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ページ番号:0000214779更新日:2020年9月28日更新印刷ページ表示

2020年9月28日「市政車座談義」の開催結果

概要

2020年度市政車座談義の様子「平和文化の振興について」をテーマに、平和に関する活動の経験や、音楽・芸術作品等を通じた平和の発信に係る活動の経験を有する次代を担う学生の皆さんに集まっていただき、広島平和記念資料館で市政車座談義を開催しました。

市長は、核兵器のない世界に向けて、為政者の政策転換を促すような環境を整えるために、市民社会の共通の認識を形成することが必要だと思っている。そのために、国境や言語を超えた表現方法である文化芸術を活用していきたいと述べ、参加者と積極的な意見交換を行いました。

結果

1 日時

令和2年(2020年)9月28日(月曜日)15時~16時30分

2 開催場所

広島平和記念資料館 地下一階 会議室(1)

3 参加者

5名(※敬称略)

  • 広島大学平和センター センター長・教授  川野 徳幸(かわの のりゆき) ※進行役
  • 早稲田大学4年  中村 園実(なかむら そのみ)
  • 広島大学4年  岩本 理沙(いわもと りさ)
  • 広島市立大学1年  藤本 海(ふじもと かい)
  • エリザベト音楽大学4年  大咲 拓人(おおさき たくと)

4 テーマ

平和文化の振興について

5 傍聴者

14名

6 発言内容

政策企画課長

本日御参加の皆様を御紹介いたします。お名前をお呼びいたしますので、それぞれの自己紹介を簡単にお願いします。
まず、本日のコーディネーターを務めていただきます広島大学平和センター センター長・教授の川野徳幸様です。

川野氏

川野です。私は、核被害の研究をしています。原爆被爆者や、旧ソビエトで、カザフスタンの北西部にある核実験場のセミパラチンスクの被災者、あるいはチェルノブイリの被災者を対象に、心理的な影響や社会的な影響を調査研究しています。
今日は、コーディネーターという大役をいただきました。私の役割は、ただ一つです。皆さんがリラックスして、それぞれの取組をしっかり御紹介できるように貢献できればと思っております。皆さん、今日は大人ばかりで大変緊張していると思いますが、どうぞリラックスして、これまでの取組をしっかり紹介し、そこからまた新たな課題も今日の議論で出てくると思います。そういったものが市長始め、広島市へと、そして8月6日の平和宣言に一番生きるだろうと思います。皆さんの活発な議論を多いに期待しています。楽しんでください。どうぞよろしくお願いします。

政策企画課長

ありがとうございます。それでは、先生からお話がありましたが、皆さんリラックスしていただいて議論をお願いします。では、学生の皆さんを順次紹介いたします。
まず、早稲田大学4年、中村園実様です。

中村氏

こんにちは。早稲田大学法学部4年の中村園実です。大学では国際人道法のゼミに所属し、紛争や戦争犯罪の法的解決方法について学んでいます。卒業論文では、軍縮プロセスにおける市民活動団体が果たす役割について研究しています。よろしくお願いします。

政策企画課長

次に、広島大学4年、岩本理沙様、お願いします。

岩本氏

こんにちは。私は広島大学4年の岩本理沙と申します。大学では教育学部に所属し、美術の教員を育成するコースに所属しております。現在は、卒業制作で広島に落とされた原爆や平和をテーマとした彫刻作品の制作に取り組んでおります。本日はよろしくお願いいたします。

政策企画課長

次に、広島市立大学1年、藤本海様、お願いします。

藤本氏

広島市立大学の藤本です。油絵を専攻しています。まだ1年なので皆さんのように具体的な制作等はしていませんが、これからいろんなことを経験して頑張っていこうと思っています。よろしくお願いします。

政策企画課長

次に、エリザベト音楽大学4年、大咲拓人様です。お願いします。

大咲氏

こんにちは。エリザベト音楽大学4年生の大咲拓人と申します。普段は打楽器を専攻しておりますが、声楽やピアノ、外部でのオペラなど様々な音楽に触れて、音楽そのものとは何かということについて勉強しています。将来は教員を目指しており、子どもたちへの平和教育に音楽を生かしていきたいと思っております。よろしくお願いします。

政策企画課長

ありがとうございました。
では、ここからは川野先生に進行をお願いしたいと思います。先生、よろしくお願いいたします。

川野氏

それでは、ここからは私が進行させていただきます。先ほどあまり緊張しないでとお話しましたが、全然緊張している様子はないですね。大変リラックスして堂々としています。何か未来の広島は非常に明るいということを、これは総括で言おうと思いましたが、今、一巡しただけでそう思ってしまいました。
終了時間は16時20分を予定しております。限られた時間ではございますが、活発な議論をしていただければと思います。

まず、学生の皆さんそれぞれの活動内容、そしてその中で感じている課題をお話しいただき、それぞれの立場から見えてくるものをこの場で共有したいと考えております。その後、それらを踏まえて、さらに平和文化とは何か、平和文化の振興のために私たちは何かできるかということを皆さんと意見交換したいと思います。

大きなテーマは二つございます。まず一つ目でございます。それぞれの活動内容を御紹介いただいて、その中で感じている課題についてそれぞれ御発言いただきたいと思います。順番としては、中村さん、岩本さん、藤本さん、大咲さん、そして市長という順番で御発言いただければと思っています。それでは、中村さんからよろしくお願いします。

中村氏

よろしくお願いします。私の活動の内容について簡単に説明させていただきます。

私は広島出身ですが、中学1年生から高校3年生まで、岩本さんと一緒に、広島市が主催している中・高校生ピースクラブに所属していました。それまで、漠然と(原爆で)たくさんの方が亡くなったことはもちろん存じていたのですが、被爆体験講話や長崎研修旅行などを通じて、一人一人が自分たちと変わらない人間で、それぞれの生活や未来があったということをすごく思い知らされました。そういう学びの体験ももちろんですが、被爆ピアノコンサートや、ヒロシマ青少年平和の集いなどのアウトプットの機会もたくさんあったので、6年間活動したことは私の中ですごく心に残っています。

そういった中で、私は大学に入って上京したのですが、どうにか自分が学んだことを伝えていかないといけないという気持ちがすごくあり、ピースクラブの卒業生で「Action! for Peace」という団体を設立いたしました。私は昔から、習い事や部活で合唱をやっており、音楽にすごく親しみがあったので、被爆ピアノコンサートをクラウドファンディングで開催する活動を行っています。

そういった中で感じた課題について、私が上京して一番感じたことが、広島と東京の人はやはり全然考え方が違うということや、意識の違いを温度差としてすごく感じました。広島市民は、私を含めて被爆三世の方など、御親戚に原爆の被害に遭われた方がたくさんいて、身近な体験として原爆というものはあると思うのですが、東京やほかの地方の人にとっては、それはもう教科書などに載っている歴史の一幕でしかないということをすごく感じました。

そういう方にどうやって伝えていくかということが、私自身の一番の課題だと思っています。被爆ピアノコンサートを通して、音楽で伝えられる力はすごくあるということを感じています。音楽にしか興味がない方にもたくさん来ていただけたと思いますし、いきなり原爆についてどう思うかとか、核兵器についてどう思うかと伺うと、やはり敷居の高さがあると思うのですが、被爆ピアノコンサートなどの文化的なツールを通して伝えていくことによって、原爆に遭われた方が自分と同じ人間なのだということを感じてもらえると思いますし、そういった方法で伝えていくことがまた必要なのかなと感じています。

