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ページ番号:0000008403更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

2012年02月10日 安佐北区「市政車座談義」の開催結果

1 日時

平成24年(2012年)2月10日(金)15時10分~16時40分

2 開催場所

安佐北区総合福祉センター

3 参加団体等

可部夢街道まちづくりの会 12名

4 テーマ

可部旧街道を核とした地域の活性化

5 傍聴者

16名

6 主な話題

  • 可部旧街道の歴史ある町並みを保存するための「空き家バンク」の開設について
  • 建物の新改築を検討している人が気軽に相談できる「新改築相談所」の開設について
  • 由緒ある古民家の売却の動きへの対応について
  • 歴史ある町並み保存に向けた新改築建物への補助について
  • 可部のまちづくりを支える大きなイベントである「可部の町めぐり」の安定的な財源確保について
  • 旧街道を落ち着いて散策できる通りとするための通過交通排除の方策について

7 会議要旨

市長挨拶
本日は本当にお忙しい中、お集まりいただきましてありがとうございます。
車座談義は皆さんのお話を聞かせていただくということなんですけども、自分の気持ちとしては、皆さんが街づくりをする中でこんなことをやりたいけど、ちょっと市の援助が足りないとかもうひと工夫欲しいとかいうところがあって、うまくいかないことがあれば、そういう話を聞かせていただいて、街づくりに弾みをつけるそのきっかけになればなということです。
私一人で、すべてができるわけではありませんので、お話を伺う中で街づくりを活性化するためのきっかけ作りをさせていただいて、それ以後、具体的なやり方を市の職員が皆さんとひざをつめ合わせていろんな知恵を出すという中で、物事を進めていくことができればいいなと考えています。

今日のテーマは、「可部旧街道を核とした地域の活性化」ということですが、ここに来る途中旧街道を通ってきました。たしかに趣のある建物が所々にあるけど、だいぶ近代的な建物が増えていて、ずらっと昔の建物がある感じではないので、皆さんの思いと現実的な対応がなかなかマッチしていないのではないのかなと思いながら見学してきました。

つい先頃、柳井市に行きまして、人口3万人ばかりの小さな市ですが、白壁造りの町で、ずいぶん古い街並みをつくっておられて、皆さんもこういうことを考えておられるんだなという気がしました。まとまって古い建物があると比較的ことは簡単です。国の文化財指定になっているとか、県の援助を受けているとか複数の支援組織と絡まって市が支援するということで、そんな環境があるとずいぶん違うかなと思うんですが、そうでないとしても、別に国とか県がやらなければ市はやらないという道理はないわけですから、皆さんの思いが熱くていいアイデアがあれば、市単独でも頑張るという意気込みでいろいろ話をさせていただければと思っています。
いずれにしても今日の話の中でいいヒントがつかめたらいいなと思っていますので、どうか忌憚のない意見をお聞かせください。どうぞよろしくお願いいたします。

Aさん
今日は大変お忙しい中、市長さんには我々のために時間と場所を取っていただきましてありがとうございました。
可部夢街道まちづくりの会として、いままでやってきたことの概略をまずご説明した後、意見を言わせていただきます。

可部はご存じのように、出雲街道、石見街道の合流部となって商業、産業の町として栄えてまいりました。可部を支えた産業としまして、山繭織りと鋳物、酒、醤油があります。山繭織りは肌触りが良くて刃物を通しにくいということから、昔から大名・武士に好評でした。明治27年、日清戦争の時に山陽線が広島まで開通しました。それで山間まで販路が非常に拡大しました。大正元年には75,000反も生産をしていました、一反というのは一人分の反物の量ですから、75,000人分もの山繭織りを生産していたということです。
それから、二番目には太田川の上流の加計まで砂鉄がずいぶん出ておりましたので、これを利用して可部では高い技術をもった鋳物が生産されました。今でも、大きな工場があります。
それから醸造業、これは酒・醤油なんですが可部では非常にいい水が昔から豊富にありましたので、これを利用してたくさんの酒・醤油が生産されました。

