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ページ番号:0000008410更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

2012年11月29日 西区「市政車座談義」の開催結果

1 日時

平成24年(2012年)11月29日(木曜日)14時30分~16時00分

2 開催場所

井口公民館 2階ホール

3 参加団体等

井口・鈴が峰魅力づくり委員会 11名

4 テーマ

地域の歴史の発掘と新しい魅力づくりによるまちづくり

5 傍聴者

4名

6 主な話題

  • 鈴が峰周辺の魅力づくり
  • 龍神山の魅力づくり
  • 駐輪場などの環境整備について
  • 歴史の継承について

7 会議要旨

市長挨拶

どうも、こんにちは。本日はお忙しい中、こういう形で車座談義に参加いただきまして、ありがとうございます。

この車座談義は、今まで市内8区あるうちで、6区でいただいていまして、いよいよあと二つということで、7番目の会合なんですけども、直前では安芸区の方でやりまして、内容とすれば、瀬野川公園を中心にどんなふうに地元の方が使っていきたいか、こんなふうにしたいんだけども、ちょっと市の力の入れようが足りんからうまいこといかんと、こんな話をいただきまして、できるところ、できないところを仕訳しながら、こんなふうにしてはという話をさせていただきました。

そういう議論をする前に、いろいろ事前にわが優秀なスタッフが皆さんから聴取して、市長こうですよと、いろいろ手取り足取り箇条書きを入れているんですけど、そういうのを無視しますから。いや無視というか、もちろん尊重しますよ。結果として、ここでのお話を聞いて、どうしたらいいかなということを言いますよ。職員も緊張して、何を言うかというのを居眠りせずに、待っていますから、せめてぜひ活発なご議論をしていただくということで。

ただ基本は、私はこういう形でさせていただきますけども、これを皮切りに皆さんがこの地域をでどういうふうにいいものにしていきたいかという、そういう考えを持っておられるか、そして、行政として、それに対して、どこまで、どういうふうにしてやっていくかということの糸口をこういうところで付けさせていただいて、個別には何ていっても私一人ではできませんので、区長を中心にスタッフというか、その職員といろんな話を詰めていただく中で、思われている理想といいますか、そういうものに近付けていくという、そういうやり取りを続けていただく、そのための会合だと思っていただければと思います。

ですから、ひょっとしたら今段階でいろいろできんということも工夫してもう一歩とかあると思うんです。それから新たな発想ということもありましょう。そんなことも、含めてぜひ私はこのお話合いが最初で最後じゃなくて、あくまで最初と、これからいろんな意味で皆さま方のお力、お知恵をお借りしながら、区役所の職員、向井局長が来ておりますけどね、局長じゃなくて区長でした。区長になる前に局長でおりましたから、すごいファイターですから、やる気満々ですから、しっかりと議論していただくということを切にお願いいたしまして、ごあいさつに代えさせていただきます。本日はよろしくお願いいたします。

広報課長

今月の6日ですけども、皆さま方が鈴ケ峰の石碑を復元したという記事を読みました。そういうしっかりとした活動をされている皆さまなので、今日はどんなお話を聞けるのか、私ども楽しみにしております。それでは1時間半ではございますけども、よろしくお願いします。

それでは、ここからはAさんの方にマイクをよろしくお願いいたします。

Aさん(司会)

ようこそ、井口にお越しいただきました。お忙しい中をありがとうございます。鈴が峰団地に住んでおります、Aと申します。これから60分以上の長丁場となりますので、発言者は座ったままでさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

今日のメンバーは、鈴ケ峰の麓あるいは中腹一帯から集まっております。1000年の歴史を誇る「旧井口村」、県が造成し昭和43年から入居した「井口鈴が台」、昭和46年から始まった西部開発で誕生した「鈴が峰団地」や「井口明神」、そして一番あたらしい民間の団地・「井口台」などに住んでおります。

今日はせっかくの市長をお迎えしての車座談義ということでありますが、発言を間違ってはいけないと、私の方はちょっと消しゴムがございませんので、みんなには一応原稿を作っていただいて、これからこの原稿を基にして、お話をさせていただきたいと思います。

年齢の方は、たぶん市長よりは上のものばかり、耳がすこし悪くなった位で、いずれもまだ元気な者ばかりですので、少々脱線するかもしれませんけれども、今日はよろしくお願いしたいと思います。それでは、まず井口・鈴が峰魅力づくり委員会の委員長から、今日のテーマの概略を説明させていただきます。

テーマの趣旨説明

委員長挨拶

本日は、遠い所からお出でいただいてありがとうございました。

市長がお出でになるのをずっと待っとったんで、ですから今日は多少まあわがままな質問やらお願いなんかが出てくるかもしれませんが、それは私たちが井口をこよなく愛しておる、その気持ちがそういう結果になるかもしれませんが、その点一つお許しいただきたいと思います。

今までの活動の概略をちょっと申し上げておきたいと思います。一応原稿は作ったんですが、私、原稿があまり上手に読めんので、言いたい放題で言わしていただきたいと思います。これをスタートしましたのが、平成18年の9月にスタートいたしまして、そのときは、ただここの地域に住んでおる人が生活が便利なようにしやすいようにということで、生活マップを作ろうじゃないかということからスタートいたしました。それをやっとるうちに、一応それはできたんでありますが、さらに井口を生活しやすいだけではなしに、好きになってもらうということで、今度は井口のいろいろな歴史的な背景も皆さんに理解してもらって、ちょうど井口は西国街道の通っている所でございますから、いろいろ歴史的なそういう遺跡も残っておるところもありますし、話題もあるので、ぜひそういうものを紹介していこうということで、平成18年から平成20年まで活動して、さらに今言いましたように、好きになってもらおうということで、歴史的なものを紹介しようということにしたわけでございます。それからは今のように毎年、史跡を紹介する「西国街道ぶらり旅」をやりまして、一般の人、それから小学校も含めて、逐次あれこれやっていったんですが、大変人気がありましてですね、多いときには40人ぐらいが集まることもありまして、いろいろ井口のことを知っていただいたと思います。

そしてさらに、そういうことだけじゃなしに、新しい魅力を作っていこうじゃないかということで、今度はそれをさらに発展をさせまして、魅力探し委員会から、さらに魅力づくり委員会というような形で名称を変更して実施をいたしました。その中で、今度はBさんの方から説明があるんですが、鈴ケ峰の中腹にありました、「鈴峰」という石碑があるんですが、それを起こして、そのいわれなども含めて話をしていこうじゃないかというようなことになって新しい活動がスタートしたんです。幸いそれをやるのに、公益信託広島市まちづくり活動支援基金「ふむふむ」というのがございますけども、それからそれを起こすのに、今あそこに出ておりますように、芸予地震でひっくり返ったんですよ。だからあれを元に返そうということから話を勧めようということでやったんでありますが、「ふむふむ」の方からの支援はちょっといただくことができなくて、新たに今回広島市の方からお願いをして支援をしていただくことになりましたんで、それを使ってもうすでに修復はしたんですがね。これができたのには、市が100%出せなかったもんですから、その残りの部分を一般の人から寄付金で集めて、そしてようやくもうすでに立ち上げておりますが、それができたということで皆さんにまた案内をして、完成の式をやりたいと思っております。

この「鈴峰」の石碑を立ち上げていったというのは、ただ単にそれを元に返すということだけではなくて、これを一つの過程として、地域の人がそれを中心にいろいろなつながり、絆を作ってくれる、そういうものになればいいんじゃないかと考えまして、それを現在スタートさせたわけです。

今年度の行事としてやっているわけですから、その完成式を来年の3月にはやりたいと思っておるんですが、その前にちょっと高いものですから、あの上まで上がれるという人は完成式をやるといっても、そういないんですよ。ですから、下の鈴が峰公民館と一緒に並行で寄付していただいた皆さんに案内を出して、そしてその完成式をやろうかというようなことも考えております。そういうことが地域のつながりをつくっていく一つの手掛かりになるんではないだろうかと考えております。

