特集/名前を残し、平和をつなぐ 原爆死没者名簿の記帳

 原爆で亡くなった人の名前を記し、慰霊碑に奉納する「原爆死没者名簿」。今年、公募で選ばれた14人が名簿の記帳に加わります。

原爆死没者名簿の写真

原爆死没者名簿とは

 広島に投下された原子爆弾により死没した人やその後に死没した人の霊を慰め、人類の恒久平和を祈念するため、死没した人の氏名・死没年月日・死没時年齢を登載しています。昭和27(1952)年に記帳を開始し、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に奉納しており、名簿冊数は令和7年8月6日時点で130冊(「氏名不詳者多数」と記した名簿1冊を含む)、登載者数は34万9246人

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記帳者の事前研修(5月20日水曜日)1.原爆死没者慰霊碑への黙とうと2.風通しの見学、3.被爆体験講話の聴講、4.平和記念資料館、5.追悼平和祈念館、6.原爆供養塔、爆心地の7.島病院跡の見学

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風通しの日に慰霊碑から取り出される原爆死没者名簿。1冊当たりの人数が固定ではなかった時代があったため厚さはさまざま。現在は1冊に2,500人記載

風通しの動画を市公式YouTube(ユーチューブ)チャンネルで配信しています

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新たに16~70歳の14人

 6月7日日曜日、原爆死没者名簿に、昨年8月6日以降に申し出があった原爆死没者の名前を書き加える「記帳」が本格的に始まりました。今年から新たに携わるのは、公募により選ばれた16歳から70歳の14人です。昨年まで25年続けてきた中本信子さんと昨年初めて担当した大川純子さんの二人も指導役を兼ねて名簿に向き合います。

「特技を生かして」「いまできること」

 これまで名簿の記帳は、市職員や市が依頼した被爆者が行ってきましたが、被爆者の高齢化などを背景に、今年初めて公募を行いました。186人の応募があり、小筆の実技や面接などを経て14人が新たな記帳者に決まりました。

 最年少16歳、高校1年生の福地芽依さんは、選ばれた時は中学生。曽祖父が被爆者で、これまで平和記念公園で観光ボランティアを続けてきました。「名簿はその方々の存在を未来へつなぐ大切なもの。八段を持つ習字で一文字一文字に思いを込め、追悼と平和への願いを心に刻みながら臨みたい」と力を込めます。寺尾一弘さんは、昨秋、被爆者だった父親を亡くしました。「いま自分にできることは何かと思っていた時に見つけたのが記帳者公募の記事。平和を祈り続けた父の意志をこの筆に込めたい」と決意を語ります。

 今年、名簿に追加されるのは3,806人(6月末時点)。記帳者16人は、8月5日までの数日間、市役所で筆を握ります。名簿は8月6日の平和記念式典で、原爆死没者慰霊碑に奉納されます。

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昨年の式典での奉納

名簿を守り、悼む思いを新たに

 名簿全てを慰霊碑から取り出し、ページをめくりながら風を通す行事「風通し」が行われた5月20日水曜日。初夏の日差しが降り注ぐ平和記念公園で、静かにページがめくられていきます。1ページずつ開いて風を通し異常がないか確かめる作業は、名簿を守るための点検であると同時に、亡くなった人を悼む思いを新たにする時間でもあります。

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継承される名簿を間近に

 今年の記帳開始を前に、記帳者の研修として、風通しの見学のほか、平和記念資料館や追悼平和祈念館の見学、被爆体験講話の聴講などが行われました。

 研修を終えた金坂良枝さんは「証言を直接聞くのは初めて。情景が浮かび、心に響いた。風通しを目の前で見て、自分が書く文字が後世に残るのだと思うと強い責任を感じる」と話しました。

記帳が始まったのは被爆7年後

 この記帳は、いつ始まったのでしょうか。

 昭和26(1951)年、市は、原爆死没者の霊を慰めるため、平和記念公園内に慰霊碑を建立し、名簿を奉納することとしました。名簿作成のため、国内全域にわたる調査を実施。翌年7月、市内の女子短期大学生20人により記帳が行われ、5万7902人の名前が記された15冊の名簿が完成しました。8月6日、慰霊碑が除幕され、碑内の奉納箱に納められました。

昭和27年の平和記念式典で奉納された名簿をのぞき込む参列者

昭和27年の平和記念式典で奉納された名簿をのぞき込む参列者(広島市公文書館所蔵)

