本文
若者による相互理解・交流促進事業の実施結果について
1 概要
令和5年度に締結した平和記念公園と米国パールハーバー国立記念公園との姉妹公園協定に基づき、若者による相互理解・交流促進事業として令和6年8月17日(土)から8月22日(木)までの間、若者をホノルル(パールハーバー)に派遣し、現地の文化や歴史などについて幅広く学ぶプログラムを実施するとともに、現地若者との交流を行いました。あわせて、被爆者を派遣して被爆体験講話を実施し、双方の若者が被爆者を交えて意見交換を行いました。
若者たちは、事前学習や現地での一連のプログラムを振返り、パールハーバー側の視点から歴史を学ぶことができたことや若者同士の交流を通じて、互いの歴史を知り、尊重し合うことの大切さを認識したことなどを挙げ、発見と学びを得たと感想を述べてくれました。
2 参加者
(1) 若者(5名)
出野 日葵 広島大学総合科学部国際共創学科1年
大田 彩愛 広島市立大学国際学部国際学科1年
岡田 彩花 県立広島叡智学園高等学校3年
トウバル 彩果 AICJ高等学校3年
並木 陽菜乃 AICJ高等学校3年
(2) 被爆者(2名)
才木 幹夫
八幡 照子
(3) 引率者
市職員4名
3 事前研修
派遣中の活動の効果を高めるため、4日間にわたり以下のとおり研修を実施しました。
本市の国際交流事業及び姉妹公園協定の取組、本市の平和への取組、太平洋戦争の歴史、パールハーバー攻撃前と攻撃後の日系人、パールハーバー国立記念公園(現地からのオンライン講義)、異文化理解学習、平和記念資料館見学、平和記念公園フィールドワーク(VR体験)、被爆体験講話、原爆死没者慰霊碑参拝、献花、平和記念式典参列、佐々木禎子さん及び原爆の子の像についての学習、市長訪問
4 滞在中の活動内容等
(1) 日系アメリカ人の退役軍人家族の証言聴講及び意見交換(8月17日)
NPO法人「ニセイ・ベテランズ・レガシー」のバーンズ・ヤマシタ会長から、第二次世界大戦中の日系二世兵士の様子や戦後の日系二世の暮らしぶりについて話を伺いました。当時、軍に入隊していたハワイの日系二世は、ハワイに移民した一世から「恥」や「我慢」、「頑張れ」などの価値観を教わり、移民を受け入れ、二世を育ててくれた米国への感謝を説かれてきたことから、米国西海岸に移民した日系人と比較して、米国への忠誠心が強いという特徴がありました。他方、米国に忠誠を尽くし、大きな戦果を上げたにも関わらず、戦後しばらくは様々な差別が残っていたとのことでした(ただし、ハワイには中国やフィリピンからの移民も多かったため、米国本土ほど差別が厳しくなかったとのこと)。また、ハワイは日本人にとって人気の観光地であるが、これは戦後、日系二世が、自身のルーツである日本と友好を深めたいという願いを込めて、日本の歌手やスポーツチームを招待したり、相撲大会を開催した結果、1960年から70年代にかけて多くの日本人がハワイに滞在し始めたことが背景にあるとのエピソードも紹介されました。証言後、ヤマシタ会長は若者たちから姉妹公園協定についての考えを問われました。同氏は、過去の歴史は変えることができないため、未来志向で平和促進をするべきあり、そのためにもお互いのことを知り、対話をする必要があるとの見解を示しました。
バーンズ・ヤマシタさんとの交流
(2) サダコプロジェクトへの参加(8月18日)
「サダコプロジェクト」は、ホノルルの私立学校「プナホウスクール」の日本語教師2名が2014年に始めた取組で、パールハーバー国立記念公園にブースを設置し、ハワイの学生たちが来場者に対し、佐々木禎子さんの生涯や彼女の平和と和解のメッセージを伝え、一緒に折り鶴を折る活動です。現在は、ホノルルの交流団体「日米協会」がこの活動を引き継ぎ、年2回、同公園で開催しています。
当日は、ホノルルの高校生2名、日米協会及びパールハーバー国立記念公園の職員とともに広島の若者が活動を行いました。ブースには千羽鶴や平和のメッセージを記したノートなどが置かれ、それらに興味を持った来場者に対し、広島とホノルルの若者たちが一緒に折り鶴を折り、この活動の趣旨を伝えました。ブースに立ち寄った人は50人近くに上り、大半は禎子さんの話を初めて知った人であったが、禎子さんの話について小学校で学んだり、千羽鶴の完成に向け、1羽貢献したいという方もおられました。
