本文
2012年08月22日 安芸区「市政車座談義」の開催結果
1 日時
平成24年(2012年)8月22日(水曜日)14時00分~15時50分
2 開催場所
瀬野福祉センター
3 参加団体等
せのふるさと再発見プロジェクトチーム 10名
4 テーマ
広島市“遊”東部の拠点 瀬野川公園と歴史を活用した地域の活性化
5 傍聴者
14名
6 主な話題
- 瀬野川公園を活用した地域の活性化
- 歴史を生かした地域の活性化
7 会議要旨
市長挨拶
市長
本日は暑い中、お越しいただきまして、ありがとうございます。
この車座談義はこれまで5つの区でやっておりまして、6つ目ということなんですけれども、この談義を開催するに当たっての自分の思いということなんですけれども、直接皆さんのそのご要望とかご意見をお聞きするというのが基本でありますけれども、職員とかいろいろなメモ、意見書などであれば一方通行ですからね、いただいたところについてどう思われていますかとか、そういうことを直接返したり聞いたりするというわけにいきませんので、こういう場を通じて、ご意見なりを確認させていただくことも可能です。その場で、逆にこっちが質問したりすることもできることで、そういう意味では、意見のやり取りができるという場にしたいということで設定させていただいています。
そして、こういう形で、皆さんとお会いして議論できるのは私一人の力ではなく、これからいろいろな意味で、区、区役所の職員の皆さんがある程度きちっと前面に出て皆さんとのいろいろな交流接点を設けながら、そして自分も一緒にこの市政を担っていくということをやられる契機にしたいということでやらせていただいています。
いろんな意味で事前にもですね、一定程度、ご意見など聞かせていただいてるんですけれども、今日はそういうことを踏まえながら、ポイントですね、そういったことをお聞かせいただき、それに対する答えもですね、実はある程度、スタッフ職員、役所としてこんな風に答えてくれといったメモがあるんですけどね、たまにそれと違うことで言うことがあるので、そういう意味で見張りのために職員がいっぱい来ています。
いずれにしても、間接的にお聞きしたこと、直接お聞きする話で、自分の感ずるところがあれば、お話をさせていただくということで、実りある座談会にしていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
いずれにしましても、安芸区長はじめ、担当職員も来ておりますので、私に物申すというと同時に職員にしっかり言っていただいて、こういう場を使っての対話というか会話を深めていただくようにさせていただければ、ありがたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。
Aさん(司会)
本日は松井市長さん、ようこそわがふるさと瀬野にお越しいただき誠にありがとうございました。
また、車座談義開催にあたりましては、広島市広報課、安芸区の地域起こし推進課には大変お世話になり誠にありがとうございました。
車座談義進行にあたりましては、なにぶん不慣れのため、皆さま方のご協力とご支援を賜わりたくお願い申し上げまして、これからの進行に当たりましては、座らせていただいて進行させていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
では最初に、せのふるさと再発見プロジェクトチームということで、あいさつをBさんにお願いします。
参加グループあいさつ
Bさん
市長さんには、昨年の4月11日でございましたか、ご就任をいただきまして1年と3か月でございますが、市政発展のために日夜を問わずご尽力をいただいております。心から感謝申し上げたいと思います。
また、今日は車座談義、区の中でも何カ所かご希望があったように聞いておりますけれども、瀬野学区をご指名頂きましたことを本当にうれしく思っております。
まずは、瀬野の歴史についてお話申し上げたいと思いますが、昭和6年に上瀬野村、下瀬野村、この国道2号線をちょっと上りますと、小学校がございますが、その先辺りから村が分かれておりまして、瀬野村になりました。
昭和31年に、畑賀、中野、この3つの村が合併しまして、瀬野川町になりました。
昭和48年に安芸郡から初めて広島市に合併したということです。
あそこに地図を貼っておりますが、中央に二級河川瀬野川が流れておりまして、両サイドに山陽本線と国道2号線が並走しております。その間合いに街並みが開けております。若干、行き帰りに支障があるということもございますが、何と申しましても、この国道2号線、事故のときはもちろんでございますが、朝夕の慢性的な渋滞ということに我々は非常に困っております。
今、施工されております東広島バイパス、計画中の安芸バイパスを一日も早い全面供用開始というのを非常に待ち焦がれておるというのが現状でございます。
さて、市長さんには、5月18日に安芸区コミュニティ協議会の総会において、おいでいただきましてありがとうございます。その中で近隣町との密接な連携ということ、それから市民が誇れる町づくりということの話をうけ賜りました。
この春、組織の改正で区政調整課と地域起こし推進課、それが市町村の正に表れであろうと大変期待しておるところでございますが、まちおこしということを考えてみますと私は大きなまちおこしと、小さいものがあると、大きいものにつきましては、段原の区画整理のような大事業、あるいは高速道路、公共施設があろうかと思いますが、小さなことになりますと、地域に密着します伝統文化・行事ということになろうかと思います。
この小さなまちおこしの中に、いわゆる街並みを残すまちおこし、それから、今ある人とモノのつながりを生かすまち生かし、我々が一生懸命まちを育てるということもあろうかと思います。
そうした中で、第5次広島市基本計画、この度は、学区に根ざした身近な目的を掲げるということで、瀬野では身近で豊かな自由を楽しむことのできるまち、それから地域の絆を強めて共同意識を高める、3つ目は、町の魅力をみんなで引き出して心を豊かに暮らせるということを決めておるわけでございます。
常日頃我々は、そういうことを心がけて日常活動をしております。そうした中、我々の瀬野地区と申しますと、昭和49年だったと思いますが、いわゆるゴミの処分が始まりました。平成2年にこれは終わっておりますけれども、それから、約40数億をかけていただきまして、平成6年に瀬野川公園が竣工開園しました。後ほどまた説明いたします。
それから、今一つは、この糸崎から広島市に鉄道、山陽本線が開通しましたのが、明治27年6月でございます。
39年の7月に蒸気機関車が廃止になるわけでございますが、この間、瀬野地区は大変住民が国鉄に勤務しておりました。実はここの土地も駅長さんや駅の職員の方の官舎があった跡地でございますが、そんなことで、我々の地区は非常に鉄道にご縁が深いということもあります。
今年は、昭和で言いますと87年でございますので、もう2年しますと、廃止になりまして50年になりますが、そこらを踏まえまして、今日、市長さんにいろんな話をこれから出席者から話をさせていただくということでございます。
中には、お願い事ということもあろうと思いますが、一つご配慮いただければと思います。
まだまだ、残暑厳しゅうございますが、市長さんにはご健康にご留意いただきまして。これからも市民に誇れるまちづくりにご内心いただきますように申し上げます。
本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
テーマの趣旨説明
Aさん(司会)
ありがとうござました。
引き続きまして、テーマの設定趣旨ということで、ご説明申し上げます。
若干前半の5分は、Bさんのおっしゃったことと地形的な面、地理的な面はだぶるかと思いますが、そのまま説明させていただきます。
まず、設定趣旨説明ということで、昭和48年3月、旧瀬野川町は、広島市の安芸区となり、安芸区は広島市東部に位置し、区の北端は瀬野で安佐北区と、そして、南端は矢野町で呉市と、東端は上瀬野町で東広島市と、西端は船越町で南区と、それぞれ接しており、面積が94平方キロメートルで、8区で5番目の広さです。
町の中央を流れる瀬野川は、延長23キロメートル、河口から9キロメートル上流の熊野川と合流する一貫田辺りで急勾配となり、最上流は標高300メートルとなります。この間、距離にして11キロ、高度差250メートルの勾配は西の箱根と呼ばれるほどの交通の難所であります。
東西には、国道2号線および山陽本線が通っています。
地形は旧瀬野川町史によると、瀬野川の本支流にある狭隘な谷間地形をなし、川は谷間の底をうがち、広い流域の排水を集めて本流し自然豪雨の都度、著しい水害を免れえないとあり、平坦地が少なく、山林が区域の72パーセントを占め、自然に恵まれた地域でございます。
また、瀬野駅地区は、北緯34度、東経132度でこの同緯度にある世界の都市としましては、ロサンゼルス、中国の徐州、ラバノンのベイルート、モロッコのカサブランカがあり、この緯度が中緯度高圧帯にあるため、乾燥半乾燥気候であることが多く、夏雨地域に属しているものの、好天が多く、日照時間も長く、温暖、湿潤気候の下で緑に恵まれた地となっています。
安芸区の市街化区域は24パーセント、市街化調整区域は76パーセントと半農半エックスと申しますか、農業が主体の山間地域で国道2号線沿いに自動車、食品関連の工場が立ち並び、山間部では、田園風景と新旧の住宅地を見ることができ、みどり坂住宅団地の建築が進んでおりますが、旧瀬野地区は明治27年山陽本線の開業と共に、急勾配のため後押し機関車の瀬野として栄えはじめ、昭和39年山陽本線の電化を得て、昭和62年上瀬野機関区の廃止と共に約100年の瀬野鉄道村の時代が去り、この後の衰退を始めております。
特に上瀬野地区の地盤沈下は著しく昔の面影は無くなり、高齢化が進み、一部は限界集落化している所もあり、有害鳥獣の里というか、イノシシ、シカ、サルのオンパレードです。