可部に人やものが集まったわけですから、料亭、旅館がたくさんありました。それから料亭、旅館で働く芸者さん、芸者さんを要請する置屋、芸者さんを派遣する検番もありました。映画館、劇場、豪商の屋敷などの建物が続いていました。
近隣の町や村の人からは、可部は大都会だという認識をされていました。うちの親の姉が広島の白島に嫁に行きまして、帰って文句を言うのに、白島はさびしい、可部が賑やかでよかったというふうに言っておりましたぐらいで、非常に賑やかなまちであったということです。
昭和初期のお店の数と、平成14年の数を比べてみると、昭和初期が269,平成14年で135軒、ちょうど半分です。全部の業種が半分になったかというと減ってない店もある。対人折衝のウエイトが高いもの、食堂とか美容院、理容院、医者、居酒屋は減っておりません。減っているのは、大量生産がきく商品をあつかっているところ、傘屋、鍛冶屋、桶屋、これらは全く無くなっております。これは大事なところです。

昭和40年ぐらいから大規模なビル、スーパーマーケットとか団地ができまして、商店も減ってくるし人も減ってくるということで、昭和40年以降はずっと古民家が駐車場や空き家に代わるなどという格好でさびれてきました。

その後、JRとバスの結節点として可部駅の西側に、西口広場をつくろうじゃないかという構想が浮上したときに、行政から地元の声を反映させた広場にしたいという要請がありましたので、平成15年に「可部夢街道まちづくりの会」を作りました。大体30名くらいです。ただ、これだけの人間が集まったのだから、西口広場だけではもったいない、さびれた旧街道の活性化も取り上げようとなりました。
会の足跡ですが長くなりますのでつまんでご説明しますと、平成19年に広島市長から千客万来賞を受賞しました。平成20年に国土交通大臣賞を受賞しました。
少しでもにぎやかにしたいということで、平成16年から「可部の町めぐり」というイベントを始めて、去年で8回目です。昨年は天気が良かったものですから賑わいました。ただ、駐車場がないという問題がありました。
平成17年に可部旧街道の街づくりのアンケートをとりましたところ、住みやすさの項目では30%の人がこの街は住みやすいと答えました。将来この古い街並みを守ったほうが良いという方が60%、そのためにはルールづくりが必要という方が50%、交通問題が頭を痛めるという方が70%、殆どの方から現状を放置してはよくないという回答をいただきました。
これを踏まえて我々は勉強会を開きました。平成17年から広島市の職員さんに講師に来ていただきまして、街並みを残す勉強会を毎年開いていました。これは建築基準法や都市計画法など法律を勉強したほか、学識経験者を招いて講演会を開くとか、他の先進都市を見学に行くとか、そういうことをやってきて、去年の年末でちょうど70回を迎えました。
その勉強会をやりながら地元の人に意見を聴くのですが、「あんたらのやっていることは確かにいいことかもしれんが、30年遅すぎる。30年前はずらっと古民家があったじゃないか、今は歯抜けになっているじゃないか。」という非常に厳しい意見がありました。
我々は、そうは言っても、たとえ歯抜けであっても、古民家のよさは十分鑑賞できる。このまま放っておけば、30年後にはさらに魅力のない街になってしまうというふうなことをいいながら勉強会を続けています。

旧街道の折り目地区には古民家が32軒残っています、折り目地区以外が11軒です。ちょうど旧街道が直角に曲がっているところに立派な古民家があるのですが、今売りに出ています。元山繭問屋でして、明治29年に建って、江戸時代の風格を持った家です。住居1棟、蔵が3棟あります。活用案としまして、もしこれが残り我々に自由にさせていただけるなら、可部の歴史資料館にするとか、部屋がたくさんありますから、研修室にするとか、芸術家に来ていただいてアトリエにするとか、いろいろ夢を膨らませております。
今までも古い街並みを残そうという運動はあったのですが、成文化したものがなかったために立ち消えになっていました。そこで、まずはルールを作ろうではないかということになりました。
ルールを作るに当たって、まずは基本的な考え方を示したマスタープラン、いわゆる憲法をつくって、皆さんに承認してもらうことにしました。
マスタープランで言わんとしていることは主に3項目です。1番に、歴史を感じる落ち着いた雰囲気のある街にしたい、ただ、それだけでは面白くないので、2番目にイベントをさかんにやってにぎわいのある雰囲気の街にしたい、3番目に外部からこられた方に対するおもてなしの気持ちにあふれた街にしたいという3項目で、これがマスタープランの骨子です。