約6万人の名を20人で記帳

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 佐伯区に住む伊藤恒子(いとう つねこ)さん(92・上写真)は、昭和27年の記帳に携わった一人です。74年後の後輩たちを激励しようと、記帳の場を訪れました。

 県北の比和町(現庄原市)で生まれ育った伊藤さんは、81年前の米軍による原爆投下時は国民学校6年生。「教員だった兄が8月5日から広島を訪れていて。大やけどを負い、必死で看病しました」。

 20人で約6万人の氏名を書き上げた当時は、広島女子短大(現県立広島大)国文科の1年生。教授から声を掛けられ、夏休みに市役所の会議室で名簿に向き合いました。「二度と戦争は起こしちゃいけないと誓いながらお名前を書きました」と振り返ります。感覚として覚えているのは部屋の静けさとのこと。「暑いねとかの私語も一切なかった。それほど一生懸命だったんでしょうね」。

 伊藤さんは新たな記帳者14人に語りかけます。「どうか皆さん、いつまでも書き継いで平和のバトンを次につないでください」。

「氏名不詳者多数」の1冊

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 名簿の中には、「氏名不詳者多数」とだけ書かれた(上写真)1冊があります。

 平成18(2006)年、氏名が分からないままの人々を追悼するために奉納されました。七文字を書いたのは、30年以上記帳に携わり、令和6(2024)年に亡くなった池亀和子(いけがめ かずこ)さんです。長らく、池亀さんと二人で記帳をしてきた中本さんは「毎年、使命感を持って丁寧に書かれていた」と回想します。

 名前すら分からないままの人々がいることを、私たちは忘れてはなりません。

小筆を手に一文字ずつ

 記帳者たちは、歴史や思いを受け止めながら机に向かいます。一文字一文字に込めるのは、亡くなった人々への追悼と、平和への願い。静かに書き記されるその名前は、これからも未来へと受け継がれていきます。

 心を込めて名前を書く。平和を願う心を伝え続けます、と語りかける。

記帳者の集合写真

記帳者の、後列左から三井野々香(みつい ののか)さん(18)、小林倫子(こばやし のりこ)さん(44)、末友由香(すえとも ゆか)さん(61)、清川優香(きよかわ ゆうか)さん(59)、寺尾一弘(てらお かずひろ)さん(59)、増井直(ますい あたえ)さん(46)、林友紀(はやし ゆき)さん(51)、中列左から寺升久子(てらます ひさこ)さん(70)、金坂良枝(かねさか よしえ)さん(51)、戝間悠理(ざいま ゆうり)さん(19)、林沙羅(はやし さら)さん(16)、石丸陽菜(いしまる ひな)さん(17)、福地芽依(ふくち めい)さん(16)、佐伯靖子(さいき やすこ)さん(61)、前列左から中本信子(なかもと のぶこ)さん(84)、大川純子(おおかわ じゅんこ)さん(84)

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6月7日日曜日、新たな記帳者14人が集合し、全員による記帳が始まった

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「皆さん、一緒に頑張りましょう」と先輩記帳者の中本さん(左)と大川さん(中央)。温かな笑顔に皆の肩の力がほぐれる。この後、名簿に向かいそっと手を合わせ、全員が静かに筆を執った


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「使命感と覚悟を持ち、体調に気を付けながら記帳を全うしたい」と寺升さん


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「部活でする書道とは重みが違う」と林さん

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一筆目は「緊張感と高揚感」と石丸さん

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「日頃行っている賞状の筆耕とは異なり、鎮魂の思いを込めて」と林さん

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昨年、被爆者の親族が死去。「背筋を正して筆を握る」と小林さん

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平和を伝える文字をと臨み、「最初の一文字を記す瞬間、心に染みた」と福地さん

名簿への登載の申し出を受け付けています

 市内に在住で、被爆者健康手帳を持っている人が亡くなられた場合、葬祭料の申請などを基に、亡くなられた人の氏名を登載しています。

 被爆者健康手帳を持っていない人などの名簿への登載は、原爆被害対策部調査課か各区地域支えあい課で受け付けています。「広島市原爆死没者名簿登載確認票」をご提出ください。確認票は市ホームページで。電子申請も可能です。

市ホームページ

登載の確認も受け付けています

 登載の確認は随時受け付けています。上記の確認票と本人確認書類(運転免許証、マイナンバーカードなど。郵送の場合は氏名・住所・生年月日以外の個人情報は消す)の写しを持参か郵送してください。

 登載確認ができるのは、死没した人の遺族か親戚の人に限ります。

◆問い合わせ先:原爆被害対策部調査課(電話504-2191、ファクス504-2257)

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