広島市名誉市民
本市では、昭和37年(1962年)から広島市名誉市民条例により、市民又は市に縁故の深い人で、公共の福祉を増進し、又は学術技芸の進展に貢献し、その功績が卓絶で郷土の誇りとして市民から深く尊敬されている人に対し“広島市名誉市民”の称号を贈っています。
また、本市を来訪した外国人で、国際親善その他の目的で特にかかわりの深い人に対し“広島市特別名誉市民”の称号を贈っています。
名誉市民及び特別名誉市民
名誉市民(21名)
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 氏名  | 
 顕彰年月日※  | 
 備考  | 
|---|---|---|
| あさの ながたけ 浅野 長武  | 
 昭和38年(1963年) 12月10日  | 
私財を寄附、本市の教育文化厚生施設等の建設に貢献(昭和44年(1969年)死亡) | 
| さとう のぶやす 佐藤 信安  | 
 昭和38年(1963年) 12月10日  | 
13代広島市長として市政の発展に貢献(昭和39年(1964年)死亡) | 
| もりと たつお 森戸 辰男  | 
 昭和38年(1963年) 12月10日  | 
広島大学学長として、地方文化、教育の発展に貢献(昭和59年(1984年)死亡) | 
| えのみや まきび 愛宮 真備  | 
 昭和43年(1968年) 4月1日  | 
被爆後、ドイツより帰化、原爆の惨禍と世界平和の尊さを国内・外に訴え、広島平和記念聖堂の建立に貢献(平成2年(1990年)死亡) | 
| まつざか よしまさ 松坂 義正  | 
 昭和49年(1974年) 4月1日  | 
原爆被爆者の救援・障害の調査・研究に貢献(昭和54年(1979年)死亡) | 
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 たなか こういち  | 
 昭和49年(1974年) 4月1日  | 
地域経済、私学教育の振興など社会の発展に貢献(昭和56年(1981年)死亡) | 
| しげとう ふみお 重藤 文夫  | 
 昭和50年(1975年) 7月17日  | 
原爆病院(現広島赤十字・原爆病院)の設置及び被爆患者の治療など被爆市民の福祉向上に貢献(昭和57年(1982年)死亡) | 
| ながの しげお 永野 重雄  | 
 昭和55年(1980年) 4月1日  | 
産業経済の発展、国際親善の進展に貢献(昭和59年(1984年)死亡) | 
| ますもと はかる 増本 量  | 
 昭和55年(1980年) 4月1日  | 
インバー及びエリンバー不変鋼に関する新法則並びに新合金の発見開発により世界金属界に貢献(昭和62年(1987年)死亡) | 
| もりもと とおる 森本 亨  | 
 昭和55年(1980年) 4月1日  | 
社会福祉の向上、政令指定都市実現に貢献(昭和62年(1987年)死亡) | 
| なだお ひろきち 灘尾 弘吉  | 
 昭和59年(1984年) 4月18日  | 
被爆者援護、教育・文化・スポーツの振興及び福祉の向上、政令指定都市実現に貢献(平成6年(1994年)死亡) | 
| おだ みきお 織田 幹雄  | 
 平成元年(1989年) 7月5日  | 
広島スポーツ界の競技力向上、スポーツの普及及び振興、第12回アジア競技大会の広島招致、第1回ワールドカップマラソン広島大会の開催に貢献(平成10年(1998年)死亡) | 
| しまばら はんざん 島原 帆山  | 
 平成元年(1989年) 7月5日  | 
重要無形文化財尺八の保持者(人間国宝)、尺八の指導と演奏活動を通じ伝統文化の普及及び振興に貢献(平成13年(2001年)死亡) | 
| はらだ とうみん 原田 東岷  | 
 平成元年(1989年) 7月5日  | 
原爆被害者の治療・広島原爆障害者対策協議会の設立に尽力、世界平和の推進、文化振興に貢献(平成11年(1999年)死亡) | 
| ひらやま いくお 平山 郁夫  | 
 平成10年(1998年) 12月14日  | 
広島市現代美術館、広島市立大学、広島平和研究所の開設、原爆ドームの世界遺産一覧表への登録に尽力、文化の振興、平和の推進に貢献(平成21年(2009年)死亡) | 
| あがわ ひろゆき 阿川 弘之  | 
 平成15年(2003年) 4月2日  | 
原爆被害と人々の暮らしを描いた作品を発表、文学界に新境地を拓き、文学界の振興に貢献(平成27年(2015年)死亡) | 
| いのくち ひろお 井口 洋夫  | 
 平成15年(2003年) 4月2日  | 
有機半導体の概念を提示し確立、分子エレクトロニクスに至る広大な分野を開拓・先導、化学の進展に貢献(平成26年(2014年)死亡) | 
| しんどう かねと 新藤 兼人  | 
 平成15年(2003年) 4月2日  | 
原爆の悲惨さや核実験による被爆の悲劇をテーマとした作品を通じて平和を訴えるなど、映像文化の振興に貢献、本市平和の推進と文化の振興に尽力(平成24年(2012年)死亡) | 
| みやけ いっせい 三宅 一生  | 
 平成22年(2010年) 9月28日  | 
画期的な衣服の概念や斬新な発想で世界的な衣服デザイナーとして活躍するとともに、「ヒロシマの心」を広く世界にアピールし、芸術文化の振興や平和の推進に貢献(令和4年(2022年)死亡) | 
| もりした ようこ 森下 洋子  | 
 平成22年(2010年) 9月28日  | 
世界的なプリマバレリーナとして活躍するなど日本でなじみの少なかったクラシックバレエの定着に尽力し、芸術文化の振興に貢献(東京都港区在住) | 
| つぼい すなお 坪井 直  | 
 平成30年(2018年) 3月27日  | 
長年にわたる被爆体験証言及び国内外での核兵器廃絶に向けた活動により平和の推進に貢献するとともに、被爆者援護施策の充実にも貢献(令和3年(2021年)死亡) | 
※顕彰年月日は、名誉市民章の贈呈日とは異なる場合があります。
特別名誉市民(43名)
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 氏名  | 
 顕彰年月日  | 
 備考  | 
|---|---|---|