川野氏

ありがとうございました。続いて、岩本さん、お願いします。

岩本 

私も中村さんと同じように、中・高校生時代はピースクラブに所属して、様々な活動を行ってきたのですが、私はピースクラブの活動から、平和がすごく身近にあるということ、例えばおいしい御飯が食べられたり、家族と毎日いろんなことを話せたり、勉強ができたりということは、今の平和があるからこそできることだと実感しました。

そういったことを踏まえて、私たちはAction! for Peaceという団体を、今から3年前に設立し、原爆や平和について考えるきっかけをお届けするということをモットーにこれまで活動してきました。活動内容は、先ほど中村さんがお話ししたように、被爆ピアノコンサートの開催や、2017年に長崎で開催されました平和首長会議でブース展示を行いました。その時は、市長にもブースにお越しいただいたことを覚えています。

私は活動の中で、私たちのように平和について真剣に考えて活動している若者がいる一方で、広島の若者でも、学校で平和教育を受けているにもかかわらず、どこか遠い昔の話として捉え、国家間の問題だから自分とは関係ないと、無関心というか、興味・関心が薄い若者も多いと感じてきました。しかし、被爆者の方の高齢化の問題や、核兵器の問題とは現在進行形で、私たち若者やその未来にも大きく関わりのある問題だと私は感じており、被爆地の広島の若者がまずは当事者意識を持つために、若者主体のイベントや運動、そういった活動を行うことで多くの若者を巻き込むことが必要だと感じています。

また、若者を多く巻き込んだ規模の大きな活動を行うために、広島県内の私たちのように平和活動を行っている団体やグループで集まり、それぞれ協力し合うことが必要だと思っていて、そのような人たちと交流や意見交換する場があったらいいなと考えています。

川野氏

ありがとうございました。では、続けて藤本さんから御発言ください。

藤本氏

私は広島で育ってきて、小学校、中学校と実際に被爆された方が先輩にいる学校に通い、慰霊祭などを企画したこともあり、その中で広島の平和についてたくさんのことを学んで大学に入り、広島市立大学の平和学習の一環である平和インターンシップという授業を取りました。そこでは、平和について1分間のPR動画を最終的につくることを目標にして、PRとは何かという基礎的なことを学んだり、広島に来た学生や旅行者の方に平和を伝えるためにはどのように案内したらよいかということについて実際にマップをつくって考えてみたり、アプリケーションを使って、昔の写真や体験談を読んだり見たりして、被爆する前の方々の思いなどにも触れるような授業を経て、最終的に1分動画を皆でつくって公表しました。

その中の議題の中で、平和とは何かという問いがすごく上がってきました。自分もそれまでは、戦争や原爆などの対比として平和というものを捉えていたのですが、やはりそれだけではなくてポジティブな平和、先ほど岩本さんがおっしゃっていたのですが、友達と一緒にいれることであったり、おいしいご飯を食べられたり、そういうことも平和なのではないかとなりまして、そこで動画のテーマが「あなたにとっての平和はなんですか」となりました。実際に料理をつくる動画をつくっている人や、朝日を撮っている人もいました。自分は平和とは何かという答えは見つけられなかったので、いろんな身近な人にインタビューし、その人たちの答えを示すような動画をつくりました。

その中でもう一つ課題が見つかりまして、広島で育った方と県外で育った方とのギャップや、被爆された方とされていない方、被爆された方が親戚や身近にいる方といない方とのギャップがすごくあると感じました。そのギャップをお互い知っていくためにも、あなたにとっての平和とは何かということを、伝えたり、聞いたり、話し合っていくことの大切さを学びました。

川野氏 

ありがとうございました。それでは、大咲さん、お願いします。

大咲氏 

私は、3年前の大学1年生のときに、ドイツのハノーバー、ベルリンで開かれた演奏会に大学の一環で出演しました。ハノーバーでは、演奏会の会場が教会だったのですが、広島市の協力の下で原爆のパネル展を開催しました。そして、その演奏の曲目の中で原爆をテーマにした曲、エリザベト音楽大学の客員教授であります細川俊夫先生が作曲された「星のない夜―四季へのレクイエム―」があり、合唱団の一員として歌わせていただきました。演奏会の終了後はスタンディングオベーションで感動したことを覚えているのですが、平和都市広島に生きる者、生まれた者として、原爆の恐ろしさを伝える曲やパネル展を用いて原爆の恐ろしさや平和の尊さを、音楽を通して伝えることができたのではないかと思いました。

ただ、コンサートに来られた方には伝えることができたと思うのですが、一般の方、コンサートに来られなかった方にどこまで伝わったのか分からないという課題があると思いました。演奏会で終わるのではなくて、次をどのようにするのか、自分に何ができるのかを考えていくことがこれからの課題ではないかと思いました。

演奏旅行のことを今言いましたが、自分に何ができるのか、これからどうしていくのかという課題を思う一方、ベルリンで自由行動があったので少し街を回ることができ、そこで見た光景でかなり印象的なことがありました。それは路上ライブと言いましょうか、ギターを持ったり、バイオリンを弾いたり、そういう道ばたで演奏される方がかなりおられて、どこの出身の方かは分からないのですが、肌の色が全然違う方々、黒人でしたり、白人でしたり、様々な肌の色の方が一緒になって演奏している風景を見ることができました。初めに市長がおっしゃいましたが、人と人の間には言語の壁があると思うのですが、その壁を乗り越えることができなかったとしても、音楽でつながることができるのかなと、その光景を見て思いました。同じ曲を知っていたら一緒に歌ったり、演奏したりできるし、知らなくても体を動かしたりできるので、中村さんがおっしゃったように、音楽で伝えられる力はそういうところにあるのではないかと、ドイツでの演奏旅行で感じたことです。

川野氏 

ありがとうございました。続けて、松井市長に御発言いただきたいのですが、広島市の平和文化に関する活動というと多岐にわたると思いますけれども、できれば今の学生さんの発言を受けてコメントをいただければと思います。

市長 

私自身はもう何十年も前、高校生で広島にいるときに、ある出来事を経験し、平和について考えることをしばらくやめようと思い、市長になって改めて考え始めたのが平和というテーマなのです。

思い出話で申し訳ないのですが、高校時代に学生の学園紛争がありまして、大学生が政治のやり方に抗議して、学校で建物を占拠して政治を動かそうとしていました。その当時はベトナム戦争などがあり、そういうものを阻止するためにも活動をしないといけないと、いろんな考え方を勉強して、様々な色のヘルメットをかぶって運動をしている人たちがいた。高校の同級生の何割かはそういうことを一生懸命勉強しており、今自分たちがやらないと大変だという雰囲気があったときがありました。