そのほか、いろいろやっておる中で、ちょっと話があちこちいきましたが、申し訳ございませんが、井口に来たときに、今のように皆さんを集めて「西国街道ぶらり旅」をやっていたんですが、それだけじゃなしに、来られた人が自分で一人でも回れるようにということで、全体を案内できる地図を作ろうということで、現在、広電の井口の駅のところに、全体の案内図を作っておりますが、それを、そのほかにももうちょっとほしいなと思っております。

それぞれの史跡の所が14カ所あるんですが、その14カ所の所には、案内板を現在立てております。これは、「ふむふむ」の方の支援を受けて、現在作っております。だから、今の案内があれば、それで皆さん一人でも回れるような状態ではないだろうかと考えておるわけでございます。

一般の人も、とにかくこういう所に巻き込んで、そのつながりを作って行こうというのが我々の願いでございます。以上でございます。

Aさん(司会)

委員長の今の話は、アドリブがだいぶ入っておりまして、これからの予定も先に話しちゃっているというところもあるんですけども、「あ、これは聞いた」と思わずに、一つ耳を貸していただきたいと思います。

今お話のありました、鈴ケ峰の石碑は、かつてはこのように、広島市内を見下ろす形で建っていたようです。この写真は、今から30年前の昭和57年、1982年に撮影されたものですが、周囲の木はまだ低く市内からも見えたと聞きます。

この石碑の位置を麓からも確認できないかということで、風船を上げたこともあるんですけれども、周りの木に妨げられて、当日は雨で霧も出ていたために、あまりよく見えなかったようです。これからは周囲の整備というのも課題になると思います。

倒れた石碑は1.7トンも重さがある、このような大きな石を、重機のない時代にどのようにして据え付けたのか、これも興味があるんですけれども、今回の復元工事でも重機を使うことができずに、人の力で機材を運びあげまして、この大きな石を吊り上げて、元の位置に戻したようです。

石碑は山の途中にありますので、私をはじめ、足に自信のない者にはちょっと現場は無理な感じがしているんですけども、幸いこの中に健脚自慢のBさんという方がこれから発言しますけども、山の中腹まで行きまして、この現場の作業に立ち会っていただきました。

その内容を報告していただきましょうか。

鈴が峰周辺の魅力づくり

Bさん

鈴が峰町に住んでおります、Bと申します。

委員長や司会ともだぶるところもありますけども、まず、「鈴ケ峰」の石碑は、鈴ケ峰東尾根の8合目にあります。大体260メートル、鈴ケ峰の山が213メートルですぐらいですから、8合目にあります。

平成13年の「安芸灘地震」により倒壊して、11年経過していました。4年前の平成20年4月、当時の「井口・鈴が峰魅力さがし委員会」、現在の「井口・鈴が峰魅力づくり委員会」ですが、その発足時に、事業の一つとして「石碑復元」を承認していただきまして、22年、23年には「ふむふむ(広島市まちづくり活動支援基金)」に申請をしましたが、採択されず、今年6月に「区の魅力と活力向上推進事業補助金」に応募して承認されて、復元活動を本格化することが出来ました。

現状を申し上げますと、7月に西区役所から45万円の補助決定通知がありまして、すぐに石材店と話をしまして、暑いときはできないということで、10月23日から3日間で、この工事を、寝ているのを立てるところまで、3日間で済ませました。司会からもありましたように、急な山道をこの三脚の足、1本20キロあって3段に伸びる伸縮の支柱でございますが、それに発電機が25キロ、セメント、砂、その他合計200キロに及ぶ資機材を5人で往復しながら担ぎ上げました。これはチェーンブロックでございますから、石碑が寝ているのをまず起こし、それからこの三脚を横移動させて立ったものを少しずつ斜め上に上げていくという過程を繰り返しながら、支柱を移動しながら、台座へ据えるという工事でございます。

さらに石碑と台座との間を今までは、宮島の鳥居みたいに置いてあっただけなんです。それで倒壊したんだということで、今度は、3本のアンカーボルト、鉄の棒を台座と石碑との中に入れまして、で固定して、それからさらにセメントで固めたということで、今度は倒れないということになっております。

この左下を見ていただくと、白い石が見えると思いますが、倒れるときは、あの色だったんです。11年経って、風雨にさらされて、苔が生えてあの色になっている。今からお掃除をして元の色にお色直ししなきゃいけないということが残っております。

さらに、この鈴峰という字を背中にしてみると、広島の街がずっと見渡せたわけです。今は木が高くなっておるんで、これも伐採して元のような景観を取り戻そうと、地主さんにも木を切ることへの了承はいただいておりまして、地域の協力はもとより小・中学生の支援にも期待しながら、皆で直していこうという計画です。

伐採した木は石碑周辺を憩いの場所として整備する際に、大きいのはベンチに、小さいのは小学生の工作をするのに使えないかなということで、小学校とも話を続けておるところでございます。

これからでございますが、西区の補助事業は3年計画が基本でありますので、2年目の来年は、復元完成記念行事、それから説明板が現在は簡単な説明板でございますから、耐久性がないので、これが耐久性のある説明板の設置、それからボランティアグループを組織して、周りの草刈り、清掃、枝打ち、こういうことで石碑の保全活動を継続していこうということを計画しております。

また、石碑の存在価値をPRしながら、広く皆さんに認識してもらう必要があると考えております。

お願いでございますが、鈴ヶ峰と石碑の魅力を広くPRするためには、ハイキングルートの整備が大切であります。登山道の整備、手摺の補修、案内表示の充実、こういうことが大切でございます。今、西区が作っておられます「西区やまなみハイキングルート」、鈴ケ峰から、ずっと北に行きまして、宗箇山、三滝までのこういうハイキングルートのマップがございます。この中にこの石碑も入れていただいて、一緒にPRしていただきたいと考えているところでございます。簡単ですが、以上ご報告申し上げます。

Aさん(司会)

補足がありますか、委員長。先ほどのイベントの話などもしましたので、親しまれている山であるということをちょっとお話をされたらと思います。

委員長

鈴ケ峰の山というのは、市民に大変親しみやすい山、近くであるということもあって、ちょっと登ってみたいなという気持ちを起こさせるようでございます。

今日、Hさんという方がお見えになっておられますが、Hさんも山によく登られるんでんすが、一度、山に登ってどれくらいの人が山に登られるんだろうかということを調べていただいたことがあるんですよ。そしたら、やっぱり休日などは100人から200人くらいの人が、あの山に登られるんだそうです。だから今、Bさんの方から話がありました、この石碑ですね、これは十分、山に登られたときに目を引くといいますか、ちょっと寄ってみようかなというような場所になるんじゃないかと思っております。

いろいろそういう場所を利用して、何か仲間づくりの場所にしたいなという思いが我々としてはあります。

Aさん(司会)

そろそろ市長の方に感想などを聞きたいんですけども、「すずがみね」という言葉が、大分出てきたと思うんですけど、山を示す場合には、「鈴ケ峰」だそうです。地名などを示す場合には「鈴が峰」が正しいというふうに教えられましたが、国土地理院の表記に倣ったのだそうです。ですから、区役所などの文書も山の表示には「鈴ケ峰」というふうになっております。

これは3年前に「鈴が峰団地30年」という30ページほどの小冊子を作ったんですが、そのときに教えられたものでございます。この小冊子を作った動機というのは、最近の人は鈴が峰団地が山を削った後に出来たこととか、アルパークのある所は昔は海だった所は海だったよと言っても分かっていただけないんですね。それで、何とか記録を残したいとまとめたんですけど、そのときに広島市の建設関係の元局長の方に当時の話を聞きました。その方は、開発当初から完成するまで18年間も西部開発に関わってきたのだそうですれども、鈴ケ峰は、堅い花崗岩の山だったので工事は大変だったけれども、地震が来ても大丈夫ですよ、と太鼓判を押していただきました。