このため、当プロジェクトチームは、平成22年4月、先進国の物質文明に挑戦するかのようなブータンではございませんが、自然環境の保護、支えあうことが幸せ、文化を壊さず、家族、地域の絆が大切という、どこか懐かしさを感じさせ、日本人の心のふるさとともいわれ、現代の日本が見失ってしまった素朴な幸せの形を求める。このような方向性をイメージし、地域の活性化を図るために発足いたしました。
一方、広島市の均衡ある発展からみると安佐北区には安佐動物園が、佐伯区には広島市植物公園が、東区には広島市森林公園が、南区には広島市郷土資料館、マツダスタジアムが、西区には三滝少年の家が、中区には広島市こども文化科学館が、安佐南区には広島市交通科学館があり、広島市東部には拠点ある施設が乏しいため、広島市の運動公園では面積が一番広い瀬野川公園を“遊”の東部の拠点とし、広島市オンリー・ワンを目指し、ゆりかごから後期高齢者までが楽しめる複合施設として整備し、市民のふれあいの場、絆づくりの場として、子供には自然体験、親子にはふれあいを、絆づくりの場を、地域の人々には健康づくりの場を、高齢者にはアンチエイジングに挑戦する施設として活用していただき、“遊”なら、瀬野川公園へ、一日ゆっくり遊べ、絆づくりの場として場所の提供を図り、健康という財産を共有し、来園者を増やし、よみがえれふるさと瀬野を標榜し、各界各層の町づくりに対するご意見をお持ちの方々を参集し、ふるさと再発見と言いますか、故郷を見つめ直して、今あるものや人の繋がりを上手く使う、まち活かしをし、地域の活性化に結び付けようという趣旨でございます。
例会は毎月1回開催し、日常活動といたしましては、瀬野川公園を中心とした桜や椿の植樹の検討、俳人種田山頭火の投宿地にちなみ、彼の好きな彼岸花の植樹、水質の良い瀬野川を活用したホタルの養殖、放流等に取り組み、自然と水の織りなすシンフォニーで地域の活性化を目指す活動をしております。
一方、歴史を活かす活動といたしましては、東広島市から旧山陽道、大山峠ウォーキングの実施、街道の整備、歴史マップの作成、万葉歌碑の副碑は広島市の補助金を得て設置するなど、瀬野公民館をはじめ、他団体と協力して、地域の活性化を図っております。
人を活かしたまちづくり活動といたしましては、瀬野の民芸品、ススキミミズクの作り方講習会、民芸品ススキミミズクの復活活動を行っております。
まちづくりの基本は、主人公は町民でなければならない。多くの町民の知恵を集めて、まちの将来像を作っていくというその過程が大切である。つまり、町民一人一人がこのまちをどういうまちにするのかということを真剣に考えることが、まちを個性あるまちとするために、一番大切な事であります。魅力あるまちとは、個性を持ったまちのことであります。まちの個性というものは、そのまちをとりまく自然、そしてそのまちが辿ってきた歴史、そしてそこで生活している町民の存在、こうした三要素によって作られます。
これからの談義において、自分達のまちは、自分達で作るを基本に、自分達でできることは、自分達で。地域でできることは、地域で。そして、最後に行政に頼るという基本姿勢で取り組み、各プロジェクトチームの皆さまが、自分達は日常こんな活動をしています。しかし、この部分を行政にお願いしたいということで談義を進めさせていただきますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
本日の談義が、我が町の発展に大きく寄与でき、広島市の発展に少しでも寄与できる活発な論議となりますことを祈念し、趣旨説明といたします。
最後になりましたが、安芸区役所の皆さまには、区長さんをはじめ、当瀬野地区まちづくりに関して、常日頃大変お世話になり、一歩ずつ前進しておりますことを、松井市長様に申し上げまして、また、論議の中に、区役所の問題もあると思いますが、批判ではございませんので、その点ご容赦いただきたいと思います。
では、続きまして瀬野川公園を活用した地域の活性化について、各プロジェクトメンバーより個々の日常活動と、活性化の一環としての提案をさせていただきます。
なお、市長さんには「広島市“遊”東部の拠点、瀬野川公園を活用した地域の活性化」を提案、要望等を発言させていただき、発言終了後、松井市長さんからコメントをいただきたいと思いますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
それでは最初に、テーマのうち瀬野川公園を活用した地域の活性化について、Cさんより、オンリー・ワンの瀬野川公園に桜の森を作る案を提案させていただきます。Cさんよろしくお願いします。
瀬野川公園を活用した地域の活性化
Cさん
私たち、花作りボランティアの瀬野は、瀬野の町民が憩いとやすらぎのある生活を送れるように、「街に花を設置する活動の支援を行う」を趣旨に、月2回瀬野公民館で活動を行っています。夏はサルビア、マリーゴールド、メランポジウム、ほうき草をプランターに植え、各拠点地域に設置しています。
5月には、9月19日の山頭火祭り用の彼岸花の球根をプランターに植えました。7月、8月は、冬の花に向けての種まきをしました。もっと、設置場所を広げていきたいと思います。瀬野川公園を花いっぱいの里にできないかと思いました。
先般、島根県三刀屋河川敷公園に非常に珍しい桜「御衣黄(ぎょいこう)」を見に行きました。ここには、12,3本植えられていました。日本人は昔から桜を愛し、慈しみ、桜を愛でていると見知らぬ人同士が、桜の下に集い合う。そんな桜の森を瀬野川公園に作ってみてはと思いました。御衣黄は八重咲きで、花は薄い緑色で、部分的に濃い緑の筋が花弁に入り、散り始める頃にはピンク色に変わる珍しい桜です。
最初は桜の苗木30本ほどを予定しています。桜の所有者を募り、マイ桜を持ってもらいます。桜は毛虫などが付きやすく、消毒、草刈りが必要です。これらの維持管理が問題ですが、ボランティアを募り、各専門の人の指導を仰ぎ、勉強していきたいと思います。
将来的には、秋に咲く10月桜、冬に咲く冬桜、と数ある桜を育てていきたいと思います。四季折々の桜が咲けば、桜並木の中の遊歩道を整備して、子どもからお年寄り、親子、誰でも自然に親しめる瀬野川公園にしたいです。
そして、桜の落ち葉を利用して、染色液を作り、紙を染めて、カード、折り紙。剪定した小枝で、ボタン、バッチ等を作って、オンリー・ワンの作品作りのイベントも行いたいと思います。
私は、世代を超えて楽しみ、共有できるのが桜の花ではないかと思います。瀬野川公園に桜の森作り、植樹の許可を、ぜひぜひ市長さん、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
Aさん(司会)
ありがとうございました。引き続きまして、瀬野の民芸品、ススキミミズクの復活を実践されております、Dさんによろしくお願いします。
Dさん
私の方からは、人を活かしたまちづくりというところから、伝承ということでお話をさせていただきたいと思います。
現在私の方で活動させていただいておりますのが、あの、この自然なススキ、自然に生えているススキを使ってのススキミミズク作りを今、学校のほうで指導させていただいております。で、この今からの活動の報告の中で、市長さんの方で、一つでも二つでもご協力をいただけることがあれば、お願いをさせていただきたいと思いますので、お話をさせていただきたいと思います。
今、プロジェクターの方で、画像に映していただいておりますように、現在瀬野川東中学校の方で、1年生を対象に、ススキミミズク作りの指導をさせていただいています。というのも、そもそものこのミミズクの発端というのが、1964年の東京オリンピックの時の各地からのお土産品の公募がありまして、それに瀬野の方が製作者なんですが、この方が応募されまして、そのススキミミズクというものが適用されて、たくさんのミミズクを作って出荷されたのが、そもそもの原点だと話を聞いております。ですから、今から考えても、約50年前にはなるんですが、その当時、下瀬野関係の女性の方の職業といえば、主には農業というところから、朝から晩まで一生懸命たくさんの女性の方、主婦の方が作られて、大変大きな収入源にもなったと聞いております。
ですが、この方が体を壊され、お亡くなりになられたんですが、人気があってすごく好評ということで、お土産品もたくさん売れて、ススキミミズク、こちらではミミズクというような言い方をしますが、一般的にはフクロウとよく言われておりまして、このフクロウっていうのが福を呼ぶとか、苦労しない、不苦労という。ひっつけかも分かりませんが、苦労をしないというような縁起物であって、とても人気があったようなので、ずっとそれ以後公民館の方で、作製の指導を。まあ、瀬野の方を集められて、続けておられました。ですからその、今の80代とか90代の方は、ススキミミズクと言えば、ああ知ってるよというような形なんですが、今、私が実際に教えている子どもたちは、毎年1年生を対象にしますので、毎年、ああこういうのが私たちの住んでいる地元の民芸品だったいうことを知らなかったという声をたくさん聞いております。でも、本当にこれは残念だなというところから、ぜひぜひこれは本当に人から人へ伝えていきたいなという思いで頑張っております。
ここからなんですが、しかしこの、ススキミミズクの材料となりますススキ。これが少し前であれば、自然にどこにでも生えて、容易に材料の収穫ができていたんですが、段々とこの環境問題というところから、穂が出る前に、草刈りとして、雑草ですよね。いわゆる他の方たちから見れば迷惑な植物であって、もう8月から秋にかけて、何回も草刈りとして自然に生えているものが処理をされますので、どんどんとこの主なるススキの収穫に大変苦労しております。