サダコ・ピースプロジェクトで折り鶴の折り方を説明
(3) 若者のパールハーバー国立記念公園視察(8月18日)
若者たちに対し、同公園の職員が、ユタ記念碑、オクラホマ記念碑、ビジターセンター、アリゾナ記念館を案内し、各施設の説明を行いました。ユタ記念碑は、戦艦ユタで犠牲になった乗員を追悼している碑です。同艦は真珠湾攻撃時に沈没し、現在もそのままの姿で保存されおり、職員からは戦時中、日本の戦闘機がどの方角から飛来し、攻撃をしたのかなどの説明がありました。戦艦オクラホマで亡くなった乗員を追悼するオクラホマ記念碑では、石碑に刻んである犠牲者の階級や所属していた隊のマークなどについて説明がありました。アリゾナ記念館には、日本軍の攻撃を受けた戦艦アリゾナで亡くなった1,177人の氏名が大理石の壁面に刻まれており、職員から犠牲になった乗員の当時の様子が語られました。これらの3施設では、若者が碑や海中に花びらを手向け、犠牲者への追悼の意を表しました。また、ビジターセンターでは、佐々木禎子さんの生涯を説明するパネルやこどもたちが折った千羽鶴の展示などを視察しました。
アリゾナ記念館で花びらを捧げる若者たち
(4) パールハーバー国立記念公園での被爆体験証言(8月18日)
被爆者の八幡照子さんが、パールハーバー国立記念公園内にあるシアターで被爆体験証言を行いました。このシアターでは通常、真珠湾攻撃のドキュメンタリー映画を上映しているが、今回は同公園が特別に証言の会場として提供してくれました。
八幡さんは、自身の被爆体験や友人が被爆の後遺症で若くして亡くなった経験を話された上で、聴講者に対し、「あなたの愛する人は誰ですか。あなたの守りたいものは何ですか。」と問いかけ、平和を築く大切さを訴えるとともに、これからも核兵器の実相を世界に伝え、警鐘を鳴らし続けていきたいと決意を述べられました。
会場ではおよそ130人が八幡さんの証言に耳を傾け、終了時には大きな 拍手が鳴響きました。
シアターで被爆体験証言を行う八幡照子氏
(5) ハワイ大学マノア校での被爆体験証言(8月18日)
被爆者の才木幹夫さんがハワイ大学マノア校で被爆体験証言を行いました。才木さんは、自身の被爆体験を踏まえ、世界の人々はまだ核兵器の恐ろしさを分かっていないと指摘し、自分たちが本気になってそのことを知らせていく必要があると訴えました。その上で、平和は身近なところから行動を起こすことであると述べられ、「良い友達」、「良い社会」、「良い国」、「良い世界」を築いていこうと呼び掛けました。
証言後、姉妹公園協定の意義について質問があり、才木さんは、この提携は「過去を参考にし、未来の新しい世界を築く」ことを目的としている点で非常に意義があるとの考えを示し、過去にこだわるのではなく、過去を知り、それを教訓にして、どのようにしたら新しい平和な世界を築くことができるのかを皆が学ぶ必要があると述べられました。
証言は日曜日の午後に行われたにもかかわらず、150人ものホノルル市民が来場しました。終了後は、才木さんや同席していた八幡さんに感謝の意や感想を伝え、一緒に写真撮影を希望する参加者の列ができていました。
ハワイ大学マノア校で被爆体験証言を行う才木幹夫氏
(6) プナホウスクールでの訪問(8月19日)
プナホウスクールはホノルルの私立学校であり、オバマ元米国大統領の出身校として有名です。
同校では、毎朝、学年を変えて礼拝を行っており、当日は、Grade6(小学6年生に相当)の280名を対象とした礼拝の時間を活用して、「平和」をテーマに、被爆者の才木さんと八幡さん、若者代表の岡田さんが同校の牧師と対談を行いました。この中で、牧師から同校の学生たちに何を学んでほしいかと問われた被爆者の二人は、話し合いの重要性を強調するとともに、戦争や原爆の残酷さ、悲しみを感じ、命の大切さを知ってほしいと訴えました。また、岡田さんは、平和の解釈は人それぞれ異なるが、平和への思いを共有し、お互いを知ることが大事であると述べました。