そこで、自分も、中学から高校に入って平和ということを考えるようになったとき、最初に聞いたのは憲法問題でした。本当に憲法というものがよく分からなかったからです。憲法には戦力を放棄すると書いてあるけれども、日本には自衛隊がある。それをどう思うか、自分はこう思うなど議論する。その憲法を守れという意見もある中で、あれはアメリカ人がつくった法典だ、何故人様の言うことを聞くのかという議論もあった。それらがうまくかみ合わないままに、皆そういうことに血道を上げてけんか腰で議論していました。自分もそういうことに加わりかけたけれども、一方で、大学へ行かなくてはいけない中で、よく考えたら、我が家では被爆の話は一切出ない。おばあちゃんも死んでいるし、母親も原爆に遭っているし、自分のおばさんに当たる方は、どこで死んだかも分からず遺骨もないけれども、そういう話をする雰囲気ではなかった。それより、我が家は大変なのだから、早く勉強して偉くなって家を助けろという雰囲気でした。

そこで、本当に平和のために何をやるべきか、そして自分は何ができるのかと考えたときに、自分自身の生活をまず成り立たせないと、平和を論ずる余裕はないと思ったのです。そこで、まず自分の生活を確立するまで、平和について考えるのを一旦やめたほうが、人と争うこともないし、議論をしていても中立的になれると思って、高校時代は何とか過ごしました。

大学へ行ったらまた学園紛争があり、皆が黒ヘル、赤ヘル、白ヘルをかぶって活動していました。特に教養部のときに違和感があったのは、テストが始まる週になると、学級自治会、セクトとかそういう人たちが来て、学級の決議としてスト権を行使して試験を放棄するわけです。試験をさせない。政府に抗議をする、学校当局に抗議してやらないのだ、試験をサボるのではないと言っていて、理屈はすごくすばらしいけれども、やることは結局、試験の時期になるとストを起こすんです。閉鎖してバリケードを張って入れないようにするので、試験はレポートでなどに替えられていました。ここで言うこととやることのギャップを感じたのです。

平日に教養部へ行くと、札束を持った人やヘルメットをかぶった人が数人でデモ活動をしていて、敵対する意見の違う人が一人逃げ回っていました。その人が転んだりすると、それを踏みつけて、骨が折れるボキッという音がする。今度は骨が折れた人の味方が来て、病院に連れて行こうとするけれども、行きつけの病院でないと行こうとしない。そこへ行かないと何をされるか分からないそうです。

そういうことを見たときに、理念と行動原理のギャップをすごく感じて、大学は工学部で入学したけれども、世の中の法令や統治行為のことをもう少し勉強しないといけないと思い、2年から法学部に転部して、大学卒業後は徹底的にお堅い勉強をしようと思って労働省に入った。入省したのは昭和51年だけれども、まさに核兵器不拡散条約や、国内では労働組合の活動が激しい頃でした。

当時の労働省は、平和に皆で仲よくすることや、それを議論するようなこととはかけ離れた雰囲気でした。功利主義的に物事を処理する、八方美人では物事は収まらないので、一方を正しいということにして、他方をどうコントロールするかという発想を持たないと統治行為はうまくいかないと教えられました。

特に労使問題は、労働組合と使用者側が争っているわけで、その間に立っているときに軸足をどこに置くかというときに、政府なのだからその間で両方調整するけれども、その時の政権なり政党の価値観を浸透させていくということを経験しました。

その当時は、NPTに関して言えば、大学のときに少し勉強していたのですが、批准に関する議論がありました。理屈は先ほどの憲法の議論と一緒です。原爆の被爆国なので、原爆を持たないけれども、核兵器を保有する国に頼るほうが日本の安全に資すると。けれども、それを明確にすると自分たちの国がいつ攻撃されるか分からない。それを表にしないためには、条約を批准しないといけない。こういうロジックです。

そのときの三木首相は、核兵器不拡散条約を批准するために、当時の外務大臣を訪米させて、憲法で戦力を放棄し、戦争能力のない国にするという約束をしているのだから、それをあなたが助けてくれ、要するに、アメリカが日本を守ってくれるならば、日本はアメリカを信用して、アメリカは核保有国、日本は核保有をしないという立ち位置で条約を批准しますと交渉した。アメリカは、自国が核保有国であればいいので、核兵器を持つ国を五つに限定し、それ以外の国の核保有を禁じるNPTを批准するよう他国に呼び掛けていた。そういう政治構造、その基本的な構造は今も変わっていません。

自分の家族のことを考えると、親は原爆によって家族構成や将来が変わって生活が苦しくなったと言っていて、それを乗り越えていくべきだという話をしている。そういう話を聞いている人間からするとその政治構造は異次元の世界です。だから、もっと根源的なことをやらないといけないと思いました。

経験は違うけれども、皆さんも類似のギャップを感じ取られている。そこで、皆さんの取組はそれぞれの社会生活の中での役目を含めて違うけれども、今言った問題意識の根源を正確に把握できたら、その価値観をうまく伝えられるように、それぞれの得意な活動分野でその気持ちを伝え、同じ気持ちを持っている方を広げることをやってほしいと考えています。

一人でできることは限られているけれども、自分の趣味や得意な分野を通じて、同じ思いの方を増やしていけば、きっと状況は変わってきます。同じ思いでない方々もおられるでしょうけれども、力を持って自分の活動に取り組み、こつこつと地味で大変な努力ではありますが、自分の思いを実現するために何ができるかを考えてもらいたいと思います。そういう意味で、いろんな取組を支援したいと思います。

核兵器に関して言えば、核兵器は他の武力よりも大きな破壊力があるので、核兵器を保有している自分を大事にしないといけない、言うことを聞くよう脅し、恫喝の仕組みがあると思います。恫喝して人々をコントロールすることは、私は誤りだと思っています。人間が他の動物と違って共同生活をできるのは、脅しで人々をコントロールするのではなく、言葉を使うぐらい高等な動物なのだから、話をして納得してもらい、価値観に賛同し、同意して動くという、その行為を大事にすることが必要だと思っています。他の動物は言葉がないから脅して言うことを聞かせるが、人間はそうではないです。

あれが悪い、これが悪い、だから言うことを聞けと追い込んでは、人は同意しません。音楽などを活用し、同感や共感の輪を広げながら、核兵器がないほうがよいことや、楽しく食事できるような平和な世界の方がよいことを伝えていけばよいのではと思っています。とても抽象的で申し訳ないのですが、問題意識を持ち続けていることを御紹介して、そういうことを皆さんとの会話で確認できました。

川野氏

ありがとうございました。最後、総括までしていただいたような感じがします。今の市長の御発言のように、私たちより少し上の世代は別の方向に熱いのです。広島大学で8年前に、選択必修科目で平和科目をつくるときに、私たちより20歳くらい上の先生がある一件を大変心配したのです。ヘルメットをかぶった学生が出てくるのではないかと。熱く平和を語った時代だから。

先ほどのお話を聞いて、当事者意識であるとか、いろんな問題点が挙げられましたが、広島が共感されているのかどうかという、とても大きな問題がありました。市長の言葉を借りれば、我々はいろんな取組ができるけれども、共有して共感してもらうと。では何を共有・共感してもらうのかというときには、多分平和や広島であることを、まずは広島や長崎以外の人たちにどう共感してもらうのかという作業が最も重要だということを、市長を始め皆さんのお話をお聞きして思いました。様々な諸活動、動画、被爆ピアノ、フィルム、音楽などを通して活動していて、何か根幹にある大きな問題の一つは、広島への共感がなかなか難しいのではないのか、そういったことを思ったのですが、それぞれの話に対して何か確認したいこと、あるいは質問したいことがあったら、ぜひ御発言いただければと思います。いかがですか。

