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広島市の姉妹都市 ハノーバー市(ドイツ連邦共和国)

ページ番号:0000010311 更新日:2019年10月21日更新 印刷ページ表示

ハノーバー市庁舎

姉妹都市提携年月日

 昭和58年(1983年)6月27日(広島市議会承認の日)

基礎データ

  • 人口 約52万人
  • 面積 約204平方キロメートル(広島市の約0.2倍)
  • 位置 ドイツの北部ニ-ダ-ザクセン州 ベルリンの西約250キロメートルに位置
  • 気候 緯度は北海道より高いが、暖流のため比較的温暖。

プロフィール

 ハノーバー市はニーダーザクセン州の州都で、周辺20市町村を加えた大都市圏の人口は約106万人です。18世紀に英国国王も兼ねたハノーバー王家の王宮庭園が残る優雅な街です。第二次世界大戦中、88回もの空襲を受け、都市の60%が破壊されました。しかしながら、戦後、中世からの伝統がある優れた都市計画のもとで、再び「緑の中の大都市」と呼ばれるドイツで12番目の街に成長しました。
(写真上: ハノーバー市庁舎)

 現在、州都として政治、経済の中心であるばかりでなく、地理的特性を生かして道路、鉄道交通の要衝としての役割を果たしています。博物館、美術館、劇場、ギャラリーなど数多くの施設を有する文化の中心地でもあります。産業は、自動車、航空機、電気機械、化学製品等の製造業が盛んで、世界最大級のメッセ(見本市)会場を有し、「工業製品の世界のショーウインドー」とも呼ばれています。2000年には、ドイツで初のエキスポ(国際博覧会)が開催されました。

提携の動機・経緯

 昭和43年(1968年)、日独文化協定に基づく青少年交流日本代表団として、広島国際青少年協会総主事が広島市の大学生2人を含む若者130人を連れてハノーバーを訪問しました。これがきっかけとなって青少年の相互訪問が始まり、この青少年交流の積み重ねが、後の姉妹都市提携への契機となりました。昭和47年(1972年)に広島市長が初めてハノーバーを訪問し、行政間でも人的交流が進んでいきました。

 こうした民間と行政の交流を通じて両市の友好関係が培われていき、提携への機運が熟してきました。昭和58年(1983年)5月27日、広島市長と市議会代表がハノーバー市において姉妹都市提携協定書に調印しました。協定書には、「両市及びその市民は、それぞれの歴史の中で戦争の惨禍を体験し、今や両国の代表的都市として蘇った事実に鑑み、・・・世界平和の確立に向けて、ともに献身する必要性を認識し、今後一層、相互の尊敬、信頼及び理解を増進するため、広い分野で相互の交流の促進を図」っていくことが謳われています。

交流の経過

2015年ハノーバー市長に広島市特別名誉市民称号を贈呈

 青少年交流団体による相互訪問事業は現在も継続しており、両市の交流の柱となっているほか、茶道交流も活発に行われています。このほか、相互の庭園整備(「ハノーバー庭園」と「日本庭園(茶庭)」)、ハノーバー消費財見本市への広島企業の出展、スポーツ交流団の相互訪問、親善の翼・市民訪問団の派遣、「'89海と島の博覧会ひろしま」へのハノーバー・ビアテントの出展、写真家グループによる合同展の開催などの交流を重ねてきました。

 学術交流の分野では、平成9年(1997年)に、広島市立大学とハノーバー専科大学が協定を締結し、相互に教員や学生の受入れ・派遣を行っています。

 ハノーバー市は平和の推進にも大変積極的で、平成12年(2000年)に平和首長会議理事会が、副会長都市でもあるハノーバー市において開催されたほか、平成27年(2015年)には平和首長会議のリーダー都市に就任しました。また、毎年8月6日にはハノーバー市エギディエン教会で平和記念式典が開催されています。

 平成25年(2013年)、両市の姉妹都市提携は30周年を迎え、本市から代表団と市民訪問団がハノーバー市を訪問し、記念式典等へ出席しました。また、芸術団はサマーフェスティバルに参加し、茶道や書道を紹介しました。一方、ハノーバー市からは、代表団が来広し、「ハノーバーの日」記念イベントに参加し、平和記念式典に参列しました。また、市民訪問団が来広した際には茶道の体験や広島日独協会との交流をしました。

さらに、平成27年(2015年)、ハノーバー市長が来広し、被爆70周年の平和記念式典に参列しました。(写真下: 2015年ハノーバー市長に広島市特別名誉市民称号を贈呈)
 こうして幅広い分野で、様々な民間の団体やグループと行政がそれぞれバランスよく交流を進めています。

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