そこでできれば、運動公園の方に、瀬野川公園の方に、ススキの里として一角を、少し土地を設けていただいて、一言でススキといいましても、私が知っている中でも10色はございます。まだまだ本格的に調べれば、20色30色のススキがあろうかと思います。こういった形で、できるだけ集められる。本来であれば、一番前に置いてあります、ケースに入っている大きなススキが出来ていた。1メートルくらいの長さのススキがあったのですが、今はそういったススキはありません。普通のススキを使いますので、赤ちゃんミミズクといって、右側にあります、今、ちっちゃい赤ちゃんミミズクの指導を行っているんですが、そちらの小さいススキですら、ちょっと収穫に困難ということで、運動公園の方に、できたらススキの一角、ススキの里として設けていただいて、1年に1度こちらの方で刈らせていただき、それを材料として、ミミズクの作製教室というようなものを行いながら、伝承に続けていけたらなという思いを切に思っております。
あわせて、瀬野川公園の入口付近でも、本当にこれは希望です。できる、できないは別にしても、見ていただくこと、知っていただくことが、ただ作ることだけが伝承ではなく、他の方が来られて見るということだけでも、やはり、あそこに行ったらこんなものがあったよという伝承にも繋がりますので、6畳一間の建物でも結構ですから、その中にいろいろなススキで作った、アレンジしたようなものを飾らせていただいたり、ススキの種類をガラスケースの中に入れたものを、いろいろと飾った、ほんの一角で結構ですので、そういった、ちょっと建物みたいなものを作っていただいて、来場された方に、運動されたり、こういった物があったりという、知っていただくというようなところもご協力をいただければと思います。
先ほど、Cさんの方から言われたように、春には桜、秋にはススキというような形で、お願いをしたいと思います。よろしくお願いいたします。
Aさん(司会)
はい。充実した日常の活動をお話しいただき、また自分達でつくろう、自分達の街を実践していただきまして、厚く御礼を申し上げます。引き続きまして、次は瀬野川椿でありますが、これは私の方から一言ご説明を申し上げます。
まず、瀬野の山野を散策すると、雑木の茂みの中にあちこち多くの野生の椿が目に入ります。地元の人には見慣れているためか、あまり気にしておられないようでございますが、椿は昔から大変生命力の富む、縁起の良い木と知られており、だいたいどの家庭にも、庭には1本か2本植えられているという椿でございますが、この瀬野川と命名された椿は、まあ、サザンカ図鑑に出てるんですけど、1982年安芸区の中野で生まれ、ヤブツバキの選抜種ということで、広島県産の野生ヤブツバキから採取した、侘芯(わびしん)の椿というふうに書いてあります。そして、侘芯の椿では珍しく、大きい花で、瀟洒なゆる咲きになると、あそこの写真のとおりでありますけど、でこれはなかなか種ができにくいということでですね、さし木が非常に有効ではないかと、まあ、品種的には、雄性不稔性品種と書いてございますが、これはたまたま、平成22年に、我々帰りまして、気が付いて、元瀬野川町長のお宅に原木があるということで、まあ、それをたまたま公民館の方から、広島市の植物公園に依頼をいたしまして、50本ほど瀬野川椿を瀬野じゅうにばらまこうとやったんですけれど、中々成長が遅くですね、咲くまでやっぱり3,4年かかるということでございますので、この辺がございましたので、いわゆるこのたび瀬野川公園を遊の拠点とするとともに、そういう、先ほどから出ております花のいわゆる里づくりということでですね、瀬野川公園の、瀬野川椿の里ということで公園の一部をお借りするということと、もう一つは再度植物園のご支援をいただきたいと。原木は我々が持って行きますので、ご支援をいただいて、そこで差し木の指導とか、いろいろやっていただいた上で、瀬野に瀬野川椿というような運動を展開していきたいという趣旨であります。
以上で私の瀬野川椿の説明は終わります。
続きまして、瀬野川公園に展示されております、SLがあるんでございますが、昔から先ほど趣旨説明でも申し上げましたが、瀬野は鉄道村と言われた時代があったということで、今回、EさんとFさんからの提案ということで、SLの話、SLの里の話をちょっとお話いただきます。じゃあ、Eさんからよろしくお願いします。
Eさん
私の方からは、東部の拠点瀬野川公園をSLの里にとの思いと要望をお話させていただきます。
瀬野、八本松間は急なこう配とカーブが続く難所であり、沿線の長い貨物列車や旅客列車では、前の機関車のみではこう配を登りきれないため、この区間、通称、瀬野八区では後部に機関車を連結して、運転する必要があり、明治27年、瀬野に全国的にも珍しい後押し専用の機関区が設けられ、それ以降瀬野は機関区と共に発展し、瀬野は鉄道村と呼ばれるようになりました。
そして、瀬野川公園には、戦後日本の復興にまさに牽引車でありました、蒸気機関車が保存され、保存展示されています。かつて、鉄道村にあった、瀬野の瀬野川公園へこの蒸気機関車をメインにしたSLの里を作っていただきたいと思っています。そして、鉄道の里づくりのために、次の3点を要望したいと思います。
まず、第一点ですが、展示してあります瀬野蒸気機関車D-51 720の永久保存ということでお願いします。広島市に保存展示されている蒸気機関車、この瀬野川公園の蒸気機関車と広島市こども文化科学館前のC-50 161の2両で非常に貴重な遺産でございます。D-51 720の製造は今から約70年前の昭和18年で、瀬野の保存展示は昭和50年8月1日、今日まで37年間、雨、風にさらされて、老朽化がかなり進んでいます。先ほど述べましたとおり、戦後日本の復興の牽引車でありました、また広島市では数少ないこの蒸気機関車を今の状態でこれから末永く保存するために、屋根等の設備をお願いしたいと思います。
次に2点目ですが、この蒸気機関車の周辺に、瀬野機関区の写真を展示していただきたいと思います。昭和62年3月に瀬野機関区は約100年の歴史を遂げました。機関区の土地は、瀬野駅の駅前広場、また駐車場となり、ここに瀬野機関区があったことを知る人も、また洗濯物が煤煙で黒くなったことを知る人も年々少なくなっております。日本の発展に、また瀬野の発展に大いに貢献した瀬野機関区を後世に伝えるため、この蒸気機関車の周辺に、雨にも耐えられる銅板やステンレス板の写真を展示していただきたいと思っております。写真としましては、瀬野機関区の歴史、瀬野機関区の全景、補給運転の写真、また作業状況としまして、列車への連立、機関車の入れ替え、機関車の給水、機関車の木炭積み込み等の写真を考えております。
最後になりましたが、3点目として、蒸気機関車模型の展示、瀬野の里として、動く蒸気機関車の模型等を置ける場所を確保していただきまして、また多くの形式の蒸気機関車を集めていただきまして、子どもから大人まで楽しめる場としていただけることを要望しまして私の話を終わらせていただきます。
Aさん(司会)
はい、ありがとうございました。引き続いてFさんお願いします。
Fさん
SLの永久保存について述べられましたが、このSLの保存についてのお願いをいたしたいと思います。
このSLというは、鉄道村瀬野の唯一の鉄道の遺産でございますので、しかし残念ながら現在露天のためですね、塗装が劣化するとか、傷みとかいうものを心配しておりますので、Eさんからお話がありましたように、屋根付きの建屋での保存をできるようにお願いをしたいんです。山陽線の後押し専門の機関区が瀬野に置かれたように、昔の東海道本線の箱根越えの基地であった、山北機関区の跡、今は山北鉄道公園になっておりますが、ここに展示されております機関車は、屋根付きで保存されております。SLが姿を消した事例の一つにですね、鳥取県の大山口の駅前へ展示されていたSLがありました。これはですね、平成21年8月に、大山町は、このSLは住民に親しまれてきておるけれども、これを維持するために財政が困難だと。と言いますのは、数年に1回修繕したりとか、塗装をしたりするという経費が200万円かかると。そこで、無償譲渡、ただであげるから、どなたかいらっしゃいませんかということで呼びかけたわけですね。そしたら、9ヵ所名乗りをあげられたと。しかし、9社ともですね運搬費が膨大にかかるんですね。20キロメートルを移動させるのに1500万円掛かると。そういう膨大な金が必要なために取りやめられたと。結局は、ボロボロに朽ち果てるまで展示しておくよりは、解体しようということで、まちが単独で解体をされたんです。この流れがありますので、鉄道村瀬野の唯一の鉄道遺産でございますので、姿が消すことがないようにご配慮をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
Aさん(司会)
ありがとうございました。
次に、赤ちゃんから高齢者にやさしい公園づくりの一環ということで、誰でもいつでも来れる公園を目指して、アクセスの充実ということでお話を賜りたいと思います。よろしく。
Gさん
テレビでは市長さんのお顔は時々拝見するんですが、今日初めて真正面におられますのでちょっと緊張しておりますけど、よろしくお願いいたします。
ご承知のように瀬野は長細い地域です。しかも公園はその端っこに、東の方に、いちばん東の方にあるので、我々はあそこに行くのに、歩いていくのには2時間も3時間も昼まで掛かるんです。そうしますと概ね自家用車で行けばいいじゃないかという声が出ますけど、それはなかなか不可能です。したがいまして先ほどからミミズクとか桜とか機関車のものを見に行こう思いましてもなかなか行けないんです。どうしたらいいんだろうかということを考えますと、私は、数多くの人を寄せようと思いましたら、アクセスの今の充実というのをおっしゃいましたけど、3つの拠点を考えております。
一つ、国際学院の学校がありますけど、あそこへ行くのに学校のバスが通っているのですが、もう300メートル奥まで行ってもらえば、公園の前まで入ります。それを毎日、毎時間じゃなくていいですから、朝夕に一本ずつでも向こうまで行ってもらえれば行くこともできますし、その国際学院のバスは、一般の人も許可をしてもらうようにお願いしたいんです。というのは、途中で学校の生徒だけを乗って行ってるんですけど、我々の地域の人でも乗っていけるように学校の裏の、駅の裏から出ていますから、乗っていけるように手配してもらえばいいなと思っております。
それから二つ目、瀬野川公園行くのにはやっぱり瀬野駅から専用のマイクロバスを出してもらったらどうかな、これも随時じゃなくて何時間、何時には出るというような時間帯を作っていただければ、行ってみようかいうような気持ちになりそうに思いますし、ぜひなると思います。そういうことをお願いいたしたいと思います。