市長に対してでもいいですよ。そんなに熱い時代があったのですかなど。真剣に平和とは何ぞや、安保とは何ぞや、憲法とは何ぞやと議論された時代があったようです。1986年に平和調査というものがあって、平和とは何かということを広島大学と山口大学の学生に問うたことがあったのです。そのときに4番目か5番目に挙げられたのが憲法です。平和と言われたらまず憲法をイメージする。平和連想イメージ調査というのがあったのです。しかし、今の学生に問うても憲法は多分出てきません。鳩や平和公園、原爆、戦争などが挙げられるでしょう。何か我々にとって、憲法第9条もそうだけれども、例えば自衛隊に対する概念はもう過去と全然違いますよね。だから、意識も変わっているし、平和観も変わっている。

そういうことも含めて、ほかの御発言に対して何かコメントがあれば。せっかくですから。

市長 

それでは私から。こういうことを平常態で話せるということが私たちの一つの文化だと思うのです。それぞれの取組をやっている中で価値観に関して確認をして、ある程度思いが共有できたときにはこう考えてやっているのだな、だからここがよいのだと思ってもらえるような環境設定をしていくことを意図的に進めていかないといけないと思います。趣味だから私はこの人と取り組めるけれども、別の人の取組は違うから内容を全然知らないとなっていくと、平和というものに貢献できないのではないでしょうか。ネガティブなものを一切捨象していった残りのピュアなものが平和だと。生きていく上で、生命活動が順調に行えるようにする、その象徴が、殺すためや、それを使って人を脅すような兵器のようなものはまず要らないと。そして、それをなくした後はどうするかというときに、いろんな生活においてポジティブに生きる、これを平和と言うのだなということを実感できるようにしていくことが平和の文化活動だと思います。いろんなところで実体験してもらい、それを演出していく。自分も実際に経験していくということだと思います。何か一人で話してしまってすみません。

川野氏

どうぞどうぞ。岩本さん、何かないですか。

岩本氏 

私も、先ほど藤本さんのお話の中で出てきたポジティブな平和がすごく大事だと思っています。先ほど、平和に関心が薄い若者が多いと感じたと申し上げたのですが、それはどこで気づいたかというと、中・高校生ピースクラブで、平和記念資料館などで活動しているときはもちろん平和について考えているのですが、普段通っている学校生活に戻ったときに、学校の友達と平和の話をあまりしないことに気がついて、一度、平和についてどう思うかという話や、ピースクラブの活動に友達を誘ってみたのですが、私は被爆者が親族にいるわけではないから、全然被爆者と関わりのない自分が平和活動をすることにすごく抵抗があると言っている人や、知識がそんなにない、自信がないから、少しハードルが高いと言っている友達が多くいました。悲惨な出来事があったことだから、確かに軽い気持ちで踏み込めないという思いはもちろん分かるのですが、ポジティブな平和ということを考えると、誰にでも関わりがある問題だと思うので、そういった意識がもっと広まればよいと思っています。

川野氏 

ありがとうございます。平和宣言の議論の中でも市長がおっしゃっていたことがあるのですが、広島は、原爆、被爆の被害というときは片仮名で表記されます。ヒロシマはそうやってつくられた。しかし、どうやってそれを具現化して次のステップに行くか。ヒロシマ、片仮名のヒロシマの影響力があるうちに、私は、次の大きな錦の御旗を立ち上げたほうがよいのではと思うのですが、そのときには誰でもそれに参画できるような仕組みをつくった方がきっといいですよね。

例えば被爆二世ではないとだめだとか、広島のことを何も勉強していないのではだめだとか、そういうものではなくて、誰でもそこにコミットできるような仕掛けをつくったらよいと思います。広島大学の中でも、平和と言ったら少し身構えられてしまうのです。この間、共同通信のアンケートがありましたけれども、特に西日本だったかな、平和に関する諸活動をやっている団体の人たちに、何が難しいか聞いて、共鳴、共感されないことが挙げられていました。理解はされるけれども、それに飛び込んで活動してもらうことが難しいということを、そのアンケートの中では言っていました。中村さん、何か思うことはありますか。

中村氏

学園紛争などの市長のお話の中で、何が正しいか分からなかったから深く学ぼうと思ったという話をなさっていたと思うのですが、やはり条約の話など、どうすればよいかということについて、こんなにたくさん人がいるのだから様々な意見があるのは当然だと思います。だから、そういう人たちが意見をまとめていくと同時に、全然何も考えを持っていない人が考えを持つことが一番大切だと思っており、そのためには学びの機会をつくることが大切だと思います。いきなり講義などはやはり敷居が高いので、皆さんが取り組まれているような平和文化、音楽や映画はすごく入りやすくて、学びの端を発することができるのかなと考えました。

川野氏

そうですよね。平和文化とか、そういったものを後押しする手段はたくさんありますよね。音楽、芸術、ありとあらゆる、平和と音楽の組み合わせはよく見ることがありますが、そういう様々な媒体を通して平和を考える場がつくれるといいですね。そういった意味でどうですか、大咲さん、何かコメントはありますか。

大咲氏 

去年、ひろしまオペラルネッサンスという団体のオペラに参加させていただいたのですが、その演目の中で僕の役が奴隷役だったのです。「魔笛」という演目だったのですが、その奴隷役が主人公たちを捕まえようとして、斧や刀など、いろんな武器を使って襲いかかるシーンがあります。そこは本当に心が痛くなるくらい、やるのが少し嫌だと思ったのですが、襲いかかる瞬間に、「魔笛」というタイトルにあるように、魔法の笛と魔法の鈴が鳴った瞬間に奴隷たちが武器を下ろして踊って去ってしまうというシーンなのですが、この武器が、広島で本当に意味があると思うのです。

演出家さんがオペラの稽古のときに、この武器は原爆と同じものであり、戦争の原因になってしまう恐ろしいものだけれども、笛や鈴が鳴った瞬間にその武器を下ろしてしまうくらい魔法の笛が威力あるものだとおっしゃっていました。

そういうオペラや音楽の中で、それを平和とつなげるときに、これは戦争を意味するということや、これは平和を意味するということを、しっかりとお客さんや演じる者が理解することで、平和の発信が徐々にできるのかなと今思いました。音楽を通した平和活動は、このようにやっていくことができると思いました。

川野氏 

ありがとうございました。藤本さんは動画をつくることなどを通して、何か感じたことはありますか。平和観も千差万別あって難しいのですが、そういった中からどういった平和観を、動画を通してあなたは考えましたか。

藤本氏 

お話の中に出てきたのですが、平和や平和文化という言葉を聞いてしまうと、少し身構えてしまったり、深く考えないといけないと思ったりしてしまうと思うのですが、自分がインタビューしたときは、そこに「あなたの」という言葉をつけました。「あなた」の平和って何ですかと、「あなた」という一言をつけるだけで、戦争や原爆からは少しかけ離れた日常のことや、美しい景色などの答えがすごく出てきました。

確かに戦争や原爆を学ぶことも重要ですが、そこに行くまでにも一歩が必要なので、その前の「あなたの」という一言がすごく重要ではないかということを活動を通してすごく感じました。

川野氏

平和は日常の中にありますよね。中村さんが言っていたのは、その日常の上に原爆が落ちたと。だから、日常というところから出発することも、平和を考える一つの糸口かもしれないですね。

