行いました。また、ハノーバー市が、私をユネスコ音楽都市のハノーバー大使に任命してくださいました。

 次に、ベネチア市との友好協力の合意書の調印式に出席したことについてです。7ページの(6)「ア」を御覧ください。11月6日、ベネチア市庁舎で開催された調印式には、ルイージ・ブルニャーロ ベネチア市長を始めとする関係者約100人が出席いたしました。ブルニャーロ市長は、「今日、私たちは世界平和の維持と促進への取組に基づいた協定を広島市と締結した。平和と自由、そして、他者への尊重の価値を無視することはできない。」との挨拶があり、日本との絆を強調されました。私も挨拶を行いまして、ベネチア市と共に平和文化を根付かせるための様々な取組を推進することによって、双方の市民の主体的な参画を得た交流を継続的に実施し積み重ねていくことで、両市民の平和への思いが地域や国の垣根を越えて世界中に広がっていくということを願うといったことを述べました。なお、参考までに合意書の日本語版を添付しているので、後ほど御覧ください。

 最後に、この度の出張についての所感であります。まず、ハノーバー市との姉妹都市提携40周年という節目の年を迎えまして、これまでの両市の交流の積み重ねを互いに振り返るとともに、今回の記念式典を新たな出発点として、両市の友好関係を改めて確認することができたのではないかと考えます。また、市民間、そして、行政間の幅広い分野での多様な交流、とりわけ、戦災復興都市同士として青少年及び平和の推進を中核とした交流に支えられてきた両市の強い絆、これからも変わらないものと確信することができました。

 今回、数々の行事への参加によりまして、本市代表団メンバーとオーナイ市長を始めとする市幹部、市議会議員、さらに、様々な友好団体関係者が大変親密になることができたと思います。特に、オーナイ市長及びヘルマン副市長とは、様々な場面で話をする機会に恵まれましたことから、互いの理解を深めることができ強い信頼関係を築くことができたところであります。こうした絆を大切にして、これからも両市で青少年を対象とした未来志向の交流を推進し、より一層の友好関係と相互理解を深めていきたいと思っております。

 ベネチア市との友好協力に関する合意書締結については、令和3年4月、ブルニャーロ ベネチア市長が「平和のシンボルとして名高い本市と交流ができれば、大変誇り高く名誉である。」と本市の平和の取組を高く評価して、姉妹都市提携を申し入れたことに端を発しております。今回、ブルニャーロ市長とお会いして本市と連携していくことに強い期待感と、平和を希求する気持ちが伝わってまいりました。本市としても世界的に非常に知名度が高く、音楽や絵画など芸術文化が根付いているベネチア市と友好を深めることができれば、平和文化を市民社会に広めていく絶好の機会になると考えています。

 今後の具体的な交流については、ベネチア市が平和首長会議の加盟都市であること、また、ブルニャーロ市長自身、平和への思いが非常に強いことから、交流の第一歩として、平和首長会議の平和プログラム、例えば、原爆ポスター展の開催や、被爆樹木の種の贈呈などを提案していきたいと考えております。

 また、文化・観光など両市が強みとしております分野において交流を検討し実施していくことで、市民間での相互理解と友好親善を深めて、世界平和の推進につなげていければなというふうに思っているところです。説明は以上です。

 

記者

 ハノーバー市長との意見交換で、①のサッカー交流ということが具体的に何かやろうという話になったということなんですけれども、もう少し具体的に、どの程度の実現可能性があって、今どういう段階かということを教えてください。

 

市長

 ハノーバー市には、ハノーバー96というサッカーチームがありまして、実はそのサッカースタジアムも見学に行き、その施設内容の説明などをこの運営会社の社長さんといろいろ話をした中で、実は来年の2月には広島市にもアリーナ、サッカースタジアムができるんですよと、こういう話をしたところ、もし可能ならば自分もそういうものを見に行きたいという話もありました。あっちの方は大きな5万人以上入れるスタジアムなんですけれども、こっちの方は3万前後ですがということで言ったんですけれども、随分乗り気でありましてですね、できたら若い世代の交流というふうなことをやってもいいと思っているんだがと話をしたら、ぜひ検討してみてくれというような話を受けています。どういう形でできるかは検討できればなというふうに思っているところです。

 

記者

 市長の今の頭の中では、こちら側でいうとサンフレッチェのユースとか、地元の市内の高校生のサッカー部。

 

市長

 そうすれば青少年の交流は加速するんじゃないかなと思いますんで。

 

記者

 これから事務方同士でそれぞれやる。

 

市長

 そうですね。こちらでは、仙田さん(サンフレッチェ広島)に言ってみて、直接交渉してみてもらえないかっていうようなことを言おうかなと思っています。

 

