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宮島管絃祭と江波の漕伝馬

ページ番号:0000001453 更新日:2024年3月18日更新 印刷ページ表示

漕ぎ伝馬船の提灯 宮島管絃祭と江波(えば)との関係は、お迎えに行く管絃船(御座船.以後管絃船で統一)を曳く船が江波の漕伝馬であるからです。
 管弦祭は毎年旧暦6月17日に行われます。
 祭り当日早朝、江波の漕伝馬が宮島の長浜神社沖につきます。
 朝の満潮にあわせて、管絃船が阿賀の船に曳かれて大鳥居沖に引き出され、これに入替わって、江波の漕伝馬は大鳥居をくぐり、午前10時ころ厳島神社の回廊にある「桝形」に入り、太鼓にのせられた音頭と台振(船に四斗樽を置いた上で踊る)の演技で三回まわります。伝馬船の回転できる最小領域での素晴らしいテクニックは、昼間のイベントのクライマックスです。
 午後4時、いよいよ地御前神社に向けての出発です。
 先ず、厳島神社で儀式の後、御鳳輩(みこし)を管絃船に移し、江波の漕伝馬に曳かれて大鳥居前の儀式を終えて対岸の「地御前神社」に向かいます。
 地御前までの道中(水路)は、江波の漕伝馬を中心先頭に阿賀の船を両サイドに配し管絃船を曳っぱります。
 道中は、幟を立てた新造船や観光目的のレジャーボートで賑わいます。
 船中、太鼓と音頭にあわせて四斗樽の上で舞う"台振り"と漕手の息がピッタリと合った江波の漕伝馬は、勇壮かつ華麗、毎年ドラマを呼びます。
 午後6時頃、火建岩(ホタテイワ=江波ではショウドクバナノハナと呼ぶ)で灯明をつけ、管絃船と阿賀の船は潮待ちをします。
 江波の漕伝馬だけが先行して、若衆は伝馬から太鼓をかつぎ上げ、地御前神社まで砂浜を一気に突っ走り、江波の盆踊りを奉納(踊り)します。
 やがて、地御前からの御迎船を水先に管絃船と阿賀の船が到着。神社での祭典及び管絃三曲が催される間、漕伝馬により管絃船が左廻りに3回まわされます。
 これらが終わって、管絃船は宮島に引き返し「長浜神社」沖に着き、ここからは江波の漕伝馬だけで管絃船を曳航し、管絃船を3回まわして「大元神社」にむかいます。
 大元神社でも3回まわした後、大鳥居をくぐり、くぐる時だけ唄われる音頭"西国お船印"にのって厳島神社に向います。
 ここで、江波の漕伝馬は管絃船から離れて「桝形」に入り、午前と同じように伝馬を3回まわし桝形に横付け。そこに、管絃船が入ってきて、水棹で3回まわします。
 ここが管絃祭のクライマックス。
 これらが終わって、阿賀の水主により御鳳輩(みこし)が厳島神社に戻されて祭りは終了。午後11時頃となります。

江波の漕伝馬の管絃祭にかかわる前日の行事

本川をさかのぼる漕ぎ伝馬船 前日の朝、漕ぎては、おなじみの法被(ハッピ)に白足袋.手甲.脚絆に笠をかぶり、役員は、帷子(カタビラ)に黒足袋.カンカン帽のいでたちで本川を逆上り、お世話になった所にあいさつ回りをします。
 この場合の挨拶とは、船を左廻りに3回まわすことです。
 古くは、本川橋西詰の森川家で食事をとる習慣でしたが、戦後、森川家が移転し、中央卸売市場、そして現在では中国新聞社が食事を出して伝統を受け継いでいます。

江波の漕伝馬が管絃船を曳くようになった経緯

 元禄14年(1701)、管絃船が地御前神社から宮島に帰る途中、暴風雨で転覆しそうになっていた。
おりしも、近くに停泊していた阿賀(呉市)の鯛網船と、九州からの帰りに厳島神社に参詣しようとしていた"古川屋伝蔵"の船を迎えに行った江波の「伝馬船」が救難にあたった。
この遭難事故を契機に、阿賀と江波から漕船をだすようになった。
 そのときの(救難時)船の姿が伝統になり、今でも阿賀は"櫓"、江波は"14チョウの櫂"の伝馬船を用いている。

管絃船の歴史的変遷

 宮島の管絃祭は、長寛元年(1164)平ノ清盛が安芸国に赴任したのち、平安京で池や河川に船を浮かべて行なっていた管絃の遊びを、厳島神社を奉る意味で京風にならって始められた。
宮島に人が住んでいなかった平安時代には、厳島神社の諸行事には対岸の地御前神社から往復して事にあたった。
 鎌倉中期(1250頃)宮島に人が住むようになって、厳島から管絃船を出して地御前に向い、さらに宮島に帰るようになる。
 江戸時代元禄以前の管絃船は大きな船を一艘使い、「櫓」が6挺あったと伝わる。
元禄以後は(1690頃)漕船を使うようになり(理由は漕伝馬が管絃船を曳くようになった経緯の欄参照)、管絃船自前の「櫓」は使わなくなった。
 現在の管絃船は、和船を3隻並べて一艘に組立てている。
御鳳輩(みこし)を、船に移すようになったのは明治14年(1881)から。

管絃祭の一般注釈

  • 注釈、1
    管絃とは、三管(笛.しょう.ひちりき)、三鼓(太鼓かっこしょうこ)、三絃(和琴琵琶筝)などを合奏する音楽。
  • 注釈、2
    桝形とは、神社の客入社と回廊に囲まれた桝形(四角)をした伝馬船一艘がようやく回転できる広さをもった厳島神社の一部。舞楽殿の近くに位置する。
  • 注釈、3
    管絃船をまわすのは常に左廻り。管絃を奏でている間は、江波の漕伝馬は音頭を唄わない。

神崎・舟入・江波郷土史「心」より(発行:舟入公民館 編集:郷土誌編集委員会)