政令指定都市のホームページで、市長は広島市について、『広島の市域は、かつて「安芸国」に属しており、安土桃山時代の天正17年、毛利輝元が域内を流れる太田川の河口に築城を始め、「広島」と命名したことが地名の由来とされています』と紹介されておりますけれども、400年ほど前に広島城が出来るまでは、この井口とか草津が中心であったようで、その後広島市は、海へ広がる埋め立ての歴史を積み重ねてきたようでございます。

それから、鈴が峰の名前の由来は、西区公民館事業ネットワークが発行した「西区わがまち魅力再発見」にありましたが、「その昔、高台に住んでいたお坊さんが、村を襲う大波をいち早く発見し、鈴を鳴らして村人に知らせ、皆が助かったことから、『鈴が山』『鈴が峰』と呼ぶようになった、という話が紹介されておりました。今は鈴ケ峰の中腹から下りて草津に移転した浄教寺に、古文書も残っておりました。鈴が峰町は、まだ高々30年余りの歴史を刻んだに過ぎませんけれども、こういう鈴ケ峰を含めた歴史的事実を発掘していくのも、今後の課題かと思っております。

ちょっと前段の説明が長くなってしまったんですけれども、この鈴が峰の開発が始まった頃は、市長は京都の方の学校でしたかね?

市長

と思いますけどね。埋め立てでしょ。いませんでしたよ。

Aさん(司会)

まあ、我々鈴が峰を誇りに思っているんですけれども、広島市においても、この西部開発事業というのは、戦後の2大事業の一つでありまして、市長も今も広島の歴史を作っているお立場かと思うんですけれど、今後の大構想などはありますか。

市長

今後の。広島全体。今、一生懸命私は職員に作らせてます。職員に作れって。夢を語ってね、正確な図は作ってくれとか言って、皆、四苦八苦してますよ。

Aさん(司会)

次は鈴が峰の麓に広がる、旧井口村。この歴史を掘り起こし、地道な活動を続けてきた井口地区の新しい魅力づくりによる地域の活性化というふうな点に話題を移したいと思います。それでは、委員長に概略の説明をお願いします。

委員長

概略はさっき大分申し上げましたので、あれでしょうけれど、もう大体知っていただいたとは思いますけれども、要するに今、そういうことでスタートしましてですね、各地にその14カ所ほど案内板を用意して、それで紹介をして、あそこに地図がちょっと出ておりますが、ああいう形でちょっと案内版も出して、それから、我々が引率する西国街道ぶらり旅の案でございます。そういうことをやる。

それからまた学校への中学校とか小学校へもここの皆さんが行っていただいてですね、古い昔の井口の、あるいは鈴が峰のその状況をお話をして、井口を好きになってもらいたいということを、一生懸命PRをしておるような訳でございます。

井口というのは、元々は、まあ今はもうどっちかと言いますと、広島市のベッドタウンということになっておりますけれども、昔はまあ、小さな村で、農業してる人が半分、それから、漁業してる人が半分というような状況で生活、状況だったんです。今はもう、漁業関係の従事者というのはほとんどおりません。農業も異常に少なくなって、数えるしかいないという。もうまったく勤めをする方だけというのが現在の状況でございます。

あそこ今、写真として出ておりますが、これちょうどあのさっき言いました14カ所の説明の最後のところで、あれ一里塚の跡、このときはちょっと、あれ設立したときの井口中学校のブラスバンドに来てもらいましてね、大したあれじゃなくても華やかにやりたいということで、最後の締めくくりとしてですね、除幕式をやりました。そういうようなので、とにかくみんな集まっていろいろ知り合おうと、絆を作ろうと、そういうことが狙いでずっとやっております。

Aさん(司会)

あの今の話は、西国街道ぶらり旅ということで、今年は、大人は11月10日にやる予定だったんですが、雨で18日に延びたんです。これがまあ、大分年月を重ねて何回かやってきております。

それからもうひとつは、子どもの対象にした西国街道ぶらり旅というのもやって、いずれも公民館だよりなどで公募して、一般市民が参加しているというものでございます。そのひとつの龍神山の散歩道。これを整備したいなということで、これから取り組もうとしているのですが、これはCさんから話をお願いします。

龍神山の魅力づくり

Cさん

市長さんどうもご苦労様でございます。私は、当委員会の副委員長をしております、Cでございます。元々歴史とか、文化とかいうのはさっぱりでございますが、ただ、ここで生まれて、ここで育って、もうすぐここで終わるという私的な事情でもってこの活動に従事しておるというような状況でございます。

先ほど委員長が申しておりました、あの、百姓の出でございまして、77年間ここに住んでおりますけども、先ほど西国街道というのがしばしば出てまいりましたが、その西国街道は実をいいますと、井口にほとんど残っていなくて、ただ1カ所、そこの画面に出ております、これ龍神山と言うんでございますけれども、その実は、龍神山の尾根が、以前の西国街道の一つだったということでございまして、今は入口の所がほんの僅かに残っている程度でございます。

実を言いますと、この公民館の辺りが、ちょうど西国街道の井口地区の最後の山道といいますか、ここから下りまして、こう平地になっていたというような歴史的な流れがございまして、これは東側の登り口の辺りでございます。僅かにここに昔の面影が残っているという程度でございまして、これをみんなで年に2回か3回か清掃しているところでございます。

この龍神山というのは、非常にここの地区の住民になじみの深い山でございまして、いろいろな言い伝えとかですね、史跡とかというのがたくさん見られる、まあ昔の姿が僅かに残った非常に貴重な遺跡と言っていいのではないかというふうに思います。

この中には、いろいろ話があるのですが、一番有名なのが、井口の山賊といいますか、おいはぎというのが、この山に出没したという話が、我々子どもの頃に聞かされたものでございます。この山賊というのが、足が悪くて、立って歩くわけにはいかなかったというんですが、通りがかりの旅人とか、侍さんを脅してですね、通行料を巻き上げたというような言い伝えがございます。「立つで、立つで、立ったら早いで」と言って脅したという言い伝えが残っております。

その他この山は実を言いますと、頂上へ登ってみると分かるんですが、非常に瀬戸内海の眺望が美しくてですね、これも話ですが、頼山陽が大変この景観を愛したというような言い伝えも残っております。井口のちょうど地域の中心部にございまして、これは全景なんですけども、以前はこれずっと右側の方に伸びていまして、その先端の方にこの公民館があるんですけども、そういう地形でございます。

これだけが、まあ僅かに残った昔の面影というようなものでございまして、まあ我々としては今後大事にしていきたいということでございます。龍神山の説明はこんなところでございます。

委員長

あの今、Cさんの方からお話がありました龍神山ですが、これは我々の子どものときのですね、とても楽しい遊び場だったんです。そういうところで、もう我々としては、この山はいい山であってほしいという願いはずっと続いておりまして、4月3日は節句ということになっておるんですが、その節句のときには、別に山に桜が咲くわけではないのに、誰ということはなく、皆であの山に登ってですね、お弁当を持って登って、そしてみんなで歓談したというような思い出の深い山なんです。だから、井口に帰られた人は、あの龍神山へちょっと登ってみたいなというような気持ちになれると思うんですね。だから、あの龍神山をぜひ、さっきCさんが言われたように、その歴史的な史跡もありますけれども、何かみんなが、あの山へ登ってみたい、歩いてみたい、そういうような山にしたいというのが我々のこの委員会の願いだと。まだ別に今そこまではスタートしていないんですが、思いはそういう思いを持っておりますから、今後の活動がそういう方向に展開していくということはあり得るだろうと思います。

ただ、あの山は、こういろいろ境界の問題もあったりして、すぐ簡単にはいかないんですが、そういうことを含めて整備し、そして山をこう花木ですね、そういうようなもので覆ったら、楽しい山になりゃせんだろうかと。通る人も、あれは何という山かな、一回登ってみたいなというような気持ちになるんじゃないだろうかと。そういう気持ちになった人があそこに登れるような状況や、それから、ちょっと何かあるときには、ああいう所へ行って、みんなで歓談をすると。そういうような場ができるといいなというのが我々の思いでございます。

