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ページ番号:0000009416更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

平成9年(1997年)

平和宣言

五十二年前のきょう、広島市の上空で原子爆弾が爆発した。一瞬、天は千の太陽よりも明るく光り、巨大なきのこ雲が立ちのぼった。火の海の中で、多くの人が死に、放射線障害は生き残った者を苦しめている。

その事実は、今世紀に入って飛躍的に発達した科学技術文明のあり方に強い疑問を抱かせる。科学技術は、人間の生活に快適さ、便利さをもたらしたが、広島・長崎での大量殺りくの手段にも使われた。核兵器は人類の生存を危うくしただけではなく、それを生み出した文明は、地球環境にも大きな影響を与えるに至った。

広島は、核兵器が今なお地球上から消え去っていないことに、強い憤りを覚えるとともに、文明の未来に大きな不安を持つ。

国際社会は、包括的核実験禁止条約の調印によって、核爆発を伴う実験の禁止に合意したものの、条約発効までの道はなお険しく遠い。そのような折、米国は条約に触れないと主張して「臨界前核実験」を実施した。一方で、核兵器削減を約束しながら、他方で核実験に固執する態度は、人類共存の英知を欠くものと言わざるをえない。核兵器こそは、戦争に代表されるあらゆる暴力の頂点に位置するものである、とあらためて世界に訴える。

現在、広島で開催中の第4回世界平和連帯都市市長会議では、「核兵器なき世界」を目指して、核兵器使用禁止条約の締結、非核地帯の拡大を各国政府、国際機関に求める討議を進めている。広島は日本政府に対して「核の傘」に頼らない安全保障体制構築への努力を要求する。

世界の国々、とりわけ近隣諸国民との間には、言語、宗教、習俗などが異なるだけではなく、歴史認識の違いも存在する。私たちは、世界の人々と率直な対話を進めることによって、明日への希望を共有したいと願う。

世界が激しい転換期に入っている今日、私たちは暴力、破壊、死と結びつく原爆被害の実相とともに、絶望的な悲惨を体験しながらも、なお未来へ向かおうとする人間の営みと生命のかがやきを、国の内外へあらゆる機会を通じて伝えていきたい。広島の体験が再生の過程で生み出した平和の文化は、人類の希望の灯である。そして、「原爆ドーム」の世界遺産化は、核兵器を否定する人たちの願いの象徴である。

いま平和記念日を迎え、犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、年ごとに高齢化していく内外の被爆者に対し、実態に即し、心のかよった援護の方策を求めていきたい。

「戦争は人の心から起こる、ゆえに平和の砦は人の心の上に築かれねばならない」- このユネスコ憲章の一節を胸に刻み、広島の決意とする。

1997年(平成9年)8月6日

広島市長 平岡 敬