今いろいろなお話をお聞きして、繰り返しになりますけれども、さあ、広島は共有されているのか。広島、あるいは平和を考えることは非常に難しいけれども、広島ではある程度自明なわけですよね。平和とは何ですかと聞いても、原爆、被爆、戦争がないなど、いろんなことを言うわけです。しかし、広島、あるいは長崎以外でそれを問うと、もしかしたら非常に身構えられるかもしれない。そうなると、平和がすごく遠くにある存在になってしまうという気がしてならないので、それをどう我々は乗り越えていくのか。その乗り越えの担い手が皆さんなのかなということを思いました。

まだ総括をするのに少し時間があります。次に、もう一つ題がありますので、それを5分程度で御発言いただいて、それから最後に総合的な議論をしたいと思っています。

二つ目のテーマは、平和文化の振興のために若者、皆さんが取り組めることについて、お話をいただければと思います。順番は中村さんから松井市長という順番です。では、中村さん、よろしくお願いします。

中村氏 

先々週ぐらいに、中・高校生ピースクラブの卒業生と一緒に、被爆ピアノに関する動画作成を行いました。半分は被爆ピアノの紹介や少し原子爆弾の被害を紹介して、最後に広島で合唱をなさっている皆さんで「花は咲く」のリモート合唱をするという内容です。

その意図は、皆さんおっしゃられていましたけれども、平和や原爆はすごく遠いテーマのように感じられるので、自分たちの日常とリンクして考えられるような動画を目指しました。さらに、動画の作成は若者ならではの視点かなと思っており、URLで簡単にシェアをして広げることができることも利点だと思うので、若者ならではの発想で動画作成を行いました。

実際に、私の大学の友達はほとんどが県外出身ですが、簡単にシェアすることができて、それを見ることによっていろいろ考えさせられたという感想をいただいたので、全然難しい内容ではないのですが、その動画を通して考えるきっかけをつくれたことがすごくよかったと思っています。

実は今、広島市の皆さんと一緒に、秋頃に夜の平和記念公園を利用した若者のイベントを一緒に考えさせてもらっています。その中で、当初の趣旨である、昨年のローマ教皇の来広のような厳粛な雰囲気を大切にするのはもちろんですが、その中に若者ならではの要素を入れられたらよいと思っていて、例えばSNSを利用して拡散することができるとか、若者がイベントの中で演奏を行うようにして、音楽、芸術を通した華のあるイベントができればいいなと思います。岩本さんも一緒に考えているのですが、できるだけいろんな若者の皆さんに参加していただけるような内容にできればよいと思っています。

先ほど、被爆ピアノコンサートをやってきたことを紹介させていただきましたが、コンサートの最後にアンケートを取っており、その中で、こんなにも若い人が頑張っているから自分も頑張ろうという意見を、世代を問わずにたくさんの方からいただいていて、自分たち若者が活動することが世代を超えて多くの人に影響を及ぼすことができるという意味で、若者が取り組むことの意義を私自身は考えています。

川野氏 

ありがとうございました。続けて、岩本さんから御発言ください。

岩本氏 

最初の議題から感じたこともそうですが、やはり私たち戦争を知らない世代の若者にとって、被爆の実相を被爆者の方にかわって継承することは、すごく責任も重いですし、ハードルが高いことだと思っています。でも、被爆の実相から平和の大切さや尊さを学び、身近にある平和を大切に守っていくことは誰もができることだと考えています。自分が平和のために行動することは難しいことではないという認識を、多くの若者に持ってほしいと感じています。

また、個人的な話ですが、私も大学で平和や広島に落とされた原爆をテーマとした作品を制作しています。今まで私は平和活動をたくさん行ってきたので、その中で感じた思いを何か形にしたいという思いでそのテーマを設定したのですが、被爆者ではない私が制作して本当にいいのだろうかとか、原爆の悲惨な色や景色を私が形にしていいのかという疑問があり、とても悩んだのですが、やはり私自身は、今の若者をモデルとして、今の人が作品を見たときに感情移入して核兵器の恐ろしさについて考えられたらいいなと思い、作品を制作しています。

そういった私の経験からでも言えることですが、もちろん被爆者ではない私たちですけれども、若者にしかできない方法や、考え方、アプローチの仕方があるということを私はすごく実感しているので、そういったことも含めて、もっと平和に向けて何か取り組もうというときに、若者だからこそという視点も多くの人に考えてもらえたらと考えています。

川野氏 

ありがとうございました。それでは続けて、藤本さんから御発言ください。

藤本氏 

中村さんとも重なるのですが、自分は、先ほどお話しした授業を通して、動画が若者にとってすごく身近な存在になっていると感じました。ユーチューブなどでたくさん動画を見ていて目も肥えていますし、自分が制作したときにいろいろ調べたこともありますが、技術的にもアプリケーションなどが様々あって、動画が伝える手段としてすごく有用だと思います。若者の文化としてすごく浸透していますし、動画は世代を問わず、見るだけで伝えることができますし、字幕や音声をつけることで、国という壁も簡単に超えることができることを感じました。

もう一つ、個人的な話にはなりますが、「あなたにとっての平和」ということが自分の中ですごく刺さっています。自分にとっての平和はまだ見つけられていない状況ですが、大学に入り、アートとは何かということを学んでいく中で、アートをツールとして問題提起することを知ることができたので、あなたにとっての平和は何ですかという作品を制作しながら、様々な意見を聞いて自分の平和を見つけていく活動をこれからも行っていこうと思っています。

川野氏 

ありがとうございました。それでは、大咲さんから御発言ください。

大咲氏 

広島を知ってもらうという行動を止めずに広げていくことが、平和文化振興のために若者が取り組めることなのではないかと思っています。ただ伝えるだけでは深く伝えることができないので、広島を拠点としていたら他の都道府県や、僕は先ほどドイツに行ったことを言いましたが、他の国の背景を知って、その共通点や異なる点を見つけて、共感することから始めていくのが必要なのかなと思っています。その手だてとして、僕は音楽というものがツールになると考えています。

例えば僕は打楽器を専攻していますが、副科で声楽やピアノなど、様々な音楽を学んでおり、音楽による表現方法はすごく多様だと感じています。たたく楽器もあれば、歌の楽器もあるし、ピアノのように弾いたり、吹いたり。今大学でいろんなことに挑戦していますが、音楽そのものって何だろうと毎日自問自答しています。学んでいる音、音楽そのものを土台としてこれから自分がどう発信していくか、自分がどう輝いていこうかと考えています。それは平和を考えることも一緒なのかなと思います。

平和を考えることは、確かに戦争の事実を知ることも大事ですが、それをリアルに伝えるのではなくて、我々戦争を知らない人間、また若者として、それをどう伝えていくのか。リアルさよりも、平和を難しく捉えるのではなくて、簡単に伝えていく動画やSNSなど、先ほどたくさん述べていただいたので、僕から新しい意見を述べることは難しいのですが、新しい方法でチャレンジして伝えていこうとする行動が、若者が発信していく上で重要なのかなと思っています。