Aさん(司会)

市長、今日は我々控え目でですね、今まで要望らしい要望も出ていないようなんですけれども、こうした地域の活動について、市長、何か感じられた事はございますか。

市長

あの、今のお話でですね、要望というか、こういう事をやりたいなというのは、なんとなく感じられますからね。あの具体的にこうこうしないといかんというのでなくても、十分自分として受け止められると思うんですけどね。それ以上に自分らが住んでいる所の資源、自然なり環境を残して、次の人達にも堪能してもらうという気持ちがあふれてますから、すごく重要な事だと思いますよ。

自分も、広島の人間というのは改めて思っているんですけども、埋め立てられる前の井口は、割と知ってるんですよね。なんでかといったら、父親が、駅の大須賀という辺りで、栄橋のちょっと駅よりのこっちの方に、当時はまだまだバラックがいっぱい建ってた頃に、工場を持っていて、そこで銅ちゅうを作ってたんです。その銅ちゅうが火を使ったり、劇薬を使ったりしないといかんのがあったりして、職場に神棚を作っていたんです。その神棚の神様は井口明神と。こっちに来よったんですよ。電車で。そうしたら、随分海岸線の横でしょ、あれ。昔は国道があった。ざっと全部海でから、井口の神社がぽこっと島みたいに出とって、あそこに。まあ、田舎だなと思いながらね。

そこの神社に小さい頃来て、それで遊園地の楽々園とかに連れて行ってもらった思い出があるんですよ。それが都市化していく中で、この地域も廿日市、西区含めてですよ、当時の地域開発する方が、市の発展と町の発展のために、山の方からの土砂を降ろして、ここで広いそのエリアを作って、その頃だって海岸線ここですからね、何も使う平野がないんだから、町が発展せんということで、ある意味では、補償されて、土地を売って、そこでこれだけの人口が膨らんで、県内の多くから市に人が来てこうなったわけですから、そうすると来た方々も、新しい人ですから、生活のために来てるから、歴史以前に自分たちの生活をまず立ち上げて、しっかりするという人たちの、多分皆さんがこういう話されるのは、そういうこっちにこられた方々の生活がある程度安定して、落ち着きを取り戻した街並みになったと、だからもう一回歴史を紐解いて、新しく来られた方とおられた方がどう融合するかという気持ちになったと思うんですよ。来た当座はよそ者だから知らんで勝手だと。

これは牛田でもありましたよ。自分おったけれども、山切り開いてどんどん来るでしょ。あった川は二又土手に川があったんですけど、それは昔、川に降りられるくらいなだらかで、蛍もおったし、土手にずっと桜の木が並んどってね、私はおばあちゃんとよく、さっき言った花見とか行きよったけど、それもまず切り倒して、まずコンクリートで川にして、幅の狭い道をばっとこうせり出して車が通れるようにして、山切り開いて団地作ってたんですね。その頃は全然来た方々との親しみも感じない人ばっかりだった。

だけど、その方々もずっときて、町をどうするかということになって、いろんな町おこしや牛田の方もできたと。ここも多分同じだと思う。今大切にせんと、資源が滅びますし、そのやり方として今やられている、すごく一連の話を聞いてて、実に着実にやっておられるということで、すごく感心しています。こういうのはやっぱり、行政としてもいろんな意味で支援していかないといかん。ただ、やり方として、そのまだ点からちょっと線ができ始めてて、面になってないなという感じで、話が。面にするためには、ここにおっての皆さんの思いと、それを取り囲んでいる新しい住民の方を取りこまんと。

こういうのをやっとったら、どっちかというと、よそ者が来て珍しいな、いいなと来るんだけど、地元の近い人は宝に見えんから、あまり大事にしないですよ。まあ、なんかやっとるわという感じですよ。そうじゃないでしょうか。そう思うんですよ。そこの自分の地場のところの新しい住民の方にもまずいかに参加させてやるか。同時に外から来た人がいいなと言って、そうかそんなにいいのかというのを地元の知らない人に見てもらう。

そこのこのやりくりをやりながら、今みたいなセットするということをもう一ついるような気がしてます。そこの工夫をどうするかなと。でも元々の原動力で、皆さん言われたように、皆がいいなと思うものをまず資源を掘り起こして、復旧して戻して、そして誰もが納得できるような施設群をぜひ作っていくというような、基本的な考え方、今聞いている中で、とってもいいことだと思いますよ。

そして、それをどう支援するかというときには、行政のやり方はいつも戻るんですけど、行政というのは8区あるいろんなところから税金をいただいて、いわば役所はその税金の再配分してるだけですから、だから各区にやっぱりそれぞれの特色があってやってもらったら、同じようにある程度公平性とか公正性を考えながら、一生懸命こう分配しますから、なんでもかんでもやるといったら、どこの区も全部となっちゃうと、結局ああやってくれ、こうやってくれと言ったら全部税金でということになると、税金ってのは、町の全体の共通分を出すためのお金ということでとってますから、特異性の部分はその地域の方々がもう一回やって、それを足し上げてやるというふうにやっていただきたいと思う。これはどこの区に行っても同じ事を言ってます。

だから、市が全額みるというのは、自分の懐は痛めないけど、結局税金で出してるんですからね。そこのとこはちょっとわかってもらって、それプラスアルファはもうちょっと地域の方に、もう少し税金で出す以上に自分もちょっと出しませんかと。それを昔からおっての人と、新しく来た人のちょっと皆さん町内会みたいなのを形成して、わかってもらってやるっていうのをやってもらうと、各区同じようなことが言えて、それぞれの町づくりがいくんじゃないかというのが、私の理念というか理想なんです。そういうのをやるためにはというので、市の区役所の窓口に、町づくりの担当課を作って、みんなから聞いて、そして本庁で吸い上げてバランスとって、必要な分をこうお金を戻すと。こういう仕掛けにしようと思って今やってる、そんな状況ですよ。

今言われたアイデアの中で、それぞれのものを一遍にとは皆さんも思っておられるでしょう。手順を踏んで、こういうのをどういうふうにしていくかということを整理していただくと、十分、区長はじめ窓口の職員が応援できると思いますよ。必要な分も原則、例えば援助を3年だと言っていても、やっぱこれはちょっとというふうになったら、ええがに作ればいいんだから、もうちょっと出してとかね。それはできますよ。神様が決めた話じゃないんだから。話し合いの中で必要なものをやっていくという、そういうやりとりをしていかないと、いくんじゃないかなという気がします。

Aさん(司会)

どうもありがとうございました。今のお話はもうあちらにも。

市長

うん、聞いてますからね。大丈夫です。

Aさん(司会)

これからはちょっとこう要望なども具体的にでてくると思うんですけれども、環境整備に関する要望でございます。Dさんどうぞ。

駐輪場などの環境整備について

Dさん

井口明神学区社会福祉協議会のDと申します。市長さんにはこの8月に井口明神小学校で行いました、生活避難場所の運営検証マニュアル訓練にはお忙しい中、訓練にお越しいただき本当にありがとうございました。

今、それぞれの委員さんの方からですね、井口地区の歴史、地域の良さを知ってもらうみたいなこう取組について、様々な形で今お話をされたわけでございまして、こういった取組を通しまして、自分の住んでいる地域を再認識したり、あるいは愛着を持たれるようになった方もですね、たくさんあるというふうに言っているわけでございます。

それで私はですね、ちょっと視点を変えまして、地域の人にということではなくて、地域外の人にですね、井口の良さ、あるいは歴史に関心を持っていただいたり、あるいは井口に行ってみようかなというようなことをですね、具体に思っていただこうとした場合にですね、どうしてもこう環境整備というのは不可欠だろうと思っておりまして、こういった部分につきましてですね、広島市の方のお手伝いをいただけないかなというふうに思っておりまして、今から私が申し上げますことは、井口の固有の課題ではなく、広島市全体にですね、ある面では共通課題ではないかなというふうに思っています。