次に、マスタープランを実施するための具体的なルールとしてガイドラインを作るに当たり、アンケートを実施しました。
その結果、ルールづくりには半数以上の人が賛成でしたが、あまり細かいルールを作ると財産権が侵害され、自分の家が自由にならないという意見も多くありました。
法的な規制のない緩やかなルールだと守ってくれないのではないかという思いもありましたが、数年前に古民家を改造された方が、ルールを見られて、「もしこんなルールがあるのならば、ルールに沿って改築したのに。」と言われたこともあったので、ゆるやかなルールであってもあったほうがいいと確信しました。

ガイドラインでは、各家で配慮することは何か、魅力的な建物に関する考え方などをカラー写真を用いながら分かりやすく示しています。
例えば、門や塀、建具、郵便受けなどの材質や色を示しているほか、古民家の風情を乱すもの、エアコンの室外機、電気メーター・プロパンボンベなどに古民家にあったような格子状のカバーをすることや、建物の高さや屋根の勾配までガイドラインで示しています。
この数年の間にマスタープランに沿った動きで改築された家も何軒かあります。そうはいってもコストがかかるのではという意見もありますが、可部の建築士さん、大手の建築会社さんにそれぞれ確認したところ、古民家を崩し更地にして新たに建築するのと、古民家を改築するのでは古民家のほうが安くつくというノウハウを持っておられます。
これからの動きは、まずは、このガイドラインを皆さんに承認してもらうこと、そして街並み作りの実行組織をつくり、街並みを保存しやすい制度づくり、交通問題の解決、来訪者にやさしい環境づくりを主としてやっていきたいと思います。

最終的な目的としては、落ち着いた街並みをまず作り、その街並みに惹かれて住みたい人が増える、人が増えれば商店が増える、そんなスパイラルアップをしながら住みやすい住宅地を目指していきたいというのが夢です。
以上で、可部夢街道まちづくりの会の活動の概略説明を終わります。

今から意見交換会に移ります。

空き家バンクについて

Bさん
空き家対策が一番の問題なのですが、その前に少し時間を頂いて、この可部の街並みについてお話します。
範囲は南北に延びる街道を挟んで東西に約80メーター弱、南北に1キロメーター弱です。1715年頃までは可部の町屋は屋根がほぼ藁ぶきで、鋳物工場から噴き出す火で火災が日常茶飯事でした。1739年には129軒、1745年には268軒が焼失し、街の大半を失っています。以後、可部に家を建てる場合は厳しい条件があり、屋根瓦は火に弱い赤瓦でなく黒瓦、作りは土蔵造り、家と家の間は半間空ける、防火用のうだつを設けることなどが決められており、全国でもまれにみる防火体制の整った街となっていました。非常に堅牢に作られていたので、100年たったいまでも姿をとどめていますが、当時約340所帯あった中で、残念なことに残ったのはわずか40軒弱です。これを40軒弱しかないと悲しむか、幸い40軒も残っていると喜ぶかということですが、我々は40軒を大事に保存していこうと思って進めています。
人が住まない家は破損の進行が激しく、折り目地区に7軒の空き家が存在しますが、殆ど危険な状態です。町の活性化を進める上で、重要なのが空き家の再利用です。空家の再利用の話はいままでもいろいろ出ていましたが、問題は家主との交渉です。空家を再利用すれば家の傷みの進行もゆるやかになるので、最初は相談に乗ってくれますが、乗ってくれるのはほとんど長老です。
この話が2代目3代目に渡りますと、貸したり売ったりするときに大変だということを考えるので、殆ど破談になります。この破談をいかにくいとめるかが問題です。今も可部の町並みに残る空き家の殆どが可部の貸家を持った商人の家です。そのため、生活には困りません。2,3代目は実家を離れ、隣人との付き合いが全くありません。長老だと向こう三軒両隣仲良くやっているのですが、代替わりすると駄目です。我々に信用がないことも理由の一つでしょう。
そのため、交渉の段階で、行政が仲人として入ってくれたら、話もスムーズに進むのではないかと思うのです。仲人ということだと結納が必要ということになり、結納はたとえば固定資産税を緩和するなど、できないことかもしれませんが、そういったことを市長さんと相談できればよいなと思います。

