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広報紙「ひろしま市民と市政」

広島市ホームページ令和3年7月15日号トップページ特集2.産業奨励館から原爆ドームへ

原爆ドーム世界遺産登録25周年
世界の平和記念碑 原爆ドームの軌跡

2.産業奨励館から原爆ドームへ

 その後、産業奨励館は、広島産品の販路拡大を目指し、大連・ハルビン・天津・上海などに事務所を置き、海外輸出の窓口となっていきました。
 
 しかし、国家総動員法などで貿易統制が強化されるようになると、広島以外の事務所は閉鎖、館内の催しも聖戦美術展覧会など戦時色の強いものになっていきます。業務は次第に縮小され、昭和19年3月に廃止に至ります。その後は、内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材株式会社などの事務所として使用されました。

 昭和20年8月6日、原子爆弾が産業奨励館の約160m南東の上空600mで炸裂(さくれつ)しました。館は大破・全焼し、建物の中にいた職員は全員即死したといわれています。しかし、爆風を上方からほぼ垂直に受けたため、壁の厚い建物の中心部は倒壊を免れ、昭和20年代後半には「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。

写真
昭和20年11月に米軍により撮影された原爆ドーム(平和記念資料館提供)

* 昭和13年に制定。これにより、 戦時における人的、物的資源の統制、運用が議会の承認を受けずに行うことができるようになった


◆問い合わせ先:世界遺産への登録・募金運動については、平和推進課(電話242-7831、ファクス242-7452)、保存工事については、公園整備課(電話504-2393、ファクス504-2391)

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