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G7広島サミットの開催を契機に、城下町から発展した被爆前の広島、原爆による廃墟の中から立ち上がり復興した広島、平和記念都市として被爆の実相を伝え平和を訴える広島の姿と歩みを、街の変化と人々の暮らしに焦点を当て、写真や絵図などから振り返ります。
※広島市公文書館Web展示会では、合人社ウェンディひと・まちプラザ(広島市まちづくり市民交流プラザ)での展示会(開催期間:令和5年5月16日(火曜日)から21日(日曜日)まで)の展示内容をご覧いただけます。
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広島城は天正17年(1589年)に毛利輝元(もうりてるもと)が築城を始め、江戸時代は藩主の居所、藩政の中心であった。天守閣は昭和6年(1931年)に国宝に指定され、名所として市民に親しまれた。昭和20年(1945年)の原爆投下により倒壊した。
昭和10年代(1935年~1944年)頃撮影/広島市公文書館所蔵
中央右端に写っているのは京口御門櫓台(きょうぐちごもんやぐらだい)。毛利氏の時代に京都との往来に使用した門だったため「京口門」の名がついたといわれている。
広島城の外堀は明治以降埋め立てられ道路や宅地となった。ここも後に白島線の電車通り(現在はバス通り)となった。
明治末期(1900年代後半~1912年)撮影/絵葉書/広島市公文書館所蔵
城下を東西に延びる外堀は埋め立てられ、大正元年(1912年)に路面電車の軌道が敷設された。路面電車は同年11月から運行を開始した。
電車の背景に見える石垣が外堀のもの。手前の電車は「御幸橋」行きで、紙屋町交差点を南に曲がったところ。
大正元年(1912年)撮影/絵葉書/広島市公文書館所蔵
浅野泉邸は、元和6年(1620年)に作られた藩主浅野家の別邸。庭園は縮景園と呼ばれ、当時の家老で茶人の上田宗箇が築造した。昭和15年(1940年)に浅野家から広島県に寄付され、一般に開放された。国の名勝。
昭和20年(1945年)の原爆により樹木や建物は焼け、大きな被害を受けた。昭和24年(1949年)から復旧が始められ昭和26年(1951年)に開園した。
大正期(1912年~1926年)撮影/絵葉書/広島市公文書館所蔵
昭和2年(1927年)に架けられた広島市内で最も古い鋼橋。左奥には二葉山が見える。
昭和2年(1927年)8月/田部俊一撮影/個人蔵
徳川家康を祀る神社。二代藩主光晟(みつあきら)が慶安元年(1648年)に造営した。昭和20年(1945年)、原爆により本殿・拝殿は焼失したが、唐門・翼廊は残った。
石段前の参道には桜が植えられており、「桜の馬場」と呼ばれる桜の名所だった。
大正13年(1924年)頃撮影/『広島市史 社寺誌』(大正13年(1924年) 広島市発行)より/広島市公文書館所蔵
真言宗の寺院。毛利輝元の生母妙寿院の菩提寺であったが、長州に移封後、福島正則が明星院と改めた。広島城の鬼門(東北)に位置するため、江戸時代は城の守護・祈祷所であった。右側に写っている建物は本殿。
堂宇は原爆によりすべて焼失。
大正期発行/絵葉書/広島市公文書館所蔵
浅野長政追悼のため9代藩主斉粛(なりたか)が建立した神社。天保6年(1835年)に造営された。中央にある二の鳥居の手前には藩士が献納した24基の石灯籠が写っている。原爆により社殿などはすべて焼失した。
昭和戦前(1920年代後半~1945年)撮影/絵葉書/広島市公文書館所蔵
大正2年(1913年)、旧藩主浅野家所蔵の書画、武具や茶器などを展示する美術館「観古館」が浅野泉邸内に建てられた。昭和15年(1940年)、浅野泉邸とともに浅野家から広島県へ寄付され、一般にも公開された。
原爆により焼失。跡地のすぐ近くに、現在広島県立美術館がある。
大正期(1912年~1926年)撮影/絵葉書/広島市公文書館所蔵
大正15年(1926年)5月、旧藩主浅野家が小町(現中区)に建てた図書館。浅野家が所蔵していた約3万7,000冊の図書をもとに、主に郷土に関する図書や記録を収蔵していた。昭和6年(1931年)に広島市に寄贈されたが、原爆により建物の外郭を残して焼失。疎開していて焼失をまぬがれた貴重図書の一部は、現在の広島市立中央図書館に受け継がれた。
大正15年(1926年)撮影/新築落成記念絵葉書/広島市立中央図書館所蔵
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新築落成記念(浅野図書館) 広島市立中央図書館/広島市立中央図書館貴重資料アーカイブ