三つ目は、これは可能かわかりませんけど、2号線に、芸陽バスが通っていますけど、欲を言えば西条の方から、広島の方から、来るために公園の方まで回っていただくということも、道がいいのができていますから、そういうこともできれば、できないもんだろうかなということを考えております。
たくさんの人を集めようと思ったら、とにかくアクセス、乗り物が一番大事なんです。もう強く強くこのことをお願いして、一つでも何か作っていただいたらいいんじゃないかな言うことを考えております。よろしくお願いいたします。以上です。
Aさん(司会)
ありがとうございました。先ほど申しました最初の件は、国際学院という名前が出ましたけど、瀬野駅から国際学院までいわゆるスクールバスが走ってるんです。そういう意味で、国際学院という話が出たと思います。で、そのスクールバスをあと300メーター伸ばしていただいたら、というけど、路線バスにしないとやっぱりちょっと僕もバスは詳しくないんですが、多分スクールバスじゃちょっと難しいと思います。そういう形での提案でございましたので、補足しておきます。
続いて、瀬野川公園の最後の話題になりますが、既存施設を十分に活用し、広島市オンリー・ワンを遊の公園にすべく、各施設の充実という観点からHさんにお話をお願いします。
Hさん
本日はお忙しいところお越しいただきまして、ありがとうございました。私は瀬野川公園の歴史を活用した、瀬野川公園の遊の拠点を活用ということの締めくくりとして要望を4点申し上げたいと思います。
それまでに、まず最近瀬野川公園が随分きれいになったという声があちこちから聞かれまして、広島市当局あるいは安芸区役所それから指定管理人の皆さんのそれぞれのご尽力のたまものと本席を借りて厚くお礼を申し上げたいと思います。特に指定管理人の管理人さんは毎日というように聞いておるんですけど、園内を全部回ってゴミを拾って帰られる。それを見とると我々も、ゴミが落ちとったら気になるんです。ついついゴミ箱の周りが実は一番汚いんです。それで、ゴミを束ねて持ち帰るような恰好で心掛けております。
それから二つ目は、先日も瀬野川公園の話をするのに、ブログの一つも読んでなかったらいかんじゃないかと思ってホームページを開きますと、ブログでずいぶん出ております。管理人さんも随分努力されていろんなイベントの企画であるとか、あるいは管理面の工夫をなさっておられまして地元に対しての配慮も盛んになさっておるんですけど、肝心の地元の利用がもうひとつじゃないかなという気がしまして。われわれはパークゴルフの例会であるとか、朝夕のウォーキングにこの瀬野川公園を拠点にして利用させていただく機会が多いんですけど、もっともっと地元としても、利用を活発にしていきたいと思っております。
本日要望する4点の一つは、既存トイレが園内に6つあるんですけど、そのトイレの蛍光灯をLEDに切り替えをしていただけないだろうか。初期投資は結構な金額になると思いますけど、ランニングコストでたぶん吸収ができるのではないかと思います。もっとも、夜8時になりましたら園内の電気を全部消しますので、電気代自体はそう高くないかと思うんですけど、やはり特に夏場になりますと虫が寄ってくるんです。蛍光管にも虫がまとわりつきまして真黒になる。LEDにするとそれがなくなるということで、指定管理人に聞きましてもぜひ要望してくれというような言葉がありましたので、まず第1点はそれをお願いしたいと思います。
第2点は、運動公園という趣旨から、いろんな施設がございます。野球場、ソフトボール、テニス、パークゴルフ、ホースシューズとかアーチェリー、クロッケーと、こういった施設もあるんですけど、残念ながらホースシューズが何か、あるいはクロッケーはどういう競技なのかということを私ども知りませんので、もっぱらパークゴルフに興じとるのが実情でございます。
言いたいのはアーチェリーは、かつてアジア大会の競技会場にも使われたんですけど、3人ぐらいは同好の方がおられるみたいですけど、ほとんどが遊んでる。天然芝で非常にもったいないんですけども。それで、年寄りの中ではパークゴルフと並んでグランドゴルフの愛好家が随分と多い。でアーチェリーを全面的にグランドゴルフ場にしてくれというんじゃなしに、グランドゴルフの愛好家から要望があったその都度で結構ですので、施設を特別改造する必要はありませんので、ポールを置くだけですから、置くのは競技者が置くわけですので、絶対使ったらいかんというような厳格な扱いじゃなしに、要望があれば一時的な転用も可とすると、こういうようなご指導を賜ればと思います。
それから第3点なんですけど、先ほどからいろいろとご要望を申し上げておりますけど、乳幼児を同伴して、ちびっこランドを中心なんですけども、随分と子どもたちが集まっておるんです。保育園であるとか幼稚園の生徒も遠足に来て、ここを利用しておるんですけど、最新は芝が随分と生えそろってきておるんですけど、中には土がむき出しになっとる部分がございます。最初のころはここに山から取ってきた真砂土のほかにこれぐらいの石がたくさん埋まってるんですね。子供が遊んで歩いたり走ったりしますとその石につまずいた途端に石に頭を打つとか、顔面を打つとかいう怪我もあったんですけど。今は数えるぐらいしか覗いておりませんけどできれば大雨の後ぐらいには真砂土を敷いていただいて、学校の小学校のグラウンド並みの整備をしてもらうと安全面でも助かるという気持ちを持っております。
最後の4番目の要望ですけど、これは乳幼児を同伴した授乳者、お母さん方に授乳施設として何かいい部屋がないですかねということで管理人に相談しましたら、管理人室の前にラウンジがあるんです。これを利用してもらったら、おっぱいを与えるときには中から鍵をかけてもらってもいいですよっていうようなお言葉もあったんですけど、できれば畳敷きぐらいの6畳の広さぐらいのものがあったら助かるなというふうな若いお母さん方の要望もありますので、余分ですけれども申しあげまして私の発言を終わります。
Aさん(司会)
ありがとうございました。市長さん大変お待たせを申しあげまして、申し訳ございません。一方的なお願いばかりいたしましたが、以上広島市の“遊”東部の拠点瀬野川公園についての提案並びに広島市への支援協力依頼等について、松井市長さんからコメントをいただきたいと思いますので、ゆっくり時間を掛けていただいて構いませんので、よろしくお願い申し上げます。
市長
ありがとうございました。最初のお話で、地域の歴史と人と風土というもの三つがどういうふうにうまく混ざり合ってその町というかそのエリアの文化度というか栄えるとか栄えないとかそういうことが決まるというお話がありましたけど、その通りだと思うんですね。こういうどこかの場所っていうのは人がいて、そのいる場所の昔からの伝統をおる人がちゃんと頭に入れて、地域でそういう歴史が垣間見られるようなところで生活していく中で、私はここに住んどってよかったなと、自分のみならずそばにおる人もみんな同じようなことを知っとって、そしたら次の子たちにというか子孫にもそういうことを言っていいところだと、だからここで暮らして幸せですねと言われるような町になるということは本当の究極の狙いかね。全くおっしゃる通りですよ。
ただそこを理想としながら実際問題うまくいかないのは何かって言ったら、そういうことをいう本人自身も毎年1歳ずつ年をとる、そういう思いはあるけどもその思いと実際の行動がなかなかピタリといかない。思ってる人も年齢各層いますから、いつもいつもみんなが必ず一致するというわけじゃないし、それぞれの価値観というものが入ってきますから、歴史も共通の部分もあるけども多少違うところもあるし。というようなところでどっちかっていうと町がどんどんどんどん人が増えて発展するときはそういう差についてあんまり気にすることなく、とにかく役所みたいなところが必要なところさえ作っといてくれればあとは自分らで何とかやるから最小限作ってくれたらやりますからと、こう来とるんだけど、逆に人口が減り始めたら同じ価値観より違うところの方が目立ってきて、私はこうやりたい、私はこう、と。そうするとみんながなかなか意見が合わないまま施設に手を掛けないと、だんだんだんだん寂れてしまうと。じゃあどうしようかと思ったときにはもう取り返しのつかないようになると。いうことがよく起こるという。それは町とか集落がさびれるときの典型なんです。
それをどういうふうに避けるかいうことがやっぱり私は一番基本だと思ってます。そんな中で、何もない、白紙に帰った町じゃないですから、歴史があるということとそれまでに出来上がったいろんな施設群というものを本当にどういうふうに活用するかというときに、今言ったそれぞれの考え方がバラバラだというのをなるべく整えて、そしてベクトルというか同じような方向性を持つようにまず皆がいろんな要望があったとしても順番に皆で回しながらやっていきましょうっていうようなことをやるいうことをせんといかんと思うんです。というのはその地域の経済力が衰えてますから、何かやろうと言っても必ず最終的に金が要りますよね。で、金がいるのにあれもやりたいこれもやりたいではみんな中途半端なんです。だから待ってくれと。とにかくみんなの思いをここに注ぎこんでまずこれをやってみて、で片付いたら次とかっていうぐらいの手順論っていいますかね、そういう基本的なところをまず合意してそれでみんなでやりましょうっていう手続きのところについての合意を作るっていうのがこういうような集まりの中では何よりも重要だと思うんです。今そこをちょっと感じました。
だから皆さんの思いでいろんなことをやらないといかん、課題がいっぱいある、だけどそれを思ったから並べるっていうこともいる、その次に実際にやるときにはどういう順番でやりましょうかと、こういうことを言ってもらわんといかんと思うんですよね。家族とか家庭でいったら、貧乏な家になってしまったときにこの家がよくなるためにはこれもいる、これもいる、いっぱいあると。だけど今のこの家の収入からどれをやっていったらそういう状況から抜けるかを考えんといけないんです。親子一緒になってからちょっとあなたここは我慢せぇと、こっからやりましょうとかいうことをやらんと脱出できませんよね。何もかもあれもほしい、これもほしいと言ってもちりちりバラバラ。そういうイメージになるんじゃないかと思うんです。そこをまず押さえたいと思いましたね。
