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広島市の姉妹都市 ボルゴグラード市(ロシア連邦)

ページ番号:0000010313 更新日:2019年10月21日更新 印刷ページ表示

ママエフの丘

姉妹都市提携年月日

 昭和47年(1972年)9月28日(広島市議会承認の日)

基礎データ

  • 人口
    約102万人
  • 面積
    約565平方キロメートル(広島市の約0.6倍)
  • 位置
    ロシア連邦の首都モスクワの南東約900キロメートルに位置
  • 気候
    乾燥したステップ気候。夏の平均気温が27.7℃、冬が-16℃と寒暖の差が大きい。

プロフィール

 カスピ海に注ぐロシア南西部の大河、ボルガ川の下流域にあり、ボルガ川に沿って幅3~9km、長さ約80kmの流域に発達した細長いまちです。1925年まではツァリーツィンと、その後1961年まではスターリングラードと呼ばれていました。
 1589年、ボルガ川の要塞として建設され、19世紀後半には河港と水運を利用した工業の中心地として発展しました。ロシア革命後は国内屈指の産業、文化の中心となりました。
 第二次世界大戦時の1942年7月から翌年2月まで続いた「スターリングラード攻防戦」では、全家屋の85%が破壊され、市内は廃墟と化し、戦前150万を数えた人口が、戦いの終わったときには、3万2千人、50分の1となっていました。
 戦後いち早く再建され、鉄鋼、機械、木材加工などの主要産業を有するロシア有数の都市の一つとなっています。また、美術館、劇場などの文化施設や、劇団、交響楽団、サーカスなどを有し、文化活動も盛んです。

提携の動機・経緯

 昭和36年(1961年)8月、スターリングラード市(現ボルゴグラード市)から本市に提携希望を伝える電報が届きました。これは、東京とモスクワ、大阪とレニングラード(現サンクトプテルブルグ)それぞれの提携とともに、ソ連政府によって提唱されたものでした。これが契機となって両市間の人的交流や文化交流が始まり、友好を培ってきました。
 昭和43年(1968年)5月18日、広島市親善使節団がボルゴグラード市を訪問した際に、両市市長が姉妹都市提携協定書に調印しました。協定書には、両市が「原爆ないし通常兵器により人類史上未曾有の戦禍を身をもって体験した事実にかんがみ、・・・両市が世界平和達成のため力を合わせて努力することが必要」であり、「相互理解、尊敬と友好を増進するという基礎の上に立ち」姉妹関係を確立することが謳われています。
 その後、国際情勢の変化によりこの協定の市議会での承認は一時見合わされましたが、昭和47年(1972年)9月28日、ボルゴグラード市執行委員会議長(市長に相当)ほか親善使節団をお迎えした際に広島市議会によって承認され、提携が成立しました。

姉妹都市提携40周年記念式典

交流の経過

 姉妹都市提携して以降、両市は、二国間交流団体による市民訪問団や行政、議会関係者の相互訪問による親善の推進のほか、民族舞踊団の招致や生活協同組合間の交流、小学生同士の絵の交換、親善の翼・市民訪問団の派遣など、幅広い交流を行ってきました。
 ボルゴグラード市は、平和の推進に大変熱心であり、毎年8月6日にはボルゴグラード市で平和記念式典が開催されています。
 平成24年(2012年)、両市の姉妹都市提携は40周年を迎え、9月に松井市長を始めとする広島市代表団がボルゴグラード市を訪問しました。記念式典では、両市の代表者により、相互理解、尊敬と友好を増進するため、今後も両市が協力していくことがあらためて確認されました。このほか、本市代表団の訪問に合わせ、ヒロシマ・ナガサキ原爆ポスター展が行われ、多くの市民が核兵器廃絶と世界恒久平和への願いに触れました。
 また、同年11月にはヴァシルコフ市長を始めとするボルゴグラード市代表団が本市を訪問し、姉妹都市提携40周年記念行事として行われた「ボルゴグラードの日」記念イベントに参加しました。

関連情報

外部リンク

ボルゴグラード市のホームページ<外部リンク>