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ページ番号:0000009472更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

昭和32年(1957年)

平和宣言

原爆被災12周年をむかえた今日、われわれ広島市民はあの日の惨害の意味を、より冷静に、また、より適確に評価できる立場におかれている。

原子爆弾の高熱と爆風による瞬時の破壊力は、まさに未曾有のものであって、広島市は人々の想像に絶する廃きょの街と化した。その瓦礫の上に市民のたゆまざる努力により新しい広島市は生まれつつある。しかし被爆生存者の体内には、なお目に見えぬ破壊力が働いているという恐るべき事実が明らかとなった。今日われわれは放射能がひとたび人間の体内に入れば、徐々に身体をむしばむだけでなく、その害悪は遺伝により子々孫々に伝えられることを知っている。本市被爆生存者が年々後遺症のために病死してゆく事実は、遠い将来につづく悲しむべき兆候であると憂えるものである。

しかも世界は既に多かれ少なかれ、この放射能の渦の中に置かれている。現在行われつつある原水爆の実験は、おびただしい放射能を大気中に放出することにより、徐々にではあるが刻々に人類生存の基盤をおびやかしている。

われわれは本日、原爆死没者の払った尊いぎせいを象徴するこの慰霊碑の前に立って、諸霊を弔うにあたり、原水爆の保有と実験を理由づける力による平和が愚かなまぼろしにすぎないことを指摘し、世界の人々がすみやかに真実の平和の道を選んで人類をその最大の危機から救うべきことを訴えると共に、自らもこのために微力を尽くすことをここにおごそかに誓うものである。

1957年(昭和32年)8月6日

広島市長 渡辺 忠雄