川野氏 

ありがとうございました。松井市長、御発言をお願いします。

市長 

今のお話、取組ということで申し上げますと、お一人お一人が得意な活動分野や、これをやっていると楽しいと感じ、力が出る具体的な現実生活での営みがあります。また、こういった場でお話しいただけるように、広島という平和の象徴のコンセプト、あるいは被爆という皆さんは誰も経験していないけれども間違いなくあった事実を、皆さん方は他の多くの人たちよりもたくさん知っており、そういう今取り組まれていることと理念を両方持っておられます。平和とは、理念であるし理想であって、具体的に何か分からないけれども、ある事象を見て、自分はこれを平和と捉えるなど、要するに、平和はイデアの世界なのですね。

一方、日々の生活では、皆さんは音楽やピースクラブなどの個々の活動をしており、その中でそういった理念を実感する経験をお持ちだと思います。これは平和ではないと感じる場面もあり、別にそこで核兵器が爆発するわけではないですが、そういう行為を続けると、戦争や核のない世界から遠くなることを感じることもあると思います。人間の二面性がある中で、私自身が理想とする平和の価値観は、平和という理想や理念を、他の持っていない人に持てとお説教するのではなくて、よりよく生きたい、幸せになりたいという思いで日常生活を送る中で、その積み重ねがきっと平和になる、その積み重ねを皆で取り組もうと呼びかける。その日常生活を実は根底から破壊するのが原爆を落とすことや戦争をすることなので、だからそれらを否定して、そういうことをしないようにしようと。自分にとってよい現実を一生懸命大事にしようじゃないかと。そうすると、結果として核兵器の使用や戦争を皆がやらないようになっていくという思考方法を持っていただくことが共通の価値観だと思っています。

一人一人がそれぞれの行動をするけれども、それぞれの人生を過ごす上で、満足度が上がり、幸せを感じている。その行動を広げて、他の人も喜んでくれる。戦争状況に入ったら、そういう活動は障害なくできなくなり、その究極の姿が実は広島です。日常生活が破壊され、国と国との戦争で人を殺さざるを得ない状況、そんなことにならないようにそれぞれの取組を一生懸命やってもらいたい。そのときに、平和という理念を全面に展開すると、敷居が高いと受け止められてしまうでしょうから、少しだけ理念・理想を語り、目指す姿は共有した上で活動をしていただければと思います。

そのように考えて、私が市長になって取組を大きく転換したことは、ヒロシマの心を発信するに当たり、平和首長会議の取組があります。1982年に荒木市長が国連で世界の都市に連帯を呼び掛けて設立されました。私が市長になる前は、どちらかというと理念を掲げて取組を進めてこられたと思います。それ自体は悪いことではないです。核兵器をなくして平和を構築する、だから核兵器をなくす取組を世界中の都市でやりましょうと呼び掛け続けることも賛成ですが、それをもっと進めなければならないと、非核宣言を行おうと、長崎市が非核宣言自治体協議会の会長になっています。長崎の市長さんは平和首長会議の副会長の立場ですが、広島の平和首長会議に比べて、非核宣言自治体協議会のほうが国内の加入都市が数百オーダーで増えていました。

何故か考え、平和首長会議の取組をもっと広げるに当たり思ったことは、市民の安全・安心を考えるという市長の立場はどの都市も共通のはずなので、市民が安全・安心に過ごせるために取り組むことも、平和首長会議の重大な使命であること、そして、核兵器を世界からなくす、そして平和を追求するという、本来の取組も忘れないけれども、もう一つ、自分たちのまちの市民を幸せにする、まちをきれいにする、安全にするなど、そういったことも平和首長会議のテーマだと、二つの目標を設定し、世界中の都市に呼び掛けました。

理想の世界へ向けた重要な理念を持って活動すると同時に、本来自分の持っている役割を大事にするという思いでした。その役割の中に平和に通ずる要素をふんだんに盛り込んで、ここで平和文化を推進しましょうと呼び掛けています。だから、皆さんの日常の活動の中で、核兵器をなくそう、広島のことを理解しようという大きなテーマを持ち続けると同時に、今取り組まれている個々の活動について、参加する方が喜び、もっと参加したいと思うような、ファンを増やす取組をしていただきたいと思います。

片方だけではなく、一石二鳥を狙い、日常生活と理想の世界、この両方を追求する中で平和というものを考えていく取組をしていただく。そういう取組を私は平和文化と言いたいです。自分たちの文化活動にしっかり取り組んでいただき、例えば音楽を通じて高揚感や幸せな気持ちを感じられるでしょう、それは平和であるから、戦争がないからですよということをちょっと言えばいいと思います。そして何かの折に、核兵器のない世界をみんな目指しているのだから努力しましょうと呼び掛ける。それでいいと思うのですが、どうでしょうか。

川野氏 

どうでしょうか、皆さん。何か松井市長の御発言に対してもいいですし、あるいは、ほかの人の取組について、ここはどうだろうと、もう少し具体的に教えてほしいとか、何かコメントがあれば御発言ください。いかがですか。

中村氏 

日常生活と理念の二つを追求することにはすごく共感しています。私は岩本さんと中・高校生ピースクラブを6年間続けていました。いろんな学びがあったというのはもちろんですが、その中で先ほどもお話にあったように、学校を超えたいろんな友達や、学年を超えた友達と1年を通して一緒に活動できるという環境が単純にすごく楽しかったことが理由の一つとしてありました。皆さんおっしゃったように、私もこういう活動は絶対に続けていくべきだと思うのですが、続けていくに当たって、理念を追いかけることももちろん大事だけれども、自分たちがいろんな感情を持って、その活動自体が楽しいという感情も持って取り組まないと続けられないものだなということを、自分の経験に照らしてすごく考えさせられました。

川野氏 

そうですね。楽しくなくては続かないですね。それは間違いない。そういった中で理念などに共鳴される。そういった輪をどんどん広げていくということができればいいですね。岩本さん、何かありますか。

岩本氏 

中村さんとは付き合いがすごく長いのですが、全く思ったことと同じことを言われてしまい、本当にそうだなと感じています。私は元々中・高校生ピースクラブの前に、小学生向けの平和イベントであるこども平和キャンプに参加しました。最初は親に勝手に応募されていて無理やり行かされた形でしたが、行ってみると、人見知りだった私も、友達と交流することの楽しさを実感でき、本当に楽しいなという思いがやはり原点だと実感しました。

ピースクラブに中村さんを誘ったのは私なのですが、最初はすごく中村さん自身も、平和の活動は、悲惨なものが見えて少し怖いというイメージがあり、それまで避けてきた部分だったそうですが、いざ飛び込んでみると、やはり活動自体が楽しくて、結局ピースクラブを6年間続けていたので、そういう気持ちは大事だと感じています。

先ほど中村さんが言ったように、夜の平和公園を使ったイベントを私も一緒に考えており、一緒に考えてくれる仲間を募集し始めるところです。そういったところでも、もちろん参加する人に楽しいと思ってもらえることも大事だと思っていますが、そういうことを大切にしたいと改めて感じました。また、楽しさも感じるとともに、やはり原爆という悲惨な出来事があっての活動ですので、理念を見失わないようにもしていきたいと感じました。