そしてそれは総論ですから、各論的に言うと、今出てきたのはそんな中で少なくとも皆さんはこの公園ですよね、瀬野川公園を中心にいろんな思いがあるけど、例えば、今言った歴史とか地形とか人が活性化するためにここを活用しようというところで1点。これはひとつOKですよ。まとまっとるということで。
その瀬野川公園の直しについて今度はいろんな意見があるところで、もう一回この順番を入れていただくいうことをやらんとなかなか大変じゃないかという気がしたんですね。今言われた中でも、統合なんかしたりして、いいものをとにかく作ろういうようなことがあって、ある意味で多目的な公園みたいなもんですよね、いろんな要素を打ち込んで作っとるような公園の中で、作った当初の思いと違った形で利用されてないところもあるというようなバラツキが出てる。そんなところで活性化するためにこうしたらどうかというような話ですよね。
まず植物群の植生を多少変えてでも地元で活性化するためのやり方はどうでしょうかっていう意見がありましたよね。それが桜の話であり、ススキミミズクの話であり、椿の話というふうに受け取ってもいいかと。次はそうはいってももうひとつその地域の歴史伝統というものを踏まえた鉄道関係のものがある。それをやっぱり使わん手はないじゃないかということで。それをやるためには施設を改良するためのコストと、実際維持するとなるとそこで一人一人というんじゃなくて、みんなが町ぐるみでやっぱりそういうものを愛でるというふうなことをやらんといかんいうことにも問題提起が移ったというふうに思います。
それからさらにはそうは言っても公園の機能の中でそこを有効活用するときに各層の利用方法、今言われたようにお子さんたちとかね、お母さん方が来て、安全にせっかくあるものを使えるようにする、そして施設が目的ごとに作られているけど、ほとんど使われてないところを区分けしているけど弾力的な運用をやるというようなことをやってはどうかという話も今ありました。
さらにはそうは言ったってこの公園がこの町の中の東の方にあるから、近くの人はまあいいとしても、他のところを利用するというんだったらもちろん足の便も配慮せんと、言うだけで利用できんじゃないかと、こういうことです。
今言った問題も、それぞれの問題ですけども、同時並行的にやらないと意味のない解決策というのと、しかし逆に同時にやってしまうとあまりにも金がかかるから、どっちかを優先してやるというふうに整理する問題というのがあるんじゃないかなという感じがしたりしたんです。それは総論ですよ。
で、取り組み方としてひとつ大きく最初に言えることはやっぱりここの中をきれいにするというグループと、アクセスするという2つがあるんです。アクセスというのはやっぱりここをどうする以前にその近寄りやすくする問題で、これは別個にちょっとやらなくてはいかんなと思いましたよ。で、交通の規制関係ですし、スクールバスというんなら自分たちのグループの中で生徒を中心に駅と学校が送り迎えするいう、そのためにたぶんいろいろ費用かけて学校がやってる所に、他の人が生徒と同じようにちょっと使わせてくれっていう、非常に個人ベースだったら簡単な話かわからんですけど、そこをやろうとする国際大学の方にも了解を得るということをやっぱりやるということと、それと行政的なチェックがかかっておれば学校と地元の人たちが、むしろ学校もここを利用することが自分たちのためにいいんですよと思っていて、とても理解があるから、行政も中に入って、行政側からも言うことを聞いてくださいという格好にして申し込むということをやれれば、言われたようなアイデアは全然私はむちゃくちゃな話ではないと思います。
ダメだという規制があったらそっちの方がたぶんおかしいと思うんで。何か突破できるという感じがします。ちょっと詳しいことは今すぐにわかりませんけど。そういう話はこういう中での議論された上でどういう形で学校に言ってみるとかということをやられてはどうでしょうか。そういうことを区の方も一緒になって窓口探しとかどういうところがネックかというのを協議できたらいいなという気はしましたよ。全然むちゃくちゃな話ではないというのはあります。それは一つ解決の方向ですよね。
それからあとは、残った公園内の各施設をどういう順番でやっていくかいうことなんですけど、公園全体がいわゆる区画割りされてて、いろんな機能を満載してますよね、線引きしてると。今言われたような意見の中でやっぱり一番大きいのはある施設をそのまま再生するんじゃなくて区割りを変えるような提案の方がやっぱり一番大きいですよね、根っことして。
そうすると、公園管理について行政として決めていたんだからかちっとやらんといかんというところを突破せんといかんということになると、突破することそのものが公園管理として有効なんですと、いろんな人が逆に喜ぶんですということが地域の需要だというようなことをきちっと整理してもらいたいんです。特定の人の気持ちじゃなく、数少ない人が言ってるけど他の人に言ったらそれは困ると、なんぼ少なくなってもここだけは自分の用地として確保してくれんかと、その人が文句を言ったらこれはまた大事になりますからね。それはもともとは区割りしてこういうルールですと言ってそれに安んじて使っていたらいつの間にか言うとった行政当局が人数が減ったけダメになったよなんて言われたらその人がまた怒るというか、がっかりするということになったら、逆にそういう人たちも含めて、いいじゃないですかというのを地元である程度地ならしをしていただく、そのためのこういう対話とか会話やっといてもらいながら、そういう素地ができてるから行政はどうだと、こう言ってくれると、行政もこれはダメとは言えないと思いますよ。弾力的な運用仕方について今ルールがあればそれをちょっと緩めてね、指定管理者にもこう変えるから、その範囲でやってくれとこういう手順で物事は進めていくべくじゃないかなと思いました。
そんな中でたぶん植物群を植えてというのは、むしろその本来の機能があるところよりか空いたようなところで、このススキであるとか、見たところいいような桜を維持するために植林というか、植えていくというようなことだと思うんです。そのときには今言われているいずれも大前提として植物を植えていく時にある意味できちっと年間を通して管理するというのは当然だと思っていたわけですよね。植えっぱなしじゃないと。
そりゃ公園のミミズク作るときに刈り込むんだから、ススキが伸びるときと刈った後の処理とか、どうせ使う部分と使わんものが出てきたらごみの部分の処理とかいうのも当然やらんにゃいかんと思っとる。そういう大きいシステムを動かすところについてまでどういう計画になってるのかというところについてちょっと心配ですよね。舵だけとってあとは誰かやってくださいっていうんじゃ結局ゴミの山作るような畑になると。桜とか先ほど言ったのだけど、桜については害虫駆除なんかについてちゃんとやらんにゃいかんとかちゃんと言われている。
これは維持ということも入っているなと思いましたから、そうすると維持管理するというのを皆でどうやっているかなということまである程度分かるようにして、この中で、こういうエリアに植えようじゃないかという具体的な提案、そしてそれが区分けしているそれぞれのエリアの機能を阻害するんじゃなくて、むしろ見た目もきれいだし、皆が喜ぶような例えば道沿いとか、こういうところなんですよという設計をされたら、公園に植えてはいかん、という筋にはならないです。むしろ公園の価値が高まることになるでしょ。
通常公園にいろいろ手を加えたりするのは、本来作った機能を阻害するとか、値打ちを落とすとか皆が迷惑がるということで手を加えてはいかんというルールが基本ですからね。加えることで価値が増す、皆の同意が得られる状況ですという仕立てを皆にしてもらった上で行政に言われたら、もし行政が文句を言ったら行政が絶対おかしいということになると思うんです。
あとススキの件は今言われたような中で、空き地がもし出来ていて、一定のエリアが確保できて、そこは特定の機能をちょっと休止してでも雑草群というか、植物が生えるエリアとしてもいいよという所をもうちょっと特定するようなことをやってもらったらそんなに悪くないと思うんです。
なぜかというと、箱根の方に山の一角がばーっとススキ野原があるんですよ。そこはすごい観光地になっているんですね。いつも夏から秋にかけて。それだけでもその付近にお店が出来ていて、観光地になっていて、ススキ野を見るだけでも、その間を歩いたりしてもいいというのがありますよ。
そういう意味では、そのススキもうまく利用するとともに、刈るまで、公園の付加価値というか、景観として愛でられるような形で植えるのが、もし可能であれば、これもあながち無茶じゃないなと思いました。椿も一緒ですよね。
だから今言われたものについて、もう一遍きちっと公園全体の価値を高めて、皆が利用するというときに、むしろダメだという意見を言うのがおかしいという状況ですよということを言ってもらった上で行政も助けろという話にしていただいたら、そんな滅茶苦茶なものという感じはしなかったということです。
最後、一番難問だなと思ったのは鉄道の、デゴイチの話です。今聞いた話ですと、少なくとも今ある分に屋根をかけて、風雨にさらされて錆びやすくなるのをもう少し寿命を長引かせることをやってくれというふうに聞こえたんです。そのこと自体は私もおっしゃる通りだと思います。そうすると、大抵行政が静止物、単に見に来るというものについて金を掛けるというときに、金を掛けたことに見合うだけの公益性のアップとか、多くの人がこのためにどっと来るとかということで、便益を図って意味があったと言えると自信を持って言えるのであれば、それは行政として実施しましょうとなる。