私はですね、地域の玄関というのは、公共交通機関の駅、すなわち電車とかバスの停留所がですね地域の玄関というふうに思ってるわけでございます。そういった意味では、広電の井口の駅がですね、井口地区の玄関になるのではないかなというふうに思っておるわけでございます。

また、井口の電停は南側と北側がございまして、南側というのは井口明神側でございますけど、ここには先ほど市長さんがおっしゃいました、小己斐明神、それから、雁木、商工センターの埋め立て前の護岸の一部がですね、残っておる所があるわけでございますけど、実は、ここに来るところが駐輪場になっておりまして、地域の人が歩くのに、非常にこう歩道が狭くなってるというような状況がございます。

また、北側の井口側でございますけど、ここもですね、歩道の上に白線が引いておりまして、駐輪場として使用されてるということで、多いときではですね、皆さんが歩道から降りて、車道を歩いて通行しないといけないというような状況でございます。

まあ、同じようにJRの新井口駅とか広電の商工センターの駅の南北でございますけど、ここは逆にですね、非常に広い駐輪場が整備されておるわけでございますが、実際はですね、常に満杯ってな状況でございまして、歩道や駐輪禁止の表示板があるところがあるわけでございますけど、自転車とかバイクが常にはみ出しておりまして、歩行者は、隣地のファミリーレストランの中を歩いたり、あるいは車道を歩かないと通行することができないというようなことがございまして、常にですね、危険が伴っているような状況がございます。

また、先ほど申し上げましたように、他の地域から来られた方の玄関としての駅という部分は、玄関口が非常に汚いという部分は決して環境が整備されて安心とか安全が担保されたまちではないというふうに思うわけです。

部分では、放置自転車、あるいは便利な所に置きたいという利用者の心理、モラルの問題もあるわけで、利用者側にも問題がないとは決して言わないわけですけれど、地域では町の玄関口として気持ち良く、他の地域の方をお迎えしようと思って、日々、清掃活動等都市美化の活動に積極的に取り組んでおりますが、やっている側からすると、どうしても、いつまでこうした状況が続くのかという不安も持っているということです。

そこで、駐輪場のない電停への駐輪場の整備であるとか、放置自転車の取り締まり等に広島市の更なる積極的な取り組みを進めていただけないかなと思っておりまして、こうしたものが解決すれば、地域同士の交流がさらに進むものと確信を持っているわけです。ぜひこういった環境整備につきまして、広島市のお力をお貸しいただきたい、このように思っています。

Aさん(司会)

もう1つ要望がありまして、さきほどからちょっと出ておりますけれども、案内板の整備に関する要望です。

案内板の整備について

Eさん

井口五丁目に住んでおりますEと申します。よろしくお願いします。案内看板の設置をお願いしたいということなんですけれども、井口地区は古いまちと新しいまちとが混在しておりまして、道路も入り組んでますし、なかなか目的の場所を探すのが大変なんです。

実を言いますと、電停を降りて、ここの井口公民館へ初めて行こうと思うと至難の業なんです。道が複雑でして。できればそういうのがよくわかるような看板を電停の近くに置いていただきたいということで、実は2011年、平成23年の3月に広島市当局によって広電井口駅付近に、かなり大きい看板を作っていただいています。これは立派なもので、私のお願いしたいというのは、これと同じものを、同じものといいますか、内容は多少場所によって違うと思いますが、JR井口駅付近、これ広電商工センターの駅ですね、その近くとか、あるいは広電の鈴が峰女子学園前駅、それから電停に関してはこの2か所ですが、もう1つ井口台二丁目、ショッピングセンターフジ井口店がありますけれど、その近くの、できればバス停の近くの方に同じようなものを設置していただきたいと、これをお願いしたいというのが私の発言ですので、よろしくお願いします。

Aさん(司会)

2点の要望につきまして、市長、差し障りのない段階でひとつ、職員の方はあわてないように。

市長

分かりました。自転車については、確かに、お困りのような状況は市内の随所に起こっているんです、別の問題も含めましてね。それで市政の中で職員に「ごみ、花、自転車」この3つに関して、局横断的にとにかく取り組みをすべしというのをやっておりまして、その中に自転車が入っているんですね。

私の自転車についての問題意識は、これほどフラットなまちで、コンパクトシティですよね、そして、これから公害のないとかいろんなことをいわれている中で、健康にもいいようなツール、自転車を使わない手はないし、それからいろんな意味でコストパフォーマンスもいいですね、だから自転車が間違いなく増えているし皆が利用したいのに、ある意味で無秩序に利用しているから混乱が起きているんじゃないかと言っているんです。

それに対応して、ある意味で場当たり的な対応をやってきているんじゃないかと、こう思ったわけですね。この意味は、例えば今の自転車の通路を道幅があればあったところで歩道のほうに線を引いて、ここを通ってくれと。歩道っていうのは必ずしも同じ幅でとおっていないんですよ。ある所は広かったり(ある所は)狭かったりして、狭くなると自転車道が消えるんですよ。で広いとあるんですよ。だから全然どこを通っていいのか分からないんです、知らない人はね。ある所は歩道を通っていてある所は車道に出たりとか、全く自転車を通すという意識がないんですね、言われたところだけちょこちょこ直すという、そういう行政でやってきているのかなと思ったので、考え方を基本的に見直そうと、こうやっています。

どういうことかというと、自転車も大きく言うと、生活圏として使うような自転車、便利ですよね、それから旅行で来た方々が安くて、ちょっとした時間で歩くよりかはいろんな所を見たいと、観光地を、例えばこういうふうに2つぐらいのエリアにして、調査してもらってね、両方が重なっているエリアがありますでしょ、そうするとまずそのエリアの特色を見て、あとは自転車ですから、循環できないわけですよ、途中で切れているから。だからどこかの公共駅から出て、ぐるっと回って一巡するぐらい行ける、どういうふうにお買い物やると、なんて言いますかネットワークをまず書いてくれと、調査してね。書いたところで、そのネットワークを作っていくために、さて道をどうするかといったときに発想の転換をしてもらいまして、自転車は車なんだから車道をちゃんと通す。例外が歩道。車道をちゃんと脇を取ってやるということにしよう。車道が狭いところは、無理だからということで歩道との調整をする。

もし工事ができたら寄せる、広い所だったらとか、車の通るスピードが全体的に遅い所だったら車道と、そういうふうにネットワークをつくって、そういうふうにして全面的な図面の引き直しを今お願いしています。市内全域についてそういうのを作り上げて、どういう計画でそれに必要な補修をしていくかということを今作ってもらうようにしています。

もう一つは今のツールがね、発着点と目的地あるいは目的地周辺にどいうふうに駐輪するかということも考えないといかん。そのときに今までは(駐輪スペースが)ないと、歩道のところをあけてちょちょっと(駐輪)やっているでしょ、それも困るんです。

ですから今言ったような考え方で必要なスペース、今度は作るとしたときに土地がいっぱいいっぱいだったら、例えばそこの目的地に近い店舗とか会社でもいい、そういうところにお願いして、ちょっと家を引っ込めてもらうとか自分たちの空き地を利用してでもね、そこを駐輪場に使わせてくれということにして、妨害しないようにするということを計画立てて、それで整備してくれということを今やっています。そういうロングスパンできれいにやっていくということをやらないと、部分手当ではいかんなと思っています。まずはそれをやります。