礼拝後、Grade12(高校3年生に相当)のおよそ50人に対し、八幡さんが被爆体験証言を行いました。証言後、聴講した教師や学生から、1証言活動を始めたきっかけ、2被爆した当時の自分に何を伝えたいか、3被爆直後や戦後の暮らしぶり、4若者がこの記憶(被爆体験)を継承していくためには何をすべきか、5被爆者への差別はあったか、6家族の被爆体験について、など多くの質問が出されました。
その後、広島の若者がホノルル訪問の目的や事前研修で学習したことなどを紹介するプレゼンテーションを行い、今後、オンラインを活用した両市の交流や平和を希求する若者団体の設立、広島でハワイの歴史について伝えていく機会の創出、などの活動に取り組んでいきたいとの抱負を述べました。
被爆体験講話を行う八幡照子氏
Grade6の生徒対象の対談
(7) パールハーバー国立記念公園での被爆体験証言(8月19日)
才木さんが、同公園内にあるシアターで被爆体験証言を行い、来場したおよそ100名が証言に耳を傾けました。終了時、参加者から「将来、平和は達成できると思うか」との質問があり、才木さんは、「できると思わなければならない。そのために一人ひとりが、平和というプラスのスパイラルを持っていないと達成できないと思う。」と回答されました。
聴講した米国人からは、「未来に向けて平和でありたい、その努力を惜しまない、との才木さんの考え方に同感である。」、「大叔父がパールハーバーで亡くなったが、この地で相手国の被爆者から話が聞けて幸運だった。実際に体験したからこそ、言葉一つ一つに重みを感じた。当時戦争した国が現在は友好な状態にある理由が理解できた。」との感想が寄せられました。
証言終了後には才木さんへの尊敬と証言への感謝を伝え、写真撮影を希望する参加者の列ができていました。
シアターで被爆体験証言を行う才木幹夫氏
(8) 被爆者のアリゾナ記念館視察(8月19日)
被爆者の二人がアリゾナ記念館を視察しました。二人は真珠湾に沈んだ戦艦アリゾナの遺構を視察し、犠牲者の名前が彫られた壁の前で黙とうされるとともに、海中に花びらを撒かれ、追悼の意を表されていました。
アリゾナ記念館で花びらを捧げる才木氏と八幡氏
(9) 若者の戦艦ミズーリ記念館視察(8月19日)
戦艦ミズーリ記念館は、戦艦ミズーリの保存・維持することを目的とした民間非営利団体「戦艦ミズーリ保存協会」が運営している施設です。若者一行が同館を視察し、以下の説明を受けました。
・戦艦ミズーリはアリゾナメモリアルとお互いに向き合った状態で保存されている。これは戦争の始まりと終焉を表している。
・カミカゼ特攻隊が戦艦ミズーリに激突した後、上半身だけの日本兵の遺体がデッキに残された。それに対し、戦艦ミズーリの艦長がその日本兵を敵としてではなく、一人の人間として扱い、丁寧に葬儀を行った。
戦艦ミズーリを視察する若者たち
こうした説明に対し、若者たちからは、「敵国の死者といえども敬意を払っている姿に感銘を受けた」、「パールハーバー国立記念公園の展示についても日本兵の戦死に対し敬意を払っている展示が見られ、非常に客観的な展示の仕方が印象に残った」、「日本人や日本軍を責めるというよりは、敵味方を越えて亡くなった軍人を追悼するという展示の趣旨が強く感じられた」などの感想が述べられました。
(10) 退役軍人家族の証言聴講及び意見交換(8月19日)
真珠湾攻撃を経験した米国軍人家族(息子及び娘)から、オンラインにて、当時の父親の様子などに関する証言を聴講しました。
「当時は大恐慌時代だったことに加え、通常の仕事の給与が月2ドルだったため、生活のために月20ドルの給与がもらえる海軍に入隊した。当時は、太平洋戦争前で、安全だったということも入隊理由の一つだった。」
終戦から20年後、教会でパールハーバーの攻撃に関わっていた日本兵と偶然出会い、以降、クリスチャンという共通項から仲良くなったとのことで、遺族からは、それこそが平和であり、教会で父親と日本兵が話している様子はまさに和解の象徴だったとの証言がありました。
