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広島市ホームページ令和4年8月1日号トップページトピックス一人でも多く、遺族の元に

一人でも多く、遺族の元に

 平和記念公園内にある原爆供養塔には、原爆死没者約7万柱の遺骨が安置されています。
 市は、そのうち氏名が分かっていながら引き取り手のない814柱の遺族を探しています。


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職員により、昨年度のものから貼り直される今年度の納骨名簿ポスター/7月15日・市役所市民ロビー

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原爆供養塔
 被爆当時、現在の原爆供養塔付近には慈仙寺(じせんじ)という寺があり、多数の遺体が収容され火葬が行われていました。その後、市民の寄付などにより、仮供養塔、仮納骨堂・礼拝堂が建立され、昭和30年に市が中心となって、地下に納骨室がある現供養塔を建立しました。各所に散在していた引き取り手のない遺骨は、ここに納められています。

名簿のポスターを全国に発送

 市は、原爆供養塔の納骨名簿を作成し、毎年7月初旬、お一人お一人の名前を記した名簿のポスター(上写真)を全国の自治体などへ発送しています。市内では、区役所や公民館などの施設に発送。人通りの多い場所などにポスターを掲示し、名簿の氏名や住所、遺族に心当たりがないか、今一度、見つめ直してもらうよう呼び掛けています。
 この名簿は、昭和43年から公開を始め、終戦40周年の昭和60年を契機に、全国へ発送するようになりました。納骨された氏名が分かっている2,437柱のうち、これまで遺族が判明したのは、1,623柱。うち、1,001柱の遺骨が遺族に引き取られています。

名前の表記が違うことも

 年々、遺族が判明することは少なくなっていますが、直近3年間では、お二人の遺族に遺骨を返還しました。共通しているのは、名簿の名前と実際の名前が少し違っていたことです。
 昨年、遺族が判明した「梶山ハル」さんは、当時住んでいた住所とともに「鍛冶山はる」という名前で、名簿に記載がありました。新聞社から名簿のことを聞いたひ孫の修治さんが市に問い合わせ、調査の結果、遺族であることが確認されました。
 あの日から76年、梶山さんは、修治さんの父、孫の武人さんの元に帰ることができました。


今一度、名簿をご覧ください

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調査課 三波(さんなみ)主事

 聞き取りやメモ書きで残された名前などは、被爆後の混乱で、漢字や読みが間違って記載されていることもあります。名前が少し違うからと諦めずに、少しでも気になることがあれば、ぜひお問い合わせください。詳細を調査します。

市ホームページはこちら
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この記事は、主に上記SDGs(エスディージーズ)のゴールの達成に役立つものです。
【SDGs…持続可能な開発目標】

◆問い合わせ先:原爆被害対策部調査課(電話504-2191、ファクス504-2257)

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