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サッカースタジアム開設記念「Peace Park Project」

ページ番号:0000371052 更新日:2024年2月19日更新 印刷ページ表示

 令和6年(2024年)2月1日、ファン待望のサッカースタジアム「エディオンピースウイング広島」がオープンしました。

 スタジアムは広島の街中、中区基町の中央公園に開設されました。実は戦後間もない時期の復興計画の中にも、この場所にスタジアムを建設する構想があったのです。

Peace Park ProjectPeace Park Project 昭和25年5月25日作成(推定)

 昭和24年(1949年)に広島市が実施した平和記念公園等の設計競技(コンペ)で1等に選ばれた丹下健三グループには、平和公園だけでなく、百メートル道路から現在の中央公園、市営基町高層アパートの敷地を含む広い範囲を対象とした公園のデザインが託されました。

 そこには、ゆったりと広がる芝生に児童図書館や美術館、児童センターなどの文化施設、プールやバレーコートなどのスポーツ施設が点在する理想都市が描かれていました。

 広島城の南側に「Football Field」、そして、原爆慰霊碑から北へ伸びる軸線上にスタジアムが設定されています。

 

 

 

 

Peace City HiroshimaPeace City Hiroshima図面

Peace City Hiroshima 昭和25年作成

 これは広島平和記念都市計画の内容を説明する海外向けパンフレット。このパンフレットは、昭和25年(1950年)6~8月、浜井信三市長が広島の惨状と平和を訴えるためヨーロッパやアメリカの各都市に出張した際に制作されたと考えられ、「Peace Park Project」と同様の構想が掲載されています。

全ページご覧になりたい方はこちら Peace City Hiroshima [PDFファイル/2.49MB]

丹下書簡丹下書簡綴より「丹下健三発 藤本千万太宛 昭和25年9月14日」

 都市の復興を進める中で、世界平和をけん引する都市たろうとする理想を込めた大「平和記念公園」構想。
 丹下と当時の市担当者藤本千万太はその実現に向けて何度も書簡を交わしています。「広島市が世界的な平和の殿堂をもつ日も近いわけですが、それも市長さん、藤本さん、方々の永い間の御尽力のことと、お慶び申し上げます。小生等もご期待に沿うべく大いに張り切っております。今后も世界状勢や国内事情からも幾多の困難が予想されますが、大いに頑張りましょう」と、その理想の実現に向ける思いがつづられています。

 

 

 

 

 現在の広島の景観の根底にその理想は息づいています。75年もの長い年月を経て運命づけられた場所に完成したスタジアム。「恒久平和と、夢や希望をもって明るい未来へはばたく」との願いを込めて「ピースウイング」と名付けられました。サッカーに興ずるそのひと時も、平和な日常であることを思いながら、スタジアムに足を運んでみませんか。

※これらの資料は広島市公文書館の所蔵資料です。より詳しく知りたい方は、「広島市公文書館紀要第27号」へ。また、大「平和記念公園」構想については、『広島市被爆70年史 -あの日までそして、あの日から 1945年8月6日-』をご覧ください。

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