それは3年ぐらいかかりますよね、調査して必要なことをやってということですから。その間にでも片づけていかないといけない部分はハードじゃなくてソフトですから、だから今言われたような混雑している所、空いている所があったらそれの駐輪スペースの運用の仕方でもっと便宜を良くするように柔軟に管理をやってもらう。ここは何何だから入れちゃいかんとか何時から何時までとか、ひょっとして、お客の層で、時間帯が大変だったり、土日で空いたりしていたら本来は入れないのを入れてもいいじゃないかとか、もうちょっと融通の利いた駐輪場管理をするということでしのいでいくというのを基本で考えてくれと言っていますので、その範囲で今言われた問題をどこまで解決できるかというのを自転車に関してはやっていただきたい。それは区役所の方ともよくやってください。(区役所が)固いことを言ったら(私に)言ってください、がちっと言いますから。柔軟にやることでやりたい。そうしないと直りませんよね。

あと、看板の方も、言われたように一例として大きいものを駅からすぐ降りたところで見えるようにしていますから、そのエリアを使う方が、外から特に来た方であるようなところで、需要が高いということが見込めるところ、今言われたようにすべてのところに置くのが理想でしょうけれども、あとは費用対効果の問題ですから、よく調べながら、設置個所を、優先度の高い所から置くという考え方のもとにやっていただけないでしょうか。ステップバイステップ(一歩ずつ着実に)でやっていくということです。どうでしょうかね。

言われたことを一遍にはなんでもかんでもできはしませんけれども、考え方をきっちりご説明しますので、その流れの中でちょっとずつ改良するということで、(区役所の)窓口で(協議を)やっていただくということで、その考え方をこっちで言いますから。そこで協議していただいたらと思いました。

Aさん(司会)

私たちももう少しは長生きしそうですので。

市長

健康寿命で長生きしてください。介護の対象にならないくらいに、すれすれで元気に生きてください。

Aさん(司会)

期待したいと思います。今、始まってから1時間5分経過したところです。最後のテーマとなりました「歴史の継承」という点で、まず井口地区の取り組みからFさんお願いします。

歴史の継承について

Fさん

井口鈴が台に住んでいますFと申します。私は小中学校対象の出前授業について紹介させていただきたいと思っています。私たちは、地域の未来をになう小・中学生が地域の歴史や文化を知り「井口大好き」になってもらいたいという願いから、3年前から地元の井口小学校4年生5クラスですけれども、その五つのクラスの「総合的な学習」という時間をいただきまして、その中で「地域の歴史」などについて現地案内も含め、各クラス別に1クラスずつ我々のメンバーが担当しまして授業を行っています。

井口中学校の方では、これも3年前から2年生、現在7クラスございますけれど、それを体育館に集めまして、代表が1人講師で行きまして、昔の井口の話などについてお話をさせていただいています。そういったことをこれからは、ま、現在、歴史を共有する昔の井口村の地域には、小学校4校中学校2校があります。それぞれの学校にもそういう取り組みをひとつ、拡大をしていきたいとは考えています。

また、3年間の経験を踏まえまして、授業内容とか教材、パソコンを活用してもっと分かりやすく、この画面みたいな形で、そういう授業を組み立てて実施していけないかなという思いを持っております。

それと、地域の小学校が4校、先ほど申し上げましたけれど、そこを訪問しまして、現実にどういう取り組みが行われているかということで、校長先生や教頭先生からお話を伺いましたが。各校とも、これは全国一緒だと思うのですけれど、3~4年生に「総合的な学習」の時間で、それぞれが地域の校区の特性を踏まえて、特色のある授業をされておるということを感じまして、心強く思ったんです。

もう一つこの機会で紹介したいと思いますのは、私が授業以外のことで感心したといいますか、注目した点について2,3紹介させていただきたいと思うんですが、井口小学校では毎年2月に「二分の一成人式」というものが行われていまして、これは他の小学校でも行われている例があるようなんですけれども、その中で4年生全員が登場しまして、井口の歴史や年中行事などを織り込んだミュ―ジカル「龍神山物語」というのを伝統的にずっと上演しているんです。私もじつは今年初めて紹介を受けてご招待をいただいて拝見したんですけれども、大変いいなと思いまして、本当にそういうことを体験することによって皆さんの本当に思い出にもなるんじゃないかということで感心しました。

それから、鈴が峰小学校では、後ほどまたお話があるかと思うんですが、地域の立体模型を中心にして学校や地域の歴史などが部屋にはいれば一目瞭然に分かるような「ふるさと資料室」というのを設置されておりました。

井口明神小学校では、校庭に「ビオト―プ」生物の生息空間が造られていました。

井口台小学校では、創立20周年記念事業で、広島市が発行しています「わたしたちの広島市」、小学校3,4年生用の社会科の副教本ですけれど、今これの地域版的な「わたしたちのまち井口台」が、作成・発行され授業に活用されておりまして、内容的にもこういう非常に、そう言ってはあれですけれど、市の作られたものに負けない、それ以上の非常に詰まった内容のものが作られて、これが教材としてずっと継続的に実施されていまして、非常にいいことだなという感じがしましたので、これからもそういった特色のある取り組みといのを継続してさらに発展していくように、また、何かの機会に市の方としても推奨いただけたらいいんじゃないかというふうに感じました。以上でございます。

市長

ありがとうございました。

Aさん(司会)

次に鈴が峰の取り組みなんですけれども、30年そこそこの歴史の浅い鈴が峰では、現在急激に児童数が減ってきています。20年前には1000人を超えていたのに、現在は4分の1以下の250人という現状で、したがって空き教室ばかりが増えています。

今ちょっと話があったんですが、その一室を借りて、「ふるさと資料室」ということで、団地の立体模型と歴史をまとめた11枚のパネルを展示しております。

これは2年前に空き教室大学が広島市の住民に身近な地区別まちづくりビジョンの推進事業として5万円の助成を受けまして、鈴が峰社協の協力もいただき、大学の教材費もつぎ込んで13万円で手作りしたものであります。扉を開放していつでも見られるようにしているんですけれども、いたずらもなく少しは役立っているようであります。

小学校ではふるさと鈴が峰を愛する心を育もうと学年別にテーマを持って取り組んでいるんですけれども、毎週火曜日に登校しております鈴が峰空き教室大学のメンバーがそのお手伝いをしております。もう7年になります。今年は10月30日に3年生約30人が故郷資料室に集まりまして、立体模型で鈴が峰が生んだ双子の団地、鈴が峰団地と商工センターの生い立ちなどを話してありました。山を削った後の鈴が峰団地がマツダスタジアムの10個分、商工センターは50個分もあったと。それから女性の方からは30年前に入居したころ、授業参観では教室に入りきれず廊下にあふれていたよ、とか、幼稚園の申し込みに徹夜で並んだよというような話をしても、現在の児童はぽかんとしてるだけでございました。

昨年は四年生と三週間にわたりまして9月に学校近くの広場の除草をしたり、そこに据える4つのベンチづくりなどを手伝い、春先にはミニ田んぼで田植えをするなど地域とのつながりも深まっております。この故郷資料室のパネルが今年1枚増えました。それがこれですけれども。今年の夏は鈴が峰、それから鈴が峰小学校、大いに沸かせた出来事があり、もう市長お分かりのようですけども。

五輪出場選手への支援について

Gさん

鈴が峰町に住んで今紹介があったように30年になるんですけど、その間に今回ロンドンオリンピックに出場した山縣君が小学校の4年とか5年だったと思いますけど、運動会の席で、あれが50メールぐらいなんですかね、「よーいドン」とスタートしてですね、ものの2秒ぐらいでもう既に10メートル、15メートルを走ってたというすごく印象に残ってたのが、今回のオリンピック出場の大きな要素かなと思ってるんです。

ここの鈴が峰小学校の卒業生で、鈴が峰団地に住んでいる山縣亮太君、ロンドンオリンピックの日本代表となったということで。100メートルで予選を通過し、準決勝に進出したと。予選の日はちょうどうちの夏祭りで、抽選会の後山縣君の出番が来たので、会場全体で応援をしたということでですね。その後、準決勝、400メートルリレーはいずれも朝の4時とか5時だったんですが、鈴が峰会館に60人以上が詰めかけて、わずかな時間ですが、感動と興奮を味わったと。

