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広報紙「ひろしま市民と市政」

広島市ホームページ令和3年7月15日号トップページ特集3.撤去か保存か

原爆ドーム世界遺産登録25周年
世界の平和記念碑 原爆ドームの軌跡

3.撤去か保存か

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被爆から10年後の8月6日(昭和30年)

  復興が進むにつれて、修学旅行生や外国からの観光客も訪れるようになり、被爆当時の姿をとどめる原爆ドームは、原爆の被害を伝える象徴として注目を集めていきます。

 昭和24年に平和記念公園を設計した丹下健三氏は、二度と人類が原爆を使用しないために、シンボルとして残すべきと考え、100メートル道路(平和大通り)から陳列館(現平和記念資料館本館)、慰霊碑を通した直線上の正面に原爆ドームを望めるように設計したと語っています。その一方で、倒壊の危険性や保存にかかる経費、悲惨な記憶を思い出させることなどから撤去を望む声もあり、長らく結論を出せずにいました。

 そうした中、1歳で被爆し16歳で急性白血病で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんが残した日記に、「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、恐るべき原爆を後世に訴えてくれるだろう」(要旨)と記されていたのをきっかけに、広島折鶴の会による保存署名運動が始まりました。保存を求める声が高まっていく中、昭和40年に原爆ドームの強度調査が実施され、保存は可能との結論が出されました。

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浜井市長の案内で原爆ドームを見学するシアトル市長夫妻。
当時はすぐ近くまで入って見学することができた(昭和26年)

※以上の掲載写真は公文書館所蔵です

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昭和30年の平和記念式典。原爆死没者慰霊碑の背後にまだ
数軒のバラックが残る(明田弘司(あけだこうし)氏撮影)


◆問い合わせ先:世界遺産への登録・募金運動については、平和推進課(電話242-7831、ファクス242-7452)、保存工事については、公園整備課(電話504-2393、ファクス504-2391)

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