記者

 そうなったら直接っていうことですかね、民間・民間で。

 

市長

 その方がいいと思いますよ、話が早いので。

 

記者

 ブンデスリーガ、ドイツ、サッカーがだいぶ盛んだと思うんですけれども、市長、行ってみられて感じられる、学ばれるようなことはありましたか。今回、広島サッカースタジアムに。

 

市長

 私の個人的感覚から、向こうは一回、この広島でサッカースタジアムを造るかどうかのときに一度行っているんですね。それで、そのスタジアムの由来は知っていまして。ハノーバーがいわゆる戦争被害に遭って廃墟と化した中で、廃材を土台に敷いて、その上にサッカースタジアムを造って、戦後の復興期にもみんなで頑張ろうということで、スタジアムを運営していて、その直後は立ち席ばかりで8万人ぐらい入るぐらいのスタジアムをそこで造っていたという歴史があったと。今度は、それを、そのあとしばらくして、座る席ができるようにして5万ぐらいにして、その経営を成り立たせるために、お客さん用のスペースをいっぱい作って、店舗貸しじゃないですけれども、観覧するスペースを企業への割り当てスペースにしてやるとか、それから天然芝ですから、それらの維持とかをやってというようなことを聞いていて、当時は聞いたときは大変だなと、すごいお金かかるしというようなこともあったんで、広島でサッカースタジアムを造るときは、そういったこともよく頭に入れて関係者が一緒になって確実に経営する体制を作らないと、これはもたないなと思っていて、今回、出来上がったものですから、そういう気持ちを込めて、うちの方がいいんじゃないですかと、相当工夫していいスタジアム造っているというような話をさせていただいたんですね。そうすると向こうも見てみたいなと、こういう感じになりましたので。今回、スタジアムを造るにあたってのいろいろな関係者の努力ございましたから、それをうまく結集して、運営にあたっても広く多くの方が利用できるような仕掛け、もちろん、地元の方の支援も得られるようにするためにも、さっき言った国内外の若い方々の交流なんかも含めてやれる施設運営がされれば、相当いい運営ができるんじゃないかなというふうに思っていまして、そういう意味ではひいきの引き倒しじゃないですけど、スタジアムとすれば我が方が相当きれいだなと思いますし、出来上がりがいいんじゃないかなというふうに思っています。

 

記者

 若い世代の交流ということで今後打診して…。

 

市長

 もちろん、プロなんかもね。会場に日本から行っている選手、2人ほど連れてこられて紹介を受けまして、若手で既にチームに入っているのと、研修中のお二人おられて。

 

記者

 ハノーバーのチームにですか。

 

市長

 うん。そういう方も挨拶しまして、機会があったら、ぜひ広島に来てくださいというようなことを言いましたから、そういったことも含めて何らかの交流ができないかなと思っています。

 

その他の質問■

【平和記念公園とパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定での訪問について】

記者

 今回ハノーバーとベネチアの訪問を終えられて、月末には今度ハワイのホノルルに訪問されるということが発表されています。この訪問に向けて市長の狙いと、訪問の意義をお伺いできますでしょうか。

 

市長

 月末に行くハワイの方は、元々はTPNW(核兵器禁止条約)、ニューヨークの核兵器禁止条約の方の締約国会議に参加なんですけれども、その帰り道で寄ってこようかなという日程にしています。これについては8月6日にウェイン・ミヤオ(ホノルル広島県人会会長)さんがみえて対談したときに、同席されていたパールハーバー(国立)記念公園の管理監督者の方から、できたらパールハーバーの方で追悼の記念式典というのがあるんで、出てもらうようにお招きしたいんだというような話があったりしたあとで招待状が届いたんですけど、招待状と合わせて「式典が出席できないとしても、なるべく早く来てもらって、いろいろな話をしたい。」というような案内が来ましたもんですから、じゃあということで、ニューヨークに行きますので、その帰り道に立ち寄ってお話をしようかなということで行く予定にしています。ですから、当然、管理監督者の方との協議を行うということ、それと、できればホノルル市長とも面会して、都市間交流の中でどういうふうにしていくべきかみたいなこともお話ししようかなというふうに思っています。

 

記者

 今お伺いした、管理者の方との協議もされるということ。

 

市長

 もちろん。管理者との関係で姉妹協定を結んでいますからね。

 

記者

 姉妹公園協定について。

 

市長

 はい。

 

記者

 今後の取組にとかについて、どんなような。

 

市長

 具体化するために、どういったことをやろうかという話をしようと思っています。

 

記者

 関連で、この姉妹公園協定に関しては、情報公開請求で広島市と米国側との協議が明らかになりまして、米国側は当初、この協定をG7期間中にやるということで、そういった市側に提案してきていたということで、最終的にはそうはならなかったのですが、市として、期間中に締結ができない、見送ろうとした判断、これはどういったようなことからだったのでしょうか。

