武田山の歴史を知る 銀山城史略年表

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ページ番号1007521  更新日 2025年2月16日

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西暦(年) 年号(年) 銀山城史 日本史
1185年 文治元年   鎌倉時代
1221年 承久3年 武田信光が承久の戦功により安芸の守護に任ぜられた 承久の変
1274年 文永11年 武田信時が執権時宗から、安芸国に行き、元軍に備えるよう命ぜられた 元寇
1333年 元弘3年   鎌倉幕府ほろぶ
建武の新政
1335年 建武2年 武田信武が尊氏方につき、矢野城を破り京都に入った 足利尊氏がそむく
南北朝時代
1350年 正平5年
観応元年
武田氏信が南朝方のこもる寺原城、与谷城を攻めた  
1392年 元中9年
明徳3年
  南北朝合一 室町時代
1440年 永亨12年 一色氏を討った功により、武田氏は若狭国の守護に任ぜられた 将軍義教が一色義貫を討った
1441年 嘉吉元年 武田信賢が播磨で赤松氏と戦った
このころ武田氏と厳島の佐伯氏が争う
嘉吉の変
1459年 長禄3年 このころ竜原十二坊が建立されたという  
1467年 応仁元年 武田信賢、国信、元綱らが東軍(細川方)に加わった 応仁の乱
戦国時代
1491年 延徳3年 武田信繁が六角氏討伐に参加した 将軍義植と六角氏が争った
1516年 永正13年 武田元繁が安芸七郡の探題に任ぜられた (戦国大名)
北条早雲、武田信虎
1517年 永正14年 武田元繁が毛利元就と戦い、敗れた 今川氏親、毛利元就
1524年 大永4年 大内義興が銀山城を囲んだ  
1528年 亨禄元年 大内義隆が銀山城を囲んだ 今川義元、大内義隆
1533年 天文2年 武田光和が熊谷氏と争った  
1540年 天文9年 武田信実が尼子経久と共に毛利氏と戦った 武田信玄
1541年 天文10年 大内、毛利勢のため銀山城が落城し武田氏が滅びた
大内義隆が銀山城に城番を置いた
上杉謙信、織田信長
1543年 天文12年   鉄砲、キリスト教が伝わった
1555年 弘治元年 毛利元就が銀山城に城番を置いた 川中島の戦
厳島合戦
1568年 永禄11年   織田信長が京都に入った
1591年 天正19年 広島城がほぼ完成した  

参考文献:祇園町誌

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