それから代表になったからと7月には里帰りし、小学校の激励会にも顔を出してくれました。9秒台が出た夢も見たそうで、4年後にはもっと期待できるんではないかと思います。先生方は子どもたちに大きな自信を与えてくれた、と話していました。歴史の浅い鈴が峰にとっては、唯一誇れる出来事で山縣君の出身は(慶応)とか(修道)と出てるんですが、鈴が峰が・・・

市長

鈴が峰が出ていなかったと。

Gさん

認識を新たにしてほしいなと、その間にですね、町内でこういういい出来事があってですね、それで町内では、横断幕だとかを、みな町内で作って応援したんですけど。そのときに西区の方も受付に行ったら、かろうじてオリンピック出場だという横断幕がちょこっと影の方に張ってあったのが印象的だったんですけど。

その間に親に聞いた話ですけど、実際にそこに出場して、いざそこに行く本人はいいんですが、家族がいざ行くにはどれくらいの費用が掛かるんだろうかということで、家族に聞いた話ですけど、相当な費用が掛かったということを聞きまして、そういうものの費用の一部でも、次のオリンピックに出るか出ないかわからないですけど、行政の方で何か・・・頼んではどうかと。我々町内の方も極端にいえば飛行機を借り切って行ったらどうかという大きな話しが出てるんですけど、ちょっと無理な話だと思うんですけど、家族のそういう心配ごとを聞いてそんなに費用が掛かるもんかっていうようなことを一段と感じたというのが今回の現状です。そんなことでご協力をお願いしたいなと。

市長

分かりましたよ。

Aさん(司会)

横断幕の話が出ましたけど、寄付を募ったら4枚できたんです。それほど集まったんですね。横断陸橋に張りまして。

それから山縣君のお父さんの話では、JALの100メートル観戦ツアーというのを使って行ったところ、1人当たり軽自動車一台分、100万円足らず掛かったと。バレーで有名な猫田さんが4回オリンピックに行って、奥さんの話では、田畑がなくなったということですから、まだまだこういうアマチュア選手に関しては費用が自己負担というのがかなり多いようですね。てなことで、4年先にはまだ山縣君9秒台を出して行くと思うんですけれども、広島市にとってもいい話題でしてね。

市長

おっしゃったようにね、いろんな有名選手の方、プロ・アマとかいろいろありますけど、アマチュアの方で有名になれば有名になってね、有名代金というかね、ご家族がすごくいろんな意味でお金が掛かるというのはよく聞くんですよ。どこでも、日本全国一緒ですよね。だからアマのスポーツはスポーツ協会みたいなのを作って、ここまでになるんだったらば、協会に文科省系統で支援をとかいうふうなことになってるんですね。

だから私自身、個々人の方が努力されて、地域の誉れになるようなときにね、自治体、行政体としてどこまでどういう支援をしていくかというのは、ある程度他のところなくても、市である程度ルール化できたらいいなと思うんですよね。

これはなかなか難しいものなんです。例えば、有名になってもじゃあ日本の中での競技大会とね、海外に行くときどうするかとかね。全部税金で見るっていうとなるとまたそれも多分やりすぎだっていうように言われる方も出てくるでしょ。というのはそのスポーツだけじゃなくって地域にとってその名誉になる方が、例えばノーベル賞を取る方、勉学をする方だって、そのために留学とかいうのを私費でやって偉くなって初めて出て、それからまたとかなるとですね、いろんな意味で地域の誉れになる方々への支援みたいなのは、これだからと言って全部っていうのはなかなか難しい。

それである意味でその間を取ってやってきているのが、例えばその地域にある大きな企業がCSRっていいますね企業の社会的責任とかね、いわば宣伝費みたいなことであれば、会社の中であれば、その方と提携してやるとかいっていくらか出すっていうのが、多分一般的な相場になってるんじゃないでしょうかね。

そしてそこで行政はちょっとしたお祝い金を出して、そこに後援とかいろんな支援というとこで後ろに名前を連ねて、そういう資金集めを協力するっというのがどうも通り相場のようなところなんですね。だから今ただちに言われたような原資をですね行政からというのはなかなか世論としていってない。だから知恵を出しながら行政もそういう皆さんからの支援を出しやすくするような工夫、地域を盛り上げるっていうのをもちろんやらしてもらえないでしょうかね。出来ればやりたいというような感じですよね。

Gさん

はい。

市長

あと、学習の方はですね、私もすごくいい事例ということで、やっていただく、やろうということに思いました。ただ、多分それを言っても、ひょっとしてすっといかんとすればですね、今の学校教育の仕掛けのところがちょっとネックかなと思ったんですね。私自身は市長の立場でいろいろ聞いていいなと思えることも出ても、教育委員会という一つ独立した行政システムを使っていて、そこに直接介入するっていうことはやらん方がいいという仕掛けになってるんですね。

だから助言とかアドバイスいう形で斟酌してくださいっていうことになってるんですね。でそういうのをイライラ感じた人で、例えば橋下さんみたいながぶっとやって、委員会をなくせとか言ってね、自分の言うこと聞くんだと、こういう意見が出るくらいなんです。これはいいとこと悪いとことあるわけですね。

だけど教育というものを例えば私の固有の気持ちを込めてね、こういうふうにやろうとしたら100年の計をやっていく教育にある日突然誰かさんの意向で教育システムを変わると困るから、むしろ合議体でいろんな意見を調整しながら安定しておくというんで独立組織にしてるというのが組織の理論なんですよ。

だからそうすると、じわじわっといいなと思わせることをやるほかないんですね。いきなり言ったから聞けってなると、これはまた別にコントロールした意味がなくなると。さらにややこしいのは教育委員会がえらい民主的になってまして、文科省からいろんな外枠の時間配分、授業についていくらいくらやれって言って相当規制を掛けてますから。例えば社会科で2か月とか1週間、何時間授業をやりなさい、それはだいたい生徒が来て1日何時間いて、1週間いたら何時間か決まるから、枠組みがあるんですね。

だけど学問の自由みたいなのがあるから、校長先生というものの存在を認めなきゃいかんから、それぞれの教科等を何時間って割り振ったら、総合的な学習の時間だったら、例えば3つか4つぐらい選択肢を作って、校長先生が地元のPTAとかと協議して、この中からどれか選びなさいというふうにまたやっとるわけですよ。

結局、授業の具体的な中身は校長先生に委ねると。校長先生に例えば選択肢を示してこれはどうですかとやるのが教育委員会だと。こういうふうな仕掛けになっとるんですよ。

だもんだから教育委員会に言っても、それはお聞きして各校長に判断させるように助言しますという具合にパシッと言えんのんですよということも分かってください。そうすると市長として教育委員会に行って今言われたことにいいですねと、それをやるようにしましょうねと、こう言って雰囲気としてこういうふうに収めていって、今度は地元のPTAとかがもう一遍同じように言って、両方で言って校長先生の頭を変えて、これがいいなというふうにやるという手間をかけたやり方をせんと、徹底せんというのが今の行政の仕方なんです。

言われたこと、私も教育委員会を通じて言わせていただきますけども、重ねて地元からもね、地域を大事にする中で、例えば3,4年の、70時間っていう一応ルールがあるんです、その中で割り振りしろっていう校長先生言っておられるんです。で郷土史についてのいろんな勉強させるときにも、これじゃなくて、例えば国際理解とか、環境とか、福祉とか、地域の暮らし、伝統文化、その中から選んでくださいと言っているらしいんですよ。

校長先生が好きな国際社会がいいと思ったらね、ちょっとした英語とかねそっちの方に当てたいとか思うような人がおるらしいね。そういうこともあったりするもんですから、やっぱり地域の歴史、歴史っていうと全部が一律に小学校がまたいかん、だから校長先生に言ってちょっとこう多少色を違えていいっていうのはあるから、すぐにその地域がいかんて言うこともあるっていうこともあります。

