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ページ番号:0000006605更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

平和大橋・西平和大橋の欄干について

「平和大橋」、「西平和大橋」という名称は、「平和大通り」とともに、昭和26年(1951年)11月に一般公募によって決定されたものです。この平和大橋と西平和大橋の欄干は、アメリカの彫刻家イサム・ノグチ氏(1904~1988)が設計し、昭和27年(1952年)3月に橋が完成しました。

 イサム・ノグチ氏は、日本とアメリカという二つの祖国を持ち、激動の時代を生きながら、各所で数多くの著名な作品を残しており、モニュメント、庭や公園などの環境設計、家具や照明のインテリアから舞台美術まで、幅広い活動を行った世界的にも名高い芸術家として知られています。

1.「平和大橋の欄干」のデザインの由来

 平和大橋の欄干について、イサム・ノグチ氏は、「設計の際、私は、建設の理念、すなわち新たに自己の生活を建設する者の特に再建広島の理念を伝えるものとすべきであると考えていました。従って、私は、建設を意味する名前をその橋に付けたいと思います。」と述べており、「つくる」と命名しています。

 イサム・ノグチ氏は、もともとこの橋を「いきる」と名付けていましたが、同じ時期に、「生きる」という映画が公開されていたため、「いきる」から「つくる」に変更したというエピソードがあります。

2.「西平和大橋の欄干」のデザインの由来

 西平和大橋の欄干について、イサム・ノグチ氏は、「出離の理念、すなわち「人生よさらば」広島がその記念となった悲劇の経験よさらばということを伝えるべきものと考えます。」と述べており、離別の理念をもって「ゆく」と命名しています。

 イサム・ノグチ氏は、もともとこの橋を、東側の平和大橋の「いきる」という命名に対して「しぬ」と名付けていましたが、平和大橋の名称を「いきる」から「つくる」に変更した際に、西平和大橋も「しぬ」から「ゆく」に変更したというエピソードがあります。

※ 上記の内容については、財団法人イサム・ノグチ日本財団と協議し、作成しました。

平和大橋欄干
(平和大橋)
西平和大橋欄干
(西平和大橋)