広島平和記念資料館 学習ハンドブック 戦時中の子どもたちの生活
大きかった戦争の影響 体験した人のお話
- 食べ物・生活用品が不足
(物資は全て軍隊優先だったから、)戦争の終わりごろは食べ物も生活用品も不足して、お店に行っても簡単に手に入らなかったの。みんないつもおなかを空かせていたのよ。 - 学校で勉強ができない
学校に行っても教室での勉強はほとんどできなかったんだ。子どもも戦争のために大人の仕事を手伝わないといけなかったからね。畑仕事や建物疎開(※)の片付けに動員されたり、軍の工場で働かされることもあったんだ。もっと勉強したかったなあ。
(※)空襲により発生した火災が燃え広がらないよう、家を倒して空き地を作ること - 子どもも軍事訓練
学校では軍隊のような訓練もあったね。男の子は銃を扱う訓練、女の子は竹やりで敵を刺す訓練をしていたんだ。 - 家族と離れて暮らした学童疎開
今の小学校3年生から6年生にあたる子どもは、空襲を避けるため、家族と離れて田舎で生活をしていたのよ。お母さんやお父さんに会えなくて寂しかったねえ。
原爆で犠牲になった子どもたち
原爆が投下された8月6日は、広島市内で大規模な建物疎開作業が行われる日でした。この作業に動員されていた現在の中学生にあたる年代の子どもたちは、屋外の作業現場で被爆したため、約6,300人が亡くなりました。生き残った子どもも原爆で負った火傷や怪我の後遺症や病気で苦しんだり、心ない差別に苦しんだりしてきました。資料館では亡くなった子どもの遺品を多数展示しています。じっくり見て当時の状況を想像してみましょう。
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市民局国際平和推進部 平和推進課被爆体験継承担当
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