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旧中島地区被爆遺構に関する調査
旧中島地区被爆遺構確認調査
広島市文化財団が2019年(令和元年)に行った確認調査では、固く焼き締まり厚く堆積した焼土の中に、被熱して赤く変色した多量の瓦や炭化物、灰等が含まれていることや、焼土層が敷地内に収まるように分布していることが確認されました。
これは、急激な熱を受けて家屋が炎上し、屋根が真下に落下しているものと考えられ、当時の火災の凄まじさをよく伝えています。
また、この家屋の間口は4.8m前後であること、南側に幅約1.2m程度の通り土間を持ち北側に建物が建つという構造であったことなどが確認されています。
炭化した畳、板材等
▲縦方向に並ぶのは板材。その下には板材と直角に交わる角材が1本確認できます。赤い焼土層との境の黒くもわっとした部分は、い草とわらのようです。
▲拡大写真。太いい草と細いわらのような繊維が観察できることから、炭化した畳の可能性が高く、細長い板材は、床板と考えられます。炭化した板材、角材等の全体的な状態から考えて、床板の上に畳を敷いた座敷の床が、そのまま焼け落ちて炭化したものと推測されます。
※レプリカ展示について
炭化した畳、板材等については、劣化しやすくそのまま展示することは難しいため、原物は保護土で保護し、原位置の直上に陶板製のレプリカを設置しています。
焼土層
赤く変色した部分は焼土層。一軒の町屋が、炎上し圧壊した状態で出土したものと考えられます。分厚く堆積した焼土の中には数多くの瓦が堆積しており、柱等の焼けた炭化材や白い灰なども出土しています。
屋根部分が一瞬にして支えを失い、ほぼ真下に落下し、屋根を支えていた柱材や土壁の土等が猛烈な勢いで炎上した状態と考えられられます。火災の激しさや原子爆弾の威力のすさまじさを強く感じさせます。
旧中島地区被爆遺構確認調査報告書(2020年 公益財団法人広島市文化財団)
地中埋設物調査
国の名勝である平和記念公園の地下に眠る町並みについて、掘削以外の方法で手がかりを探すため、民間事業者に委託し、マイクロ波による地中埋設物調査を行いました。これは、地中にマイクロ波を放射し、その反射信号をとらえることによって、地中にある埋設物や空洞などの位置を推定する調査です。
この調査の結果、地中にある水道・下水道・電力などの埋設管と思われる反射信号のほか、旧天神町筋のアスファルトや側溝のモルタルと思われる反射信号が検知され、被爆前の天神町筋のおよその位置を推定することができました。