ただ皆さんのように、言われた熱心にそういうこともあろうけど、少なくともちょっと時間をこういうのに割いてこれをやってくれということをやっぱり校長先生にも地元から言ってください。そして教育委員会の方からもそういう要望をよく聞けよと、いうことでサンドイッチにしてやっていくということをやりたいですね。そしたら、大分違ってくる。

Aさん(司会)

お話したいことは沢山あるのですが、市長大変申し訳ないんですが、もう一つ要望があります。

広島市文化遺産の指定、公園の名称変更について

Fさん

それでは、せっかくの機会ですので、この点については、まだ関係部局にまったくお話していないんですが、近々にしたいと思っていたところが、たまたま市長さんがお出でいただくことだったので、今日、初めて外部的にはお願いすることなんですが、地域に現在あります歴史的な資源の価値と魅力を高めるために、市の内外に広く発信するためには、2つの点についてご検討をお願いしたいと言うことで申し上げさせております。

第1点は、先ほどちょっと話に出ました、小己斐島ですね、あそこを広島市の文化遺産にぜひしていただけないかということが1点です。

この島は、皆さんご承知いただいていると思いますが、昔から周辺の海がですね、海岸を往来する海路を往来する人々に非常に親しまれてきましたし、明治18年にはですね、明治天皇が広島にご来広なったときにですね、宮島沿線の屈指の景勝地として賞覧をされております。

それから、古史にも古い昔からですね、島には明神の祠がございまして、信仰の島として人々から、非常に崇拝をされており、またですね、地学的にも、ちょっと専門的な用語で私もよく分からないんですが、あそこに書いてありますような、非常に貴重なということで、本来ならですね、小己斐明神は西部開発で埋め立てられる運命にあったんですが、そういったことでやはり、これは非常に貴重なものだから残そうということで、臨海公園として整備をされていただいとるんです。文化財にもし指定していただければ、非常にまあ、地域の魅了アップにも、来外にも発信できると思います。

それから、ご参考までに申し上げますと、西国街道関係の市の文化遺産の指定はですね、安芸中野の出迎えの松というのがあるんですが、これが指定されております、それから、小己斐島と類似的なものとしては、史跡として国泰寺の愛宕池という旧国泰寺のあったところですね、今の全日空ホテルの前のところですかでね、あそこの愛宕池、それから天然記念物、白神社の岩礁があるわけです、まあ天然記念物でもいいし、史跡でもいいんですけど、まあ、そういったものと比較すれば、文化遺産の対象にはなるんじゃないかという私どもの勝手な解釈ですが、まあ一つ頭に入れておいていただきたいと思います。

それから、第2点として、公園の名称変更についてなんですが、西国街道の先ほどもたびたび言いましたが、魅力履歴史の散歩道の遺跡にある二つの公園について公園の名称変更をお願いしたいということです。一つは、今申し上げました井口明神のある公園ですが、これは西部埋立第二公園、こうなっているんです。それを小己斐明神公園にしてもらいたい。

2番目はですね、井口台第三公園というのがあるんです。これを井口一里塚公園にしていただきたい。現在の名称というのは、番号からもお分かりいただけるように、恐らく開設順に作られ非常に無味乾燥な名前なんですよ。それで地域の住民も住んでいる人でも、勝手に三角公園とかつけて、そんな鈴が台第何公園ということは言ってませんしね、ぜひそういったことで、まして市民にも非常に馴染みが薄いし、そして市の内外からやはり街道めぐりの人が非常に増えていますので、お出でいただいた場合に、非常に一里塚は井口台第三公園でうと言ったって分かりづらいしね、不便です。改称していただければ、遺跡のPRにもなり、公園のイメージアップにもなると思いますので、なんとかお願いしたい。

特に一里塚という名前の付いた公園は、西国街道にはないです。東海道とか、よその地域には何カ所かあるんですけれども、まあ、ぜひ前向きに一つご検討いただければ非常にありがたいと思います。よろしくお願いします。

Aさん(司会)

お忙しいところ、だいぶ時間もオーバーしてまって申し訳ないんですが、すぐにお答えは難しいかと思いますけれども、時間も時間でございますので、最後に市長の方で締めくくりの話をしていただけたらと思います。

市長

はい、わりと簡単な、本当は難しいかも、割と簡単な方の答え、後ろの方のね、名前の話です。名前はですね、いわば、公園の正式名称というのはですね、都市計画決定、告示という行政上の手続きを決めてやってますから、正式な戸籍に届けるような名称の決め方なんですよ、それは、各行政体で決めてますけども、そこの地域の気持ちよりか、整理順番ですよ、どうなってどうなっていうのが分かっていうことで、それが数十年らいのルールですね、所在地の町名とかを必ずいれて、最初にできたのが一番でね、あと2番とかこういうのをやっていますから、味気ない名前になっているのは、おしゃるとおりですよ。

だけど、これを変えるのは、今までやってきたルール、いろんな公園の名前のやり方を全部ルールを変えなければいかんからできませんので、むしろ、やり方として、正式名称でなく、通称名称というか、地域で呼べるような名前というのにしてもらってですね、そうすれば、看板なんかところに通称をポンと書いて、正式名称をカッコ書きでちょこっと書いてね、これはちゃんと役所には届けているけどこういうと、芸能人やるみたいな感じでやってもらえればいいでしょう。別にここをずっと言わないといかんことはない。台帳との照らし合わせができればいいから、それはできるはずですから、区役所でやってみてください。

通称をここの地域では正式名称だとあえて言ってください。その方がいいと思いますよ。手続きまで直したら市内全部直さなきゃいけなくなるから。

Fさん

実はですね、この件についてはですね、前の非公式に市の担当者に相談したこと、意見を伺ったことがあるんです、手続きが大変だと話であった。これはね、やればできるのであれば、いくらでも資料を提供してやりますけど、工事をするとかと違うんで、ちょっとこう事務的には大変だことはよく分かっているんですけれどもね。

市長

気持ちの問題ですからね、市の台帳システムを全部直すのはできないから、そこをおいといても、ここで使って通称とか、ああいう看板なんかをね、言われた名前がばっと出るようにして、正式名称の読みをカッコでちょっこっと書くようにして、正式名称もあるよと言ってくれればいいわけですから。役所に対しては、皆で普通のでやればいいんですから、そこは知恵を出せばええんですから、悪知恵がないだけだから、ちょっと言いますから、協議してください。

Fさん

その点もやむを得んと思いますけど、まあ一つよろしくお願いします。

市長

それから、もう一つの方はですね、今ちょっと、いわゆる文化財と言ってがちっと決められるとですね、これは法令用語みたいになりましてね、結局、元々自然のものに手は付けてないから保存するという定義でやっているんです。国家が行政が金を掛けてやる。すでに手が付けられて、きれいだな、ちょっと戻してやりましたとなると、それはもうだめだというふうになるですよ。日銀の建物があったりするんですが、やるとしたら大変なんですけど、文化財で。だから、今聞いたのも調べてもらったら、指定文化財としてでなく、史跡と言う形で、歴史の跡、大事にしてきちっと保存するという範中に評価するということ、それを多分言われている、丁寧に大事にしろいう位置付けが欲しいということだと思います。

そのレベルでならやれますよ。そして、手続き的にそいうことにすると、少なくとも貴重な史跡なんかはですね、年6回定期的に巡視するルールにはまりますから、見て傷んだら直すというふうにして、ほったらかしのところを格上げして、丁寧にみるという扱いに変えるということではどうでしょうかね。それもちょっと協議してもらったらできんはずはないんですね。そういうことですから、そして、地元の価値あるものを保存するという手続きを進めてください。というゆうふうに思いました。いいでしょうか。

委員長

どうも今日はお忙しいところをありがとうございました。勝手なお願いを色々いたしましたけれども、一つよろしくお願いをいたしたいと思います。

どうも今日はありがとうございました。

※( )は注釈を加えたものです。

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