 

市長

 それは中国新聞に、ちゃんと協議内容のスケジュールが載せてありますので、そこに書いてあるのと、資料提供した分の抜けている部分があったりするのであれなんですけれども、その中で、実はこの5月11日かな。市役所内で協議したときに、和解や未来志向で世界に発信すると、そうした中で、調印式に、ブリンケン(米)国務長官とか、エマニュエル(駐日米国)大使など出席できる最も位の高い政府高官を考えていると、こういうようなお話があったんですけれども、ただ、そのときに日程自体、国の方でG7の日程が決まってないですよね。だから、具体的な話がなくて、できるかも分からないという見方の中で、アメリカ側の調印者についても、今言ったように調印式の日時とか調印者については、やるとすれば可能なかぎり17日までに確定できるように努力するというような話があったんですが、向こうの方で日程設定をしたいというような話があって、じゃあそれを前提にこちらも考えられるかなというのが11日の段階だったんですね。

 そして、(G7)サミットの準備の方はどんどん進むけれども、うちの方は市全体でロジ(ロジスティクス)はやるけれども、中身の会談とか首脳に伴う行動計画は、いろいろなことがギリギリまで分からないという話ですから、それが分からない中で、どんなもんかというふうなことをやっていまして。そして、ここにありますように、いよいよ18日に、直前になってもまだ、17日までに知らせると言っていたのに来ないんですよね。連絡が来なかったんです。

 したがって、来ない直前として、実は11日にやったあと15日かな、そのときにも向こうの方でここに書いてあるように、締結式が(G7)サミット期間に資料館で開催できればいいし、難しければ6月29日ということで。だから、当日やることと6月29日、2つを前提に考えているというお話が来ていましたので、日程が決まっていないのに、2つの提案になっているから、どっちにしていいか分からないじゃないかと。それまでに決まるかと思ったら、全然、通知、来ないから、いよいよ18日にそれじゃあ協定は間に合わないから、あとの方でということでというお話をしたんですけれども。ということであります。具体的日程が提示のないまま動いていたというのが現実、その当時の状況です。

 

記者

 サミット期間中にやるということの是非については、市長のお考えはいかがだったのでしょうか。

 

市長

 私自身は、向こうの方がちゃんと調整できてやっていただければ構わんと思っていましたし、むしろ中身として、それまでに英文の協定内容と日本語訳なんかを見させていただいて、書いてある中身に問題があるようなものでなければいけますよというふうな構えでいて、日程調整はほとんど向こうに任せていましたからね。

 

記者

 サミットは、お伺いしたとおり、ロジックとかは国家行事なので国が決めることなんですけれども、協定については広島市も外務省なりとの協議っていうのはされていたんでしょうか。

 

市長

 うちの方は権限ないから、アメリカは自分たちの中で調整して言ってきているんだろうと思っていたので、調整して連絡あるだろうと思っていたんですけれども、確定日についての連絡がないもんですから、動けないなということで見送ったということであります。

 

記者

 米国側は協議の中で、サミット中に開催できれば世界中から集まったメディアに発信できるとか、広く伝えられるというような意義を伝えていたと思うんですけれども、広島市としてはサミット期間中にやることで、どのような効果が期待できるというふうにお考えだったのでしょうか。

 

市長

 私自身は世界に訴えるよりか、協定する中身でどんな内容になるか、きちんと平和についての、それこそ和解と未来志向ということを言えるようなものになるんでしょうねということを心配しておりまして、別に訴えなくても、やってしまえば皆さんに広がっていくわけですから。サミット期間中にやらなきゃいかんなということは全然、全然ということはないけれども、そんなこだわりはなかったんです。締結ができればいいだろうという判断でおりました。

 

記者

 もう一点、この協議の経過を見せていただくと、米国側がサミットの1か月前にこういう提案をしてきたということになると思うんですけれども、姉妹公園協定をやるにあたって、1か月で十分協議できるかっていうのは、なかなか難しいところだと思うんですが、1か月前の提案をしてきたということに対して、市長はどういうふうに受け止めてらっしゃいましたか。

 

市長

 私自身は提案の直接の相手が、在大阪・神戸の総領事だったリチャード・メイ・ジュニアさん経由で来たということが非常に印象的であったので、これは本気でやっていただいているのかなと思って取り組んだわけであります。

 

記者

 急だなとか、そういった点は。

 

市長

 急であるということは、職員も含めてみんな認めていましたけれども、そんな中で、自分がやってきた取組の流れと、今回、この方からこういう話があったことをどう整理したらいいんだろうということで、自分としては実行したつもりですけれどもね。

 