オンラインで退役軍人家族と対談
その後の若者との質疑応答は以下のとおりです。
質問:父親からパールハーバーでの出来事について話してもらったことがあるか。
回答:個人的な詳しい話は聞いたことがない。パールハーバーに関する全般的な話しか聞いていない。
質問:父親が当時の時の話をしてこなかったのはなぜだと思うか。
回答:かなり悲惨な出来事だったがゆえに、その話を思い出して話そうとすると追体験してしまうため、話したくなかったのだろう。実際の攻撃を受けたときは、父は攻撃自体は目にしてないが、片付けや救助には関わっていたため、惨状を思い出したくないから話さなかったのではないか。(これに対し、若者から、被爆者がそれぞれの体験をあまり語りたくないと思う理由と同じであるとの感想があった)
質問:自分たちに今回学んでほしいことは何か
回答:(息子)記憶をできる限り新鮮なものに保ち続けることが重要だ。ゲームや映画などで記憶に残すのではなく、実際に兄弟姉妹や父母が存在していたことを記憶することが大切である。
(娘)私たちは同じ人間と人間、人と人。皆同じであることを忘れないでほしい。
(11) 日本文化センター視察(8月20日)
ハワイ日本文化センターは、1987年に創立され、ハワイにおける日系人社会の発展や歴史、伝統、文化などを紹介している施設です。同センターでは、日本からハワイに渡った一世の方々の労働環境や住居、写真花嫁の歴史、農園での賃金改善を求めたストライキの様子、日系商店や街中の風景などが紹介されていました。また、第二次世界大戦の勃発に伴い編成された第442連隊・第100歩兵大隊・陸軍情報部に関する映像も上映されていました。
ガイドによる館内視察
(12) クラブ100( 第100歩兵大隊記念館)視察(8月20日)
クラブ100は、第二次世界大戦時、日系二世で構成された「第100歩兵大隊」の退役軍人たちが設立した団体で、同部隊の功績と犠牲者の追悼を目的として、1952年に記念館を設立しました。同館では第100歩兵大隊がたどった歩みを次世代へ残していくため、戦時中の写真、軍服や軍需品、物品など数多くの資料を展示、保管しています。
同隊に属していた父を持つ日系三世からは、真珠湾攻撃が起こったその日に、日本軍の戦闘機から放たれた弾丸が屋根を突き抜けて祖父の手に命中し、少しでもずれていたら、命はなかったというエピソードが紹介されました。また、戦時中、マルチ・エスニック・ハワイ・ナショナルガード(日系アメリカ人、ネイティブハワイアン、中国系など様々な背景を持った人々の集まり)が海岸線からクレイターの頂上までを守る役割を与えられていたが、真珠湾攻撃後、日系アメリカ人は日本人に見えるというだけで、疑いの目を向けられ、海岸線を守る部隊から隔離されたとの説明もありました。
また、別の日系三世からは、日系二世が所属していたアメリカ陸軍情報部(MIS)の説明がありました。MISは当初、他の軍隊から信頼されていなかったが、翻訳、尋問、情報収集などの重要な役割を果たし、信頼を得たとのことで、多くの隊員は、厳しい訓練を受け、偏見に直面しながらも、太平洋戦争やヨーロッパ戦線での危険な任務や作戦に従事してきたとのことでした。
講話の様子
(13) ユニバーシティ・ラボラトリー・スクール(ULS)訪問(8月20日)
ULSはハワイ大学マノア校教育学部とカリキュラム研究開発などで提携している学校で、幼稚園からGrade12(高校3年生に相当)の生徒が在籍しています。
当日は、Grade12(高校3年生に相当)の生徒56名に対し、広島の若者が平和に関するプレゼンテーションを行うとともに、才木さんが被爆体験証言を行いました。
その後、若者同士が、1あなたにとっての平和とは何か、2世界平和を実現することがなぜ大切なのか、3平和活動や国際的な活動への関わりが、どのように自分に影響を与えているか、とのテーマについて話し合いました。 参加者は、平和のイメージを「笑顔」、「毎日家族に会えること」、「戦争がないこと」などと多角的な視点から表現しており、太平洋戦争や真珠湾攻撃などの歴史を学習することや互いのバックグランドや文化を尊重することが平和の実現に向けて重要であると述べていました。
