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市の木(クスノキ)・市の花(キョウチクトウ)について
1 制定の趣旨
市民生活と結びつき、また郷土の象徴として親しまれる木と花とを「市の木」「市の花」として制定し、緑化の気風を養うことを目的としています。
2 制定までの手順、結果
昭和48年(1973年)8月、上記趣旨にのっとり、「市の木」「市の花」を市民の投票により決めることとしましたが、ただ「市の木」「市の花」にふさわしい木・花を選んで欲しいというのでは、あまりにも漠然としすぎるので、あらかじめ候補木・花をしぼることにしました。
これには「市の木」「市の花」候補木・花選定委員会(委員は市議会議員2名、学識経験者2名、報道機関1名、市職員3名の計8名)があたり、昭和48年(1973年)9月29日に候補木としてクスノキ・タイサンボク・クロガネモチが、候補花としてフヨウ・カンナ・キョウチクトウがそれぞれ選定されました。
昭和48年(1973年)10月3日の新聞6紙に応募用紙を折り込むとともに、市の各施設の窓口に応募用紙をおき、募集を開始しました。応募期間は昭和48年(1973年)10月3日から同月27日まででした。
昭和48年(1973年)10月29日、得票数を集計し最多得票を得たクスノキ・キョウチクトウがそれぞれ「市の木」「市の花」として選ばれました。
昭和48年(1973年)11月3日、広島市「市の木」「市の花」制定記念式が広島市基町の中央公園「花の精」前広場で行われ、「市の木」としてクスノキが、「市の花」としてキョウチクトウが制定されました。
3 市の木(クスノキ)
戦前は巨樹老木が市内随所に見られ、中でも国泰寺の大クスノキは有名でした。その重厚な趣は、人々の心を和ませましたが、原爆でそのほとんどを失いました。
しかし、生き残ったクスノキは、いち早く生命をよみがえらせ、市民に生きる希望と復興への力を与えてくれました。現在、四季を彩る常緑樹として育てられ、新生広島を象徴しています。
4 市の花(キョウチクトウ)
75年間草木も生えないといわれた焦土にいち早く咲いた花で、当時復興に懸命の努力をしていた市民に希望と力を与えてくれました。
開花は夏で特に8月6日の平和記念日のころに花の盛りを迎え、咲き競う美しさはひとしお感慨を新たにさせます。
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