先ほどの例は、逆に置いていても掛かるコストと、それを大事にする人の集団と、そうではなくて素通りすると比べたときに、だんだん値打ちがあると思っている人が少なくなってきているのに何百万円も掛けるのはもったいないといって、たぶん行政として切ったと思うんですね。
そうすると、今言われたようなもう1つの努力として、先に施設を作ってファンを引き寄せる、要するに物ありきで引き寄せるというやり方ばかりでやっていたら、行政としては言われてもすぐに「はい」とは言えないと思います。
今おられる鉄道ファンの方が逆にもっともっと施設ができる以前からおられて、その方々のグループとしてこういうものが広島のここにあるんだよと、だからこれは安芸区のみならず市内のデゴイチファンのグループがあって、そこにこういうものがあることが市内としても値打ちがあるんだというふうにすれば、安芸区に市全体の税金を投じて手伝うというのもおかしくないだろうと、多少高めでもいいじゃないかという行政行動になるんです。
だから物が出来て人が集まるというんじゃなくて、こういう場合は逆に欲しいなと思う人が一杯おられて、ちょっとでもここに手間を掛けてくれるなら、何もここの区のためだけじゃない、市全体のためだということになってますという仕掛けにしてもらえたら多少無理してでも金を掛けなきゃいかんかなと行政としてはなるような問題だと思ったんです。そうすると、屋根も、節約をしてなるべく安くても、最大限風にさらされない工夫をするということになると。
あと夜中に設備群、LEDを使って害虫も寄りにくいし、長期で見たらエネルギーコストも低くなるので最初の設備投資みたいにして考えていくと。これは、公園の開園時間の中で、ロングスパンで考えたときの電気節約になるという合理性があれば、多少初めにお金をかけてもLED化するのはあながち無理じゃないなという気がしました。だけど、一度にやると経費も掛かるので、ちょっとずつやっておかしくないというご提案だと思うんです。
だから、今申し上げたのは、やるとすれば一個一個、それぞれの答えとしてどういう手順でやるかを答えましたけれど、それはまたある年に、一度にやれといったら、そんなにできる話じゃないから、できるというやり方を見ながら、そのうち最初2つか3つ、これから取り組んでいこうとか、こうやりましょうとかいう形で皆が議論していけば、ますます、会議のメンバーでここを良くするための順序、このときは皆に協力してこれをやったんだから次はこっちのだとかいってずっとこういう会議が続くんじゃないかと思いました。
Aさん(司会)
ありがとうございました。市長一言質問を申しますと、我々も市長がおっしゃったように、総論では今日全部早晩にはできない話をさせていただきましたが、基本的な考えは、市長がおっしゃった方向と一緒で、例えば1本だったら木、2本になれば林だ、3本になれば森になる、ここまで行くのに3年かかります。
我々はその1本目の木を、どれを植えようかという発想をするわけです。このプロジェクトもそういう発想でこれから、1年じゃなくて数年かけて取り組ませていただこうと思っています。そうしたときに、例えば端的に任期の件を言うのもおかしいんですが、例えば市長任期は4年ですが、我々からすれば市長はもう変わられんから安心していけるなと、今度は出先になると事業の担保といいますか、それと予算面で単年度予算という、我々から言えば弊害という側面がある。これをどういうふうに、いつも市長に言うわけにはいかんわけですよ。そうしたときに人事異動という1つの壁じゃないですが、ものがあるから役所の継続性と予算面の担保という形を考えたときに、今のこの事業を我々は10年かけてやりたいんですけど、市長、これに乗っていただけますかといって、まあ4年は安心していけるんですが、残りはどうすりゃあよろしいでしょうかという問題がひとつあるものですから、ちょっとそれだけお願いをして。
市長
それはものすごく正確というか正しいことを言っておられるんですよね。だから私自身そういうことも含めて最初に言われました。まちづくりというのは自分たちがどこまでやれるかということをやって、できないところを行政に頼むというスタンスでやらないと、行政頼みでやれたところを自分たちが言っていたら、首長さんが変わるたびにコロコロ変わるんです。
私と同じ人がなるとは限らない、全然性格の違う人がなったら大事でしょう。だから自分たちのこのエリアは自分たちが責任を持ってこういうのをやるんだという絵図面を持っておく。その中で、できた順番で行政を利用して、ちょっとずつうまいこと金を引き出しながらやっていくという発想でやらないととんでもないことになると言われたので、よしこれだと思ったわけですよ。
そうすると、そこまでOKだったら、いわれた絵図面を例えば5年とか10年とか少し長めに、何年か計画でというのも作るわけですよ。その中で第1弾、ここでこの期間と役所に言われて、自分たちがやるけれど、こういうところはちょっと(予算を)もらうという自分らでまず絵図面を書いてください。
そして、書くときに役所に何も相談せずにやったら単なる絵空事になるから、持っといて、うまいこと言って窓口に行って「どうでしょうかね」と顔を見ながら言って、これはいけそうだなというのを細工しながら、じゃあこういうの持っているけど今回ここでお願いすると、そういうやり方でやっていていただいて、決して役所を「お上」だと思わず、自分たちのまちづくりをやってくれるパートナーで、金づるだと思ってください。
どうするか、どういうふうにして説得したら出るか、さっき言ったように説得するための条件づくりをどうしたらいいかというだけですよ。行政というのは公正・中立にやらなきゃいかんという命題を受けてますから、あなたが言ったからえこひいきしてやるというのはできないんです。行政はそれができないから来られたときに、どういう手順でどういうふうに言っておられるかなというのを見て厳しいことを言うわけです。これがあって、前例がございませんとか言うけれど、それは公平性を保つための道具として無理やり言わされているわけですから、それを突破するようにしてください。
そして先ほど言われた4年、10年の件だったら、(絵図面に)10年ぐらいのところを書いてどれくらいと、こうやって、自分たち4年の範囲で、今の人だったらこれはいけそうだから4年の範囲でここまで追い込むというのを持ってもらって、こういうことを思っているんだけれど、やってくれと。そして今窓口開きましたから、地域起こし推進課で少なくとも「委託費」と「補助金」という2つの援助の仕方でやれということで今年からやっています。
委託費というのはどういうことかというと、行政が、こういう仕事だったらこの地域のために行政がしないといけない仕事だと、だけど職員がやるよりはここにおられる人に任せてあげて委託という形でお金をあげたらうまくいくなという性格の事業だったら委託費で出しましょうと。こういうふうに整理するつもりで組み直しました。
補助金というのは逆に、この人達がやっておられるので、本来ならば自分たちだけでやるんだけれど、立ち上げのときとか当初いろんなことをやるから設備投資が掛かるとか大変だから、初めの頃は手厚くして慣れていったら減らすという形でやるお金を補助金にして、やろうとする人がどっちの類か、要するにずっと行政がやり続けることを頼まれてるのか、地元の利益のために地元の人がやって「ああいいですね」と利用料金を出したりしたら、何も税金を使ってやらなくてもそこを利用するお金で回るような類のやり方で、ただ、それをやるときに、最初初期投資で物が必要だったりするのに買えなかったら、(役所に)最初買ってもらって、しばらく動いて、それらが5年、10年経って傷んだらもう1回頼むね、というときに使うという、そういう2つの道具(予算)を使って自分達のやりたい仕事はどっちで金が引き出せるかということをやってくれと。その代りそういう話をよくするようにということで窓口を作っているんです。そこらへんを、大きい設計図とその道具をどう組み合わせるかということをやるのに、何も私がずっといなくてもうまいことやったらずっといくと、こうなってきていると思います。
Aさん(司会)
ありがとうございました。今おっしゃったとおり、近日中に安芸区の方に伺って説明します。何分にもフォローの方よろしくお願いし申し上げます。
市長
大丈夫ですよ、区長さんそこにいますので聞いてますよ。
歴史を生かした地域の活性化
Aさん(司会)
じゃあそういうことで区長、よろしくお願いします。じゃあ時間も大分過ぎましたので、続きまして「歴史を活用した地域の活性化」ということでよろしくお願いします。
Fさん
私は郷土瀬野の歴史遺産というか資源を生かしたまちづくりについて、まず私共がこれまで活動してきたことを報告して、次にこれからの取り組みを説明させていただきたいと思います。
まず1番目は、郷土史会というものを設立して最初の事業、どんなものをやったかということですが、会は平成15年2月に結成しましたので、今年10周年を迎えたところです。会を設立したきっかけというのは、放浪の俳人の種田山頭火という人が、昭和8年9月19日に行乞(托鉢)の途中に瀬野の一貫田というところの木賃宿に宿泊しまして、当日の日記と16の句を残してくれた、これがきっかけでございます。当時泊まったところの宿の一角に句碑を建てまして、毎年山頭火まつりというものをやっているんです。この句碑は、平成15年9月に現地に建立しました。これが会の最初の事業です。
3年目には一貫田街道の30軒の家々の軒先へ今ご覧のような短冊ですね、これは朴(ほお)の木へ地元の方に墨で書いていただいたものを30軒へつり下げました。それから風雨にさらされて汚れたりしたので昨年は新しいものに取り換えてしかも数を増やして49軒の家につり下げてもらっています。この様子は平成21年の6月22日にNHKテレビ「街道てくてく旅山陽道~大宰府から平城京へ」というのがありましたが、これで全国へ紹介していただきました。
会のこれまでの10年間の活動というものは先般出したばかりの会報、私共は年2回会報を出しているのですが、これで報告していますので今回は省略させていただきます。
