被爆に関すること よくある質問と回答
質問広島へ原爆が投下された経緯とは(FAQID-5801)d
回答
1945年(昭和20年)春以降、日本の戦況が圧倒的に不利な中、アメリカには長引く戦争を終結させるための手段として1945年(昭和20年)11月に予定していた日本本土上陸作戦のほか、ソ連への対日参戦の要請、天皇制の存続を保証し降伏を促すこと、原爆の使用などの選択肢がありました。
1945年(昭和20年)2月のヤルタ会談でアメリカの要請によりドイツ降伏後3カ月以内にソ連が対日参戦することなどが極秘に取り決められましたが、5月のドイツ降伏後、ヨーロッパの戦後処理をめぐって米ソ関係は悪化しつつありました。また、敗戦の色が濃くなっていた日本は中立条約を結んでいたソ連を通じた和平工作を試みようとしていました。アメリカは、このことを無線の傍受や暗号解読により知っていました。
アメリカはソ連の対日参戦の前に原爆投下により戦争を終結させることができれば、戦後ソ連の影響力を抑えることができ、また、膨大な経費を使った原爆開発を国内向けに正当化できるとも考えました。
一方、アメリカでの原爆投下目標都市の検討も、1945年(昭和20年)4月に4カ月以内に原爆が完成する見通しが立ったことで始まりました。まず都市の規模や戦略的価値の重要性などの条件から広島や長崎など日本の17地域が選定され、その後、爆風で効果的に損害を与え、原爆の威力の誇示につながるなどの条件で投下目標の選定が進み、同時に目標都市への空襲を禁止しました。
7月25日にアメリカは、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかの目標都市の一つに8月3日ごろ以降、最初の原爆を投下する命令を下しました。翌26日には、イギリス、中国とともに日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言を発表しました。ポツダム宣言には、日本が降伏するために重要と考えられていた天皇制存続の保証が記されず、また、原爆の存在や使用を暗示する言葉もありませんでした。日本はポツダム宣言を受諾しませんでした。
そして8月2日に第1目標を広島、原爆投下を8月6日とする命令が発せられました。
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