新改築相談所について

Cさん
私達はこのエリアの街並みを保存したいという思いから会合を重ね、ようやく夢街道ガイドラインが出来上がったところです。今後このエリア内で新築・改築される場合は、このガイドラインに沿って工事がなされるように皆さんの協力を仰ぎたいと願っています。
私は町内で一級建築士事務所を35年以上営んでおりますが、このエリアにお住まいの方が新築・増築をするときに気軽に相談できる窓口があればいいなと思います。ガイドラインの趣旨を説明し、理解いただいた上で家づくりを進めていくのがふさわしいと思います。これはあくまでもガイドラインなので、ひとつ協力してくれないかと説得し、納得いただいた上で進めていきたいと思います。

相談所の詳細は今後煮詰めていくことにしまして、相談所ができたときに、持ち込まれた案件に対する協議については、住民代表や、建築に関する有資格者が当然必要になるのではないかと思います。しかし、税制や民法など、各種法令に精通された行政のご協力を仰がないとスムーズに進まないのではと思いますので、そうなったらぜひお力添えをいただき、官民一体となって美しいまちづくりに取り組んでいきたいと思います。

相談所の運営に当たっては、有資格者は条件を定めて公募で決定し、公明正大に息の長い、軸足のぶれない街づくり活動を粛々と進めていく心構えが大切だと思っています。そこは我々が行うことですので、市にはあくまでも協力をお願いしたいということです。

新改築時の助成制度について

Dさん
会の活動を進めるに当たり、まず町民の方に旧街道を見ていただこうということで始まったのが「可部の町めぐり」です。昨年、第8回を実施しまして、参加者からは、可部に住んでいながら初めて街道をゆっくり歩いた、こんなところがあったのかという意見や、古民家風の家がいまだに点在して残っていていいねという意見がたくさんありました。

先ほどもお話にあったように、可部の旧街道は石見地方・出雲地方から広島に物資を運ぶための中継点となっていて、当時は可部に泊まって、翌朝広島へ物資を運ぶという時代が長く続き、それで栄えた街です。
時代の流れで、旧街道1本だった通りに国道54号ができ、バイパスができた。道路ができれば自然な流れで会社ができ、住宅ができた。それで衰退していって旧道も古民家がなくなり点在している状態です。しかし、このままほっておくといつかは今風の建物になりかわり、昔の面影がなくなるだろうという思いから、古い街並みをどうにか残していこうということで、旧家のような立派な家はそのまま維持管理して、一般的な古民家を改築されるときは、昔風に直していただくという形で会として話をしていこうと考えています。
ただ、古民家風にすると若干費用負担が大きくなるだろうということで、たとえば三次市では、古民家風にすると、かかった費用の一部補助が出るという話を聞いておりますので、可部の古民家を直す場合も、若干の補助を頂けるような助成金制度を市のほうに考えていただきたいなと思っています。ぜひともご検討いただきたいと考えています。

Aさん
旧街道が直角に折れているところにある古民家の保存についてですが、この家は江戸時代の雰囲気を留めています。これを、文化財の理解のある人に取得していただきたいと思っています。市長は、広島にも東京などにも幅広い人脈をお持ちだと思うので、できれば文化財に理解のあるお金持ちを紹介いただければと思っています。この家が無くなると、我々も街づくりの意欲がトーンダウンしてしまうので、よろしくお願いします。

「可部のまちめぐり」への安定した補助金の交付について

Eさん
「可部の町めぐり」は毎年1回、10月ごろ行われています。可部には、可部の街並み、花の散歩道、お寺など見どころがたくさんあります。また屋台やお茶席、酒屋での試飲、道端園芸などのイベントがたくさん行われ、文教女子大学附属高等学校や可部カラスの会、福王寺など、いろんな団体に協力してもらっています。現在はイベントも8回目になり、2,000名くらいのお客さんが来てくれるほどに成長しました。可部の町に元気と活気を与えています。
このイベント開催費が大体30万円ほどかかります。それは寄付と市の助成金で賄われていますが、助成金は不安定で、もらえないこともあります。それで、安定してまちめぐりを行えるように安定した助成金の交付をお願いしたいと思っています。