記者

 検討は、1か月で十分できていたという。

 

市長

 それは前からも言っているんですけれども、市長になってすぐにパールハーバーに行って、そのあとの経過をいうと、そのあとには翌年ぐらいには佐々木禎子さんの甥御さんが折り鶴をパールハーバーのメモリアルに寄贈するというふうなことがあり、やはり大阪総領事館の方に被爆樹木を植樹しに行くということもやったりしています。総領事の館としての取組は相当熱心だなということを受け止めていて。そして、リチャード・メイさんになって、平和記念式典に来ていただき、平和首長会議にも参加していただき、その方がこのG7の会合が迫っている中で、ぜひやってみないかと。そして、協定内容はこんなもんだということで、事務的に連絡が来たので、時間はないけれども、相当熱心に考えておられるということが分かりましたので、協議をしっかりしようということでやったつもりです。

 日程的には自分たちが調整して、なるべく早く言うというふうな話があったんだけれども、なかなか来ないから、じゃあ中身だけでも決めておいて、日程は提案のあった後ろ倒しの方でいいかなというふうな流れでやりました。

そういうふうに協定の締結の内容とやり方について、ずっと一生懸命考えていたので、当初ありました責任とか、そういったものを考えることなくやっているというふうなことを申し上げております。

 

記者

 今回、もう一点、最後にお願いします。米国側は今回の協定が米国政府の意向でやっているというような領事館側からの説明があったと思うんですけれども、これは例えばバイデン大統領なのか、ブリンケン国務長官なのかとか、市側として誰というふうに理解していたのかとか、誰だろうなと推測していたのかとか、その点は何かありますでしょうか。

 

市長

 今言われたような説明があったんですけれども、私の受け止めからするとですよ。(リチャード・メイ・ジュニア)総領事が一生懸命やっていたただいていたと。つまり今、自分のやっていることを米国も認めてくれているよと、そういう説明だったような思いで受け止めているんですね。で、その方がG7の調整の過程で日程なんかも知らせるというけれども、米国と日本同士の日程調整大変ですからね。その中に織り込めなくて、なかなか確定日がこっちに届かなくてという経過であったんじゃないかなと。

 ですから、G7を越えてあとで、もう一回改めて米国の了解を取っていたということをやるために6月29日のアメリカの独立記念日というか、大使の公邸でセットしていただいたと。で、当日の大使館での調印式でもリチャード・メイさんはずっとアテンドしてくれまして、大使館内で彼が私を案内してくれたんですね。だから、一番の推進者は彼だったというふうに思っています。

 

記者

 引き続き今の情報公開の話で、市長は(G7)サミット期間中でも調印は具体的な日程が決まっていればあってもいいというお答えだったんですけれども、その中で平和公園の中、原爆資料館の中での調印を希望すると、したいというようなことが書いてあったんですけれども。平和記念公園、平和記念(資料)館の中というふうに書いてあったんですけれども。

 

市長

 そうですか。書いてあったとは何に書いてあった。

 

記者

 情報公開によると、希望していると、アメリカ側が。意向があった。

 

市長

 向こうがね。公園の外でやることはないだろうしね。別の場所ではないとすればぐらいの意味だと思いますけど。

 

記者

 一部の市民団体とか大学教授の方が、今回の姉妹協定に関して御意見がたくさんあるようで、原爆資料館の中でそういった調印をしてしまうとアメリカ側の言い分ですよね。そういうものを認めてしまうというか、それを世界に発信してしまうというような懸念があったから平和公園、原爆資料館での調印、G7期間中の調印はスルーされたのかなとちょっと思ったので、それについては市長はどういうふうにお考えか。

 

市長

 私自身は、すみません、協定を締結するということについての可否はやっていましたけれども、場所などについてはそんなに真剣に考えていないというか、そこまで思いが至っていなかったのは事実なんですよ。向こうが場所とかロジとか、日程についても申し出がないわけですから、なるべく早くしたいと言いながら、G7の会議日程なんかも全然ロジが分からないまま動いていますでしょう。だから、やりたいという意向とどうもズレがあることはあるんで。だからどなたが推進役なのかということで、自分自身は(リチャード・メイ・ジュニア)総領事は一生懸命やっていただいていると。その方からの具体的な連絡があれば判断しようというぐらいの構えでした。

 

※(  )は注釈を加えたものです。

 

 

 

 

ハノーバー市との姉妹都市提携40周年記念事業及びベネチア市との友好協力に関する合意書調印式への出席について(帰国報告) [PDFファイル/754KB]

(別紙1)友好関係継続の覚書 [PDFファイル/502KB]

(別紙2)ベネチア市と広島市の友好協力に関する合意書 [PDFファイル/382KB]

Adobe Reader<外部リンク>

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)

<外部リンク>