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 ニール・ブレイズデル  | 
 昭和38年(1963年) 11月9日  | 
ホノルル市長として姉妹都市提携に尽力(昭和50年(1975年)死亡) | 
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 ノーマン・カズンズ  | 
 昭和39年(1964年) 年3月3日  | 
原爆孤児に物心両面の援助など平和運動に尽力(平成2年(1990年)死亡) | 
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 アイラ・モーリス  | 
 昭和42年(1967年) 4月1日  | 
被爆者援助を通じて平和運動に尽力(昭和47年(1972年)死亡) | 
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 エディタ・モーリス  | 
 昭和42年(1967年) 4月1日  | 
被爆者援助を通じて平和運動に尽力(昭和63年(1988年)死亡) | 
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 バーバラ・レイノルズ  | 
 昭和50年(1975年) 10月15日  | 
日本及び世界各国で平和運動に尽力(平成2年(1990年)死亡) | 
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 メアリー・マクミラン  | 
 昭和55年(1980年) 4月1日  | 
広島市での多年にわたる女子教育、平和教育、社会福祉などへの貢献(平成3年(1991年)死亡) | 
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 フランク・ファシー  | 
 昭和56年(1981年) 5月3日  | 
ホノルル市長として姉妹都市交流に尽力(平成22年(2010年)死亡) | 
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 フロイド・シュモー  | 
 昭和58年(1983年) 11月15日  | 
「ヒロシマの家」の建設・寄附を通じて平和運動に尽力(平成13年(2001年)死亡) | 
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 アイリーン・アンダーソン  | 
 昭和58年(1983年) 11月19日  | 
ホノルル市長として姉妹都市交流に尽力(令和3年(2021年)死亡) | 
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 ヘルベルト・シュマルシュティーク  | 
 昭和58年(1983年) 11月28日  | 
ハノーバー市長として姉妹都市交流に尽力(ドイツ在住) | 
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 ウラジミル・アトポフ  | 
 昭和60年(1985年) 8月3日  | 
ボルゴグラード市長として姉妹都市交流に尽力(平成30年(2018年)死亡) | 
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 プリモ・ネビオロ  | 
 昭和62年(1987年) 4月8日  | 
国際陸上競技連盟会長としてワールドカップマラソンなど陸上競技の国際大会の広島開催に尽力(平成11年(1999年)死亡) | 
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 シェイク・ファハド  | 
 昭和62年(1987年) 8月4日  | 
アジアオリンピック評議会会長として第12回アジア競技大会の広島開催決定に尽力(平成2年(1990年)死亡) | 
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 ユーリ・スタロバトフ  | 
 平成元年(1989年) 8月4日  | 
ボルゴグラード市長として姉妹都市交流に尽力(ロシア連邦在住) | 
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 シャオ・ヤン 肖秧  | 
 平成元年(1989年) 9月28日  | 
重慶市長として友好都市提携に尽力(平成10年(1998年)死亡) | 
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 ソン・トンチュアン 孫同川  | 
 平成元年(1989年) 10月11日  | 
重慶市長として友好都市交流に尽力(中国在住) | 
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 ルーベン・アコスタ・ヘルナンデス  | 
 平成元年(1989年) 11月20日  | 
国際バレーボール連盟会長としてバレーボール・ワールドカップの広島での開催に尽力(メキシコ在住) | 
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 ユーリ・チェーホフ  | 
 平成4年(1992年) 10月23日  | 
ボルゴグラード市長として姉妹都市交流に尽力(ロシア連邦在住) | 
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 ジェラミー・ハリス  | 
 平成11年(1999年) 6月10日  | 
ホノルル市長として姉妹都市交流に尽力(アメリカ在住) | 
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 ピエール・ブルク  | 
 平成12年(2000年) 7月10日  | 
モントリオール市長として姉妹都市提携に尽力(カナダ在住) | 
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 ムン・フィガプ 文熹甲  | 
 平成13年(2001年) 5月2日  | 
大邱広域市長として姉妹都市提携に尽力(大韓民国在住) | 