Fさん
私は「可部の町めぐり」のイベントの会計をしています。寄付金については、お医者さんをたずねて援助をお願いしています。これがだいたい12口くらいで、断られることも多いのです。あとは企業さんがたまに4口位、また、町内の人などが2~3,000円位です。集まったお金が何に使われるかというと、一つはチラシ印刷代、それから前回は尾道のシャボン玉屋さんに来てもらったのですが、そういった方への謝礼、これで集めたお金は殆どなくなります。そうした中、区役所の援助が減ってきたり、無くなったりすると、他にも雑費などいろいろ必要なので、「可部の町めぐり」がどこまでできるか会計としては心配になってきます。また、この景気ですので、企業さんもお金を控える傾向にあり、会計としてはぜひとも安定した助成金をお願いしたいということです。

来訪者にやさしい環境の整備について

Gさん
最近の中高年の男女の楽しみは登山と史跡巡りだと思います。そんな方からいただく意見として史跡や神社や古民家に解説板がないと、どういう建物か、どういう歴史があるのか読み取れなく残念だという声があります。
我々は「可部の町めぐり」のイベントの度に木の三角の板で作った簡単な案内板を20か所の寺などに設置して、終わったらまた納めて翌年に備えています。これだとイベントの時以外に来られる観光の方に申し訳ないので、できれば固定した銅板やステンレスなど雨風に強いものができればいいなと思います。

銅板の文章や設置場所についてはガイドラインに沿って、安佐北区役所の方と一緒に考えていきたいと思っていますが、イベントのときに一緒に史跡ガイドしてもらっている文教女子大学の学生さんや県立広島可部高校の方にも入っていただいて、若い人の知恵と行動力をお借りしたいと思います。

最後にもう一つ、情報発信についてですが、2・3か月に1回公民館で発行される機関紙を、年に1,2回は、亀山・三入・可部の公民館で合同で発行して、地域の24,000世帯全体に対して可部の歴史やイベントの情報発信をしていただければ、もっと親近感が持てるのではないかと思います、決してお金のかかるものではありません。検討のほどよろしくお願いいたします。

市長
皆さんの思いが強いことがよく分かりました。一番簡単にすぐ答えられるのが、皆さんがされた取組について、文章を書いたり、知恵を出したりする職員の投入ですね。区長さんの権限で、その連携は今までもやっていたと思いますが、今まで以上にしっかり相談していただいて、しっかり使ってもらうことは大いに結構です。
それと、私自身は、今日言っていただいたことについて、それぞれどういうふうに展開していくかを、もう少し掘り下げて考えていけばどうかと思っています。

これまで、柔らかい取り決めとして、ルールを作り、納得づくでみんなの意志を確認しながら極めて合理的にやってこられたことも分かりました。
そこまできたものをこれから5年、10年、20年と続けていくために、もっと先のことを考えてもらったらいいなと思います。自分たちの後継者は居るのかということを考えながら、続けていくためのシステムをもうちょっと掘り下げて考えていかなければならない時期になっていると思います。

行政としてどこまでできるか分かりませんが、イギリスなどの知恵はもう少し進んでいます。個人に頼らずに、ナショナルトラストです。個人の資産を、トラスト、信託という意味ですけれども、一つの法人をみんなで作りそこに出す。人間は死ぬが法人は残ります。そこで集中管理するようにしていく。街並みも含めて全国展開しているんですが、これも、まず、小さなエリアから始まって、それがイギリス全土に普及していったんですよ。
地域でみんなが資産を出し合って、とにかく維持管理を頼むという形で法人を作って、共通ルールを作った上で、ちょっとずつ入場料をとり収益を上げるんです。お土産を作って販売したり、地域の人が販売手数料をもらうなど、恒常的な需要を起こすしかけをつくり永続化することを考えないといけない。皆さんは行政は永続しているから行政からお金をもらえばよいと考えているかもしれませんが、これからの行政は、以前ほどお上と言えなくなってきます。今後は官民一体でなく、民官一体になる。官が先ではありません。100人のうち80人、90人がうんといえるような時代とか、皆が同じようなことを考える時代だと、大きい政府を作っても、大きい市を作っても、だれも文句は言いません。多くても4割とか5割の人しかうんと言わない時代になってきたから、小さい政府にしろと、役人はたくさんいないほうがいいというのが通り相場になっています。そうすると、みんなから徴収したお金を、4割や5割の人しか支持されてないことに注ぎ込み続けるというのは、不公平感が残る。だからいろんな補助金や助成金は、期間を区切ってなるべく広く薄くということになっています。
そういう時代の流れであることをもう一度頭に入れて、今ある資産を集中的に管理するしかけを作り、それを立ち上げる時に行政に支援してもらうということを考える必要があります。