なお、私共の活動に当たっては、ここ瀬野では地域の団体と一体となって取り組んでいることを申し上げたいと思います。1つの例は、1番最初に見ていただきましたが、このセンター構内の西側に設置している瀬野の史跡案内図ですね、これは、資料というのは郷土史会が提供しましたけれども、設置はコミュニティ交流協議会と瀬野の青少年育成簡保運営委員会で設置していただいたものです。場所がちょうど瀬野駅の南口という絶好の場所であるため、史跡を訪ねてとか、健康まちあるきなどで初めて瀬野へ来られた方々への案内に、また地元の方々へは、わがまち再発見という大きな役を果たしてもらっています。
2番目には瀬野の歴史遺産というものがどんなものがあるか、これは瀬野の史跡案内図、今ご覧いただいたようなもの、それから会ではこういった瀬野川流域での歴史散歩マップというものを作っているんです。こういうたくさんのものがあります。
主なものは、先ほどお話がありましたが鉄道、もう1つはこの西国街道ですね。西国街道というのは昔、都から太宰府を結ぶ日本で最も重要な道であったわけです。当時は先進国であった中国とか朝鮮との文化交流、あるいは技術者、あるいは役人などの多くの人々が行き来した道なんですね。
西国街道で勾配が一番きつく、一番の難所であったというのが大山峠です。ご覧のように昔の峠をいろいろと紹介しております。急な坂であったために、どんなに位の高い人でも籠から下りて歩いて上がったと、ときには後ろから押してもらったということです。
今は代官おろし跡という案内板があります。万葉集には大山峠での藤原清輔という平安末期の歌人の歌が収録されています。この歌を歌碑にしたものがこの写真です。これは、万葉集に瀬野の大山峠を歌った歌が載っているよと当時の瀬野中学校の教頭先生が発見されまして、地元の自治会長がこの地域のシンボルにしようじゃないかということで呼びかけられ、地域の有志が費用を全額寄付した。この碑の石は当時の町長が瀬野で一番高い山から探し出し、文字は瀬野中学校の教師が書かれて、彫り込みは地元の石工さんがやったと。40世帯の労働奉仕で完成したということで、すべてが地元の人々の手で建立されたそうです。
この碑が建立されて40年経ちますと、この歌の意味を知りたいという方が出てきまして、そこで昨年の5月、この歌の意味を説明する副碑、左側にございますが、建立したわけです。この副碑も本碑のときと同じようにすべて瀬野の人、本碑に関わった人たちと深い縁のある人々が担当されたわけです。文字は本碑を書かれた方の門下生、彫り込みは当時の石工さんの御子息、建立の世話は当時の自治会長の息子さん、この隣におられるAさん、こういうことで非常に縁のある方々で建てられている。今はこの碑というものは、現地を訪ねて来られる方々へ案内の役目を果たしているわけです。こういうのが大山峠です。
3番目に今取り組んでいることを申し上げますと、1つは先ほどお話しした山頭火に関連しまして、子ども俳句を現在募集しております。瀬野とみどり坂両小学校のご協力を得て3年から6年の児童に夏休みの期間中に1人1句読んでもらおうというものです。審査は両小学校の先生にお願いし、優秀作は山頭火まつりで発表し、会場へ掲示することにしています。
今取り組んでいることの2つ目は、小学校の高学年の児童を対象に郷土史教室を開催しました。8月8日に瀬野公民館で、9日にみどり坂の小学校で開催しました。この子ども俳句と郷土史教室は、児童へ郷土への誇りと愛着を持ってもらおうと、そしてそれを家庭の中で話してもらうと。やがては広く町のたくさんの方々へ拡大していくだろうという効果を期待しているものです。
今取り組んでいる3つ目は、先ほどから話がありますが、瀬野の歴史遺産の重要なものの1つで鉄道というものがありますが、写真集、瀬野に機関庫があったというものを出すように取り組んでおります。これは開通した時から完全電化に伴って廃止されるまでの70年間にわたっての活動を主に写真で紹介するものです。
それから4番目はこれからの取り組みのことです。私共は歴史遺産を守り多くの人々に見てもらい知っていただくと、そして後世に伝えていくということのために2つのことを計画しています。1つは西国街道にある大山鍛冶場跡、これは刀を作っておりましたが、それから広島藩の油御用所の跡とか瀬野機関庫の跡などへ、ここですよという案内板と、ここはこうでしたという説明板を設置していきます。
それから大山峠の馬子歌の説明板、これは作ってから相当年数が経っておりまして、文字も手で触ると剥げるんですね。こういうもので長い年月の傷みが激しいので、更改するようにいたします。それからもう1つ話はそれますが、安政の大獄で刑死した吉田松陰、これは4度も往来しております。安政6年5月29日に江戸で亡くなる5か月前ですが、江戸へ護送される途中に瀬野大山で詩を詠んでおります。この詩を碑にして建立したいと思っております。
これからの取り組みの2つ目は「瀬野村誌」の刊行です。この左側の「上瀬野村史話」というものを、昨年の4月に第1号として発行しました。これは以前、上瀬野村出身の方で長年小学校の教師をやっておられた方が、ふるさとについてまとめられたものです。
次に第2号としましては、この右側ですね、「上瀬野村誌」これは平山神社の宮司をなさっていた方がまとめられたものです。これをついこの間復刻いたしました。
この次の3号としては、先ほどお話した、瀬野に機関庫があったというもの、4号としては平山神社の社記などを計画しております。このようなことをいろいと計画しておりますが、何しろ、財政基盤が弱い会でございますので、市の方へは特に、金づるの話がさっき出ましたが、資金のご援助を賜りますようにお願いいたしたいと思います。
以上で歴史遺産を生かしたまちづくりについての説明を終わります。どうぞよろしくお願いいたします。
Aさん(司会)
ありがとうございました。続きまして、山頭火にちなみ彼岸花の里の話をIさんよろしくお願いします。
Iさん
瀬野の郷土史会の会報を担当しております。
市長さんには特にこの2号を事前にお渡ししておりますが、読んでおられますでしょうか。これは広島大学の岩崎先生に講演をしたものを載せて、それから彼岸花についていろいろ書いているんです。
私は、瀬野を彼岸花の里にしてほしいということについてお話をしたいと思います。
先程出ましたように、山頭火は、市長は牛田の出身と聞いておりますが、牛田に大山澄太という俳人がおりまして、そこから出立したんですね、雨の日に出立して、雨の中、一貫田の後藤さんの所へ泊ったというんですね。その翌日、雨の中出て、西条に行くんですね。西条でも日記を書いているんですが、その一番最初の句は、「まことお彼岸入の彼岸花」というなかなかいい句なんですね。山頭火は彼岸花の句をたくさん書いておりますが、この句が一番素晴らしい句じゃないかと思うんですが。
ということを先ほど出ておりました、句の短冊を更改したんですが、去年ね、この句を書いております。いずれにしても、これまで山頭火まつりについて、いろいろあれやこれやとアイデアを出してやってきたわけですが、アイデアを出す人がいまして、今年は彼岸花の里せののまち起こしをしたらどうかということが一つ、もう一つはホームページを立ち上げて、彼岸花と山頭火を通じて、山頭火が彼岸花を詠んだ町や市があるんですが、そこと交流したらどうかという提案をしてくれたんですね。
ところがホームページといったらちょっとむずかしいで、とりあえずはということで話した結果、今年はとりあえず、プランターに彼岸花を植えて、山頭火まつりを迎えると、しかし今後は、山頭火の句碑の近くに彼岸花の群生地を作ったらどうじゃろうかというふうに考えておるんですね。
今年はぜひとも、彼岸花で有名なのはここに出ておるのは、三次の吉舎にあるんですが、そこに見学に行ったりして、一貫田の付近に、できたら国道2号線沿いの車でも見えるところに作ったらどうじゃろうか、もちろんこれには住民の方々の同意が必要ですが、それを支えていただくための行政の援助もお願いしたいということでございます。
Aさん(司会)
ありがとうございました。
時間も差し迫ってまいりましたので、一緒に市長の相対コメントの中で歴史と一緒にお話をいただくということで、先にJさんに端的に表現をしていただいて、後、市長のお言葉をいただきたいと思います。
Jさん
今瀬野川には、月見草、宵待ち草というんですかね、ああいうのが20年、30年前にいっぱいあったんですが、だんだん今少なくなっております。この話は全然別ですが、瀬野川には月見草がものすごくたくさんあったんです。どうしてかといったら、桑原守夫さんという方、瀬野の村長をされて、瀬野川町の町長をされて、それから広島市に合併して、政治の世界から退いたんですが。その方が若いときに非常に月見草が気に入って、瀬野川町を全部月見草の里にしたいということで、ご自分で種を取ってあちこち撒いて、その方が瀬野から西条に通勤する列車の中から種を撒いて、ずっといったんだそうです。それで、その話が残っているんですが、最近の方ほとんどその話を知りません。大変ロマンのある話だなと、非常に僕は感銘しておるんです。
話は別になりまして、今瀬野川町にホタルをいっぱい、瀬野川町全部ホタルにしようじゃないかというような夢を持っておられる方が瀬野川町に住んでおります。僕もぜひ協力したいなと思っています。その方も一生懸命自分でやっており、毎年ここで鑑賞会もやっておるんです。
このずっと先の榎山川というところでホタルが出るので、そこに行って鑑賞するんです。ここでホタルの一生について講義をして、ホタルの飼い方についても話されるんです。それに興味を持たれた方は、それぞれに最初に幼虫をいただいて、自分で家で飼育するわけです。私も家で飼育したことがありますが、なかなか上手にいきません。最初に50匹ぐらいもらってきて、発泡スチロールの箱とか、熱帯魚を飼う水槽などで飼うんですが、最後の放流できるのが、10匹あるかないかです。それで10匹ぐらいを放流しても、途中で魚に食べられます。実際、我々が50匹育てて、最後にホタルになって飛ぶのは3匹か4匹くらい。非常にこれは効率が悪いんです。10人がそれぞれやっても20匹か30匹くらいなので、なかなかホタルは増えません。