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高等師範学校は、中等学校(旧制中学・高等女学校など)の教師を養成するための学校。明治35年(1902年)、東京の高等師範学校に続く2番目の高等師範学校として開校した。広島市内にできた最初の高等教育機関。
大正15年(1926年)頃撮影/『広島県写真帖』(大正15年(1926年) 広島県発行)より/広島市公文書館所蔵
「丁未音楽会」は明治40年(1907年)に広島高等師範学校教授吉田信太によって結成された同校の音楽団体。自ら演奏会を行うほか、東京から一流の奏者を招いて演奏会を開催するなど、広島における西洋音楽の普及と向上に大きな役割を果たした。
明治40年~昭和20年(1907年~1945年)/写真/広島市公文書館所蔵
広島文理科大学は昭和4年(1929年)、広島高等師範学校を母体に設置された。戦後、この大学を母体に広島大学が開校した。写真は鉄筋コンクリート造3階建ての本館。原爆により外郭を残して全焼したが修繕され、平成3年(1991年)までは広島大学の理学部一号館として使用された。
昭和10年(1935年)頃撮影/絵葉書/広島市公文書館所蔵
ヤン・レツルの設計により建築され、大正4年(1915年)、広島県物産陳列館として完成した。大正10年(1921年)に商品陳列所、昭和8年(1933年)には産業奨励館と改称した。物産の展示販売のほか、美術展や博覧会の会場としても使用された。
昭和5年(1930年)頃撮影/広島市公文書館所蔵
大正10年(1921年)撮影/「第4回全国菓子飴大品評会写真帖」より/広島市公文書館所蔵
昭和7年~19年(1932年~1944年)頃/大木茂撮影/広島市公文書館所蔵
大正15年(1926年)に完成した元安橋を東詰の横町(現中区大手町)から撮影したもの。橋の対岸は中島本町(現中区中島町)。
中島本町は明治以降も商店や映画館等が立ち並ぶ繁華街だったが、被爆により壊滅的な被害を受けた。現在その全域が平和記念公園となっている。
大正15年(1926年)頃撮影/絵葉書/広島市公文書館所蔵
昭和7年(1932年)に完成した軌道併用の相生橋を本川西詰めから撮影したもの。中央の白い建物は日赤広島支部、右端は広島県産業奨励館。
昭和14年(1939年)頃撮影/絵葉書/広島市公文書館所蔵
広島本通りは西国街道の一部として16世紀末以降栄えた地区で、明治以降も中心的な繁華街の一つだった。大正14年(1925年)には電気の鈴蘭灯が据え付けられ、コンクリート造りの金融機関や小規模な洋風建築も建設されていたが、多くは江戸時代以来の町屋建築が並んでいた。
昭和10年(1935年)頃撮影/広島市公文書館所蔵
右側の8階建ての建物は昭和13年(1938年)に開店した福屋百貨店新館。その奥の塔がある建物は中国新聞社本社。電車通りを挟んだ左側の建物は、昭和4年(1929年)広島初のデパートとして開店した福屋百貨店旧館。
昭和15年(1940年)撮影/絵葉書/広島市公文書館所蔵
本通りと金座街が交わるあたりの夜景。金座街には鈴蘭灯が灯っている。
昭和初期(1920年代後半から1930年代前半)頃撮影/広島市公文書館所蔵
新天地は、大正10年(1921年)に堀川町に誕生した娯楽場。昭和2年(1927年)には東に進展し、東新天地となり東西2か所となった。劇場・芝居小屋・活動写真館(映画館)、飲食店等が集まる盛り場だった。中央に見えるのは映画館「泰平館」、手前左手は芝居小屋「新天座」。
昭和戦前(1920年代後半~1945年)撮影/広島市公文書館所蔵
右側の建物が広島駅。左側は郵便局。駅前には人力車や自動車が停まり、軍人が列をなしている。
大正11年~昭和初期(1922年~1930年代)撮影/絵葉書/広島市公文書館所蔵
広島はスポーツが盛んで、特に野球では昭和5年(1930年)、県立広島商業学校が前年に続き夏の全国中等学校野球大会で優勝した。広島駅前では多くの市民が凱旋する生徒を出迎えた。
昭和5年(1930年)撮影/広島市公文書館所蔵
■ 広島市立中央図書館会場
開催期間 令和5年(2023年)4月19日(水曜日)から5月28日(日曜日)まで
■ 合人社ウェンディひと・まちプラザ(広島市まちづくり市民交流プラザ)会場
開催期間 令和5年(2023年)5月16日(火曜日)から5月21日(日曜日)まで
■ 広島市公文書館Web展示会
掲載開始 令和5年(2023年)4月19日(水曜日)から👉 展示会の詳細についてはこちら
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