川野氏 

ありがとうございました。
藤本さんは動画を通した取組をされているということでしたが、それに関して何か実感などはありますか。

藤本氏 

御質問が今考えていたことと違うのですが、私の考えていたことを発言しても大丈夫ですか。

川野氏

大丈夫です。

藤本氏

先ほど大咲さんがおっしゃっていた、広島を知ってもらうという話で思い出した話があります。自分は国際交流に力を入れている高校に通っており、修学旅行でフランスにホームステイをしました。ホームステイ先がアルザス・ロレーヌという、フランス、ドイツ間で土地の奪い合いが行われたところで、事前にその学習もしていましたが、やはり実際に行って現地の人に触れたり、お話を聞いたり、フランス国内ですが、食文化などがドイツ寄りであったり、言語も、フランス語ではあるのですがイントネーションが違うことに触れることができました。

広島の人として広島を知ってもらうことも大切だと思うのですが、他県から来られた方が授業の中で、自分たちが住んでいたところには防空壕があることや、7月に慰霊祭があるなどの話をされていました。広島にいるからこそ、広島を知ってもらうだけではなくて、いろんな地域の日常の中にもある戦争の跡を知っていく大切さを、お話を聞いていて改めて思いました。

川野氏

 大咲さん、何かありますか。

大咲氏

今ピックアップしていただいてとてもうれしい気持ちになっています。ピースクラブを楽しみながら続けていくとおっしゃっていたのを聞いて、確かに続けていくことがとても重要だと思いました。一度の会やクラブなどで、はい、おしまいとなってしまうと、発信していく、伝えていく取組が一回で終わってしまいますし、それを次の世代につなげていくことも難しくなってきますし、継続していくことで楽しみを感じたり、共感したり、また、会として続けていくことでコミュニケーションが増えていったりするのではと思いました。

コミュニケーションについては、ドイツでの経験や、オペラの活動の中で思うことがあります。ドイツでしたら原爆のパネルの説明やレクチャー、オペラでしたら、公演の一週間、二週間前ぐらいに、フリートーク、オペラの内容を伝えるとともに、それぞれの意図に関する発表を一般の方々に無料で行う会を開催しました。僕は直接関わったわけではないのですが、その中で、この演目の内容は広島を意味することもできますといった話がありました。先ほど、武器というものが戦争につながってしまうと言いましたけれども、音楽をやっていて、演奏するだけではなかなか伝わり切らないところがあると思うので、演奏の前後でコミュニケーションを通して、自分の言葉や表現、言葉で伝えることが難しければ、先ほどお話にもあったように動画や字幕など、様々な方法があると思うのですが、そういうことを通じてその中身をより詳しく伝えていく。情報を自分でも収集したり発信したりという行動を続けていくことがとても大事なのかなということが、意見をお聞きしていて感じたことです。

川野氏 

ありがとうございました。御承知のように、広島、長崎の大きな課題の一つに被爆体験の継承があります。いろんな継承の仕方があると思いますが、僕はアナログ人間なので、今までSNSなどは正直信用していませんでした。ところがおととし、トリップアドバイザーに対する投稿を分析したところ、平和とは何か、原爆の悲惨さとは何かということが、SNSで非常に伝播していました。つまり、我々が意図せず、いわゆる継承する人間を、そういったものを通して育てていることや、広がっていくことを知って、SNSはばかにできないと思いました。

もう一つ、動画について、冒頭で少し言及しましたが、広島大学に平和科目があり、モニュメント見学レポートの単位について、その統括をしているのが私です。今年は新型コロナウイルス感染症の影響で実際に平和記念資料館に行くことができなかったので、動画を4分以上必ず見た上でレポートを書いてもらいました。つい最近、成績を渡したのですが、実際に訪問してもらうよりも、動画を見て書いてもらったほうが、中身が濃かったという意見が先生たちの間で多かったです。つまり動画の影響力はあるということです。もちろん実際に行って、見て、感じてもらうことも非常に重要なことだけれども、動画の持つ力というのもある。継承の一つの方法かなと思った次第です。

継承という意味から考えれば、皆さんのようにいろんなところで活動していらっしゃると、その継承をどうしていくのだろうということを思いました。どうやって皆さんの思いを、皆さんよりも少し若い人たちにつないでいくのか。広島の大きな課題の一つに、皆さんの思い、活動、そういったものをどのように少し若い世代につないでいくかということがあると思います。小さなバトンをどんどん渡していけば平和につながっていくような気がするけれども、それをどのようにしていくのかということが、ある意味、一つの大きな課題かなということを思いました。

継承に関しては、第一世代の被爆者の方々はもう高齢で、平均年齢は84歳ですが、あの日のことを伝えて残す、話す、思いを伝える、そういったことは被爆者の方々にお願いせざるを得ない。受け手の私たちは、組織、個人と二種類あります。組織としての取組は、広島市等の様々な取組や、大学であれば教育という媒体を通していろんな取組をします。個人も、皆さんが行われているような取組がある。しかし、授業をやっていても、広島に長い間住んでいて思うのは、継承するという第一義的に重要なことは、やはり実際に会って、原爆被害とか、広島とは何か、平和とは何かと、それを考えなければ、まずそういう土台がなければ、受け手の側としては非常に不十分なのです。だから、我々にある程度の知見がなければ、それを受け止められない。そういった意味からも、皆さんはしっかりと勉強されているなと思いました。

そろそろ終了の時間が近づいてまいりました。今言ったことが私の総括です。皆さん、様々な取組をされていてすばらしい、広島は捨てたもんじゃない、広島の未来は明るいと思いました。市長は私よりもっと強く思っておられるかもしれない。しかし、同時に皆さんの思いをどうやってつないでいくのか、それはある意味、皆さんの責務でもあるし、僕の責務でもあるし、責任でもある。広島市は行政としてたくさん取り組んでいく。

もう一つ大きな課題は、カタカナのヒロシマは、広島の中である程度共有されているけれども、閉じ込められている。皆さん、不思議ではないですか。広島以外に住んだことがあれば分かるでしょう。新聞を開いても、テレビを見ても、毎日被爆者の方が出てくる。こんなところは日本のどこに行ってもないです。それは、新聞社がブロックで分かれていて、全国紙でさえ紙面が違うことと一緒です。被爆者を見たことがない、聞いたことがない、会ったこともない、資料も見たことがない、そういう人が多いのです。

だから、市長がおっしゃった理念、そういったものをどんどん私たちは広げていく努力をしなければいけない。冒頭、中村さんが少しおっしゃっていましたが、広島を出た人は二種類あり、広島の平和は非常に特別だから、もしかしたら、私たちの思いは広がっていないのではないかというジレンマに陥り、外で活動するか、広島に帰ってくるかのどちらかになると思います。私はどちらでもいいと思います。でも、外で活動するほうが、仲間がいないのである意味難しいですよね。広島には仲間はいるかもしれない。それをどうやって広げていくのか。だから、こういう会議に本当は東京からでも学生さんを呼んで、広島の理念や思いなどをつなげていく、伝えていくことができればと思います。そのときに皆さんが重要なアクターになると思います。これを私は望みます。皆さんどうぞ頑張ってください。

1分ずつ、中村さんから、今日の会議を通して思ったこと、これからやりたいこと、あるいは市長に対する要望、何でもいいのでおっしゃってください。

中村氏 

貴重な機会をありがとうございました。今日は、自分や岩本さん以外にもいろんな活動をしている人がいることを知ることができたので、そういう人たちと何か、また大きな取組ができるのではないかと感じました。将来は広島に戻ってこようと思います。