そこで、私はぜひ瀬野川のへりにビオトープを作って、そこでホタルをしっかり飼って、だんだん川に放流したいと思います。これはビオトープを作ったらそれでいいというものでなく、そこの管理、飼育はものすごく手間が掛かります。これは誰がするかというと我々住民がするわけですが、住民がするといっても今老人クラブなんかよりも、ゲートボールとかパークゴルフを主にやっておられる方、ゴルフをしない方は何かのボランティアをしようと思ってもあまりないわけですね。
そこでビオトープを作ったら、そこへ来ていろいろと飼育のお手伝いをするとか、そういうことをやったら瀬野川にいっぱいホタルができるんじゃないかと。今ここで鑑賞会というのを10回程度、毎年やっておられるんです。それが毎年人数が増えております。旧市内からも見に来る方がものすごく増えております。そういうことで、瀬野川のPRとホタルという種は非常に郷愁を誘いますよね、心が和む動物だと思うんです。ぜひそれを瀬野川いっぱいにして、ホタルの里にしたいと願っております。そのために、ビオトープを作ることに、何かご協力をお願いしたいということでございます。
Aさん(司会)
ありがとうございました。市長さんのコメントをいただきたいと思います。
市長
Fさんの歴史の郷土愛を高めるためのいろんな域内での情報伝達とか、情報をキャッチするためのいろんな施設群ですね、これはさっき言ったお金の使い方からすると、補助金みたいな、一遍ポンと出してもらって、しばらく持ちますからね、後は次回にするというのをやってもらう。そのときに、地元でもこれぐらいやるからというのを使ってやったら、できないことはないと思うんです。
そして、行政として補助金を出すときに、私はどういう理屈で補助金なんかをやっているのかというと、原理原則論ですけど、市民からもらっている税金というものを市役所はどこかの需要に応じてお金を配分しているわけです。補助金というお金はどういう性格にしているかというと、広ければ広いエリアの中からたくさんお金集めてきたときに、集めてきた金を一時にどこかのところにポンとあげるというものなんですね。あげるんだけど、ここばかりあげていたら、皆から税金取っていたら、えこひいきになるでしょ。だからこれは補助金という形であげたらば、ここにサービスをするのだから、一定期間ボーンとあげたら、しばらくやってて動き出したら、ちょっとごめんねってちょっと引き上げて、次にこっちあげますよというふうにして回す類のお金です、補助するということは。それからいつもいつもじゃなく、あげていてちょっとずつ減らしながらやって、ずーっと回ってしばらくしたら、またあげますよと、そういう形で運用できるお金みたいにできると、施設を1回作ったら、しばらく使えますからね。
そのときにあげる理屈は、ここの地域だけでえこひいきしてくださいと場合もちょっとあるんだけど、そのときには、他の地域と比べてここのところはどうもちょっと寂れているしね、可哀そうだという理屈にして落とすというようなところと、それからそれをやることでここだけじゃなくて他のところにもいいことがあるんですよと、だから皆であげましょうと、こういう理屈であげることはできる。ここでやる事業というものが、ここの地域の繁栄と共に、この地域全体にもいいことがあるんですとか、ここにお客さんが来たりしたら、他のところだっていいことがあるんです、そういうものですよという説得をしてもらって行政を落としてもらったら、行政はそういうことだから出しましたという仕掛けなんですよ。
それは歴史なんかについては、どこでも歴史があって、お互い様、歴史を追いながら皆よくなっていく、そのときにここの特徴のある歴史にお金をあげるのがいいじゃないですかと、次に順番が来たら他のところにあげますよとやるから、極めて納得的なお金の与え方だと私は思っています。
だから、役所とよくやって、役所は他の区と調整してやりますよ、そのときにいろいろ質問したり、チェックがかかるということでやってください。決していやだということではなくて、いるという理由としてもバランスを取りたいということで職員がやらされていると、こう思っていただきたいと思うんですね。
そして、今度はホタルのようなものとか、植生とかいうものは、全体にというか、地域だけの自分らの愛でたい、大切にしたいというものだから、そういう大切にするというものが拠点ごとに市内のどこでもそういうことやりますよということまでなっていればいいですよね。だけどそういうのがいらない、ここだけということになると困るので、自分はそのためにまちおこしとか、地域起こしという概念を起こして、今みたいなこともみんなでやるんだからいいじゃないかという基盤を作っているわけですよ。
だから、そこの地域のためにやったとしても、いずれ他のところにもちょっとずつでも皆のところにやるようにしたいということをやっていますから、その花づくりであるとか、昆虫とかをその地域でしっかりやるということも、その支援するということは今からの行政としてはやっていいというようにしようと思っています。だから、ここだけじゃない、他のところも、もし言われたらやらなくてはやらなくてはいけなくなるんです。
そのときに、ちょっと言われて誰か言ったから、ポッとやるといったら、えこひいきになる。そこのところで、ここの地域全体が皆ですごい本当にこの地域をやりたいんだという彼岸花を全体にやりたいんだという機運があるということを言って、町全体がやってくれないと困るということが分かるような動きもしてもらいたいんです。
そのときに、花とか、昆虫の手当てなんかは、今言われたちょっとイメージからいうと、お年を召した高齢者のグループばっかりやってと聞こえるんですけど、ひょっとしたらですよ、義務教育課程の小学校みたいなところも入れて、小学校の校外活動というか、学校外での花を大切にする活動とか、昆虫を育てるというところに先生方と協力して、地元のお年寄りが面倒見ながら、朝晩とか1週間に1回とか、生徒なんかも入れてあげて手間を掛けて地元全体でやっている花作りとか、昆虫づくりみたいにしてもらって、こういう町だから、ちょっと補助金をくださいというふうにやってもらうというのが、出す方とすると、出しやすくなるんじゃないかと思うんですよね。
そういう地域を挙げて問題というのは。
Jさん
子どもも思ったんですが、時間がないから、そこで話が終わってしまったんです。
市長
そうするとそれは、教育委員会とかがやりながら、地元の校長先生とか、学校群ともやってもらって、そういう今の運営方法についてこういうところまでやっているんだ、だから後は設備をくださいと、こういう段取りで言ってもらうと、いやだと言えなくなるということなんですね。
一度にポンと箱モノを作るというのは、結局、地元の盛り上がりがあって行政というのは、他のところから集めた税金をここに落とさないといけなくなりましたと、地元から説得され尽くしましたということを言うために、一個一個文句を言っているわけですよ。
それが叶わなかったから、他からくださいと言われたときに、なんであっちには簡単にあげたのにというから、いやどこにも厳しくやってぎりぎり来たのをあげましたよということをやりたいと。
バランスを取ってお金を配っていくというのが市の基本的なスタンスだと分かってもらうと、ちょっと考え方が違うんじゃないかと思うんです。すごくいいことですよ。
施設群について、最初に言われたところなどを実は省いたりしたのは、授乳するときの施設で畳をやったりとか言われて、ススキのところで、施設をポコッと作ってやったらいいだろうというのは、今やったベースのところの上のもうちょっと上の感じかなと思ったから、もうちょっと後ろに控えてもらえないかなと思って敢えて差し控えた。
例えば、展示などは、まずそういうことをやった上で見せびらかすよりも、できもしないのにポコッと作って、どういうふうに運営するかといったってないわけですよ。できあがりのきれいなことを言っているけど。こっちの基盤ができもしないのに、箱もできない。
そうすると、次善の策として、そういうものがもしできたら、逆に区役所とか公的機関とか、地元のちょっとした人が通るところに頼んで陳列などに入れてもらって、地元の名物ですよというのをやっておいて、それでも象徴的にどこかにほしいということになったから作ってというふうにするんだったら、ああそうだなということになると思う。
授乳だって、若い方々が授乳するときに、そういういいところがあるのが当たり前ですけどね。昔だったら、お母さん方が抱えてやっていたのが、だんだん弱ってきて、しかも一生懸命公園をよくしていこうという人ですからね、そういう施設がなきゃいかんというとこまで、まず来なきゃいかんというのがまずどうかなと思うわけです。
しかも一定の施設は貸すと言っているわけでしょ。そしたら、貸してくれるんだったら、畳とかを重ねて言うんじゃなくて、ステップステップでちょっとずつという理性的な要求をして物事を充実していくという打ち出しをしてもらったら、受ける側としても、そうかなとなる。いきなり、どどっと言われると、あなたちょっと贅沢だからやめてくれとなるんじゃないかなと思ったわけです。
その辺も要求する側と、逆に要求される側に立ったときの気持ちを考えてほしい。要求される側は、我々公務員として、さっき言ったように皆からもらったお金をどう配るかということしか考えていない。この人に喜んでもらうじゃない、皆に配らないといけない金をとにかく公正に配っていますと言えるためにどうしようかというので、いろいろ仕掛けていると思ってもらえたらいいんです。
それ以上のややこしいことは言っているけど、基本的原理はそれだと分かってもらえたら、ずいぶん違うはずだと思うので、そんなことでやっていただけないかなと思います。
Aさん(司会)
本日は市長、たいへんいろいろとお話いただき厚くお礼申し上げます。我々もまちづくりについては長期的に取り組んでいく所存でございます。松井市長さんにも長期市政を担当していただき、我々をフォローしていただきたいと思います。ぜひとも、よろしくお願します。
※( )は注釈を加えたものです。
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