学生との対談の様子
(14) ホノルル市庁舎訪問(8月20日)
ホノルル市を訪問し、クリシュナ・フミヒロ・ジャヤラン第一副市長とカイリ・トラスク・オコネル文化芸術局長との意見交換を行いました。
若者たちは一連のプログラムを振り返り、パールハーバー側の視点から歴史を学ぶことができたことや若者同士の交流を通じて、互いの歴史を知り、尊重し合うことの大切さを認識したことなどを挙げ、ホノルル訪問を通じて多くの発見と学びを得たと述べました。
これに対し、両氏は、視点の違いを理解することの重要性に触れ、「歴史の感情的な側面を超えて平和を広めることの意義の大切さが伝わった。若い世代が、過去の感情にとらわれずにより良い視点を持ち、平和を広める手助けをしてくれることを願っている。」との期待を示しました。
被爆者からは、過去を土台として未来に向かって進んでいくことが重要であるとの意見や戦争や核兵器の使用が二度と起きないことを願っているとの思いが述べられました。
これに対し、ジャヤラン第一副市長は二人のホノルル訪問に謝意を示し、「世界の状況は依然として不安定で挑戦的だが、このような関係や学びが世界的に重要だと感じている。」と述べ、オコネル局長からは「ホノルルと広島が過去から学び、平和を広めるために友人たちが協力する姿を見るのは、本当に素晴らしいことだと思う。」との発言がありました。
第一副市長、文化芸術局長との対談
(15) パールハーバー国立記念公園管理監督者との意見交換(8月21日)
若者たちが、今回の訪問を振りかえり、トム・レザーマンパールハーバー国立記念公園管理監督者と意見交換を行いました。参加者は、姉妹公園協定の意義や多角的な視点から学ぶことの大切さについて意見を述べました。
トム・レザーマン氏との対談
これに対し、レザーマン氏は、両公園の違いが議論になっていることに言及し、違いがあるからこそ、それについて議論し、学ぶことができると述べ、両公園とも亡くなった人々を追悼するという意味では共通しており、状況や歴史は異なるが、それぞれの地の出来事を学び、違いを認識することで、相互理解が深まるとの見解を示しました。
また、互いの意見を理解し尊重することが大切であるとし、広島とパールハーバーが協力し合うことで、平和を実現する方法を示せるのではないかと述べました。さらに、「平和を推進する」と言うだけでなく、実際に行動を起こすことが重要であり、その意味で、姉妹公園協定は、具体的な行動を起こすための枠組みを提供していると述べました。
その上で、二つの公園を通じて人々に歴史を理解させ、平和を推進するために、自分の立場で平和を促進する方法を見つけるつもりであるとの決意を示し、若者たちに対して、「一人の貢献が無駄だと思わないでほしい。実際には、その貢献が大きな影響を与えることができる。一人ひとりに、その可能性を感じている。自分が情熱を持っていることや、変化をもたらしたいことを追い続けてほしい。」とエールを送りました。
意見交換の最後に、若者たちは、箕牧智之広島県被団協理事長から預かった銅製の折り鶴(広島市立工業高校の生徒作製)をレザーマン氏に手渡しました。
広島市被爆者団体協議会理事長箕牧氏から託された銅板折り鶴を贈呈
5 成果発表
令和6年11月24日(日)平和文化月間に行う国際フェスタ2024「青少年の国際交流活動発表会」において、現地で学んだことや意見等を発表しました。
若者たちは、「広島とハワイの研修を通して、生きたくても生きることの出来なかった人たちがいたこと、家族や友達を失った人が大勢いたことを再確認する機会になり、命の重みを再度実感しました。広島とハワイ、どちらの歴史も学んだことによって、お互いがみているのはどちらも平和な世界の実現であると感じました。」などの感想を発表しました。
国際フェスタ活動報告
才木さん、八幡さんも発表を聴講
展示ブースで松井市長と交流