川野氏 

ありがとうございます。いいんですよ、広島に戻ってきて。
それでは、続けて岩本さん。

岩本氏 

本日はこのような貴重な機会をいただきありがとうございました。私も中村さんと一緒で、様々な活動をしている方がいるということを知れて、本当によかったと思っています。先ほど川野先生も総括でおっしゃっていた自分たちの活動の継続をどうするかということは確かに問題だと感じていたのですが、やはりたくさんの人が集えばそれが広がるし、どんどん次につながっていくことになるのではないかと思います。少し要望のようになってしまうのですが、私たちのような様々な活動をしている若者が集い、互いにどんな活動をしているのかを知ることで、またさらに新たな活動とか、アイデアが出てくるのではないかと思いました。本日はありがとうございました。

川野氏

ありがとうございました。では、藤本さん。

藤本氏 

少し個人的なことになるのですが、大学へ入って新型コロナウイルス感染症の影響で学校に通うことができず、家で授業を受けていて、先輩方と関わる機会がなかったのですが、このようにすばらしい活動をされている方々のお話を聞けて、大学生活が明るくなったかなという気持ちに少しなれました。

また、活動を続けていくことについて、自分は将来海外に行きたいのですが、現地でどのように共感を得られるかということをこれから考えていこうと覚悟を決めることができました。ありがとうございました。

川野氏 

すばらしい。ありがとうございます。それでは、大咲さん。

大咲氏 

僕は音楽大学にいるので、専門的にいろんな人と共有しながら音楽のことを勉強しておりますが、このような会に出席することで、音楽以外の見方や活動方法、コンサートと同じところもあるかもしれないけれども、大分違う方法を取っているなど、そういうことを知ることができると思いました。将来はやはり広島県外や海外でも発信をしていきたいと思いますし、そういった場でも、音楽以外で活動されている方々の意見や活動内容をしっかり吸収してこれからの平和の活動に取り組めたらいいなと思っています。情報を発信すること、吸収すること、共有すること、これら三つを、日本国内でも、海外でも取り組めたらとてもいいなと思っています。ありがとうございました。

川野氏 

皆さん、ありがとうございました。感じるところが多く、感動しました。広島の未来は本当に明るいと思いました。大学で平和の議論をすると、やはり皆身構えてしまうのです。何か平和について議論するなんて何となく小恥ずかしいようです。それだけで、抵抗や、何か嫌だということではないのですが、それにコミットすることに対する恥ずかしさみたいなものがあるのです。それは、平和というのは、ある意味、自明であり、日常の中にあって当たり前みたいなものだからです。でも、その内実はみんな議論したことがない。

平和は何か恥ずかしく、議論することに少し赤面してしまうような気持ちになるようですが、平和とは何かと問い詰めていけば、あまり回答があるわけではない。日常の中での平和を考えることは非常に重要なことだと思います。そこから出発して、広島の平和とは何かを考えることができる。平和は個の平和の集合だと思います。だから、冒頭言いましたけれども、広島には、片仮名のヒロシマという非常に強い錦の御旗があるのです。市長、海外でヒロシマと言ったらみんな分かりますよね。何が起きたのか、どういう意味があるのか、何を訴えているのか。僕はある程度片仮名のヒロシマは生き続けると思います。それが生きている間にぜひ皆さんの力で新たな平和をつくっていただければと今日は思いました。

最後に、市長から私の意見も含めて、全体を総括して少しコメントしていただいて、今日の会を閉じたいと思います。市長、よろしくお願いします。

市長 

多分皆さんも、今日の会を整理していただくとまた力が出るのではと思いますが、日常生活を営むための活動以外に、人生を、あるいは自分の日々の生活を充実するため、楽しくするため、豊かにするために楽しく取り組む活動は、これは文化活動だと思います。そういう活動で自分の人生が充実すると思います。それをしっかり追求していただきたいということと、その活動に懸命に取り組むときに、その活動を楽しく取り組める仲間を増やすというもう一歩踏み込んだ活動目標をつくってほしいと思います。そして、その楽しさをいかに広げるか、あるいは楽しく活動している方とお付き合いして、自分も楽しく充実する人生を送ろうとポジティブに活動してほしいと思います。先ほど「あなたの平和は」と聞くと、みんな関心をもって答えてくれるという話がありましたが、あなたの日々の生活を豊かにすること、楽しくすることに興味はありませんかと聞けば、そうですと答えてもらえると思います。そういう話題で人々との場をつくることができると思います。

身近な現実を豊かにすることに加えて、少しでいいので、身近なものと受け止められないかもしれないけれども、理想を語る、理想を知ることを仲間と行ってほしいと思います。そのときに、片仮名のヒロシマを少しだけ見せていく。なぜかというと、片仮名のヒロシマは悲惨な現実です。悲惨な現実があったその事実を前提に、そういったことを二度と起こさないようにしようという深い反省のもとに、現実を招かないようにしようという、とても重要なコンセプトだからです。今送っている楽しい生活をくつがえさないためにも、過去のあんなことは起こらないようにしようねと少し言っていただく。そのときに、なぜでしょう、どういう意味でしょうという方には、理想を共有してもらうために、こんなことがあったのですよと、広島の被爆の実相を分かってもらう。そのことが分かったときに、日々の生活を楽しくするためにはやはり(核兵器は)ないほうがいいねと思ってもらえると思います。そういう共通の認識を持っていただく。

被爆の実相を伝えてもらうためのツールは広島で用意します。被爆建物も、いろんな形で努力して残します。被爆者はこれから少なくなってきますから、そういった方々の証言集や手記など、伝承しようと思えば大事なものを残します。被爆樹木、被爆建物、被爆の実相を感じていただく、大事にこの歴史は残すようにして、それを勉強したい方にはいつでもオープンで見ていただけるようにする。それを経験したいと思う方はどんどん広島に迎えて見てもらう。それを伝える。

その行動のベースには、自分の生活を充実させる文化活動に取り組み、その中で楽しさの輪を広げ、その輪を、平和を壊さない、その楽しさを壊さないために、あの広島の現実を起こさないようにしようねということを、分かっていただく方向性を目指したいのですが、どうでしょうか。そうすることで調和するし、抵抗感がぐっとなくなると思います。

最終目的である理想の世界を目指そうという看板を掲げてしまうと、日常生活とかけ離れたことを自分が考えないといけないのか、公にしないといけないのかと強い抵抗感を抱かれてしまうと思います。身近な現実を豊かなものにすることで、自らとはかけはなれたものに感じられる理想を遠ざけない。身近な現実にうまく溶け込ませるようにする、その溶け込ませる要素の中に、ヒロシマの心が少し入る感じ、それを目指したいと思っています。どうでしょうか。

川野氏 

ありがとうございました。今日のテーマが平和文化という意味がよく分かりました。平和文化、その中で我々は何を目指しているかを文化という営みの中から提示できるということで、広島が国際平和文化都市であるということが何となく今日腑に落ちました。皆さんも、引き続き平和とは何か、平和文化とは何かということを今後も考え続けていただければと思いました。ありがとうございました。
それでは、マイクを事務局のほうにお返ししたいと思います。

政策企画課長

活発に御議論いただきましてありがとうございました。伺ったたくさんの御意見につきましては、今後の市の施策に生かしてまいります。また、この車座談義を機に、皆様のさらなる取組の展開や御活躍を期待したいと思います。
それでは、これをもちまして、市政車座談義を終了いたします。本日は誠にありがとうございました。

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