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 エフゲニー・ペトロヴィッチ・イシュチェンコ  | 
 平成17年(2005年) 8月4日  | 
ボルゴグラード市長として姉妹都市交流に尽力(ロシア連邦在住) | 
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 ジェラルド・トランブレイ  | 
 平成18年(2006年) 4月14日  | 
モントリオール市長として姉妹都市交流に尽力(カナダ在住) | 
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 ワン・ホンジュ 王鴻挙  | 
 平成18年(2006年) 5月21日  | 
重慶市長として友好都市交流に尽力(中国在住) | 
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 キム・ボミル 金範鎰  | 
 平成19年(2007年) 5月4日  | 
大邱広域市長として姉妹都市交流に尽力(大韓民国在住) | 
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 シュテファン・ヴァイル  | 
 平成20年(2008年) 5月26日  | 
ハノーバー市長として姉妹都市交流に尽力(ドイツ在住) | 
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 ムフィ・ハネマン  | 
 平成21年(2009年) 11月5日  | 
ホノルル市長として姉妹都市交流に尽力(アメリカ在住) | 
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 ダグラス・ロウチ  | 
 平成22年(2010年) 7月28日  | 
中堅国家構想名誉議長として平和運動に尽力(カナダ在住) | 
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 バン・ギムン 潘基文  | 
 平成22年(2010年) 8月6日  | 
国際連合事務総長として平和運動に尽力(アメリカ在住) | 
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 ピーター・カーライル  | 
 平成23年(2011年) 8月5日  | 
ホノルル市長として姉妹都市交流に尽力(アメリカ在住) | 
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 ヴァレリィ・デニソヴィチ・ヴァシルコフ  | 
 平成24年(2012年) 11月9日  | 
ボルゴグラード市長として姉妹都市交流に尽力(平成31年(2019年)死亡) | 
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 ドニ・コデール  | 
 平成26年(2014年) 8月5日  | 
モントリオール市長として姉妹都市交流に尽力(カナダ在住) | 
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 カーク・コールドウェル  | 
 平成26年(2014年) 8月5日  | 
ホノルル市長として姉妹都市交流に尽力(アメリカ在住) | 
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 クォン・ヨンジン 權泳臻  | 
 平成27年(2015年) 5月4日  | 
大邱広域市長として姉妹都市交流に尽力(大韓民国在住) | 
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 アンドレイ・ウラジーミロヴイッチ・コソラポフ  | 
 平成27年(2015年) 8月5日  | 
ボルゴグラード市長として姉妹都市交流に尽力(ロシア連邦在住) | 
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 シュテファン・ショストック  | 
 平成27年(2015年) 8月6日  | 
ハノーバー市長として姉妹都市交流に尽力(ドイツ在住) | 
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 ヌルスルタン・ナザルバエフ  | 
 平成28年(2016年) 11月9日  | 
カザフスタン大統領として平和運動に尽力(カザフスタン在住) | 
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 ラッシーナ・ゼルボ  | 
 平成29年(2017年) 8月5日  | 
包括的核実験禁止条約機関準備委員会事務局長として平和運動に尽力(オーストリア在住) | 
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 ヴァレリー・プラント  | 
 平成30年(2018年) 6月4日  | 
モントリオール市長として姉妹都市交流に尽力(カナダ在住) | 
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 アントニオ・グテーレス  | 
 令和4年(2022年) 8月6日  | 
国際連合事務総長として平和運動に尽力(アメリカ在住) | 
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 ベリット・オーナイ  | 
 令和5年(2023年) 8月5日  | 
ハノーバー市長として姉妹都市交流に尽力(ドイツ在住) | 
| 故 マルセル・ジュノー | 
 令和7年(2025年) 6月15日  | 
被爆直後の救援活動や平和運動に尽力(昭和36年(1961年)死亡) | 
| リック・ブランジャルディ | 
 令和7年(2025年) 8月4日  | 
ホノルル市長として姉妹都市交流に尽力(アメリカ在住) | 
(令和7年8月4日現在)
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