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ページ番号:0000010877更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

原爆投下直後の議会招集-空箱の議長席-

原爆投下後の市内のようす(昭和20年秋)の画像
原爆投下後の市内のようす(昭和20(1945)年秋)
撮影・岸本吉太、所蔵・岸本坦、提供・広島市公文書館​

昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、人類史上最初の原子爆弾の投下により、広島の街は一瞬にして焦土と化し、多くの人々の生命が奪われ、70年間は草木も生えないと言われていました。

もちろん、市内にいた議員も被爆し、多くの死者、行方不明者が出ましたが、当時の議長は、倒壊した家屋の下敷きになり身体各所に打撲症・裂傷を受けながらも、3日後の8月9日には足をひきずりながら登庁して、粟屋仙吉市長が被爆死していたため、柴田重暉助役らと市会招集の対策を講じ、同月20日には議会が招集されました。定足数に足りないため、全員協議会になったものの、廃墟となった庁舎にむしろを敷いて、爆弾投下の直後から、街の復興に向けた議会活動が行われました。

そのときの様子を、「広島市議会史」は、次のように記録しています。
「8月9日、負傷した山本久雄市会議長が足をひきずりながら市役所へ姿を見せた。このときから市会招集が話し合われたが、各議員の安否も所在も不明だった。このため、放送を通じて、市会議員招集が繰り返された。(中略)

市会当日は、2階土木課の部屋を取り片付けて、むしろを敷いて車座になった。議長席は軍支給の缶詰の空箱を机代わりとした。出席者は山本議長以下 20名で、定員48名の半数にも満たなかったが、それでも予想よりははるかに多かった。定足数に足りないため本会議は成立させられず(市制第52条「市会ハ議員定数ノ半数以上出席スルニ非サレハ会議ヲ開クコトヲ得ス〔下略〕」)、全員協議会の形となった。まだ惨禍の臭いが立ちこめている部屋で、互いの無事を喜び合ったり、体験を語り合ったりで、大部分の時間が費やされた。焼けてでこぼこになったコンクリートの床の上に、軍から払下げられた帆布を敷いて、議員も執行部職員も、その上に座っての会議であり、机も椅子もない・・・(以下略)」
(広島市会は、昭和22(1947)年の地方自治法の施行により広島市議会となる。)

内部が焼失した議場(昭和20年11月)の画像
内部が焼失した議場(昭和20(1945)​年11月)
撮影・米軍、提供・平和博物館を創る会​

本市が廃虚から立ち上がり、復興していく上で必要不可欠であった広島平和記念都市建設法の制定原爆被爆者への対策などにおいて、広島市議会は、非常に重要な役割を果たすとともに、この凄惨な体験を踏まえ、世界各国に対して核兵器廃絶及び世界恒久平和に向けた取組を積極的に進めてきました。(ご希望のところをクリックしてください。)

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