例えば、最近、バス・電車などの停留所に看板付きの上屋を見ることがあると思いますが、あれは行政がつくっているのではありません。民間でスポンサーから宣伝料を取って維持しているものです。そんなことも頭に入れながら、皆さんから提案されたことについて、いろんな意味で協力させてもらいます。
柳井市で聞いた話ですが、街並みをきれいにするために、私有財産に行政がお金を出すのはおかしいじゃないかという意見に対して、建物全体でなく表の一部をきれいにするのは個人のためでなく、ここにくる皆のために街全体をきれいにするものなのだから問題ないのだという理屈にしているということです。そういう仕掛けの中で、皆さんを支援するという知恵を行政も出していきます。
皆さんよくやっているんですけど、もっともっと知恵を出していただければと思います。案内看板にしても、長持ちするのが良いといいますけれども、実は木のほうがいいかもしれない。若い人に定期的に書き換えてもらうことで事業に継続性を持たせることもできます。伊勢神宮など20年ごとに遷宮しますが、神様がなぜ住みかえなければいけないのかと思うでしょう。あれは技術の継承と金集めの動機付けを永続的に行うすごいシステムです。それくらい継続させるためにどうすればいいかシステムを考えていかなければならないと思います。

Hさん
旧道沿いに住んでいる方の声として、車が多く安心して道を歩けないということを耳にします。この車の数をなんとかできないものかと思っています。また、「可部のまちめぐり」のときには、毎年1,000名を超える方が来られますが、車と通行者の間でトラブルが発生して、もう来ませんという声もあります。なんとかゆっくり可部の町を散策してほしいということで、一方通行にできないか、安佐北署にも相談するわけですが、旧道以外に迂回する道がないため警察もなかなか一方通行にできないという答えをいただきました。
現在、国道54号から寺山の可部高校の入口前までは新しい道路ができています。もう一つは高陽方面から来た車は安佐市民病院のところまで大きい道ができました。その間の病院から可部高校までは道がありません。そこにつながる道ができれば、旧道を通る車も少しは減るのではないかと思います。
できるだけ早く可部高校と病院までの間がつながれば、商店の前には駐車スペースをつくり買い物をしやすくしたり、スピードを出せない凸凹道にするといったことができるのではと思っています。

市長
ご要望の趣旨は良く分かります。可部高校前の道も、安佐市民病院前の道も公共交通政策としてしっかりやらなければなりません。問題はここの街の中を通る道について、本当に遮断してしまっていいのかということです。
街の発達ということから考えると、街というのは、そこに居住する人以外のための利便を提供するから栄えるものです。その地域の人にしか利益をもたらさないような構造にすると、その街はもっと衰えます。「可部の町めぐり」のイベントのために、一年中、普段の道を通れないようにすると、がらんとした道になります。そこで商売をする人にとっては、活気のない道になってしまいます。そんなふうにならないでしょうか。これは本当に大決断になります。
私としては、遮断するのではなく速度を落とさせるための工夫を考えた方がいいと思います。通りたい人には通ってもらって、住んでる方と通過する方の調和を取りながら、街の人も横断しやすく、そこそこ通りやすい方法を考えてみましたということで警察に提案すればいいと思います。もちろん我々行政も一緒に考えます。

安佐市民病院のところについては、病院の建替問題があるので、それとワンセットで街並みをきちんと考えなければならないと思っています。病院を他に移して、跡地を地域で有効活用することも含め、もっと多面的にみんなと議論し、今までのことに縛られず、地域全体をよくすることを考えていきたいと思っています。

Aさん
もう一つは、イベントのときに駐車場がないという課題があります。

市長
それについては、根の谷川の河川敷のところで、文教女子大学などが駐車場として利用していると聞いており、工夫してできる可能性がありますので、また、協議させてください。

いろいろ聞かせていただきましたが、取組を継続させる仕組みを作ることが重要です。必ずうまく行きます。そこにうまく行政をつなげることだと思います。今日はありがとうございました。

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